安倍晋三の自身の談話が村山談話等と同じ言葉を使うかどうかが問題ではないことに気づかない不誠実

2015-04-22 08:35:01 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《4月21日 小沢一郎代表記者会見動画 党HP掲載ご案内》

      小沢代表は4月21日、国会内で記者会見を行い、安全保障法制、70年談話、18歳選挙権、
      岩手県議選候補者公募などについて見解を述べました。    

 安倍晋三が4月20日夜8時からのBSフジ『プライムニュース』に出演して、「安倍晋三戦後70年談話」について発言したとマスコミが伝えていたから、動画にアクセスしてみた。

 宣伝文句が凄い。『安倍首相が久々に登場 大型外交前に何を語る 戦後70年と対東アジア』と4月26日からの訪米を「大型外交」だと宣伝している。拉致問題や北方四島外交、対中国外交といった肝心な外交は手も足も出ない。 

 反町理司会者「(訪米しての)米議会の演説は今夏出す70年談話と密接にリンクすると思うが、50年の村山談話、60年の小泉談話、70年の安倍談話というこの流れの中で、安倍さんとしては全体として受け継ぐとはおっしゃっているが、例えば言葉として、『侵略』、『植民地』、『国策を誤った』、『痛切な反省』とか、『心からのお詫び』、そういう言葉が入るかどうか、そこのところの議論は、総理が出された後は検証しなければならない部分はあるが、言葉の一つ一つを盛り込むかどうかについてはどういう気持ですか」

 安倍晋三「いわば村山総理は村山総理として書かれたわけで、それは閣議決定しているが、小泉総理は小泉総理として書いた。しかし小泉総理のときは村山談話を下敷きにしているという感じはある。

 私の場合はそうではなくて、まさに安倍政権として、総理大臣である私としてどう考えているのか、日本の過去、そして、まあ、過去に於いて先の大戦に対する反省、その反省を元にした今後の平和国家としての歩み。そしてこれからも地域や世界のために貢献していくという決意、70年、80年、90年、100年に向けて日本はどういう国になっていくのか、世界をどういう世界にしていこうと思っているのかと言うことを発信していきたい。

 そういう文脈で考えているわけですから、そこに用いる用語を同じ単語を使うかどうかということは私は殆どですね(問題としない)。

 私の考え方はどのように伝わっていくかどうかということが大切なんだろうと思います。同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」  

 反町「菅官房長官がおっしゃってたけど、同じものを出すんだったら、出す必要ないとおっしゃってた」

 安倍晋三「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」

 男女司会者二人と安倍晋三は笑い合う。  

 反町「そこの部分は安倍カラーをどれだけ出すかということになりますね」

 安倍晋三「今まで談話が出ている50年、60年と談話が出ている。これは基本的認識に於いては、この基本的考え方は継いでいくということはもう申し上げているわけですから、そこに書かれていることについては引き継いでいくんですから、引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろうを思いますけどね」

 日米ガイドラインの話題に移る。

 安倍晋三は言っている。50年談話、60年談話を「基本的認識に於いては、この基本的考え方は継いでいくということはもう申し上げているわけですから、そこに書かれていることについては引き継いでいくんですから、引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろうを思いますけどね」・・・・・

 だから、「同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」、あるいは「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」と結論づけることになる。

 果たしてそうだろうか。

 戦後の日本の出発点は戦前の反省から始まり、戦前を反面教師として戦後に立ち向かった。そして総じてそのような歴史認識の上に戦後の歴史を成り立たせてきた。

 だからこそ、村山談話も小泉談話も戦後の日本の歩みを語る上で戦前の日本について語ることを欠かすことができなかった。

 戦前のような歴史を二度と繰返さない戒めのためにも戦後の日本の歩みを語るだけでは許されない歴史的責任を自らに課したということであろう。

 日本の歴史が戦前があってこその、その反動としての今日までの戦後という構成を取っている以上、総理談話が同じ構成を取るのはごく自然な責任であって、誰の総理大臣談話であっても、戦後日本の歩みとこれから先の歩みを語る構成を取るなら、戦前に対する歴史認識をそこに加えなければ、歴史的一貫性を持たせた構成とは言えなくなる。

 安倍晋三にしてもこのような構成を責任づけられていると認識しているからこそ、「日本の過去、そして、まあ、過去に於いて先の大戦に対する反省、その反省を元にした今後の平和国家としての歩み。そしてこれからも地域や世界のために貢献していくという決意、70年、80年、90年、100年に向けて日本はどういう国になっていくのか、世界をどういう世界にしていこうと思っているのかと言うことを発信していきたい」と言っているのであって、村山談話と小泉談話の「基本的考え方は継いでいく」と言っているはずである。

 一方で50年談話は村山総理として書き、60年談話は小泉総理として書き、70年談話を安倍晋三として書くと言って、自らの独自性を主張しようとしているが、その独自性がどのような内容であったとしても、同じ構成を持たせた談話であることから少なくとも大きく逸脱することはできない制約を受けていることになる。

 そのような制約を受けていない主張するなら、自らの上記言葉を自ら真っ赤なウソにすることになり、内心、ペロッと舌を出していると疑われても仕方がないだろう。

 いわば村山談話や小泉談話の「侵略」、「植民地」、「国策の誤り」、「痛切な反省」、「心からのお詫び」等々の同じ言葉を使わなくても、日本の戦前の戦争や植民地政策等の国策、それらを日本の歴史に生み出した戦前日本の国家体制をどう歴史認識しているのか、そしてそのような自らの歴史認識に立って戦後日本をどう関連づけようとしているのか、戦前に対置させた戦後という構成を持たせた談話としなければならない。

 そうである以上、同じ言葉を使うかどうかはさして問題ではなく、総理大臣として義務づけられている、と言うよりも、日本の戦後の歴史が義務づけられている構成を踏襲するのかどうかの問題となる。

 そして戦前の日本の国家体制は総理大臣談話がこのような構成を義務づけられるだけの甚大な人的被害や物的被害、そして被害に相当する精神的苦痛をアジアの国々に対してだけではなく、日本に対しても与えた。

 にも関わらず、「同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」と、自身の歴史認識がかかっている談話をかかっていることを抜きに同じ言葉を入れるかどうかの問題に矮小化する認識しか示すことができない。

 「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」と、自身の歴史認識をどう示すかの文脈で語るべき談話を、そういった文脈を取ることもできずに良質の冗談を言ったとでも思ってのことだろう、男女司会者二人と面白そうに笑い合う。

 このことだけで安倍晋三の歴史認識に取り組む姿勢の不誠実を指摘できるが、村山談話や小泉談話が「侵略」、「植民地」、「国策の誤り」、「痛切な反省」、「心からのお詫び」等の言葉で表している歴史認識を指して「同じ言葉」かどうかで扱い、「名前だけ変えればいい」レベルで見ているのだから、このことを加えた不誠実は計り知れないものとなる。

 もし逆であるなら、つまり真摯なまでの歴史認識と見ていたなら、上記不誠実な扱いはできないはずだ。

 安倍晋三は決して両歴史認識を真摯なものとは見ていない。

 そしてこの不誠実は自民党が政権復帰する前の自民党総裁だった安倍晋三の2012年5月11日の産経新聞のインタビュー発言に既に現れていて、その発言に対応した不誠実と言うことができる。

 安倍晋三「自民党も下野してずいぶん歯がゆい思いをしてきたが、ムダではなかったと思ってるんですよ。

 例えば先日まとめた憲法改正草案は平成17年の新憲法草案よりはるかに良くなったでしょう。前文に『日本国は国民統合の象徴である天皇を戴く国家』と記し、国防軍も明記した。やはり与党時代は現行憲法に縛られ、あらかじめ変な抑制を効かせちゃうんだな…。

 それにかつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」――

 「村山談話」や「小泉談話」の「基本的考え方は継いでいく」と、視聴者という国民に向けて発信した言葉自体が内心ではウソ八百の姿を取っていることが分かる。

 この「村山談話」否定・「小泉談話」否定は安倍晋三の談話が戦前に対置させた戦後という、日本の総理大臣として責任を負った構成を持たせない歴史認識によって成り立たせることを何よりも物語っている。

 安倍晋三が戦前日本の歴史認識に真摯であろうわけはない。真摯とは正反対の不誠実な歴史認識で70年談話を世界に向けて発信しようとしている。

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