goo blog サービス終了のお知らせ 

秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

枚岡神社創祀の地☆神津嶽

2020-06-09 | 古代史のミステリー

展望台の山側に、さらに上への階段見えてました。
でも足痛くてもう無理。
結局は階段に恐れをなして行かなかった。
写真すら撮らなかったので画像探してきました。



神津嶽の所在地は、東大阪市出雲井町、
ヘェ〜そうなんだと、調べたら
若宮社のところに出雲井があり、それが由来だとか。








神津嶽(かみつだけ)は、枚岡神社創祀の地ですって。
神武天皇が建国を願って、この地に天児屋根命を祀られた。

神津嶽の頂が平らな丘であったことから「平岡(枚岡)」の社名が生まれた。
奈良市春日野町の春日神社第三殿、第四殿の祭神である天児屋根命と比売神は、この枚岡神社から遷座したもの。


昨日はお呼びじゃなかったので、
あとどれぐらいで行けたんだろうと地図探す。



さすがパブリックなサイトは神社でもマニアックなとこはスルーでした。


下の地図はどこでいただいたか?
この地図の赤い印は私が付けました。
右下、枚岡神社上の白い部分はご神域なんでしょうか。

その左脇道上がり、分かれ道で右に、七曲りから枚岡山展望台へ。
休憩しても回復せず、さらに神津嶽目指さず引き返す。
展望台すぐ下の分かれ道で、椋ヶ根橋 のほうへ下った。
ずいぶん歩いたつもりでも7000歩にも満たなかった。

枚岡神社サイト「宮司よりひとこと」より
最後の方の満足という言葉が心に残りました。
またいつか近いうちに再訪して、神津嶽めざしたいと思います。

神津嶽の登拝【更新日】平成29年8月31日

カンヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が建国を願って、天の岩戸を開いた天児屋根命を、生駒山の神津嶽(320M)にお祀りされて、今年は2680年を迎えます。ミコトは生駒の暗がり峠を越えて大和に入ろうとしましたが、ナガスネヒコの抵抗に遭い、迂回して熊野から吉野、宇陀を経て橿原で建国して、今年は2677年。その3年前に枚岡の神様がお祀りされているのです。現在の地にご本殿が創建されたのが、白雉元年⁽650⁾9月16日と伝えられており、神津嶽の本宮神社は、この9月16日が例祭日です。この日神職、巫女が総代等と山頂に上るのですが、枚岡神社の大元を振り返る絶好の機会ともなっています。

9月以外は毎月16日に、宮司が登拝しています。朝5時過ぎに出発するのですが、九十九折れの山道は、ゆっくり歩いても約30分で山頂に到着します。枚岡の大元の地で祝詞を奏上した後、心行くまで瞑想し、神様に感謝し、神様と対話するのが、至福のひと時ともなっています。春は鶯の声を聞き、夏は山頂で涼を楽しみ、秋は紅葉を愛で、冬は厳しい寒さを耐えた後の充足感を味わう等々、四季折々に満足しています。これもまだ足が丈夫だから出来るのです。因みに先般105歳で逝去された日野原重明さんは長年、階段を2段ずつ上がる努力を重ねて健康を維持され、世の中のために貢献されました。2段ずつ上がると、腿の筋肉が鍛えられて健康になるようです。足が丈夫だと健康で満ち足りた生活が出来るので、「満足」という言葉が出来たのでしょう。日常境内の坂道や石段を上り、毎月山に登ることによって、自然と足が鍛えられていることを思うと、日々感謝しかありなせん。




昨日まで全く知らなかった神津嶽(かみつだけ)、ググってみました。

天之児屋根命の御尊骸を納めた可能性ある神津嶽本宮
このサイトで見た地図⤵


枚岡神社、生駒の聖天さん、石切さん、・・・
大阪ですぐ行けるとこなんだけれど、
知ってるし、行ったことはあっても、点と点が繋がらない不思議なエリアです。

石切さん 石切劍箭命神社 

枚岡神社

生駒の聖天さん