中央構造線とは、糸魚川・静岡のフォッサマグナに対し、日本列島を縦に走る地層の分かれ目です。
ランドサットからの画像でも西日本側はかなり鮮明にその線がわかり、その線上を南下する渡り鳥もいるそうです。
地学の時間に学んだおぼろげな知識では、太平洋プレートが大陸のプレート下にもぐりこんでいるとか?
詳しいことは知りませんが、よく地震などのときに耳にする断層とかぶっています。
ウィキペディアで調べても、この線上に、諏訪大社、伊勢神宮、高野山、四国の石鎚山、九州の幣立神宮があると記載されています。
なぜ九州の高天原・高千穂がこの線より南にあり、幣立神宮がその線上にあるのか、
なぜ神社ではなく神宮なのに、メジャーでないのか疑問でした。
昨夜幣立神宮の記事を書く前に調べていて、いろいろ面白いことを発見しましたので、忘れないうちに先に書くことにします。
地殻プレートが異なれば、それがせめぎあう所は地質も磁場も違って当然なのは理解できます。
そうした所がスピリチュアルスポットとして、古代よりあがめられてきたことも分からなくはない。
こうして最近、有名な天孫降臨の高千穂ではなく、幣立神宮が脚光を浴びだしているようです。
ネットで検索してもいっぱい出てきます。
霊能的なものではなく、もう少し科学的なことが知りたいよね。
中央構造線と古代史を考えるというサイトはとても興味深かったです。
この方の推論によれば、古代に鉄を求めて、あるいは取り合いで抗争が合ったのではないかということです。
中央構造線上に鉄鉱山はじめ、金メッキに必要な水銀などよく産出するようです。
時代は進んで、空海も鉄を求めて行脚したのではないか、
四国88箇所もその一つの可能性を論じられています。
平城京から平安京に遷都したのも、奈良の大仏を作ったときに、あまりにも大量の水銀を使ったため、その公害で移転せざるをえなくなったとも書かれていました。
詳しくお知りになられてい方のためにリンクを貼り付けておきました。
大胆予測・古代産鉄族の移動
さらに気になることは、神宮と神社、大社との違いは何かということ。
幣立神宮が長い間、隠れ宮だったのはなぜかということです。
また今晩調べてみることにします。