秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

光明子→藤原不比等→中臣鎌足

2010-10-31 | 古代史のミステリー
東大寺の正倉院展が奈良国立博物館で開催中です。

折りしも東大寺の大仏の膝下より明治時代に見つかっていた2本の刀が
聖武天皇の遺物である陰陽剣2刀であったことが判明し、
聖武天皇の后である光明皇后が祈願して埋められたのかもと報じられました。

光明皇后は、藤原不比等の娘である光明子です。

不比等が関わりを持った女帝は、持統・元明・元正・孝謙・称徳と実に多い。
そして天皇の后は皇族出身という決まりを破って、自分の娘を聖武天皇の后にしました。
藤原不比等は、日本史に登場する政治家の中でも一二を争う辣腕家だったとよく聞きます。

 

興福寺・南円堂は日本で最も大きい八角円堂だそうです。
毎年10月17日に特別開扉されるようで多くの人でにぎわっていました。

画像には写っていませんが、この右手に建築養生テントがありました。
再建中の中金堂です。

そのテントに隠れて見えない場所に北円堂があります。
721年藤原不比等の一周忌に際し、元明・元正天皇が長屋王に命じて創建したものです。
  

この不比等によって創建された中金堂は、戦災や火災で何度も焼失しました。
1717年の7度目の焼失以降、仮堂であったのを平城遷都1300年祭を期に再建中です。

興福寺での滞在時間があまりなくて、
再建中の中金堂はテントに覆われてたので見えなかった。
たまたま同じ17日に興福寺を訪れた方のサイトより無断で画像もらってきました。
  

私達が訪れた前日、2010年10月16日に立柱式が行われました。
建物を支える36本の柱の上に付けられた仮の屋根の下で、春日大社の神職も参加し神仏習合の形で施行されたようだ。
長さ約10m、直径約80cmの柱は、なんとカメルーン産のケヤキなんだって。

不思議な縁で、同じ年に刀が確定したり、立柱式があったりで、
藤原不比等は何かを語りたがっているのかもしれない。
あまりよく知らないのでちょっと調べてみると、
芋づる式にどんどん不思議なことを発見し収集がつかなくなってます。



不比等が生まれたのは659年、亡くなったのは「日本書紀」が完成した養老4(720)年。
飛鳥時代から奈良時代初期に生きた人です。

乙巳の変(大化の改新)の中心人物、
中大兄皇子626-672年 第38代天智天皇在位668ー672
中臣鎌足 614-669年(死後藤原姓を賜る)

誕生年から引き算すると、
中大兄皇子に対し、鎌足は一回り12歳年長です。
大化の改新は645年なので、鎌足31歳、中大兄皇子19歳。

大化の改新で唐突に歴史の表舞台に登場した中臣鎌足。
鎌足はどこから来たのか?
死の間際に天智天皇より藤原姓を賜り、その後なぜ藤原氏は比類なき権勢を保持しえたのか?
その鎌足が45歳の時に、次男として生まれた不比等は11歳のときに父を亡くした。
次男不比等はどのように律令制度を固め、日本書紀などを監修していったのか?

斉明天皇陵の八角墳とも繋がりますので、
ネット検索だけでわかったことを、少しづつお知らせしていきます。