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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

プチ・プライス

2009-10-02 | シチの目
プチプラとは「プチ・プライス」の略で安い値段で買える商品のこと。
雑誌やテレビでも特集が組まれ、新聞折込チラシを見ても商品構成が変化してきているのがよく分かります。

ブランド物は素敵でも、やはり値段の高さはネックです。
プチプラはブランド志向とは正反対の立場にあります。

洋服やコスメなどのファッションアイテムにお金を掛けたくない若い層を中心に支持されています。
流行最先端のものをお買い得価格で手に入れ、普段ガンガン使って、また次の流行品へ。
ブランドにこだわることなく流行のアイテムを安く、そして数多く手にするところに魅力があり、若い世代から広まっているショッピングの方法です。


私達の若い頃は、お財布と相談しながらやっと手に入れた洋服であったり、ブランド高級バッグ。
普段使いするのはためらわれ後生大事にクローゼットに保管される。

しかし、いつの時代にも流行、はやり廃りは存在します。
何度も着用、使用しないうちに年月が流れ、
クローゼットで大事にしまっておいたつもりの高級品がいつの間にか不用品に。

フランスやイタリアのブランドショップに行列する日本人、ヴィトン商品の半分は日本人が購入すると言われていました。
しかし去年のリーマンショック以降の不況で、急激に様変わりしています。

ということは、質屋の業界でも取り扱う商品の値踏みを見直さないと対応できないということです。

時代の流れに沿って、質で扱う商品は時々刻々と変化してきました。
当店の蔵には戦後すぐに開業した初期の質台帳も保存されています。

国民服一式、鍋釜から始まり、時計貴金属、電気製品、・・・
そしてバブル以降ブランド物、IT技術の進歩とともにパソコンやデジカメなど電子機器。

今また大きな過度期です。

女子中学生や女子高生など若い女性たちの買い物のキーワード「プチプラ」
これを担保にお金を融通できないし、その中古品を買う人はないものね。

翡翠

2009-08-18 | シチの目
画像右の象の置物は7.8年前台湾で買いました。
100ドルぐらいだったと思います。
鼻を上げた象さんは開運グッズだと聞いたもんでつい買ってしまった。

その後、台北故宮博物院にある有名な白菜の翡翠をみたら、がっかりしたものでした。
あの白菜の翡翠は硬玉です。

画像左手の指輪は、プラチナ枠でもあるしその色からすると硬玉かと思われます。

     

翡翠と呼ばれる天然石は、硬玉(本翡翠・ヒスイ輝石・ジェダイト)と軟玉(チャイナジェード・透閃石・ネフライト )の2つあり、両者はまったく別の鉱物です。

台湾翡翠などはネフライト、そのほか中国で格安で売られているもの、また日本でも安値で販売されているものがネフライトです。
一方ジェダイトは、ミャンマーをはじめ、日本などでも産出される硬玉でとても高価な宝石です。

観光地で高額で購入したからといってジェダイトとは限りません。
ボラれたケースのほうが多いので、海外での購入はおススメできません。

この2つの見分けはとても難しい。
市場に出てしまうともう分からないといわれています。
さらに削りカスの粉を樹脂で固めたり、鮮やかな緑に染色したり、全く別の鉱物であったり・・・
いろいろな加工品や模造品が多いのが翡翠です。
昨今の染色技術は、肉眼による鑑別が不可能な域にまで達しています。

翡翠がほかの宝石類と異なる大きな違いは、岩石であることです。
ルビーやエメラルドなどは1つの大きな結晶をカットしてつくられます。
翡翠は鉱物がいくつか集まって個体を形成するため、顕微鏡でみると「ひすい輝石」の細かい結晶がいろいろな方向に向いて緻密な塊を作っています。

いくつかの鉱物を含む、これが翡翠の最大の特徴であり問題ともなります。

純粋な翡翠には色がなく、他の鉱物が入りこむことによって発色します。
そのかわりに、他の宝石と見分けがつきにくいこと、そしてその含有率によって翡翠ではなくなってしまうことです。
他に染めや人口物、流通名称などによって、その見分け方が困難となります。

   

翡翠のウンチクはまだまだ続きますが、次回に。

リニューアル第1号

2009-08-07 | シチの目
ウェブサイトのドメインを新しくしてリニューアルした質オザサ
まだ宝石リフォームは準備中ですが、以前ご利用いただいたお客様から再度依頼がありました。

ブルートパーズの指輪のウデ部分を切り取りペントップへのリフォームです。
今日出来上がってきました。
新しいサイトになってからの第1号、許可を得ましたのでご紹介します。

ネットでのご依頼は、面識があるわけでもなく、実物を手にとってのご相談でもなく、先にご自分のジュエリーを送ってこられる不安、諸々を考えると感謝にたえません。


普通一般的に指輪ウデ部分を切り取りペントップへの加工は、不要となったウデ部分を買い取ってもらうので1万円ぐらいでできます。

ただし今回はプラチナのバチカンが大きめをご希望で、既成のバチカンが使えずハンドメイドとなったため3000円ほどお高くなってしまいました。

  

左側のブルートパーズは、私物です。
20年ほど前に大阪花の博覧会が開催されたおりに、スリランカ館でブルートパーズのルースを3万円で購入し、周りにダイヤを巻いて加工したものです。

確か8万円ほど支払ったように思います。
そのバチカンと比べると、今回のバチカンは大きくてプラチナ量も多いのがよくわかります。
加工の技術も進んでいるように思われます。

ちなみに裏側は
  

もし下の画像のように裏側にプラチナを貼ってもらった場合は、1万円ぐらい高くなると思います。
これも指輪からペントップに加工したものです。
  

小笹質屋から質オザサへ

2009-07-27 | シチの目
小笹質屋ozasa78→質オザサ7ozasa

ドットコムが新しくなりました。
以前のozasa78はアメリカのNetwork Solutionsという会社で取得したためか、毎日毎日、山のように英語の迷惑メールが届いてうんざりしていました。

気分一新もあり、経費節約もあり、この度新しく日本の会社で7ozasaを取りました。

それに伴い、メールアドレスも変更となります。
  info@7ozasa.com

旧のウェブサイトはもうご覧いただけません。
メールに関しては8/10以降は繋がりませんので、よろしくお願いいたします。
その他の業務はなんら変更なく今までどおりですのでご安心下さい。

新しいサイトは→質オザサ

ドットコム

2009-07-09 | シチの目
はじめてのドットコムを取得したのは今から9年前。
その当時ホームページを製作代行してもらっていた方に「59785.com」という銀行口座番号名で取ってもらいました。
ozasaというドットコム名がすでに他で使われていて、ちょうどよい手ごろな名前が思いつかなくて申し込み期限に限りがあり、やけくそでつけたドットコムでした。

3年ほど過ぎて、サイトリニューアルにあたり、
新たに「ozasa78.com」で、アメリカのネットワークソリューゾンという会社でネット契約しました。
*2025-4-21訂正
正式名称はNetwork Solutions ネットワークソリューションズ

そして3年間で80ドル弱の代金はカード決済しました。

しかしこれもホームページ製作代行会社に依頼していたため完全に失念。
数ヶ月してカード決済されたというカタカナ名の引き落としをみて???

てっきりカード詐欺だと思いました。
その時期海外へ行ってないし、通販でも購入していないし・・・

このときのお話は、かなり以前に記事にしたんだけれど、いつか見つけれなかったので、また書きます。

カード会社に電話して、Network Solutionsってどんな会社と問い合わせたら、通販会社ですとオペレーターは言いました。
そして調べてもらうよう依頼しました。

ところがこの調査依頼がとんでもない顛末に繋がったのです。

調査を依頼したことも、またまたすっかり忘れてしばらくしたある日、
突然メールが送受信できなくなりました。
そしてなんと自サイト(質オザサ)のページも見れなくなっていました!

つまりカード会社に調査を依頼したことで、Network Solutionsは契約打ち切りと判断し契約解除になってしまっていたのでした。
英語堪能な方に依頼し直接電話をかけてもらい、こうした事情を伝えることでまた復旧したのでした。

そしてその3年後、今度は自らの手で無事自動契約しました。
来年また次の3年間の更新日がやってきます。
そしてこの9年間の間に、ドットコム取得やサーバーレンタル料金が激安となり、手続きも超簡単になっていました。

今や一年間のドットコム契約866円、3年間で2,598円ならほぼ3分の1。
レンタルサーバーも現在は毎月3,200円支払っていますが、これも1年間で4,725円。

これは変えんとあかんやろう!
で、「7ozasa」でドットコム新しく取得し、サーバーも新たに借り、サイトリニューアルの運びとなったのです。

ところが、6月は娘の里帰り出産でバタバタしていたものだから、
期限内カード決済をまたまた失念。
新しくできたサイトが開かなくなりびっくりしました。
事情を説明して、遅ればせながら決済完了して無事開通しました、やれやれ。

まだまだあちこちにアドレス変更の連絡などの仕事が残っています。
もうすこし心身ともに安定してから、抜かりの無いことをきっちり確認してからにしようと、現在2つのドットコムと2つのサーバーを借りている状況の日々が続いています。


ダイヤモンドとユダヤ人

2009-06-29 | シチの目
ダイヤモンドを最初に発見したのはインド人で、18世紀までインドの特産品でした。

イスラムを経てコンスタンチノープルやベネチアに伝えられました。
石目「カラット」という言葉はアラビア語のqiret(4粒の穀物の重さ)からだそうです。

最初の研磨技術はベネチアで生まれたと言われていますが、
ほんの数世紀前まで、ダイヤモンドは硬すぎて加工しにくく宝石としては「三流の石」扱いだったのです。
16世紀、いちばん高価だったルビーと比べたら1カラットあたりの価格は8分の1に過ぎなかったとか。
そんな日陰のダイヤが脚光を浴びるのは、17世紀になって「ブリリアント・カット」なる研磨技術が開発されるまで待たねばなりませんでした。


15世紀末インド航路が発見されると、リスボン経由でベルギーのアントワープに運ばれるようになりました。
アントワープには、ダイヤの原石をカットして多面体に整形する職人が集まっていたからです。
その多くはユダヤ人でした。

儲けがうすいダイヤは、必然扱う人が少ない。
当時ヨーロッパでは、ユダヤ人に対して職業規制が課せられていて、
ことダイヤに関しては就労の規制がなく、加工職人や仲買商にユダヤ人が多くなったようです。

16世紀末オランダ独立戦争が始まると、職人たちはアントワープからアムステルダムへ逃れてゆきました。
数世紀を経て第2次大戦前夜、激しいナチスの迫害を受けたユダヤ人職人の多くが今度は逆にオランダからベルギーへ。
戦後アントワープは再びダイヤ加工の中心地として復活しました。
今では世界中のダイヤの半分以上がアントワープを経由していると言われています。
「Cut in Antwerp 」というラベルは今も一流の証です。


19世紀後半、南アフリカで大鉱脈発見
「ダイヤモンドラッシュ」が始まると世界中から一攫千金を夢見る男たちが群がります。
1899年イギリスがオランダ系移民の末裔であるボーア人と戦争を始めたのは、彼らの居住地にダイヤと金が大量に埋蔵されていることがわかったからです。

深さ1200メートルのキンバリーのビッグホールは人間が掘ったもっとも深い穴だそうだ。
地中深く熱い中でダイヤ掘りの危険な作業を強いられた黒人たち、彼らから人間としての誇りを奪い反抗心を根こそぎにするための政策が「アパルトヘイト」でした。

「帝国主義者」として名高いセシル・ローズは、ロスチャイルド財閥の支援をバックにデビアス鉱山会社を設立。
デビアス社は鉱山買収を進めて南アフリカのダイヤを独占することに成功し、一躍ダイヤ争奪戦の覇者になりました。

しかし20世紀に入り第1次大戦後、世界各地でのダイヤ発見によりデビアス社の支配力は低下します。
そこで会長に就任したアメリカ系ユダヤ人のアーネスト・オッペンハイマー は、ダイヤモンドの値崩れを防ぐために、国際的なダイヤシンジケートをつくりました。
生産から加工・販売をほぼ一社のコントロール下に置くという、他産業ではみられない特殊な独占市場の誕生です。

「ダイヤモンド王」オッペンハイマーは、1880年ドイツのタバコ商人の子として生まれ、17歳でロンドンのダイヤモンド・ブローカーに入社、南アで原石の買い付け担当。
金の採掘で得た資産を元手に、1920年ダイヤモンド業界に舞い戻り原石販売のカルテルを構築。

過剰となりつつあったダイヤを「希少なもの」に見せかけ、高価格で安定させることに成功し、 その手腕は「限りなく詐欺師に近いビジネスマン」ともいわれたそうです。

完璧な価格統制と巧みなコマーシャルによって、
いつのまにかエンゲージリングはダイヤでなければと思いこまされてしまった日本人。
なんだか哀しいなぁ~

アウトレット・モール

2009-06-21 | シチの目
電気の差し込み口を「コンセント」といいますが、これって和製英語で、concentric plugを略したもの。
英語ではエレクトリカル・アウトレット (electrical outlet)、または単にアウトレット(outlet)と言うこともあるそうだ。

このアウトレットから派生して、アウトレット・モールに。
「出口」や「はけ口」という意味から、傷があり正規店で出せなくなったものを扱っています。
売れ残ってシーズンを外れた在庫品がほとんどで、傷のあるB級品もあり、掘り出し物を探すのも楽しみ。


今から9年前、2000年7月にアメリカ西海岸を訪れました。
ラスベガスのアウトレットモールへ行くのに、ニューヨーク・ニューヨークのホテル前から直行バスが運行されているのを利用しました。
確か往復20ドルほどで、3時間ほどの滞在時間。
「帰りのバスに乗り遅れた場合は、ご自分でタクシーでお帰り下さい。
ただし70ドルほどかかります」とおどかされ、時計が気になったものでした。

日本では1993年に埼玉県入間郡大井町(現ふじみ野市)の「アウトレットモール・リズム」が一番最初。
1995年には、家からさほど遠くなく自転車圏内で開催された花博会場近くの鶴見に「三井アウトレットパーク大阪鶴見」ができました。
当時はブロッサムと呼んでました。
上の画像、月下美人の花のイメージを表現した開閉式の屋根「ブロッサムウイング」が特徴です。

関空対岸に「りんくうプレミアムアウトレット」ができたのは御殿山と同じ2000年、ここもオープンしてすぐ見学に行きました。
その後次々と大型店の出店、増設が相次いで、日本には現在30ヶ所以上のアウトレットモールがあるようです。

御殿場店で買い物をした客は、初年度(2000年度)が570万人、
06年度、07年度が880万人、08年度が980万人と右肩上がり。

不況をものともしないアウトレット・ラッシュの裏事情には、
日本では売れ残り・キズモノB品の他に、ブランドがアウトレット用に出している商品も扱っているかららしい。
アウトレットでしか手に入らない限定品が客を呼び込んでいることも大きいそうです。

世界の質屋★フランス

2009-06-17 | シチの目
コロンブスのアメリカ大陸発見、この航海はスペインのイザベラ女王の宝飾品を質に入れてお金を作ったことで実現したんだそうです。

ヨーロッパは蚤の市などで中古品が流通する一方で、質文化?が大変浸透していて、質店では本物志向で取引がなされる傾向にあるそうです。

パリ市が運営する福祉信用金庫「クレディ・ミュニシパル」は、貴金属や美術品を客から預かり融資する質屋業務を行っています。
その歴史は長く、フランス革命前の1777年から行われていて、彫刻家のロダンや印象派のクロード・モネらが自分の作品を預けに来たこともあったとか。

当店でも時には絵画や骨董品など持ち込まれるときがありますが、悲しいかな見る目がない!
専門店へ持っていかれることをお勧めしますが、値打ちが分からなくてもいいと納得された場合のみ取り扱っています。


そのクレディ・ミュニシパルは、去年3月から新たに高級ワインの扱いを開始。
ワインを持っていくと専門家が鑑定し、評価額の50%の現金を借りられるという仕組らしい。

2008/05/23 ワールドリポートでは、開始から2ヶ月が経過し既に2000本以上のワインが預けられていると報じられていました。

金利は大切に保管してもらえる保管料だと割り切って預けに来る人もいるというのは、日本の質屋に時々あることです。
以前は毛皮やゴルフクラブセットなどトランクルーム的に預ける方がおられました。

世界の質屋★中国

2009-06-05 | シチの目
昨日は天安門事件より20年経過した記念日でした。
あの64天安門事件より少し前の話です。

大阪と上海は友好都市だったので、上海外事外事弁公室(国際業務を行う部署)日本課の方を我が家でお泊めする機会がありました。

その中国からの賓客は日本語はとても堪能で、何度も日本に来られていて日本各地の立派なお家で接待を受けられていたようでした。
「たいてい庭の見える座敷で食事し、飲み物の追加とかがあると主は手をたたいて家人を呼ぶが、ココは婦人が同席していてとても珍しい」

学生時代の友人二人も子連れでコンパニオンとして同席してもらっていました。
いつもと違う日本一般庶民家庭での接待にたいそう驚かれました。
こんな狭い家に外国からの客を呼ぶかというのも予想外だったのでしょう。

そして質屋という業界にも興味をもたれ、
「中国では質屋は人民の敵だ」とも話されていました。

その後何度かの来日の度に連絡があり、上海へもお招きいただいたこともありました。


で、ここから中国の質屋の話に。
日本の質屋の起源は遣唐使に遡るといわれますから、質屋のシステムは中国から渡ってきたと考えられています。

世界で最初に質屋が誕生したのも中国だとも言われています。
西暦5~6世紀の南北朝時代、農民の一時的な貧困を助けるために仏教寺院が物品を担保に短期間だけ小額の金銭を貸し、相応の利息を受け取ったのが質屋の始まりだそうです。
最古の寺庫は南京の招提寺か江陵の長沙寺かで、中国の質屋業は「庶民の頼りの門」として中国庶民の懐を支えてきました。


以下ページから引用させてもらうと
街道背後 海上地名尋踪」同済大学出版社 2008年1月出版 薛理勇 Xue Li Yong

「上海に質屋が誕生したのは今から500年前の明代で、繁盛したのはアヘン戦争後。
質屋は貸付業の1つだが、以前の上海では「特殊商業」として見られていた。
改革解放後、中国は次第に民営あるいは私営の貸付業を縮小させ始め、利率が高い私営抵当ローン機関である質屋業に対しては非常に厳しい制限を設けた。
このため、上海の質屋業は次々に閉業し1958年頃には1軒もなくなった。
質屋の元経営者の多くは「公私合営」の形で様々な「生活用品調剤商店」(上海人は旧貨店、即ち中古物専門店と呼んだ)に転業した。

うちの子供たちが幼稚園の頃、つまり1980年代後半、上海には質屋が存在していない時期だったのです。

1988年9月15日「恒源」という質屋が虹口区塘沽路で営業を開始。
「改革解放後初の質屋の復活だった。
自動車やオートバイ、不動産などの高額商品を担保にし1ヶ月の利息は6~8%の間と限定。
この店の開店を皮切りに、現在上海には様々な質屋が100軒近く営業している」

2002年上海質屋業界同業公会のデータでは、上海には40の質屋があり取引額は10億3400万元。
2007年商務部発表、上半期中国の質屋業界は開業2342社で、資産総額は前年同期比12.7%増の862億元、抵当総額は31%増の441億元。

世界の質屋★ロシア

2009-05-28 | シチの目
以前アメリカで高校生の銃乱射事件があり、質屋で銃を購入したと報じられていました。
アメリカの質屋はPAWN SHOPと呼ばれ、様々な銃が置かれていることは、少林寺拳法同志のアメリカ人に聞いたことがあります。

質屋といえどもお国が違えば質草も異なるもんだと思ったものでした。

1週間ほど前の読売新聞でロシアの質屋についての記事を見ました。
ネットでもご覧いただけます。→こちらから

「質草の変遷は、ここ数年でロシアの消費者が獲得した「豊かさ」を物語っている」と書かれていました。
企業の解雇や賃下げが深刻化するロシアでも、定番の質草の貴金属、時計、古銭から、最近はデジタル家電が増えているんだそうです。

去年11/16のロイター通信でも、質屋の好況を伝えています。
「2カ月前は1日約13万ドルだった貸付金額は、現在では同20万ドル前後に拡大しており、これまで年配層が中心だった利用者も、最近は貴金属などを持ち込む中流層が増えているという」


20年ほど前ゴルバチョフからエリツィンに変わった頃、ロシアを訪問した当店の専務さんの話によると、家具工場へ見学に行ったら、1日の生産ノルマは重さが基準になったという。
そのため数を作るのではなく、一つの家具を重くするためテーブルなどの天板厚さも尋常ではなかったそうだ。
そしてなんとノルマってロシア語だそうです。

その後ふんだんに採掘される天然資源でロシア経済は超活況。
イギリスや中東でロシア人が闊歩していたんですよね。

今は不況で大変らしいけれど、
自由経済になってからのロシアと、かつての共産圏で計画経済だったころのソ連邦。

自由経済になって初めて質屋が誕生したはず。
質草は世情を写します。
かつてノルマとして生産されたものも、今や質草となっているんだろうか?

思いを遺したお宝

2009-05-16 | シチの目
直前の記事で質屋の蔵について書きましたが、2005年7月にも「質の蔵」と同じタイトルで記事をエントリーしていました。

執着心というか、ものに対する思い入れを遺された唯一の体験談です。

ものに対する愛着心についてコメントいただいたので思い出しました。
以下4日間にわたる連載です。

黄金のお宝 2005/7/12

因縁を 2005/7/13

お払いする 2005/7/14

質の蔵 2005/7/15

質屋の蔵

2009-05-16 | シチの目
この土日を使って、事務所の床板張替え工事をお願いしています。

質屋営業法には公安委員会が定める「質屋の質物保管設備の基準を定める規則」がこと細かに定められています。

手元に書類がないので正確ではないですが、
建築基準法の定める防火構造で、コンクリートの厚みも決まっていたと思います。
窓には太い鉄格子をつけるとか、出入り口には金網と鉄板のネズミ返しをつけるとか・・・
鉄扉の内側にはさらに網格子の扉もついています。


「質屋蔵」というお噺が落語演目にもあります。
質屋の蔵の中で質物の精が集まって身のうえ話をするという趣向は、滝沢馬琴の読本『昔話質屋蔵』に見えます。
落語家の先達が何年にもわたって、現行のような名作に仕立てあげたといわれています。

手放しがたいものを質草に預けて、その怨念がお化けとなるなんて時代ではなくなりました。
不要となった品々を少しでも高く売りたい、あるいはしばらくそれを質草に預かって欲しいという方が多いようです。

昨日はパソコンを蔵の中にしまいました。
工事中の埃から守ってもらうには蔵の中が一番安心。
工事終了後ちゃんと様々なコード繋げることができるかどうか、それが心配です。

借りた金返せよ

2009-05-08 | シチの目
質屋も金融業ですから「♪借した金返せよ~」は、常々思うことです。
過去、電話金融といって、電話の加入権でお金を融通した時代があり、その財産担保価値以上に融資して返済されなかったことは多々ありました。

世の中携帯電話の時代となって電話加入権は財産ではなくなり、今やこの加入権を担保にお金を貸すことはありません。
必ず他の「質草」を担保としていますから、返済されない場合は「質流れ」といって、預かった蔵の中の品物を売ることでなんとか元を取れる仕組みになっています。

ところが物の価値、中古市場の動きを見誤らないということが大変難しい。

商品は多岐に渡っていますから本物を見たことが無い場合だってあります。
コピー品も氾濫しています。
金やプラチナの地金相場も常に動いています。
パソコンやデジカメなどあっというまに新製品が出ます。
経済状況や消費者趣向も常に変化するものだし、てきめん中古相場に影響してきます。

 ・・・・・・・・・・・・・・
昨日橋下大阪府知事が奨学金返還を求める「滞納ゼロ作戦」を計画したニュースを見ました。
大阪府育英会ではこの10年間の滞納総額は50億円!
昨年度だけで府民約5万人に高校の授業料などとして140億円の奨学金を無利子で貸し付けています。

日本育英会の場合は、利用者延べ人数2006年で300万人超、貸出総額は47,000億円。
2007年度の未返還額は660億円は、同年度に貸与した奨学金総額の8%に相当し、3カ月以上滞納して貸し倒れの可能性がある延滞債権が20万人分2253億円にもなるそうです。

昔の奨学金は優秀な苦学生に無利子で貸し付ける制度だったと思います。
その後有利子制度もできてからは、奨学金制度が甘くなったのでは?
借りれるものは借りておけ、みたいな感じ。
そういった矜持の精神が希薄な方は、いざ返す時になると督促も甘いしで返さない人が増えているのかもしれません。

不況で日本中が苦しい時代だからこそ、返済能力がありながら「借り得」を決め込んでいる不届き者がいるとすれば許しがたいですね。

対策の1つが、金融機関でつくる個人信用情報機関に滞納者情報を通報する制度の導入。
卒業後に返済が滞らなければ通報はないが、滞納が長期化すれば通報され銀行ローンやクレジットカードの利用が難しくなります。

次に支払い督促申し立てなど法的措置に入る時期を、従来の滞納「1年以上」から「9カ月以上」に短縮されるそうです。

奨学金返済については、いろんな事情や思いがあることを改めて知りました。
ご関心のありの方のためにリンク貼っておきました。

YAHOO知恵袋   教えて!goo   OKWaveコミュニティ

2・8の法則

2009-01-29 | シチの目
2月と8月、にっぱちは売れ行きが悪く閑古鳥が鳴くという話ではありません。
正式にはパレートの法則といわれる2・8法則です。

身近な例では、働きアリは皆一生懸命働いているようだけれど、実際は8割が働らいておらずウロウロしてるだけ。
そこでその働きアリ2割を別にすると、残りの8割からまた2割が働きアリに変身するという。

19世紀のイギリスにおける所得と資産分布を調査したところ、
20%の富裕層にイギリス全体の資産総額の80%が集中し、
この現象は継続して繰返されることを発見した、
イタリアのパレートという経済学者にちなんで「パレートの法則」といわれています。

この前の日曜朝、旅先でいつもより早起きしていたので、TV番組で「コメ兵」の戦略を見ました。

コメ兵はたしか名古屋の質屋さんだっと思いますが、リサイクルブランドショップとして大チェーンを展開しています。

そこでは8・2の法則というのがあるそうです。

商品買取で、すべての客から買い取ったとすると、それは買取価格が高かったからで、ほとんどの客から買取が成功しない場合は、値段が安すぎて他店へ流れたということ。

それで目安は1日に訪れる買取希望者と8割の成功率を目指しているそうです。

また買い取った商品を販売するとき、あっという間に全部売れるというのは値段設定が安すぎたということで、また逆にぜんぜん売れないのは、高すぎるということ。

そこでここでも8・2の法則。
一定期間に2割売れて、売れ残りは2割づつ値下げしていくとか。

こうした20%目安というのは、いろんなところでみられますね。
すべて満遍なく力を注ぐのではなく、特化したところに攻勢をかけた営業だったり宣伝だったり・・・

戦後日本の義務教育は、皆平等という思いにとらわれすぎたのかもしれません。
生物界には2・8の法則のようなものが数々みられるし、
投入資源と成果の間には,アンバランスがあるのが当たり前だから。

質屋よもやま話

2009-01-22 | シチの目
インフルエンザというタイトルで、TMさんのブログでは、薬局のカウンター内側から見た世情を書かれています。
カルテから個人情報わかりますから、いろいろ驚きあるようです。

いろんな専門の場所から垣間見た世情って興味ありますよね。

質オザサのサイトは、2000年4月に1回目のリニューアルしたとき、「質屋よもやま話」のコラムを毎月連載を始めました。
本出したら、といわれるぐらい好評でした。

今はご覧いただけませんが、データは残っています。

ここ数年、個人情報管理が厳しくなり、再点検してからでないとうかつに記事掲載できずお蔵入り状態です。

時間があるときに見直して、公開できるものはまたご紹介したいと思っています。

保護観察もしかりで、書きたいときはまだ情報が生々しすぎて、いくら匿名で書いたとしても差し障りありそう。
時が流れると書きたい気持ちも薄れてすでに記憶のかなた。

旬のときにさりげなく書くのは難しいものです。