秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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チュニジアのアラブ

2010-02-21 | 旅・チュニジア
旅から帰って10日も経てばどんどん記憶が薄れていきます。
下の画像もたぶんスースの街で撮影したよな気がする程度のかすかな記憶・・・
   

ローマ時代の遺跡は、あともう一つ内陸部で見てきました。
   

   
スペイトラの遺跡、調べてみたら7世紀に造られたチュニジアでは最も新しいローマ遺跡と書かれてあった。
大浴場、大劇場、神殿や上下水道などインフラの整った遺跡です。
ローマ時代の道路がそのまま使われていて、今でもその下には下水管が埋まっているらしい。

強大なローマ帝国もやがて東西に分裂し、
東ローマ帝国にあたるビザンチン帝国がこのあたりを支配するようになりました。
7世紀半ば、中心地をカルタゴから内陸部にある修復・拡張したスベイトラへ移したんだそうです。

ところがその数ヵ月後、アラブがやってきて市街地を襲撃・略奪。
このスベイトラ遺跡はローマ・ビザンチン最後の遺跡となり、チュニジアはアラブ人が支配する時代に入っていきます。


北アフリカにおけるイスラム教発祥の地として知られている古都ケロアン
   
高さ8m厚さ2mのこんな城壁が、3.5km続いています。
古い中世の街並みにはアラブの雰囲気が残っていて、都市遺跡が世界遺産に登録されています。

   

669年ウクバ・ブン・ナーフィー率いるウマイヤ朝アラブ軍が、アラビア半島から攻め入りここケロアンでビザンチンを破り建設された街です。
伝承によると、そのウクバが勝利を祝って地に槍を突き立てたところ、
突然そこから泉が湧き出してきたという。
これがメッカの聖なる湖と地下で通じているとして、ウクバはこの地が神の加護を受けていると信じ軍事基地として街を築いた。
    
   
   
メッカに繋がるとされる井戸「ビル・バルータ」
ラクダがいて、井戸の周りをぐるぐる回り水車が回転し水が汲み上げられる。
ラクダは一日交替で毎朝ここへ出勤してくるそうだ。

   
   
ケロアンのメディナに建つ、アフリカ最古のモスクであるグランド・モスクには、現在もイスラム教第4の聖地として数多くの巡礼者たちが訪れています。
メッカ、メディナ(サウジアラビアの町の名前)、エルサレムに次ぐイスラムの4番目の聖地なんだそうです。
しかしこのモスクの中には入らなかったようだ。
だって写真が1枚も残ってないから。

   
シティ・サハブ霊廟には預言者ムハンマドの同志だったアブ・ザマ・エル・ベラウィが祀られています。
ここで竹の立て笛を買いました。


  
9世紀アグラブ朝時代に造られた貯水池は、当時14の貯水池があったそうだ。
世界最高の技術といわれていて、現在もケロアンに住む人々の水源として利用されています。

   
チュニジアのちょうど真ん中あたりにあるガフサという町へも立寄りました。
ウキペディアによると、旧石器時代からの歴史を持つチュニジア最古の町、
町の中心にはローマ時代のものと推定される天然湧き水を使用した浴場が存在する、と書かれています。
しかし、浴場ではなく貯水池だとガイドさんは話されてました。
  
そこへ現地の少年が飛び込みました。
観光客がくるとテンション高くなるのかな。