安倍を含めて山谷等の「国のために戦い、尊い命を捧げる」ことを日本国民のあるべき姿としている靖国参拝

2015-04-25 09:16:57 | 政治


 ――しかも、戦前の大日本帝国に対するのと同じように――

 4月23日、在特会シンパ山谷えり子と総務相の高市早苗と女性活躍担当相の有村治子、女性右翼閣僚三羽ガラスがそれぞれ春の例大祭中の靖国神社を参拝した。

 山谷と有村は「国務大臣」の肩書、高市は「総務大臣」の肩書で記帳・参拝、玉串料は3人共私費。

 つまり、安倍内閣の閣僚として誇らしげに戦死者の前に立った。

 安倍晋三は今回はインドネシアで開催のバンドン会議に同じく参加する中国の習近平主席との首脳会談が行われる可能性から、中国の反発と反発を受けた会談消滅を回避するために参拝は自粛し、4月21日に真榊を供えて代用としていた。内心は「内閣総理大臣」と記帳して、内閣総理大臣としてこの上ない誇らしい気持で直接参拝したくてウズウズしていたに違いない。

 もし参拝していたなら、日中首脳会談を望みながら、あまりにもツラの皮が厚過ぎるということになったに違いない。

 そして2人は4月22日、昨年11月以来の2回目となる日中首脳会談を行った。

 会談終了で、もはや会談の開催を左右する障害とはならなくなったと見たからだろう、目の上のタンコブが取れたとばかりにその翌日の4月23日、女性右翼閣僚三羽ガラスが一斉に靖国神社に駆けつけたといったところに違いない。

 参拝後それぞれ記者に気持を問われて。

 山谷えり子「国のために戦い、尊い命を捧げられたご英霊に感謝の誠を捧げてきた。『国務大臣山谷えり子』と記帳した」

 有村治子「戦地に赴かれ、かけがえのない命を捧げた方々や、塗炭の苦しみを味わったご遺族の皆さんを思い、参拝した」

 高市早苗「1人の日本人として、国策に殉じられた皆さまのみ霊に対し、尊崇の念を持って感謝の誠を捧げてきた。あわせてご遺族の皆さまの健康をお祈りしてきた」(以上NHK NEWS WEB

 国のために国策に殉じ、尊い命、かけがえのない命を捧げた。感謝の誠を捧げなければならない。感謝の思いを致さなければならない。尊崇の念を持たなければならない。

 安倍晋三も、その他その他も、バカの一つ覚えさながらに同じ思いで参拝している。

 戦死者の戦前日本国家に対するこのような姿勢に馳せる右翼政治家たちのかくこのような熱い思いは国家と国民との関係の理想をそこに見、理想をそこに置いているからに他ならない。

 国のために戦って捧げる命こそ尊く、美しいとしているからに他ならない。国家との関係で尊崇の念に値する尊く、美しい命の捧げであると価値づけているからに他ならない。

 このように国家と国民の関係を理想のものだと価値づけている以上、その国家を理想の国家像と見、理想の国民像と見ていることになる。

 当然、安倍晋三にしても、山谷えり子にしても、有村治子にしても、高市早苗にしても、その他のその他にしても、現在の日本国民に対しても同じ関係性を理想とすることになる。

 2004年発売の安倍晋三と岡崎久彦との対談集『この国を守る決意』に安倍晋三は「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」と語っているという。

 ここで言っている「国のために汗や血を流す」とは、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」と前置きしていることとの関連で、国のために戦って命を捧げる戦死を意味させている。

 靖国神社参拝で表現させている関係性と同様に、対談集でもこのような国家と国民との関係を理想としていたということである。

 断るまでもなく、このような関係性を自身の血とし、精神としているからであり、それが言葉となって奔る。

 平和な時代ゆえ、直接的な表現で「国のために戦って尊い命を捧げる人がいない限り、国家は成り立ちません」と言うことができないから、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り」と言い、その命の投げ打ちを「汗や血を流す」などと比喩的に言い替えているに過ぎない。

 戦前日本に於ける国家と国民の理想の関係を再々確認する儀式が靖国参拝であり、戦前日本のその理想の関係を戦後日本に於いても求めている。

 安倍晋三の憲法改正はこの文脈で見なければならない。

 安倍晋三がかつて唱えた「戦後レジームからの脱却」にしても以上の文脈から解釈すると、占領政策とそれが日本と日本人の精神に与えた欧米化からの脱却を意味し、戦前的日本への回帰を意味する。歴史修正主義者と言われる所以である。

 戦前的日本への回帰こそ、「国のために戦い、尊い命を捧げる」理想の国家と国民の関係が再現可能となる。再実現可能となる。

 2001年発売の『餓死した英霊たち』(藤原彰著)は戦死者の6割以上を餓死としているという。

 著作の中に次の記述があるという。

 「この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。『靖国の英霊』の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである」・・・・・

 単純計算で当てはめると、靖国神社に祀られている第2次世界大戦の戦死者の6割以上が餓死による惨めな惨憺たる戦死となる。

 だが、安倍晋三にしても、山谷えり子にしても、有村治子にしても、高市早苗にしても、その他のその他にしても、「国のために戦って尊い命を捧げた」とすべてを一緒くたに理想の国家像に対する理想の国民像の関係性で把えて、同じ関係性を戦後の国民に求めている。

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