安倍晋三主催「桜を見る会」への「爆笑問題」招待は懐柔を通して好ましくない発言を封じる暗黙の言論統制か

2015-04-19 06:48:03 | 政治


 4月18日午前、安倍晋三が自身主催の「桜を見る会」を都内新宿御苑で開いたとマスコミが伝えている。政財界や文化・芸能人ら約1万5000人が出席したという。

 中身よりも形式を後生大事にする安倍晋三のことだから、1万5000人という人数にご満悦だったに違いない。

 安倍晋三「桜前線が北上して全国に桜が咲いていくように、昨年は15年ぶりの賃上げを実現できた。今年は昨年を上回る状況だ。周りを見渡すと、桜が咲き誇っている。日本全体がこんな気分になるよう頑張っていきたい」(BIGLOBEニュース

 「桜前線が北上して全国に桜が咲いていく」様子と「昨年は15年ぶりの賃上げを実現できた」状況とどうつながるのか意味不明である。「桜前線が北上して全国に桜が咲いていくように大中小企業、全てに亘って賃上げが広がった」ということなら、前後脈絡がつく。

 今のところ盛況なのは安倍晋三の「桜を見る会」と大企業の賃上げ状況ぐらいのものだろう。

 安倍晋三「景気回復の暖かい風を全国津々浦々にお届けしていくことが、私たちの使命であり、地方創生を力強く進めていきたい」(時事ドットコム

 アベノミクス3本の矢は日銀の異次元の金融緩和を受けた株高と円安の第1の矢の、利益の殆どが大企業と大量に株を持っている金持ちに集中した成功のみで、第2の矢である経済対策ための10兆円規模の財政出動は成果を上げていないし、成長戦略に向けた規制緩和等の第3の矢である構造改革は殆ど進んでいない。

 安倍晋三は「使命」という言葉を拉致問題でも使っている。4月20日の参議院予算委員会。

 安倍晋三「すべての拉致被害者のご家族がご親族をその手で抱きしめる日がやってくるまで、われわれの使命は終わらない。国際的にも拉致問題に対する理解が深まるなかで、この問題を解決しなければ、北朝鮮の未来を描くことはできないという認識に北朝鮮側が立つよう強く求めていく。北朝鮮の特別調査委員会が正直かつ迅速に調査結果を日本側に報告するよう強く求めていく」(NHK NEWS WEB) 

 拉致解決に向けた進展は何も描き出すことができていない。

 「拉致問題を解決しなければ、北朝鮮の未来を描くことはできないという認識に北朝鮮側が立つよう強く求めていく」――

 前々から同じことを何度も言っているが、金正恩にそのような認識を持たせることができないでいる。

 安倍晋三の言う「使命」がオオカミ少年の「オオカミが来た」と同列化しないことを願う。

 政財界人、文化人、芸能人約1万5千人招待を受けた中に「爆笑問題」の太田光と田中裕二が混じっていたことに些か驚いた。安倍晋三は1万5千人を招待したものの、1万5千人全員と言葉を交わすことはできないだろうが、「時事ドットコム」記事には安倍晋三が二人と言葉を交わしたと書いてある。

 太田光は元々反安倍姿勢の持ち主として名の通っている人物だが、その名の通り、既にネットでも広く取り上げられて知られていることだが、太田光は3月29日TBSラジオ放送の『爆笑問題の日曜サンデー』に出演、安倍政権の沖縄の民意を無視したアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古沖移設や安倍晋三が翁長沖縄県知事と面会しないとことを批判、安倍晋三を何回もバカ呼ばわりをしたという。

 太田光「これは完全に、沖縄の言っていることが正しいと僕は思う。先ずは安倍というバカ野郎は――」

 田中裕二「総理大臣ですから」

 太田光「総理大臣でもバカはバカでしょ。私は個人的にバカだと思っていますけど」

 太田光「(翁長知事が)会おうと言っているのに、会おうともしない。選挙で翁長さんが県知事になったわけだから、あんたたちは選挙の意味を全部無効にすると捉えられてもしょうがないよね。
 安倍っていう男のやっていることは、幼稚すぎると思うんだよね。自分の都合が悪くなったら会いませんみたいなのは、いくらなんでもバカにし過ぎなんじゃないの」

 田中裕二「バカを言い過ぎましたけれども――」

 太田光「言いすぎてねーよ」(以上LiteraThe Huffington Post

 このような反安倍人物を「桜を見る会」に招待した。一国の首相が招待するとは招待され側に招待という名誉を与えることを意味し、招待される側は招待に応じたことで招待という名誉を与えられ、その名誉を得たことを意味する。

 当然、与えられる側は与える側の少なくとも心理的下位に立つことになる。

 安倍晋三と太田光が並んでいる写真を見ると、二人は笑顔で言葉を交わしている様子が写っているが、バカ呼ばわりしたときの心理的優位性のカケラはどこにもなかったはずだ。

 そのカケラでも持ち合わせていることができたなら、招待に応じなかったろう。

 安倍晋三はネットの世界で情報発信に大きな力を持つ反安倍姿勢の太田光に招待という名誉を直々に与えることで安倍晋三に対する心理的優位性を奪って、反安倍の毒を抜こうと意図したのだろうか。

 もし毒抜きに成功したなら、表向きは「桜を見る会」の招待を通してある種の名誉を与える形を取っているものの、実質的には懐柔を通して好ましくない発言を封じることを狙った暗黙の言論統制を正体とした「桜を見る会」の招待という疑いが出てくる。

 安倍晋三の昨年2014年12月28日夜のSPを何人か引き連れた横浜市で開催サザンオールスターズのコンサートを鑑賞も桑田佳祐の反安倍発言封じの懐柔という手を使った暗黙の言論統制を目論んだものだったのだろうか。

 だが、桑田佳祐は安倍晋三の目の前で歌詞の一部を替えて「衆院解散なんですと無茶を言う」とアドリブの風刺を披露、懐柔に乗らなかった。

 但し桑田佳祐は同コンサートで自身が受賞した紫綬褒章の伝達式での天皇の様子をマネしたり、ステージ後方に「✕印」をつけた日本国旗を掲げたり、「中國領土 釣魚島」と書いた旗の映像を流したして右翼の抗議(威し?)を受けて謝罪コメントを出している。

 権力側(国家権力が右翼的姿勢と取っていた場合、右翼はほぼ国家権力側につく)からの様々な言論統制の圧力が働いている。日本国憲法が言論の自由を保障しているからといって安心はできない。

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安倍晋三の「日本が歩んできた70年の道のりに静かな誇りを持つ」は日本の戦争を歴史の背景に隠す自己都合

2015-04-18 10:45:21 | Weblog


      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《玉城幹事長、単身渡米し沖縄県民の声を届ける》

      玉城デニー幹事長は4月17日、国会内で記者会見を行い、4月20日から23日の日程で米国を
      単独で訪問し、辺野古移設問題についてマケイン米議会上院軍事委員長らと協議をすべく
      調整していることを明らかにしました。

      《4月20日(月) 小沢一郎代表 ニコニコ生放送出演ご案内》

      4月20日16時からニコニコ生放送で『緊急鼎談 樋口陽一、小林節、小沢一郎 憲法を語る
      』が生放送されます。憲法に造詣の深い3人が憲法の本質について議論します。ぜひご覧
      ください。    

 戦後日本が歩んできた70年に「静かな誇りを持つ」ことに何の異論もないし、何の反対もない。だが、戦後の歩みは戦争の反省に立った、その反省を出発点とした、戦争の時代に対する反作用としての平和の70年の一つ一つであったことを忘れてはならない。

 言ってみれば、あの愚かしい悲惨な戦争が生ましめた日本の戦後70年の平和な歩みと言うこともできる。

 「NHK NEWS WEB」記事が戦後70年の「総理大臣談話」策定に向けた有識者懇談会3回目会合が開催されて、一部安倍晋三の発言を伝えると同時に首相官邸ホームページに議事要旨が掲載されていると紹介していたので、早速アクセスして、安倍晋三がどのような発言をしたのか見てみた。

 開催日は2015年4月2日。正式題名、《20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会》(21世紀構想懇談会)  

 読みやすいように段落を少し変更した。

 〈(5)最後に、安倍総理より、委員の熱心な議論に感謝しつつ、以下の点を述べた。〉と書いてあって、その発言要旨を伝えている。

 安倍晋三「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないかと考えている。日本は貧しく、それ程豊かだったわけではない時代からODAを始めた。賠償からある意味で連続性を持っていたことによって国民的な理解があったのかもしれないが、同時に、ODAを税金の中から出していくことについて、日本では、他の国に比べて確かに多くの国民が理解している。

 日本も実は大変貧しい時代に世界の支援で今日を作った。例えば、新幹線も高速道路も黒部第四ダムも世界銀行からの融資で作ったのであり、91年までこつこつと借款を返済してきた。それが日本の高度経済成長につながったのではないだろうか、そして、これが日本の富につながっただけではなく、世界も裨益している、今度は日本の番ではないか。
 
 日本が歩んできた70年の道のりをもうー度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこうという気持ちを持つことが、これまでやってきたことを継続していく上においても大きな力となると思う次第である。

 何の繁栄を守って行<のか、繁栄の質という点についてご意見があった。環境とか大切な価値がたくさんあるわけで、それこそしっかり主張していくべきだろうと考える。経済の繁栄をひたすら求めていくのでなく、ODAにおいても量から質について考えなければならない時代を迎えている。質についてもちやんと確保していくことに力をいれていきたい。

 TICADV(アフリカ開発会議)の際にアフリカの首脳から、日本の企業が、職場に初めて倫理と道徳を持ち込んでくれた、働く喜び、規律を守ることの素晴らしさを教えてくれた、これは日本の企業だけだという話をしていただいて、私は大変誇らしく思った」(以上)

 安倍晋三は「日本も実は大変貧しい時代に世界の支援で今日を作った。例えば、新幹線も高速道路も黒部第四ダムも世界銀行からの融資で作った」と言っているが、2015年2月5日公開の外務省YouTub動画、《戦後国際社会の国づくり 信頼のおけるパートナーとしての日本》は、「戦後自らの復興を成し遂げた日本は平和国家としてアジアの繁栄と平和を作り、国際社会の国造りに積極的に関与してきました」と、戦後日本はさも自らの力で復興を成し遂げて、復興で得た新たな力をアジアの繁栄と平和に注ぎ、国際社会の国造りに積極的に貢献したかのように宣伝していたが、安倍晋三はここでは利害の相互扶助を構造としていたことを正直に明らかにしている。

 世界銀行からの融資だけではない。《第二話 戦後の灰燼からの脱却》外務省「政府開発援助ODAホームページ」)には、「第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、アメリカからの資金援助である「ガリオア・エロア資金」(注)の果たした役割は計り知れないものがあった。

 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。現在の価値に換算すれば、約12兆円(無償は9.5兆円)となる膨大な 援助であった。この援助がなければ日本の復興は考えられなかったのである」と書いてあって、上記外務省YouTub動画の自力復興の自画自賛宣伝とは大違いとなっている。

 この大違いは安倍晋三の戦後日本過大評価の影響を受けた自画自賛なのだろうか。

 ガリオア(占領地域救済政府基金)とは陸軍省の軍事予算から支出した援助資金であり、のちに陸軍省の予算からの支出となったと「Wikipedia」が解説している。

 エロア資金とは1949アメリカ会計年度から日本や韓国、琉球などに適用された援助資金だと、同じく「Wikipedia」が解説している。

 日本の復興には朝鮮戦争特需の莫大な恩恵が多大に貢献したことも特筆しなければならない。

 日本のODAにしても、その多くがその資金を元手にしたインフラ建設に日本の企業が参加するヒモ付きであったし、被援助国に対して援助をちらつかせて日本の政治的影響力を強める役目も担わせて、日本側も多くの利益を得ていた。

 2005年8月5日「朝日新聞」朝刊、《岐路のアジア(8)途上国援助 円借款離れ 中国台頭》はタイのナロンチャイ元商務相の発言を伝えている。

 「以前の日本は東南アジアのボスみたいな態度だったが、最近は腰が低くなり、対等に近い関係になった。タイの発展の成果だ」

 タイが国力をつけ、その国力そのものから日本も利益を受ける側に立つことになって、下手に上に立つ者の態度は取ることができなくなったということだろう。

 このような位置関係の変化はタイだけに限らないはずだ。アジアの国々が経験していった日本の態度の変化であろう。

 つまり利害の相互扶助の構造がより強まった。

 以上のことからすると、「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないか」という言葉は思い上がりも甚だしいことになる。

 アメリカの「ガリオア・エロア資金」援助にしても、日本の復興を目的としていただけではなく、日本の共産化防止を目的の一つとしていたと指摘されているから、アメリカにも利益を与える利害の相互扶助の構造を持たせた資金援助だったことになる。

 安倍晋三が日本の戦後70年を“陰徳の70年”としたいのは戦後の日本に強い光を当てて、戦前の日本をその強い光の陰にぼかしたい欲求があり、強い明とぼかした暗を「安倍晋三70年談話」にそのままに反映させたい意図を持っているからだろう。

 有識者懇談会は「安倍晋三70年談話」の策定に向けた会合である。だが、安倍晋三は日本の戦後の平和な歩みが戦前の日本の戦争があらしめることとなったその反省や教訓や反面教師とする強い思いが道案内となったことの認識がないままに戦後日本の70年を光の面からのみ創り上げようとしている。

 同じく戦争に対する反省や教訓や反面教師とする強い思いが、それが例え占領軍がつくった日本国憲法であったとしても、国民の多くがそれを受け入れ、戦後日本の平和の歩みの指針とし、戦後日本人の精神の礎としたことも戦後の日本の歴史の大きな事実としなければならない。

 安倍晋三はこの事実を自身のものとしているのだろうか。安倍晋三の2013年4月5日衆院予算委員会の答弁を見てみる。

 安倍晋三「(戦後)何年間の占領時代というのは戦争状況の継続であるということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。   
   (中略)
 我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。   
   (中略)
 (マッカーサーによって日本国憲法は)25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」――

 2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージ。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし当時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。
 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをしてその上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」――

 占領軍によって日本と日本人の精神が改造されたと言って、占領軍とその占領政策を激しく忌避し、日本国憲法を否定している。日本国憲法や教育基本法の「上に培われてきた精神」は戦争の反省に立ち戦後70年の平和の歩みを決定づけた精神でありながら、その精神を見直すことを主張している。

 いわば占領時代が日本の戦後の歴史を平和の方向に決定づけ、その出発点となった戦後の歴史の一部でありながら、安倍晋三はそのようには時代解釈をせず、占領時代を抹消しようとさえしている。

 このような歴史認識が安倍晋三の占領時代を除いた戦後の日本の歴史(純日本の歴史ともいうべき戦後の時代)に強い光を当てて、戦前の日本の戦争の歴史にしても純日本の歴史でありながら、不都合な歴史としてその強い光の陰にぼかしたい欲求へとつながっているはずだ。

 当然、安倍晋三が21世紀構想懇談会で言った「日本が歩んできた70年の道のりに静かな誇りを持つ」は戦争の歴史認識を欠くと同時に戦後の歴史認識をもその正確さを欠いた平和国家70年の歩みの提示であり、日本の戦争を歴史の背景に隠す自己都合そのものと言うことができる。

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民主党は党の存在理由を低所得層の中間層化・中間層の収入拡大に置き、そのために民主党を存在させるとせよ

2015-04-17 10:10:35 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《4月14日(火)小沢代表定例記者会見要旨 党HP掲載のご案内》

      《小沢代表の岩手県達増知事についての「あのぐらい純粋で良い男はおりません」》    

 民主党が中間層重視を政策として謳い、掲げていることは承知している。

 だが、単に重点的な政策として掲げることと政党の存在理由をそこに置くこととは違う。存在理由は存在の軸、あるいは生き方の軸となるもので、当然、人に訴える決意の点で違ってくる。

 党の存在理由をそこに置いているんだ、そのために民主党を存在させているんだという明確、且つ具体的な形で打ち出し、有権者にそのように受け止められている状況をつくり出すことができているのだろうか。

 そのようにつくり出すことによって、あるいはそのようにつくり出すことができて、国民により明確にアピールすることができる。

 《2015民主党政策パンフレット》は、〈「生活起点。」「地域起点。」で日本の再生を〉と題しているが、題名は一言で民主党の存在理由を有権者に印象づけるキーワードとならなければならないはずだが、当たり前過ぎてインパクトが弱く、そのようになっているとは到底思えない。

 これこそ民主党の存在理由だ、そのために民主党を存在させているのだと印象づけるキーワードを示し得て初めて、有権者は他党との違いを見い出すことができる。

 〈「生活起点。」「地域起点。」で日本の再生を〉と訴えて、有権者は直ちに中間層重視と結びつけることができるのだろうか。

 もっと直裁的に中間層重視を訴えて、そこに民主党の存在理由を置く、そのために民主党を存在せるとするフレーズが必要ではないだろうか。

 だが、《2015民主党政策パンフレット》には「中間層」という言葉も「中間層重視」という言葉も存在しない。このことが中間層を重視する政策を掲げながら、存在理由を明確に打ち出すことができていない理由となっているように思える。

 パンフレットの中身を見てみる。

 〈民主党は、「生活起点。」「地域起点。」を掲げています。「生活者」の立場に立ち、地域で暮らす人々の生活の充実を目指し、一人ひとりの生活の場である「地域」の再生を出発点として、日本の再生を図っていきます。〉・・・・

 〈民主党は、地域の皆さんに寄り添い、現場重視の政策を一貫して進めていきます。〉・・・・・

 〈「上から目線」、「中央主導」ではなく、「地域のことは地域で決める政治」で地域の活力を引き出していきます。〉・・・・・

 〈「地域のことは地域で決める政治」で地域の活力を引き出していきます。〉・・・・・

 「生活起点。」については次のような説明がなされている。

 〈生活の不安を希望に変える「人を大切にする政治」を進めます。〉・・・・・

 どの政党も言っていそうな抽象的な文言の羅列で、これが民主党だと訴える独特なものがない。あるいは民主党ならではの訴えだと理解させる表現がない。

 そして個々の具体的な政策を掲げている。

 例えば、〈非正規雇用の待遇改善、正規雇用の増大により、「若者が将来に希望を抱ける社会」をつくります。〉等々。

 やはりどの政党も言っていそうな表現の範囲を出ていないし、読む者をして他党との差別化を見い出すことを難しくしている。

 但しこのような表現を使うなら、自民党や他の野党とは違う民主党の存在理由をどこに置いているかを一言で理解させることのできるインパクトあるフレーズを前以て示しておけば、それとの関連付けで「非正規雇用」云々という政策も他党との違いとして理解させることも可能となる。

 岡田克也が海江田万里の跡を継いで2014年12月15日に民主党代表に選出されたとき、「顔ぶれに新味がない」と評判された。2015年1月19日の記者会見で菅義偉から、民主党が衆院選で伸び悩んだ点を「分厚い中間層(をつくる)と言ったが、具体的な政策は全くなかった」(毎日jp)とまで酷評された。

 民主党の党としての存在理由をここだと明確に置いていないから、そのために民主党を存在させると明確に目標を定めていないから、掲げた政策がどの政党も言っているような散漫化を招くことになって、あるいは抽象化を招くことになって、自民党との差別化も図れなくしてしまったといったところではないだろうか。

 野田政権も「分厚い中間層をつくる」を政策として掲げていた。だが、民主党の存在理由をそこに置いているとする関連付けで分厚い中間層云々を訴えていたのだろうか。そのことのために民主党を存在させるとする存在理由に添わせた政策だったのだろうか。

 中間層を分厚くするという言葉は中間層以下の低所得層を中間層に吸収・引き上げる意味を含む。だが、「分厚い中間層をつくる」という言葉は“吸収・引き上げ”の意味を一言で理解させる言葉とはなっていない。

 この言葉が民主党の存在理由を一言で言い表す表現としてふさわしいかどうかは分からないが、「低所得層の中間層化・中間層の収入拡大」のフレーズが対象となる有権者に民主党の存在理由として的確に理解を得やすい言葉に入れることはできるはずだ。

 いずれにしても、民主党の存在理由はここに置く、そのために民主党を存在させるというフレーズを必要とし、そのような存在理由に基づいて政策を打ち立ていくシンプルさこそが対象有権者を惹きつける要素となると思う。

 それがなかったから、いくら「中間層重視」を訴えても、言葉のみに把えられて、アベノミクスでこれ程にも格差が拡大していながら、中間層や低所得層の理解を十分なまでに得ることができず、2012年衆議院選挙・2013年参議院選挙共に敗北したということではないだろうか。

 今回ヒラリー・クリントンが来年11月の大統領選への立候補を表明した。中間層重視の経済政策を進めるそうで、4月14日に勝敗を左右する激戦州とされる中西部アイオワ州を訪れて、「ヘッジファンドマネジャーが、看護師やトラック運転手よりも低い税率で税金を支払っているのはおかしい」と批判、4月〈12日に示した企業幹部の高額報酬への懸念にもあらためて触れ、学費の高さを口にする学生の苦労を察する姿勢を示した。〉と4月15日付「ロイター」が伝えている。

 この「中間層重視」の点でヒラリー・クリントンと連携する姿勢を示すのも民主党の存在理由をアピールする一つの手となると思う。 

 代表の岡田克也は話し方も話の内容も硬くて柔らかみも面白みもなく、そこが人気が出ない点だと思うし、今度かけるようになった黒の太縁のメガネは重厚な人物像に仕立てて貫禄を与えるが、その貫禄も悪事を陰で操る大物の政治家家や大物の企業経営者の風貌めいた貫禄であって、ただでさえ持ち合わせていない親近感を尚更に縁遠いものとしている。

 となると、代表の人気に頼ることができないことになって、せめて党としての存在理由で有権者を惹きつけるしか方法はないはずである。

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菅義偉のAIIB創設メンバー57カ国「想定の範囲」は真っ赤なウソをつくのと同然の見え透いた強がり

2015-04-16 08:33:08 | 政治


 中国財政省が4月15日(2015年)、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーが 57カ国で確定したと発表。

 日本の官房長官の4月15日午後の記者会見。

 記者「創設メンバーの数が57か国になったのは想定の範囲内だったのか」

 菅義偉「それなりの規模になるということは、当然G7=先進7か国も含めて情報収集し、連携もしており、そういうなかでわが国の立場を今まで明らかにしてきた。関係国の情報を収集しているなかで想定の範囲だ。

 政府としては、公正なガバナンスや債務の持続可能性といった点を含めて、慎重な見極めが必要だという立場に全く変わりはない。引き続き関係国と連携しながら、AIIBが国際金融機関にふさわしい基準を満たすよう、中国に働きかけていきたい」(NHK NEWS WEB

 日本とアメリカは中国がAIIB設立表明当時から、「銀行の運営に不透明な点が残る」とか、「中国主導で透明性が確保されない可能性」に言及したり、「国際ルールに則って運営されるのか不透明だ」と言ったり、「公正で透明な組織運営の確保」に疑念を示したりして、結局のところ当初の参加を見送った。

 つまり経済規模世界第1位の国と第3位の国が経済規模世界第2位の国が今回やることは信用できないというメッセージ(=情報)を世界に向けて発信してきた。発信するについてはメッセージ(=情報)に込めた信用できないという意図をメッセージ(=情報)を向けた国々に確信させる目的を有していたはずである。

 単に自分たちだけの問題としてメッセージ(=情報)を発信してきたわけではあるまい。中国主導の不信用性を世界の問題として発信してきたはずである。

 だが、自分たちのその不信用性のメッセージ(=情報)を世界に確信させることができず、主要先進7カ国のうち、日米、カナダを残してイギリスが先頭を切って参加し、フランス、ドイツ、イタリアが続いて参加、カナダも4月15日に参加を検討していると表明している。

 これら先進国以外ではロシア、ブラジル、インド、南アフリカ、さらにアジア太平洋地域ではアメリカの同盟国の韓国とオーストラリアなどが続々と参加し、結局57カ国に達した。

 これを想定の範囲内とすることができるだろうか。

 日米の“想定”とはあくまでも自分たちが発信してきた不信用性のメッセージ(=情報)を、数カ国の例外はあっても、世界が確信して、その確信に世界が従うことである。

 でなければ、メッセージ(=情報)を発信した意味を失う。

 だが、想定とは違って、首相先進7カ国(G7)の内4カ国が参加し、1カ国が参加検討、G7に準ずる国々が従い、総勢57カ国となった。

 当然、想定外でなければならない。それを想定の範囲内とすることは真っ赤な虚偽であるばかりか、見え透いた強がり以外の何ものでもないはずだ。

 菅義偉は「公正なガバナンスや債務の持続可能性の慎重な見極めが必要だ」と言っている。

 だが、中国の軍事費のように外から手出しできないゆえに外からその透明性を求めざるを得ない事柄と向き合っているわけではない。AIIBという組織の構成や運営方法は中国が単独で決めて、単独で運営していくわけではなく、そうであるなら、参加国は単なる資本提供国の地位しか獲得できないことになるが、そういうわけではなく、参加国が議論してそれぞれを決めていく構造を取っていて、内に入って手出ししていく形式を持つ。

 いわば菅義偉が言う「公正なガバナンス」にしても「債務の持続可能性」にしても、あるいは透明な運営にしても、各国による参加以後の決定事項である以上、AIIBに参加するか否かはその必要性の有無のみで判断すべき事柄であった。

 それを外から手出しできない事柄であるかのように参加もしないで外からのみあれこれ言う判断基準の間違えを犯したばかりか、57カ国参加を想定内だと、真っ赤なウソをつくのと同然の見え透いた強がりを言う。

 菅義偉だけではなく、当初の不参加決定の最終判断は安倍晋三であるはずだから、安倍晋三をも支配しているこの非合理性はこの問題だけで終わらないはずだ。

 同じ非合理性を元官房長官の自民党河村建夫も取り憑かせている。
 
 河村建夫「韓国がいち早く参加表明したのは日米韓の関係からいくと違和感がある。日韓で話し合わなければいけない課題だった」(時事ドットコム

 なぜ韓国は日米の判断に従わなければならないのか。米韓が同盟関係を結んでいようと、韓国は米国の属国というわけではない。ましてや日本の属国というわけでない。

 この程度の判断さえできない非合理性に侵されている。

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自衛隊海外派遣は衆院解散中に国会を召集できるよう法律を変えて例外のない事前承認を規定すべき

2015-04-15 08:26:15 | Weblog


 4月14日午前、自民、公明両党は安全保障法制に関する与党協議を国会内で再開、外国軍支援のために自衛隊を海外に随時派遣できるようにする恒久法に国会承認をどう規定するかを中心に協議。

 自民党側は国会閉会中や衆院解散中の場合は、派遣後の国会承認も例外として認めるべきだと主張。対して公明党は例外のない国会の事前承認が必要だと主張。両党は結論を次回以降に持ち越したと4月14日付「TOKYO Web」(東京新聞)記事が伝えている。

 今までの前例から言うと、公明党が妥協して自民党の主張通りになる。

 自民党主張の理由は例外のない事前承認を規定した場合、衆院解散中に国会を召集できず、「緊急の事態に自衛隊を迅速に派遣できない」からだとしているという。

 この主張に公明党は衆院解散中でも「憲法に基づく参院の緊急集会を開けば、国会の関与は担保できる」と反論。

 どうせ参議院は衆議院の下請のようなものだから、参議院が衆議院の意思を代行できないことはない。

 にも関わらず、衆院解散中は国会を召集できないからと言って、そのような場合の事前承認の例外を設けて事後承認を要求するのは、一つの事後承認を突破口に国会承認が手間取って自衛隊派遣が後手に回ったケースにまで応用して事後承認を主張、そういった事後承認を積み重ねていって自在に事後承認に持っていく狙いがないとは言えない。

 結果、事前承認は有名無実化していくことになる。

 あるいは国民が納得しないであろうと予測し得る上に与党内でも反対論の強い自衛隊海外派遣であっても、衆議院を解散すれば、事前承認ないしで内閣の意思一つで自衛隊を海外派遣することも可能となる。

 勿論、そうした強行解散は選挙に悪影響を与えるが、自衛隊派遣がそうすべきではなかったといった事態を招かない限り、済んだこととして選挙の争点の背景に押しやって国民の生活や景気、経済を人質に取り、選挙の争点として前面に押し立てて選択を迫った場合、人間は基本的には生活の生きものであり、生活を最大の利害としているから、生活関連の政策を選択するよう仕向けることができれば、悪影響を悪影響としないよう、いくらでも手を打つことができる。

 2012年12月総選挙で安倍晋三がアベノミクスという国民の生活を争点として前面に立て、集団的自衛権等の安保問題は争点隠しして自民党大勝利を招いた例からすると、事前承認なしで自衛隊を海外派遣するために衆議院を強行解散させるといったウルトラCをやりかねない。

 福島第1原発の重大事故みたいな最悪の事態が起きない限り、事前承認なしの自衛隊派遣が取り立てた支障もなく推移して、そのことを実績としていくと、国民は事前承認なしの自衛隊の海外派遣に慣れていき、それが当たり前となって、事前承認の必要性に麻痺していくといった事態も起こり得る。

 参議院の緊急集会という事前承認の機会を設けることができながら、衆議院解散中は国会召集ができないことを以って事前承認の例外を設けて事後承認とする狙いが上記指摘したようなことにあるのかもしれない。

 参議院での事前承認の機会を無視して、それでも自民党(=安倍晋三)が事後のものとなったとしても、衆議院の優越を楯にその関与を求め、承認を必要とすると主張するなら、自衛隊海外派遣という国家の有事に関わる重大事態の承認・非承認よりも衆議院選挙を優先さる本末転倒の構図を結果的に描くことになる。

 優先させるべき前者を優先させるためには国会法なりの法律を改正させて、解散を一時停止できるようにし、選挙戦中であっても衆議院を招集して臨時国会なりを開催、公平を期すために国会解散当時は国会議員ではなかった立候補者も含めて選挙戦を一時停止させて事前承認の手続きを取るべきであり、そうすることによって優先させるべきを優先させない本末転倒を正すことができる。

 日程上、一旦決めた投票日は変えることは不可能だったとしても、立候補者不在のまま、投票は行うことはできるし、選挙戦を行うことができない点は立候補者すべてが公平な条件となる。

 結果的に何ら支障なく済んだとしても自衛隊の海外派遣はそれ程にも国家にとっての重大事態だとの認識を一般化させない限り、どこでどのような暴走を招かないとも限らない。

 安倍内閣によって2015年3月6日、防衛省の内部部局(内局)の官僚が自衛官より優位に立つ根拠してきた、いわゆる「文官統制」規定を廃止し、防衛官僚(背広組)と自衛官(制服組)を対等と位置付ける規定を盛り込んだ防衛省設置法第12条の改正を主とした改正案が国会に提出されている。

 防衛官僚と自衛官が対等の地位を築くことによって、自衛官側の戦争の現場や部隊運営の実際を知っているのは我々の方だとする現場知識主義を武器とした場合、両者対等の地位でありながら、自衛官側が心理的に優位な位置に立つことになって、その意見・主張が優先されることになりかねず、自衛隊の海外派遣に張り切っている安倍晋三が張り切りに応じて自衛官側の現場知識主義を優先的に採用した場合、自衛隊の最高指揮官たる首相の指示・命令であったとしても、厳格であるべき文民統制(シビリアンコントロール)が厳格さを失う危険性も考えることができる。

 厳格さを失った文民統制のもと、安倍晋三の出動命令によって事前承認もなしに自衛隊が海外派遣される。何らチェック機能が働かないことになる。

 例えその派遣が重大な事態を何ら招かずに任務終了に至ったとしても、文民統制やチェック機能の点で、派遣に至る指揮命令系統に欠陥を残すことになる。

 衆議院の選挙どころではないはずだ。自民党がどうしても衆議院の関与を必要とすると主張するなら、やはり法律を改正して、衆議院の事前承認を重大なチェック機能とすべきである。

 特に安倍晋三が首相である間は以上の懸念を杞憂とせずに衆参の頭数の絶対優位を最大武器として既成事実化していくだろう自衛隊の海外派遣を国民は厳しく監視しなければならない。

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地方選前半戦自民党勝利は「地方創生」と「アベノミクスの効果を全国津々浦々に」の宣伝文句が効いた勝利

2015-04-14 09:17:40 | 政治



      生活の党と山本太郎となかまたち

       《4月13日「生活・小沢氏が米誌に辺野古新基地不要論」沖縄タイムス記事のご紹介》    
      沖縄タイムス紙が4月13日、「生活・小沢氏が米誌に辺野古新基地不要論」と題して、アジ
      ア太平洋地域の政治・安保問題専門のオンライン誌「ザ・ディプロマット」への小沢代表寄
      稿文について報道しました。是非ご一読を。

 〈統一地方選前半戦の41道府県議選と17政令市議選は13日午前、全議席が確定した。道府県議選(総定数2284)は、自民が1153議席(追加公認除く)を確保し、1991年の統一選以来24年ぶりに改選議席の過半数を占めた。民主は264議席にとどまり、現有317議席を下回った。共産は議席を伸ばし、「空白県」を解消した。

 同時に行われた10知事選では現職が全員当選。与野党対決となった北海道、大分とも自民、公明両党支援の候補が勝利しており、前半戦は与党の堅調ぶりが目立った。〉・・・・・・

 これ、今回4月12日投開票の統一地方選を伝えている「時事ドットコム」冒頭の解説である。そのまま拝借することにした。

 この結果について官房長官の4月13日午前の記者会見発言。

 菅義偉「全体としてみると、安倍政権が進めているアベノミクスの実績への評価と地方創生を含めたアベノミクスへの期待が表れた結果だ。

 (知事選の平均投票率が過去最低となるなど、全体に投票率が下がったことについて)厳粛に受け止めるべきだ。様々な要因が重なって投票率は下がったと思う」(ロイター

 前段と後段の発言は矛盾している。「アベノミクスの実績への評価と地方創生を含めたアベノミクスへの期待」が現れた統一選前半戦の勝利なら、「評価」プラス「期待」で有権者をして勇んで投票所に向かわせて然るべきだが、そういった現象は起きることなく、知事選の平均投票率が過去最低だった。

 道府県議選の投票率は軒並み前回を下回り過去最低が相次いでいるという。

 変わることへの期待ではなく、変わらないことへの諦めが多くの棄権を誘ったということではないのか。

 変わらないことへの諦めの対象は景気の現状だけではなく、議席、あるいは政治勢力を含めた状況の現状維持であろう。投票所に足を向けたとしても、景気にしても議席にしても、政治勢力にしても、どうせ現状維持されるだろうという予測が投票意欲を萎えさせる。

 1票1票が現状を変える力を持つと確信できれば、投票所に向かう。少なくとも棄権した有権者はアベノミクスが実績を上げていると評価しているわけではなく、地方創生を含めたアベノミクスに期待してはいなかった。

 では、投票所に向かった与党支持者は「評価」プラス「期待」を胸に抱いての投票行動だったのだろうか。
 
 2015年2月6日付「NHK NEWS WEB」記事が総務省の住民基本台帳を基にした人口移動の調査で、〈東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県及び千葉県)への転入者が転出者を11万人近く上回って、19年連続の「転入超過」となり、東京圏への一極集中が続いている〉と解説している。

 《住民基本台帳人口移動報告・2014年結果》総務省統計局/2015年2月)を見ると、実数は10万9408人となっている。

 さらに上記NHK記事は、〈3大都市圏でも、大阪・兵庫・京都・奈良の「大阪圏」では、転出が転入を1万1722人上回り、愛知・岐阜・三重の「名古屋圏」では、転出が転入を803人上回って、いずれも2年連続の「転出超過」となり、東京圏への一極集中が続いている〉と書いている。

 去年1年間の東京圏への転入者が転出者を11万人近く上回ったということは地方全体で11万人近くの人口が減少したことを意味する。前年の調査、《住民基本台帳人口移動報告・2013年結果》総務省統計局/2014年1月)を見ると、〈平成25年の3大都市圏(東京圏、名古屋圏及び大阪圏)の転入・転出超過数をみると、東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県及び千葉県)は9万6524人の転入超過〉となっていて、2014年は2013年よりも1万2884人も増えた転入超過となっていることからも分かるように、アベノミクスが実績を上げて、その経済回復効果が地方に波及していれば、アベノミクスに対する期待もなお一層高まって、地方から大都市圏への全体的な人口移動は少なくともブレーキが掛かって然るべきだが、そのような状況を否定する人口移動を示している。 

 この人口移動状況と4月13日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている日銀が4月13日に公表した3カ月ごとに支店長会議を開いて全国9地域の景気の現状を纏めた「地域経済報告」が示す状況とは異なる。

 東海地方「着実に回復を続けている」
 北陸地方と近畿地方「回復している」
 残る6地域は判断の据え置き

 日銀の報告からはアベノミクスの実績を僅かながら窺うことができ、そこにそれなりの評価が現れたとしても不思議はないし、期待も生じることになる。

 だが、上出《2013年住民基本台帳人口移動報告》によると、東海地方に当たる名古屋圏は147人の転出超過となっていて、前年の転入超過から転出超過に転じているとしていて、《2014年住民基本台帳人口移動報告》の名古屋圏の転出超過は2013年を更に増えて5倍以上の803人となっている。

 人口移動に少なくともブレーキがかかっていなければ、アベノミクスの実績が現れているとは言えないし、当然、その評価は実績なき評価、あるいは見せかけの評価となる。

 勿論、今後のアベノミクスへの期待の存在は否定できないが、目に見える実績に基づいた実体ある期待ではないことに変わるわけでなく、そうなって欲しいという成就願望を正体とすることになる。

 当然、実体なき期待と言うことなら、安倍晋三が地方選に用意した「地方創生」というスローガンと「アベノミクスの効果を全国津々浦々に」の宣伝文句をカネをかけたコマーシャルよろしく頻繁に繰返すことによって、そんなものかと頭に刷り込ませた思いが成就願望へとつながって、そのことの期待から自民党候補にそれぞれ票を投じることになったと見るべきだろう。

 勿論、全てではない。多くは元々の自民党支持者が勢力の現状維持への願いとアベノミクスへの期待から以前と変わらぬ投票行動に動いたという側面が今回勝利の最も大きい要因であるはずだ。

 安倍晋三のアベノミクス宣伝・地方創生宣伝に騙されなかった有権者が野党に票を投じ、あるいは何も変わらないことに失望して棄権に走った。

 以上書いてきたことを証明する記事がある。《焦点:設備投資に慎重な日本の製造業、アベノミクス期待に応えず》ロイター/2015年 04月 8日 17:57)  

 詳しいことは記事に直接アクセスして貰うとして、記事は、〈企業の資金力増大が日本国内での生産拡大などの積極的な設備投資につながる気配は見えていない。とりわけ、中小企業は消極姿勢だ。

日銀が1日発表した3月短観(企業短期経済観測調査)によると、中小製造業による設備投資は、14年度の前年度比6.2%増から一転、15年度は14.3%減になる見通し。ダイキンのような大企業製造業は5.0%増を計画しているものの、日本企業全体での設備投資はリーマンショック前の07年の水準を10%下回っている。〉と解説している。

 設備投資が進んでいない理由を、〈設備投資を決めるもう一つの要素である期待成長率が抑制の要因として強く効いているからだ。〉としている。

 期待成長率とは、ネットで調べたのだが、〈企業や家計が予測する将来(通常は5年先ぐらいまで)の国内総生産(GDP)ベースの成長率〉を言うそうだ。

 つまり全体的にはアベノミクスへの期待は高くない。このことと相互対応した期待成長率に対する期待の低さということになる。

 安倍晋三の「地方創生」のスローガンと「アベノミクスの効果を全国津々浦々に」の宣伝文句が功を奏した統一地方選前半戦の自民党勝利に過ぎない。だから低投票率で終わった。

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尖閣諸島を日中二国家領有・二国家共同管理としたらどうか

2015-04-13 08:39:42 | 政治


 歴代政府は「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本の領土」という立場を取っている。

 しかし名ばかりの領土となっている。日本政府が尖閣諸島を国有化する前は「尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持及び管理のため」という口実の元、原則として政府関係者を除き何人も尖閣諸島への上陸を認めないとの方針を取っていたし、国有化後も国有化前と同様、現状が示している通り、自由な上陸・自由な経済活動を許していない。

 いわば無人島状況を継続させたままである。

 では、何のための日本の領土なのだろう。

 無人島状況継続の理由は中国の領有権主張と絡んでいるからなのは誰もが承知している。2015年4月4日時点で中国公船は今年に入って尖閣諸島海域での領海侵犯を10回も侵している。2014年は、外務省HP《日本の海上保安庁の巡視船が日本の領海からの》によると88回もの領海侵犯となっている。接続水域内入域はそれ以上の回数である。   

 中国公船が領海侵犯を犯すと日本の海上保安庁の巡視船がマイクや無線等で領海から直ちに出るよう警告を発する。それに応えて中国側は「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国の領土である。巡視船は直ちに領海から出るよう」警告を返す。

 その繰り返し、イタチごっことなっている。

 「Wikipedia」によると、 国際連合アジア極東経済委員会による1969年(昭和44年)の海洋調査で尖閣諸島海域にはイラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油や天然ガスの埋蔵の可能性が報告されるという。

 そのような甚大な量の石油や天然ガスを開発すらできない。開発して、日本の資源として活用することもできない。

 名ばかりの領土として以後も維持させていくのだろうか。

 何もできない領土、あるいは何もしない領土は領土の名に価しない。

 新しく自分名義で豪邸を建てたものの、妻から締め出しを喰らい、出入り禁止を申し渡された亭主みたいなものである。自分の所有物でありながら、そこで憩うことすらできない。

 例え2等分の収穫となったとしても、資源開発や経済活動できるようになれば、名ばかりの領土であることから脱することができるし、2等分の収穫は国益にプラスされる。

 尖閣諸島に於ける領土・領海が計算上は1から2分の1に減った分、経済的な国益のプラスだけではなく、尖閣諸島に関わる中国の軍事的脅威を減らすことができる分、外交上のプラスとなる。

 中国の軍事的脅威が後退すれば、その後退に応じて沖縄の日本の安全保障上の地理的優位性も後退するはずで、自民党政府の主張に代表される普天間の辺野古移設の緊急必要性は本土移設によって代えることができるようになる。

 中国に尖閣諸島を渡せば、次は沖縄に食指を伸ばすという尤もらしい意見が流布しているが、尖閣諸島の日中二国家領有・二国家共同管理はあくまでも話し合いによる移行である。

 話し合いでそうなった上に沖縄の領海を侵犯したり、最悪沖縄を軍事的に侵攻する非常識は考えることはできない。国際社会から猛批判を受けることになるはずだ。

 尖閣諸島を日中二国家領有・二国家共同管理としても、尖閣諸島の最大の魚釣島から石垣島まで170km、沖縄本島まで410km。領海は基線から最大12海里(約22.2km)までの範囲を言うから、石垣島も沖縄本島も十分に守ることはできる。

 残る問題は歴史認識問題だが、歴史認識に蒙昧な安倍晋三が首相を退けば、少しは賢い対中外交への転換が期待できるはずだ。

 尖閣諸島を資源開発もできない、経済活動もできない、国益に何のプラスもしない名ばかりの領土として以後20年も30年も、あるいは百年以上も後生大事に守り続けて、その間中国の軍事的脅威に対する極度の緊張を持ち続けるのか、少しは考えるときが来たのではないだろうか。

 NHK会長の籾井勝人みたいに竹島や尖閣島の領土問題に関して「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と言っているだけが能ではないし、何の進展も期待できない。

 日中両国間の緊張関係によって艦艇や航空機の偶発的な軍事衝突を避けるための「海上連絡メカニズム」を構築した場合の主要手段となるホットラインの設置すらできないでいる。

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安倍政権の繰返される、戦前の言論弾圧の血を引く報道圧力 今度はテレビ朝「報道ステーション」への攻撃

2015-04-12 10:05:41 | Weblog


      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《4月11日 統一地方選前半戦最終日を迎えて、小沢代表記者会見動画ご案内》   

      こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
      小沢一郎代表は2015年4月11日、統一地方選前半戦の最終日を迎えて記者会見を行いまし
      た。

 安倍政権の隠されたまま表に現れないで無事に済んでいるテレビ局や新聞社への報道圧力は数あるかもしれないが、昨2014年12月14日の総選挙約1カ月前の11月18日、安倍晋三がTBS「NEWS23」に出演、当時の世論調査では7、80%の国民がアベノミクスによる景気回復に「実感なし」としていたのだから、正直な国民の声を反映させて番組が報道した街の声であるはずなのに安倍晋三ご当人はそれをアベノミクスに不公平な事実と解釈、「街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら」とテレビ局の情報操作だと思い込んだことが安倍晋三の戦前の言論弾圧の血を引く報道圧力を改めて目覚めさせたようだ。

 国家権力者が客観的に公平な判断ができずに自身の偏見や思い込みに立って常に自らの判断を正しいとし、他の判断をして自身の正しさに従わせようとする情報統制は恐ろしい。

 「NEWS23」出演の2日後の11月20日、「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井照」の差出し人名で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに番組報道の公平・公正・中立を求める文書を送った。
 
 公平・公正・中立の名のもとに出演者の発言回数や発言時間の平等性、ゲスト出演者の選定の平等性、特定の立場からの質問が集中することの禁止、街角インタビューや資料映像等使用に於ける一方的な意見の偏りの回避等、事細かに規制する内容となっている。

 いくら放送法が「政治的に公平であること」を求めていたとしても、各報道機関が自主的・主体的に判断すべき公平性であって、国家権力の公平性を以って報道機関の公平性とすることは報道圧力そのもので、最悪、言論の自由の侵害、言論弾圧になりかねない。

 萩生田光一と福井照が連名で行った報道機関に対するこの要請は明らかに安倍晋三の情報操作の思い込みが発症させた安倍晋三自身の公平性を以って報道機関の公平性とする報道規制であり、民主主義の時代に国家権力者が平気でそれを行うということは戦前の言論弾圧の血を引く報道圧力と見られても仕方はあるまい。

 安倍晋三がそういった体質をしていることの影響を受けて安倍政権と自民党が同じ体質となっているからなのか、元々自民党という集団がそういった体質をしている者の集まりなのかは分からないが、今度は特定のテレビ局の特定の番組に対して要請書を出していたことが判明した。

 2014年11月月24日放送の「報道ステーション」。要請書を出したのは衆院解散後・総選挙投開票前の昨年11月26日。このことを明らかにしたマスコミの報道は4月10日付だから、3カ月以上も隠されていたことになる。

 このことが安倍政権の隠されたまま表に現れないで無事に済んでいるテレビ局や新聞社への報道圧力の数多くの存在を疑わせる有力な根拠の一つとなる。

 要請書の差出人名は自民党衆院議員の福井照報道局長。11月20日の要請書連名差出人の片割れである。

 要請書の内容「アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく、特定の富裕層のライフスタイルを強調して紹介する内容となっている。

 意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされている放送法4条4号の規定に照らし、特殊な事例をいたずらに強調した編集及び解説は十分な意を尽くしているとは言えない。公平中立な番組作成に取り組むよう、特段の配慮を求める」(毎日jp
 
 アベノミクスの効果は大企業や富裕層のみならず、これらに準ずる層にもそれなりの利益を与えているが、大企業と富裕層がその効果を特に受けているのは一つの顕著な事実であって、大企業と富裕層から離れている場所にいる所得層程、そのアベノミクスの効果から見離されているのも一つの顕著な事実であることは世論調査や街の声が相互対応する形で証明していて、誰もが否定できないはずである。

 この両方向の顕著な事実の違いを以って「意見が対立している問題」だとして、「できるだけ多くの角度から論点を明らかに」することによってその対立を解消して「公平中立な番組作成」を求めることは、それぞれの意見を併立させて同等化を図らせる(=アベノミクスはすべての層に効果があるとする)要請となって、逆に両方向の顕著な事実の違いを無視しろと言っているに等しく、自らの公平性を以って報道機関の公平性とする報道規制にほかならない。

 このことは放送法4条4号そのものが証明している。

 「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と規定している。

 意見とは見方や解釈を言う。見方や解釈は人それぞれによって異なり、ときには対立するゆえに報道の公平性・中立性の確保には「多くの角度から論点を明らかにすること」を必要条件とするものの、意見(=見方や解釈)の同等化や完全な一致に走った場合の、あるいは走らせた場合の言論統制・言論の抑圧、あるいは言論の自己規制を恐れて、あくまでも「できるだけ」と努力義務としているのであって、このことはそうすることで言論の自由を確保する余地を残しておく必要性からの措置であるはずだ。

 だが、安倍晋三はそんなことは無視して、自らが考えている公平性を以って報道機関の公平性とする報道圧力を隠れて行っていた。

 4月10日の自民党幹事長の谷垣禎一。

 谷垣禎一「言論の自由があり、我々はできるだけ圧力と捉えられないよう相当注意して振る舞っているつもりだ。個人として(報道機関に)抗議したことがあるが、言いたいことがある場合も抑制して言っている」(毎日jp

 日本国憲法が言論の自由を保障していて、それを侵すことができないからと、「できるだけ圧力と捉えられないよう相当注意して振る舞っているつもり」でいるとしても、国家権力という巨大な力を握っている者が報道機関に不利益を被っているからと国家権力に利益となることを内々に隠れて求めたのである。

 報道機関に要請を出して不利益を取り消し、利益を取り戻したからと、国家権力のみが陰に隠れて自らの正当性を誇ることができたとしても、国民の目には何がどう行われているか知らされていないことからその正当性がどのようなものかも判断できないことになって、谷垣がどう弁解しようと、要請自体に如何なる正当性も認めることはできない。

 大体が国家権力を握る側が国民の判断に曝すことなく内々に隠れて秘密行為として番組の進行を変えるよう要請を出すこと自体が圧力の側面を自ずと持つことになり、陰湿で卑怯な振舞いとなる。

 内々に隠れて要請するのではなく、声明の形でこうすべきだと求めれば、国民の誰からもその正当性の有無を評価・判断できることになり、何の秘密もない正々堂々とした行為となる。

 谷垣は言葉で「相当注意して振る舞っているつもりだ」と言えば、それが罷り通って報道圧力とはならないと思っているようだが、自分たち国家権力を握っている側が陰に隠れて行っているという認識がない。

  2015年まで東京に特派員として派遣され、安倍政権の歴史修正主義を批判する記事を書いたドイツ紙の記者が2012年末の第2次安倍政権発足以降、日本の外務省から中国がこの記事を反日プロパガンダに利用しているという圧力を受けたと「The Huffington Post」記事が書いている。
 
 安倍晋三、あるいは安倍政権はどこまで報道圧力を広げているのだろうか。明らかとなり表沙汰となっているのは氷山の一角かもしれない。

 元経済産業省官僚の古賀茂明氏(59)が3月27日、テレビ朝日の「報道ステーション」に出演した際の発言。

 古賀茂明「菅(義偉)官房長官をはじめですね、官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきました」

 信憑性以外の何ものも感じない発言に見えてくる。

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安倍晋三は2015年1月17日エジプト「政策スピーチ」は「イスラム国」への宣戦布告だと国会答弁した

2015-04-11 09:10:22 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」PR

       《 4月7日(火)小沢代表の定例記者会見要旨ご案内》    

      【質疑要旨】

      ・積極的平和主義について
      ・集団安全保障について
      ・辺野古移設問題について
      ・統一地方選争点について
      ・子どもの貧困対策について
      ・政治家資質問題について
      ・『日本改造計画』続編について 

 4月8日参院予算委員会で民主党の小川敏夫元法相が2人の日本人が「イスラム国」に拘束されている状況下での安倍晋三の今年2015年1月17日のエジプト・カイロでの「政策スピーチ」を取り上げて、言葉への配慮を質した。

 最初に断っておくが、私は既にブログに書いているようにテロ集団が獲った人質の身代金要求には応ずるべきではないと考えている。身代金支払いによって人質の生命を救うことができたとしても、その身代金がより多くの生命を奪う軍資金となる危険性を否定できないし、テロ集団の延命資金とならないとも限らないからだ。

 このように言うことは人質一人の命を犠牲にすることで、与えた場合の身代金がより多くの命を奪うことを阻止する可能性を言っていることになることは承知している。

 但し国家がもしそのようにテロ集団と対峙することを基本姿勢としているなら、このことを前以て国民に伝えておく義務があるはずだ。身代金要求に応じないことを絶対前提として、その場合の人質の犠牲を覚悟しながら人質解放に努力している姿勢を国民の前に見せることは国民を欺いていることになるからだ。

 だが、政府は2015年1月20日に「イスラム国」が72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している日本人2人を殺害すると脅迫する映像をインターネット上に公開するまで2人の拘束も身代金要求も隠していた。

 実際にも安倍晋三は身代金要求に応じないことと人質の犠牲との関係について、人質を犠牲にすることによって身代金を払わずに済み、身代金を払わないことによって人質を犠牲にすることになるという相互対応を可能性としていなければならないはずなのに、それを隠して関係国と協力し、人命第一に対応するよう関係閣僚に指示を出す表向きの態度で国民を欺いていた。

 少なくとも身代金要求には応じないこと、そのことによって人質が犠牲となる可能性を言い、別の方法で解放に努力することを国民に説明すべきだった。

 これが最初かどうか分からないが、少なくとも政府として、と言うよりも安倍晋三として身代金の要求には応じない姿勢を基本としていることを明らかにしたのは2人が殺害された後である。 

 2015年2月19日の衆院予算委員会。

 安倍晋三「そもそも政府としての立場はテロリストとは交渉しない。これが基本的な立場です」

 「そもそも」は「そもそもから」という言葉から「から」を略した言葉で、「最初から」という意味である。 

 断るまでもなく「交渉しない」ということは「取引きしない」ことを意味していて、人質解放の条件に身代金を要求しても、その取引きには応じないということを“最初から”の基本的立場としていたということの宣言である。

 安倍晋三は「最初から身代金の要求に応じるつもりはなかった」と言ったに等しい。

 だが、このことを国民に隠していた。

 確かに「イスラム国」は身代金要求からヨルダンで囚われている女性死刑囚との人質交換に取引きを変えはしたが、あくまでも日本政府が身代金要求には応じなかったことの結果である。

 要するに安倍晋三は2015年1月17日のエジプト・カイロでの「政策スピーチ」を行う際、2人の日本人がテロリスト集団に拘束され、身代金を要求していた情報を得ていた上で、その要求には応じない姿勢でスピーチに臨んでいたことを頭に置いて小川氏と安倍晋三の遣り取りを見なければならない。

 小川敏夫「現実に2人の日本人が捕らえられているという状況があれば、テロ組織に危害を与える口実を与えたりすることのないような配慮が当然あって然るべきだが、こうした総論的な考え方については総理はどうか」

 安倍晋三「イスラム国の2邦人殺害やチュニジアのテロ事件が示しているように今やすべての国がテロの脅威に曝されている時代になっていると思う。事の本質はテロのリスクを如何に低くしていくかの点だと思う。

 テロの威しに屈するような態度を取れば、テロは効果があると思われる。日本人がテロに巻き込まれる可能性が更に高まっていくことになる。

 カイロでのスピーチに関してはISIL(アイシル)自体が1月20日公開した動画に於いて我が国の支援を非軍事的支援だと認識し、彼らが出しているホームページ等で、あるいは動画でアラビア語、あるいは英語で表示をしているのだが、私のカイロのスピーチが非軍事的支援を行っている、人道支援を行っているのだということを明確に理解した上での行動である。

 1千万人以上の難民、避難民のための食糧・医療など命をつなぐための人道支援を行うことを表明すること自体がISILに対して刺激的であり、やめるべきであったと考えるのであれば、そのこと自体がテロの脅威を恐れる余り、テロリストの思う壺にはまっていく。

 国際社会は安保理決議を累次に亘って採択をし、テロと戦う決意を鮮明にしている。この過激主義の流れを何としても止めなければならないわけで、(テロリストが)人質を取ってしまえば、テロとしっかり戦っていくという決意が揺らぐ、あるいは団結が揺らぐ、そしてそういう中で頑張っている穏健派に対する支援すら表明できなくなってしまうという状況をつくれば、まさにテロの思う壺ではないだろうか。

 私は日本はそうはなってはならないと思う。大切なことは過激主義と最前線で直面している穏健イスラム諸国を日本の責任ある一員として支援をしていく。彼らは一人ではない、我々も一緒にいるというメッセージを出し続けていくことではないのか」

 小川敏夫「総理は私の質問には何も答えていない。私は『イスラム国』、テロリストは決して容認できない。これに対応するのは当然各国が強調していくべきだと言っている。援助することに何の異論もない。

 ただ、そうした考えがあるとしても,人質が捕らえられているんであれば、人質の生命・身体に危害が加えられないような配慮をするべきではないか、あるいはした方がいいのではないかと聞いているのであって、今のようにテロに向かう覚悟・決意を聞いているのではない。

 テロに立ち向かう。テロに屈する必要は全くない。全く同感です。そのことについて総理に聞いているのではない。具体的に聞きます。パネルに印したカイロでの記者会見で述べた二つ(の発言)を取り出してみた。
  
 『日本政府は、中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援を、新たに実施いたします。』

 この表現について何の異論も批判もない。

 しかし、『イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと戦う(赤太文字はそのママ)周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。』とこのように表現している。

 これは『イスラム国』を刺激する言葉ではないのか。現実に総理の発言があった後、あの悲惨で非道な殺害が起こった。この後半の部分、総額2億ドル程度はこれは上にある25億程度の(支援の)一部です。なぜ重ねてここでISILということを強調した発言の必要があったのか。

 あるいはそういう(人道支援という)目的があってもいい。しかし日本人が人質として捕らえられているという現実を踏まえるなら、これは言葉に出さないで、しかしテロには厳しく対応する姿勢があるべきだったと思いますが、総理、如何ですか」

 安倍晋三「私は中東を訪問し、カイロに於いていわば政策スピーチを行った。これは中東、世界に於いて注目されるスピーチであった。そこで日本は世界の課題とどう立ち向かっていくのか、どう課題を解決に向かって貢献していくのか、メッセージをしっかりと出していく必要があると考えた。

 ISILこそ、イスラムの人々にとって大きな脅威になっているのはないだろうと思った。人々を平気で殺し、人々からおカネを巻き上げて生活を塗炭の苦しみの中に突き落としているのはまさにISILである。

 そのことに触れないで、あるいは彼らにどう対応していこうかということを述べないで、それこそまさに日本がメッセージを歪めるものになると、こう思います。

 先程は私は明確にお答えをした。(一段と声を強めて)人質を取られているからと言って、そういうスピーチをしない、人質を取られていいなければ、そういうスピーチをするということなら、人質を取っていれば、その国の言論を変えることができる。あるいはISILの侵蝕に対して頑張っている、あるいは難民を受け入れていることに対してもISILは威かしをかけている。

 しかしその威かしに屈せずに頑張っている国々に対して私たちもあなたたちを支援していきますということをメッセージとして出していくのは当然のことだと思う。それはISILが日本の人質を取ろうとも、私たちはそれを曲げることはない。

 そのことによって国際社会はISILの動きを止めることができるんだろうと、この信念を私は変えることはありません」

 小川敏夫「総理の話を聞いていると、そうした大きな国家のためには一人ひとりの国民の命は顧みなくてもいいんだと言っているように聞こえる。例えば総理、同じ時期、ヨルダン軍は兵士が人質に取られた。その瞬間、空爆を取り敢えず中止している。人質が捕らえられれば、捕らえられている人質への危害、生命への危害、身体への危害を配慮した対応をすることはテロに屈する(ことになる)ということを言っているのではない。

 言いなりになれと言っているのではない。それはそれで厳然たる姿勢で臨まなくてはいけないが、人質が捕らえられているんだから、人質に危害が及ぶような言質や口実を与えるような言葉は控えて、国民の一人ひとりの生命を守るような配慮をすべきではなかったかとお尋ねしているんです」

 安倍晋三(笑いながら立ち上がって)「私は今小川さんの質問に拍手が出たことに唖然と致しました。まさに日本から人質が取れば、日本の意思を挫くことができる。それでいいんだと宣言しているようなもんだろうとこのように思う。

 ヨルダンは空爆に参加し、パイロットを人質に捕らえられた。しかし彼らは決してISILを非難することはやめていません。空爆は一時作戦上の理由はあったんだろうと思う。しかしヨルダンの国王と会談を行い、ISILの動きを止めていくことこそ、穏健派イスラム諸国の責任であるとはっきりとおっしゃっている。

 そういう諸国をこそ、私たちは応援していかなければならない。そのヨルダンに対して難民を受け入れていることに対して私たちが支援を表明していることは当然ではないでしょうか。

 では、人質事件が長引いていけば、我々はそういうメッセージは出せないと、できないということになっていく。日本はそういう国になってはならないわけであるし、すべての国がもしそういう国になったとしたら、ISILはどんどんどんどんどんどん彼らの支配地域を増やしていくでしょう。

 場外から汚いヤジを飛ばしている人がいますが、我々はそういうヤジにも屈するわけにはいかない(自分の冗談に気をよくしてだろう、フッと笑う)。

 大切なことは我々は国際社会と連携しながら、このISIL、過激主義の動きを止めていくわけである。カイロに於けるスピーチのメインテーマは『中庸こそ最善』ということで、これはイスラムの人たちと共有できる。共有しながら、、この考え方を広めていくことによって中東の地域を平和と繁栄の地域にしていきたい。これこそ私のメッセージで、スピーチのメインテーマあるということは申し上げておきたいと思う」

 (大きな拍手が起きる。)

 小川敏夫「私も民主党もテロに屈するとは全く考えていない。この2億ドル程度の支援をやめろとも言っていない。だけど、人質が捕らえられているという状況下に於いて一つ一つの言葉の使い方についても配慮する必要があるんじゃないかと言っている。

 私も民主党もISILと戦うのをやめろとか、ISILに屈しろとか、人質を解放するために何でもかんでも要求を認めろなんていうことは言っていない。私は総理の言葉の中に大きな目的のため、国家の目的のためには国民一人一人の生命は配慮しない、そうした姿勢が現れているなと感じた」

 次の質問に移る。

 安倍晋三は今回の国会答弁で「カイロに於けるスピーチのメインテーマは『中庸こそ最善』」という哲学だと言い、具体的政策として非軍事的な人道支援の表明だと言っているが、国会答弁全体ではそうはなっていない。

 「事の本質はテロのリスクを如何に低くしていくかの点だと思う」と言い、「テロの威しに屈するような態度を取れば、テロは効果があると思われる。日本人がテロに巻き込まれる可能性が更に高まっていくことになる」と言っていることは、カイロでの「政策スピーチ」はテロの威しに屈しないことの宣戦布告であり、その宣戦布告が単なる言葉ではないことの証明として「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるため」を目的とした中東各国に対する支援を掲げて、「地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと戦う周辺各国に、総額で2億ドル程度をお約束します」とISILと戦うことを目的とした具体的な金額を挙げたことになる。

 いわば人道支援を“そもそも”の目的としたのではなく、「イスラム国」の脅威阻止を“そもそも”目的として、日本は軍事的支援ができないから、人道的支援を申し出たのである。

 安倍晋三は「国際社会は安保理決議を累次に亘って採択をし、テロと戦う決意を鮮明にしている」と発言している。

 このことを前提とすると、「大切なことは過激主義と最前線で直面している穏健イスラム諸国を日本の責任ある一員として支援をしていく。彼らは一人ではない、我々も一緒にいるというメッセージを出し続けていくことではないのか」と言っていることの「日本の責任ある一員として支援をしていく」の「支援」は「テロと戦う」ことの支援であり、「我々も一緒にいるというメッセージ」はテロとの戦いに「一緒にいるというメッセージ」ということになって、テロの威しに屈しないことの宣告以外の何ものでもないことになる。

 また、カイロの「政策スピーチ」は「日本は世界の課題とどう立ち向かっていくのか、どう課題を解決に向かって貢献していくのか、メッセージをしっかりと出していく必要があると考えた」内容だと言っていることの「世界の課題」とは安保理が決議を採択したテロと戦いを指し、世界がテロ集団の勢力拡大阻止を目的としていることを課題としている以上、「政策スピーチ」で出したメッセージはテロとの戦いの宣告としなければならなくなる。

 いわばテロとの戦いを優先させたこの内々の宣戦布告が一段と強調する口調で述べた、「人質を取られているからと言って、そういうスピーチをしない、人質を取られていいなければ、そういうスピーチをするということなら、人質を取っていれば、その国の言論を変えることができる。あるいはISILの侵蝕に対して頑張っている、あるいは難民を受け入れていることに対してもISILは威かしをかけている」という人質の存在を無視した国会答弁となって現れたのであり、内々の宣戦布告と国会答弁はその趣旨に於いて整合性を持ち合うことになる。

 さらに支援声明を「政策スピーチ」にメッセージとして出すことは「それはISILが日本の人質を取ろうとも、私たちはそれを曲げることはない」と、内々の宣戦布告の不変(=テロとの戦いの不変性)を強調することで、「政策スピーチ」が「イスラム国」に対する宣戦布告であることを図らずも自ら告白した国会答弁だったとすることができる。

 繰返しになるが、安倍晋三は2015年1月17日のエジプト・カイロでの「政策スピーチ」を行う際、2人の日本人がテロリスト集団に拘束され、身代金を要求していた情報を得ていた上で、人質の生命が犠牲になることも覚悟して身代金要求には応じない姿勢でスピーチに臨み、あのような「イスラム国」に対する宣戦布告の文言となったのである。

 安倍晋三は人質の生命を犠牲にすることはあってもテロリストの身代金要求には応じないことを基本姿勢としているのだから、小川敏夫の「総理の話を聞いていると、そうした大きな国家のためには一人ひとりの国民の命は顧みなくてもいいんだと言っているように聞こえる」等の発言に対して民主党席から拍手が起こったことに、笑いながら、「私は今小川さんの質問に拍手が出たことに唖然と致しました」と反応するのは当然である。

 安倍晋三はあくまでも国家優先の立場に立ち、国家を生かすことを優先させて、そののちに国民を生かす国家主義を政治信条としている。国民を生かすことを優先させて国家を生かす国民主義を自らの政治信条としているわけではない。

 前者は国家を生かす目的のためには国民を殺すこともあり得ることになる。後者の国民主義は国民と国家を限りなく運命共同体の関係に近づけなければ、成り立たない。

 当然、安倍晋三のこのような国家主義を前提に「国民の生命と財産」とか、「国民の幸せと暮らしを守る」等々の言葉を聞かなければならない。

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右翼の国家主義者安倍晋三が国家権力を握っている日本で素直に国旗掲揚も国歌斉唱もできない

2015-04-10 08:52:50 | 政治

 
 安倍晋三が4月9日の午前の参院予算委員会で国立大学の入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を行うことが望ましいとの認識を示したと「時事ドットコム」が伝えている。

 松沢成文次世代の党「殆どの国立大学で国歌斉唱を実施せず、国旗を掲揚しない大学も12から13ある」

 安倍晋三「学習指導要領がある中学、高校では実施されている。(国立大でも)教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきだ」

 国旗を掲揚し、国歌を斉唱するということは、その瞬間だけのことではあっても、それを行う者にとってはそれらのことを通して国家と共にあることの表明の儀式となる。

 勿論、掲揚した国旗にそうしなければならないからと形式的に一礼し、形式的にただ口を動かして国歌を斉唱をする者も存在するが、国家と共にあることの表明の儀式とすることが国旗掲揚と国歌斉唱に求められる真の意味であろう。

 国家権力の側から言うと、国民に国家と共にあることの表明の儀式を繰返させることによって、その表明を意識に植えつけ、習慣的な意識とさせて、国民を国家と一体化させることを望む。

 このことは戦前の日本国家を見れば理解できる。

 と同時に戦前の日本国家は同じ日の丸の日本の国旗であっても、時代の思想や時の国家権力の政治思想によって日の丸が象徴する色合いは違ってくることを教えている。

 戦前の日の丸が軍国主義・植民地主義の象徴であったとしても、あるいは大東亜の盟主を象徴した日の丸であったとしても、戦後の日の丸は平和国家の歩みを象徴しているのだからと国旗掲揚の正当性を与え、併せて国歌斉唱の正当性を与えることはできる。

 だが、国旗というものがそのように時代時代の思想や国家権力の政治思想によって異なる象徴を映し出す性格を有するなら、戦後の日の丸が例え戦後日本の平和の歩みを象徴していたとしても、時の国家権力者が平和とは相容れない政治思想を有していたなら、日の丸自体がそのような政治思想を象徴するまでになっていなくても、国旗掲揚、あるいは国歌斉唱という国家と共にあることの表明の儀式はその国家権力者の政治思想が体現している国家と共にあることの表明の儀式ともなり得る。

 例え形式的な国旗掲揚に対する一礼であり、単に口ずさむ形式的な国歌斉唱であったとしても、国民の殆どがそれらを慣習とした場合、国家と共にあることの表明の儀式と解釈して、平和とは相容れない政治思想を有している国家権力者を喜ばせ、力を与えることになって、そこに権力の正当性を見い出させることになる。

 平和の時代であったとしても、あるいは日本が平和の歩みを進めていたとしても、時の国家権力者の政治思想次第では下手には国旗掲揚も国歌斉唱もできないということである。

 右翼の軍国主義者安倍晋三が国家権力を握っている日本で、その政治思想に正当性を与えるような国家と共にあることの表明の儀式である国旗掲揚と国歌斉唱を素直に行うことのできる国民がどれ程存在するというのだろうか。

 だが、安倍晋三は国旗掲揚も国歌斉唱も行わない大学にまで強制しようとしている。

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