秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

なぜ再挑戦するのか

2011-07-24 | 私上最大の作戦
誰しも一番聞きたいことだと思いますので、先に明らかにしておきたいと思います。

4年前多くの方々の支援を受けながら残念な結果には終わりましたが、
何よりも、人の輪、応援してくださった方々への感謝は今も忘れておりません。

一気に噴出してしまったエネルギーの充電には時間もかかります。
次に継続させる力があるか常に自問自答していました。
それと平行して、前回応援してくださった方が出られる場合は、今度は応援する立場になることも考慮しないといけません。

しかし後援会を立ち上げたり、どこかと繋がることはシガラミを作ることになるので避けようとも思っていました。

基本的スタンスを内に秘めながら、まずは知見を広め人間としての格を高める努力をしようと日々を暮らしてきました。
公的な活動としては、保護司や防犯委員としてのボランティア活動を続けました。

2007年暮に氏神様である大枝神社の鳥居が新しくなり、中古のダンジリ(地車)が購入されました。
奉賛会とは別に地車隊ができたので、そこに混ぜてもらいました。
2008年の夏祭りから氏地内曳行が始まり、地縁ネットワークが深まっていくのを目の当たりに見てきました。
この地縁が薄くなったご時勢にでも、新たに地縁って築けるんだと。

一方防犯委員の夜の見回りで、年々夜の町が暗くなっているのを実感していました。
本来防犯灯は市の税金でまかなって欲しいのですが、現実は半分公費負担です。

電気代や照明器具の交換などにかかる経費は地域によって集め方が異なります。
町会がない大枝北町の場合は、その防犯灯のある周りの世帯で割勘定。
うちの一番近くの防犯灯を7軒で割って、年間200円づつを集めていました。

場所によっては1軒で負担されていたり、3軒で割ったり、全く関知しない世帯もあるのが実情でした。
防犯灯を管理している世帯が引越したり、亡くなったりすると引継ぎが十分でなく消えたままになったりもします。

縁あって暮らす大枝北町が防犯的にも明るい方がいいのは、どなたでもそう思われることでしょう。
しかし1軒が年○○円として徴収する制度がないために、私がこの町で暮らした30年間はその状態が続いていて、防犯委員会で提案してもなかなか前に進まない。
これまで全く防犯灯負担金を支払っていない人は、その道は通らないからと反対するなどの意見がありました。

去年、これでは何も変わらないと思い立ち、自分で町の地図を持ってオリエンテーリング。
防犯灯が設置された電信柱を地図にマークし、市役所と関西電力に出向きました。
個人情報の取り扱い方が厳しい昨今、この部分で少し手こずりました。
ここ数年、市の半分負担を申請されていない防犯灯が多々あるのも判明しました。

こうした調査を関西電力も市役所の担当課も積極的に動いてくれて、
防犯委員も何度か会合を持つことで、最終的に1世帯年間200円の費用で、防犯委員会が代表者となることで決着しました。
全世帯に回覧板をまわしてご理解賜り、防犯代金は徴収できました。
今のところご不満や反対意見は聞いておりません。

些細なことでも自分がまず行動に移すことで変わるんだぁ~
ちょっとした驚きでした。

そして目を守口市政に転じた時、小さなことからの積み重ねなんだと。

政治的後援会の支援を受けず、お金をかけない節約選挙で勝てたら、
緊迫財政にあえぐ守口市も蘇る可能性は高い。
これは私にかせられた試練なんだと、これでまちは変わることができると。

こんな過酷な挑戦、いちばん土用の暑いときに、なんでまた、
反対意見はわんさかあります。
よく知っている人ほど身体も壊すし、無くすものがそれなりにある、とアドバイスいただきました。


世の中が急激に変化しているのは皆さんご承知のことです。
そしてこの春の大震災は、物理的にも精神的にもとても大きなダメージを残しました。
今まで当然あってしかるべきと思っていたものが、本当に必要かどうか問いかける気運にも繋がっています。

今まであたり前だった新聞、固定電話、メディアも大きく変化しています。
しかし公職選挙法は昔のままです。

人間として変わらないもの、変わってはいけないもの、
制度として残しておきたいもの、変えないと対応できないもの
価値観だって時代と共に変化します。
お宝だって、いつまでもお宝であり続けるものは数少ないです。
電気エネルギーだってそうです。
今まで利権や国策で見えなかったものも明るみに出てきました。
よりいっそう、今何が大事で何が不要かを冷静に判断し、俊敏な対応が求められています。

今までの延長線上の発想ではこの変化についていくのは厳しいことでしょう。

この守口市で31年間実際に生活してきた生活者の目線。
二人の子供は私学ではなく、守口市の小中学校を卒業しました。
高校は府下の公立高校へ進学させました。
母親は認知症で介護認定5のため大阪府下のグループホームで預かってもらっています。
定期的に見舞いにも行きますし、先週は利用者と施設側などの会議でてきました。
市内でほとんどの買い物を済ませ、食事を作り、ゴミの分別してます。
市井の市民、生活者の視点は大事な視点の一つです。

質屋として、いろんな品物の価値観の変遷を目の当たりに見てきました。

旅行が趣味で、日本、世界、チャンスがあればどこへでも自費で行ってきました。
観光者、傍観者としてだけでもTVや本を通してではなく生で見ることは、凛とした空気や匂いも感じるものです。
守口市がこんな町であって欲しい、これはどうかなというのも記憶にストックされています。

長男が小学校1年生の秋、昭和の終わりに少林寺拳法を一緒に始めて23年。
力愛不二の精神、
慈悲の心があっても無力ではいけない、力があっても愛する心がななければただの暴力です。
平常心を鍛えるために今なお続けています。

このブログも2005年4月にスタートしたので、まる6年が過ぎました。
匿名ではなく名前を公開しているということで、暴走しないよう気をつけているつもりです。

こうした体験は、きっと市政にお役に立てるのではないかと
やっとそのときがめぐってきたと。
こうして思案に思案を重ね決意した次第です。