野田首相は説明責任を勘違いしているために金正日死去に伴う危機管理よりも街頭演説を優先させた

2011-12-21 11:11:38 | Weblog

 金正日死去に伴う野田内閣の初動対応に批判が集中している。

 先ず野田首相の対応。北朝鮮・朝鮮中央テレビが12月19日(2011年)午前に「正午から特別放送がある」と予告放送していたことを政府は確認していながら、野田首相は予定していた街頭演説に出かけ、藤村官房長官からの電話でUターンして戻ってきた。

 このことを《重大事予想の分析あったのに、街頭演説に?》YOMIURI ONLINE/2011年12月21日00時00分)から見てみる。

 政府内重大事を予想する分析「特別放送は、金日成主席死去の時しか使われていない特別な言葉」

 いわば金日成主席死去に匹敵する重大事の放送ではないかと予想・分析した。

 連想されることは金正日の死か、その三男の正恩の死であろう。例え信じがたいことであっても、予想・分析の選択肢に入れて置かなければならなかった。

 その死因であるが、病死、事故死等考えることができる。病死ならまだしも、事故死の場合、想定としてはクーデーターも選択肢に入れなければならないはずだ。決してゼロだと、その可能性を否定することはできない。

 クーデーターであった場合、鎮圧したことによって放送の條件が整う。反乱軍との間に戦闘が継続中である場合は、例え金正日が死のうと金正恩が死のうと、直ちに公表という可能性は考えられない。

 クーデター鎮圧後に死を公表する場合でも、クーデターの存在を公表することはない。公表した場合、体制の綻びを内外に宣伝することになる。死因をすり替えて伝えることになるだろう。

 これらの予想は上記記事を読んでから考えた後付けだが、内閣は後付けであってはならないはずだ。韓国の元大統領朴正煕は晩餐の席で1979年10月26日、側近のKCIA部長金載圭によって射殺されている。危機管理の可能性からは決して排除できないはずだ。

 2010年11月23日の北朝鮮による韓国領延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件は危機管理上、最悪韓国と北朝鮮の間の軍事衝突、その果ての全面戦争まで予測・分析して、万が一に備えなければならなかったはずだ。

 危機管理はまた、同種の過去の事例を学習し、参考とする。だからこそ、政府内で「特別放送は、金日成主席死去の時しか使われていない特別な言葉」であり、何か重大事の放送ではないかと予想・分析できた。
 
 だが、野田首相は予定していた街頭演説の現場に車で向かった。

 上記記事は、〈同対策本部で「金日成主席死去に匹敵する事態と認識しなかったのか」と問われた警察庁幹部は「左様です」と述べ、政府内で情報が共有されていなかったことを認めた。〉と書いているが、「同対策本部」の意味が分からない。

 他の記事を参考にすると、どうも20日開催の公明党北朝鮮問題対策本部のことらしい。警察庁幹部を呼んで、事実関係の究明を図ったということなのだろう。

 だが、警察庁幹部の「左様です」という言葉は異様に響く。「認識しなかった」と明確に答えると、自らの学習能力の程度の低さを明確、かつストレートに認めることになるために責任回避意識が作動して、直接的な否定ではなく、馬鹿丁寧な「左様です」という間接的否定言葉となったのかもしれない。

 「お前はバカか」と問われて、「バカです」と答えたなら、ストレートにバカを認めることになるが、「そうかも知れません」と答えたなら、バカであることを相当に和らげることができる。

 北朝鮮の韓国領延坪島砲撃事件でも菅内閣の危機管理が野党に問われた。2010年11月23日14時34分の北朝鮮砲撃開始に対して菅内閣は46分後の15時20分首相官邸・危機管理センター設置であった。

 そして菅前首相の全省庁に対する情報収集と態勢準備指示は砲撃から2時間26分後の17時00分。

 さらにその3時間45分後の20時45分になってから、官邸で緊急閣僚会議を開催。

 勿論、軍事衝突も全面戦争も起きなかった。だからと言って、危機管理の備えをしなくてもいいということにはならない。殊更断るまでもなく、危機管理とは将来的結果に対する備えではなく、将来、起きうるかもしれないと想定した事態に対する備えだからだ。

 野田首相が危機管理を疎かにしてまで街頭演説に拘ったのは12月10日前後の各マスコミの世論調査の影響があったに違いない。軒並み30%台にまで支持率を下げ、不支持の理由は「指導力がない」、「説明不足」が上位を占めた。

 この2つの要素は相互に関連し合っている。指導力にしても説明にしても言葉を武器とする説得力にかかっているからだ。言葉を武器とし得ない人間が指導力にしても説明能力にしても他よりも秀でるということはないはずだ。

 産経・FNN世論調査――

 《国民へのメッセージ発信》

 評価する ――21.7%
 評価しない――71.7%

 読売新聞社世論調査――

 首相の国民への説明。

 「十分に説明している」――10%
 「そうは思わない」  ――85%

 朝日新聞社世論調査――

 「首相として何がしたいのか、あなたには伝わってきますか」

 「伝わってこない」――71%

 ぶら下がり記者会見に応じないことも「説明不足」の批判を与える材料となっていた。

 内閣発足からたった3カ月目にしてのこのような無残な内閣支持率を受けて、「昭和61年の10月から、毎朝街頭に立つようになりました。津田沼駅、船橋駅。ずうっと続けてまいりました。大臣になる前の昨年(2010年)の6月まで、4半世紀続けてきた」と言っているお得意の街頭演説に説明不足挽回を賭けに違いない。

 そこに意識を集中させるあまり、肝心の危機管理を失念したとしたら、指導者としての総合的・全体的な判断能力を欠いていることになる。

 この街頭演説は消費増税の理解求める目的があったという。いわば消費税増税に対する説明不足を補おうとした。

 《首相 消費増税理解求め街頭へ》NHK NEWS WEB/2011年12月16日 6時21分)

 〈野田内閣を巡っては、各種の世論調査で内閣支持率が低下して不支持が支持を上回る状況となっており、関係者からは野田総理大臣の発信力不足が影響しているという指摘も出ています。こうしたなか、野田総理大臣は、社会保障と税の一体改革を実現するためには、国民の理解が欠かせないとして、来週からみずからが街頭に立ち、国民に直接訴えることになりました。野田総理大臣としては、街頭演説で、徹底した行財政改革に取り組むことや消費税の増税分は社会保障の機能強化に充てることなどを説明したいとしており、こうした背景には、一体改革への反対論や慎重論が根強い党内に不退転の決意をアピールするねらいもあるものとみられます。〉云々――

 税をどう扱うかも国家経営の危機管理に相当する。だが、税の必要性の説明と金正日死去に際して想定しなければならない対外危機管理は緊急性に於いて明らかに異なり、同次元で扱っていい危機管理ではないはずだ。

 もし記事に書いてあるような目的からの街頭演説だったとするなら、野田首相は大いなる勘違いを犯していることになる。

 増税の必要性は菅前首相も訴えてきたことで、既に説明済みである。現在必要としているのは必要性に対する説明ではなく、中身に対する説明であろう。中身の説明は具体像を確立して初めて可能となる。

 増税によって予想される税収でどのような政策にどう使うか、その結果、財政再建はどうのように進むのか、国民生活はどのような利便性を獲得し得るのか、生活に打撃を受ける低所得層対策はどのような内容のものとするのか、少しの負担は避けられないが、将来、年金や医療給付で安心を得ることができると増税のしっかりとした全体的・総合的な具体像を示すことが現在必要とされている説明のはずだが、その具体像を確立もせずに、ただ単に〈徹底した行財政改革に取り組むことや消費税の増税分は社会保障の機能強化に充てることなどを説明〉されても、抽象過ぎて、国民は具体像を描くことはできないはずだ。

 具体像の確立が何よりの説明となるにも関わらず、当然具体像の確率とその説明を先行させるべきを、2013年10月に現在の5%+3%の8%、2015年4月に8%+2%の10%だと増税のスケジュールを先行させる。

 あるいは増税法案を成立させてから、民意を問う選挙を行う、いや、法案成立前に選挙を行うべきだと、中身の具体像を知らせないうちから、賛成反対を問うスケジュールを立てている。

 いわば野田首相は何に対して説明不足なのか、大いなる勘違いを犯している。

 当然、問われている説明責任まで間違えることになる。

 優先させるべき危機管理を間違えたばかりか、必要とされる説明責任の対象まで間違えている。


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金正日死去に見る言葉を知らない日本の指導者たち、その一人小泉元首相と10分余終了の安保会議

2011-12-20 10:41:36 | Weblog

 北朝鮮のあの悪名高き独裁者金正日死去に関して日本の小泉純一郎元首相が12月19日、都内で記者団にコメントしている。《小泉元首相 “国際社会入り願う”》NHK NEWS WEB/2011年12月19日 17時48分)

 小泉元首相「キム総書記と2回会談しているが、キム総書記が元気なうちに拉致や核、ミサイルの問題などを解決して国交正常化への道筋をつけたいと思っていたので残念だ。

 会談で印象に残っているのは、独裁者とか暗いというようなイメージはなく、大変明るく率直にものを言う人で、原稿もそんなに見ないで自分の意見を話していた。北朝鮮の国内情勢がまだどうなるか分からないが、誰が最高指導者になっても大変な時期で、だからこそ、北朝鮮は基本方針を大きく変えて核開発を放棄し、拉致問題を解決して国際社会に入ってもらうことを願うばかりだ

 今後の北朝鮮政策については一貫していると言えば、聞こえはいいが、今までの繰返しから一歩も出ない、いわば現在では誰もが口にしている情報発信となっている。

 小泉元首相「未来志向で臨み、過去の問題をどう精算していくかという問題なので、与野党が拉致や核開発放棄に共通して当たるべきだ。これからも一筋縄ではいかないだろうが、しっかり基本方針を変えないでやってもらいたい。『対話と圧力』の方針は変える必要はないと思っている」

 日本の偉大な元首相は悪名高き独裁者金正日を「独裁者とか暗いというようなイメージはなく、大変明るく率直にものを言う人」だと、評価していると間違いかねない人物評を下している。

 だがである。外国首脳との会談ともなれば、最大限の外面を持って接することになるだろう。菅前首相などは、外国首脳との会談ではなくても、上機嫌なときの笑顔はこれ以上ないお人好しの好人物に見えるが、実際は官僚や東電の職員に対して怒鳴ることを専らとし、怒鳴って言うことを聞かせようとしていた。言葉の合理的な駆使を用いて相手を納得させ、指示に応えさせることができる政治家とは大違いだとは、あの笑顔からではとてもとても印象づけることはできまい。

 イタリアのベルルスコーニ前首相などは会っただけの印象では未成年の少女を買春するような好色家には見えまい。

 それが独裁者であったとしても、誰が独裁者丸出しの陰険・陰湿顔で首脳会談の席に臨むだろうか。

 特に金正日の場合、2002年と2004年の小泉・金正日会談では金正日は日本人拉致は自身とは関係のない、一部の特殊機関が妄動主義や英雄主義に走って行った特殊機関の恣意的行動だとして、拉致被害者5人の存在を明らかにすることで日朝国交正常化の障害を取り除き、日本の巨額な戦争賠償と経済援助を手に入れようとしていたのだから、独裁者顔を隠して機嫌のよい顔を見せないはずはない。

 子どもにしても親に小遣いをねだるとき、子どもは最大限にいい子の顔を演じる。

 金正日が拉致を認めたことと5人の帰国を小泉元首相の手柄のように言うが、実際は金正日が日本からカネをせしめるために仕掛けた拉致演目であろう。

 その証拠として北朝鮮側は当初は一時帰国は果たさせても、永久帰国はさせるつもりはなかったことを挙げることができる。金正日の意に反して日本側が一時帰国の約束を破って日本にとどめた上、5人以外の拉致被害者の帰国を要求するようになって、北朝鮮経済向上のために喉から手が出る程欲していた戦争賠償と経済援助を「拉致は解決済み」の口実のもと、断念することとなった。

 戦争賠償+経済援助と5人以外の拉致存在の明示を天秤に掛けた場合、5人以外の拉致存在の明示の選択肢はなく、結果として戦争賠償+経済援助の選択肢まで断念せざるを得なかったということであろう。

 このことは戦争賠償+経済援助よりも5人以外の拉致存在の隠蔽が上回ったことを証拠立てている。

 考え得るその理由は5人以外の拉致存在を明示した場合、最高権力者としての金正日の存在自体を脅かす事実の露見の可能性以外に想定することはできない。

 いわば金正日の自己保身と戦争賠償+経済援助を天秤に掛けた場合、戦争賠償+経済援助の選択肢を捨てて、最高権力者としての自己保身を選択せざるを得なかった。5人以外の拉致存在を明らかにした場合、最高権力者としての自身の地位をも失いかねず、元も子もなくしてしまう恐れがあったということであろう。

 でなければ、拉致で握っているカードを早々にテーブルに広げて、日本側が握っている戦争賠償+経済援助のカードを喉から手を出してガッチリと自分のモノとしたはずだ。

 日本の戦争賠償と経済援助を資本に北朝鮮経済を復興させて北朝鮮国民の飢餓・餓死を消去可能とした場合、強権に頼って刷り込んだ“将軍様”の称号を信頼に基づいた称号に変えることもできたはずだ。

 だが、北朝鮮の現実は恐怖政治によって金正日独裁体制は打ち立てられてきた。体制批判した者、苦しい生活を逃れるようとして脱北を謀り、失敗した者は捕らえられて収容所送りとなり、重労働を課せられた。銃殺刑も言われている。

 この独裁体制、恐怖政治に声を潜めた貧しく苦しい生活を余儀なくされている、権力者側・体制側に身を置かないその他大勢の北朝鮮国民にとって、日本の偉大な政治家であった小泉元首相が言う「独裁者とか暗いというようなイメージはなく、大変明るく率直にものを言う人」だという金正日の印象は、首脳会談の席では誰もが外面で臨むだろうことと併せて一切意味を持たない。

 言葉を知らないからこそ言うことができた小泉元首相の金正日印象であろう。言葉を知らないとは目を向けるべき対象に的確に目を向けることができないことによって生じる情報解読のズレが自らの情報発信をもズラして結果的に招く言葉の無知を言う。

 最近の例で言うと、一川防衛相の数々の発言を挙げることができる。米軍基地に関わる沖縄の歴史と現状に的確に目を向けていたなら、沖縄から汲み取るべき情報解読に於いても、汲み取って自らが事実としたことの情報発信に於いてもズレを招かず、結果的に言葉を知らなかったといった無様な窮状を曝け出すこともなかったろう。

 小泉首相は「北朝鮮は基本方針を大きく変えて核開発を放棄し、拉致問題を解決して国際社会に入ってもらうことを願うばかりだ」と言っているが、金正日が私物化した北朝鮮はそういった体制にはなっていなかったからこそ、そのように願うことになるのであって、この点からも金正日を「独裁者とか暗いというようなイメージはなく、大変明るく率直にものを言う人」だとする情報解読(=観察)は目を向けるべき対象を間違えたゆえの間違えた情報発信であり、結果として発すべき言葉を知らなかったことになる。

 金正日死亡に関わる適切な情報解読、情報発信の例を挙げてみる。

 (余分なことだが、キーボードを「きむじょんいるしぼう」と打ったら、「金正日脂肪」と出て、何か暗示的なものを感じた。) 

 《【金正日総書記死去】自由を取り戻すこと希望 仏外相》MSN産経/2011.12.19 20:13)

 ジュペ・フランス外相「北朝鮮の人々がいつか自由を取り戻すことを希望しつつ、権力の継承を注視している」

 〈フランスは10月、平壌に文化、人道援助分野での協力を目的とする常設事務所を開設したが、国交は結んでいない。(共同)〉――

 野田首相は金正日死亡を受けて、昨日(2011年12月19日)午後1時過ぎから一川防衛相等の関係閣僚出席の安全保障会議を開催している。《安保会議 情報収集強化を指示》NHK NEWS WEB/2011年12月19日 13時33分)

 この記事は野田首相、その他閣僚の直接的な発言は何も伝えていない。〈この中で、野田総理大臣は全省庁に対し、北朝鮮の今後の動向について、情報収集態勢を強化すること、アメリカ、韓国、中国などの関係国と緊密に情報を共有すること、不測の事態に備え万全の体制を取ることの3点を指示したものとみられます。〉と解説しているのみである。

 問題は安全保障会議が〈10分余りで終了しました。〉と書いてあることである。

 二十代後半とされている金正日三男金正恩がこれといった政治経験もなく独裁権力を継承して、果たして軍を掌握できるのか、安定した体制を築くことができるのか、不安定化した場合の体制維持のための内外に対する対応は、拉致解決のチャンスと方策は、6カ国協議開催の可能性は、継承体制の盤石誇示のためにミサイル発射実験や核実験を強行する危険性は、この文脈からの韓国攻撃は――等々、出席閣僚それぞれが費やすべき、あるべき情報解読と情報発信が「10分余りで終了」したということはそれぞれが言葉を持っていなかったことの証明以外の何ものでもあるまい。

 言葉を持っていないから、言葉を知らないことになる。

 金正日死亡を受けた安全保障会議である。北朝鮮に関わるお浚いも準備もせずに出席したのだろうか。

 言葉を知らない政治家という逆説は如何ともし難い。

 参考までに――

 2008年3月12日記事――《「日本人拉致首謀者は金正日」は想像できたこと - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
 
 2008年9月8日記事――《「拉致調査委先送り」/ただ承るだけで済ます程日本の外交は無能ではあるまい - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2010年2月20日記事――《中国の反撥を懸念した北朝鮮拉致日本外交力とオバマのアメリカ外交力との大違い - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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被災者に寄り添うをスローガン化する野田首相の「原発事故収束」宣言と関係閣僚たちの発言

2011-12-19 09:57:57 | Weblog

 12月17日(2011年)の当ブログ記事――《野田首相の現実認識を欠いた言葉を知らない「原発事故収束」宣言 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で被災者に対する配慮を欠いた、野田首相の「原発事故収束」宣言だと書いたが、ここでも同じテーマとなる。

 佐藤雄平福島県知事が18日(2011年12月)、細野・枝野・平野の各大臣と会談、席上野田首相の「原発事故収束」宣言に不快感を示したという。

 《福島県知事 「収束」に不快感》NHK NEWS WEB/2011年12月18日 17時56分)

 佐藤知事「本来なら、野田総理大臣が来て話をしてしかるべきだ。『事故収束』ということばを発すること自体、県民は『実態を本当に知っているのか』という気持ちでいる」

 細野原発事故担当相「ステップ2の達成は、『これ以上、地元の皆さんに改めて避難していただく状況にはならない』ということであり、このことをもって、事故そのものは収束したと判断している。ただし、これからが一番大切な難しい局面を迎えるので、除染や健康管理の問題に責任を持って対応する」

 佐藤知事(住民の帰宅に向けた避難区域の見直しについて)「地域の市町村長や住民の話を真摯(しんし)に聞いていただくことが大事だ」

 枝野経産相「避難指示区域の見直しは、地元に寄り添いながら取り組んでいく決意であり、県や市町村の考えを受け止めて具体的に進めたい」

 平野復興担当「1日も早い帰還を実現するための時期が来たので、復興対策本部が、帰還に向けた支援の中心的な役割を担いたい」

 細野も枝野も自分の言っていることの矛盾に気づかないのだろうか。

 佐藤知事は福島県民は原発事故の真っ只中にあると言って、「原発事故収束」宣言を否定している。

 対して細野は「これ以上、地元の皆さんに改めて避難していただく状況にはならない」という予測的事実を以って、「原発事故収束」だとしている。

 但し、この発言は避難していた被災住民のうち帰宅希望者の一人残らずが今まで住んでいた場所に戻り、生活を原状回復した状況下にあった場合にのみ正当性を得る。

 帰宅という望みを果たして人生の再スタートを胸に秘めた住民にこそ通用する「これ以上、地元の皆さんに改めて避難していただく状況にはなりませんから」の確約であろう。

 いや、もし正真正銘福島県民の立場に立っていたなら、そういった確約でなければならない。

 「改めて」とは再度の行為・行動、遣り直しの行為・行動を言うからだ。生活ができる状態で一度も帰宅を果たしていないのに、「改めて避難していただく状況にはなりませんから」もクソもない。

 いわば、避難が解除されているわけでもなく、継続中であるという現在進行形の事態が未解決の、いつ帰宅を果たせるか分からない状況下にあるにも関わらず、そういった状況を思い遣ることもなく、再度の避難はない、遣り直しの避難はないという予測を以てして「原発事故収束」だと言っているのである。

 矛盾でなくて、何と言ったらいいだろうか。

 「原発事故収束」宣言が原発事故を原発施設のみの事故と把える発想に立ってつくり上げられていることから出すことができた宣言であり、ステップ2の達成に関して、被災者が置かれている各種放射能汚染からの避難という事実を考慮の要素とすることができなかったということであろう。

 ということは、被災者に寄り添うことを忘れて、政府成果の誇示のみに拘ったことになる。

 ところが、枝野は避難指示区域の見直しに関しては、「地元に寄り添いながら取り組んでいく決意であり、県や市町村の考えを受け止めて具体的に進めたい」と、地元に寄り添わないことが一度としてなかったかのように、あるいは県や市町村の考えを受け止めずに政府の考えだけで進めたことが一度もなかったかのように、従来どおりの姿勢で進めていくと事実と異なる矛盾したことを平気で口にしている。

 細野は一旦は野田首相の「原発事故収束」宣言を「これ以上、地元の皆さんに改めて避難していただく状況にはならない」と、根拠とならないことを根拠として正当化したものの、根拠とならないことに気づいたのか、佐藤福島県知事のみならず、「原発事故収束」宣言に対して根拠希薄との批判が多いことからなのかは分からないが、佐藤知事と会談後の記者会見で「原発事故収束」宣言に関わる表現に関してのみ陳謝している。

 《細野氏、「事故収束」の表現陳謝 問題化の可能性も》47NEWS/2011/12/18 22:14 【共同通信】)

 細野原発事故担当相「『収束』という言葉を使うことで事故全体が収まったかのような印象を持たれたとすれば、私の表現が至らず、反省している」

 「私の表現が」と言っているが、そもそもの発端は12月16日(2011年)午後6時からの野田首相の記者会見での発言に起因した被災者無視であったはずだ。

 野田首相「原子炉が冷温停止状態に達し発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる、との確認を行いました。これによって、事故収束に向けた道筋のステップ2が完了したことをここに宣言をいたします 」

 冷温停止のステップ2完了を以って、「発電所の事故そのものは収束に至った」とし、未だ事故の影響下にある避難住民や各種放射能汚染問題、除染問題、風評被害問題等を事故の考慮外に置いた。

 細野は野田首相の「原発事故収束」宣言をなぞったに過ぎない。それとも野田記者会見の「原発事故収束」宣言箇所は細野の発案によるもの、影の文案作成者であって、だから「私の表現が至らず、反省している」と陳謝したのだろか。

 どちらであっても、原発事故の影響下に今以て置かれている被災者を事故の考慮外に置いたことに違いはない。

 但し、細野の発案を下敷きにしたものであったとしても、「原発事故収束」宣言は野田首相が自ら記者会見を開いて、自らの言葉で発した宣言である。そうである以上、同罪と見做され、一大臣が陳謝して済む問題ではなくなる。

 だから、記事は〈野田佳彦首相が記者会見し、国内外に向けてアピールした事故収束の表現が不適切だったと認めるもので、今後問題化する可能性もある。〉と書いている。

 これまでの復旧・復興の遅れと言い、そのことが尾を引いている現状と言い、機会あるごとに発信される「被災者に寄り添う」は単なるスローガンで終わっているようだ。

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仙谷由人の問題がどこにあるか気づかない、ヤキの回った野党問責決議批判

2011-12-18 10:47:12 | Weblog

 仙谷由人民主党政調会長代行が12月14日、都内開催のシンポジウムで一川防衛相と山岡消費者相に対する野党の参院問責決議可決を批判したという。

 《仙谷氏 問責可決連発は「統帥権干犯」 野党対応を批判》MSN産経/2011.12.14 13:18)

 仙谷政調会長代行「毎年その戦術を行使するのは統帥権干犯と同じで、政党政治に大きな禍根を残す。

 解散がない参院が内閣に重いパンチを打ち込んでいく制度ははなはだ奇妙で、野党が(問責閣僚が出席する)国会審議に出ないと公言することが常態化すると政治は止まる」

 「統帥権干犯」の譬えについて記事は〈昭和5年のロンドン海軍軍縮条約に関し、当時の野党が「天皇の統帥権干犯」を理由に政府を批判した歴史になぞらえて自民党などの対応を批判した格好だ。仙谷氏は官房長官だった昨年11月、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件への対応をめぐり問責決議が可決され、1月の内閣改造で退任。その恨み節が炸裂(さくれつ)したようだ。〉と解説している。

 仙谷由人は大いなる勘違いをしている。まだ65歳のはずだが、既に年齢が理由になってしまったのか、合理的判断能力が麻痺し、問題がどこにあるか気づかなくなってしまったらしい。

 二大臣共、理由なくして野党に問責決議の提出を誘発させたわけではないはずだ。理由がなかったなら、民主主義に反するということだけではなく、人道に悖る無法行為となる。国民世論は許さないだろう。

 誘発させるに足る正当な理由があった。

 その正当性は問責決議可決後の各マスコミの世論調査が証明している。

 産経・FNN合同世論調査(12月10、11調査)

【問】野田政権についてあてはまる考えは
《一川保夫防衛相は適任だ》

思う10.2 思わない83.8 他6.0

《山岡賢次国家公安委員長は適任だ》

思う15.5 思わない70.8 他13.7

《問責決議を受けた一川防衛相は自ら辞任すべきだ》

思う80.4 思わない16.1 他3.5

《問責決議を受けた山岡国家公安委員長は自ら辞任すべきだ》

思う73.3 思わない19.1 他7.6

《野田首相は両閣僚の任命責任を問われるべきだ》

思う45.2 思わない48.8 他6.0

《問責決議を受けた閣僚が関わる国会審議に応じないとする野党の姿勢は適切だ》

思う26.0 思わない66.4 他7.6

 NHK世論調査(12月9日~11日調査)

◇参議院で問責決議が可決された一川防衛大臣の進退について

▽「大臣を辞任すべきだ」――48%
▽「辞任する必要はない」――12%
▽「どちらともいえない」――35%

◇問責決議が可決された山岡消費者担当大臣の進退

▽「大臣を辞任すべきだ」――47%
▽「辞任する必要はない」――8%
▽「どちらともいえない」――39%

 読売新聞世論調査(12月10日~11日調査)

 問責決議可決の2大臣は「辞任すべきだ」
 
 一川防衛相 ――62%
 山岡消費者相――54%

 自民党が両氏が辞任しない限り、今後の国会審議に応じないとしている対応について

 「納得できない」――71%に

 産経・FNN合同世論調査の野田首相の任命責任は48.8%が否定、だが、問うべきが45.2%もある。また自民党の今後予定している国会審議対応については否定的な評価を与えているが、問責決議の提出・可決そのものは理由なしとしてはいない。

 両者に問責決議を提出させるだけの理由があった。ここで改めて話さずとも、多くが承知している正当性ある理由であろう。

 また、読売の調査で自民党の国会審議欠席戦術は71%が「納得できない」として、産経・FNN合同世論調査と同様の傾向を見せているが、「辞任すべきだ」が一川防衛相62%、山岡消費者相54%であることからすると、野田首相が両者を更迭させることによってクリアできる国会審議出席となる。

 問責決議提出・可決に国民世論が正当性を認め、野田首相の対応次第で国会審議に影響が出ないようにすることができるとしたら、仙谷由人の批判の方こそが問題がどこにあるか気づかない、合理的判断能力を麻痺させた批判となって、その正当性を失うこととなり、「政党政治に大きな禍根を残す」はその資質もない人物を大臣に任命したことの方にこそ、当てはめるべき批判であろう。

 すべては野田首相の任命責任に集約されるということである。

 また、問責決議提出と可決を「統帥権干犯と同じ」だと言っているが、統帥権とは「軍隊を支配下に置いて率いる最高指揮権」のことを言い、旧憲法下では天皇の大権として政府・議会から独立して与えられ、絶対的なものとされていた。

 『大日本帝国憲法 第1章天皇 第11条』は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と謳っている。天皇自体が『大日本帝国憲法 第1章天皇 第3条』で、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と絶対的存在とされていたのだから、統帥権にしても侵してはならない絶対的大権と見做さなければならない。

 昭和5年当時の政府が天皇の統帥権を干犯したと野党が批判した新聞の例に仙谷の批判を当てはめてみると、参議院が内閣が握っている統帥権を問責決議を手段として干犯したことになる。

 果して内閣は国会に対して統帥権を所有する絶対権利者と位置づけられているのだろうか。

 だが、現在の日本国憲法は、「第4章 国会 第41条」は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。

 「国権の最高機関」は内閣だとはしていない。

 この「国会は、国権の最高機関」としていることに色々な解釈があるようだが、内閣が各種法律を成案し、国会がその成案を法律として制定するかどうか意思するプロセスを取る以上、国会は内閣の上に位置する機関と見做さなければならないはずだ。

 いわば問責決議を「統帥権干犯と同じ」だと批判すること自体が合理的判断を間違えた見当違いとなる。

 問題がどこにあるのか、仙谷は各大臣の見識や素養や政治的行動性をも含めた資質と首相の任命責任に置くべきを、置かずに見当違いにも野党のみを批判した。

 野党が問責決議と決議可決に応じた国会審議拒否を継続的な戦術として複数の大臣をドミノ倒しで餌食としていった場合、内閣は否応もなしに追い詰められ、最悪立ち往生することになる。

 この最悪の状況を避ける目的にのみ視野を絞った結果、身贔屓一辺倒となる野田内閣擁護の批判となったのだろう。
 
 首相が誰を任命するかによってクリアできる問題であることに目がいかなかった。ヤキが回ったとしか言いようがない。

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野田首相の現実認識を欠いた言葉を知らない「原発事故収束」宣言

2011-12-17 09:40:49 | Weblog

 昨日(2011年12月16日)夕方6時から野田首相が記者会見、「ステップ2」完了と「原発事故収束」宣言を行った。

 《野田首相記者会見》 

 野田首相「本日、私が本部長を務める原子力災害対策本部を開催をし、原子炉が冷温停止状態に達し発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる、との確認を行いました。これによって、事故収束に向けた道筋のステップ2が完了したことをここに宣言をいたします」

 勝利を伝えるファンファーレを胸に響かせながら、どうだ、この成果はと、力強い言葉で宣したように聞こえる。

 この宣言に内外から様々に批判が起きているが、菅首相が「自分は原子力に強い」と言ったように強くはなく、その逆でからきし弱く、専門的知識のカケラもないから、「ステップ2」達成が妥当かどうかは分からない。

 だが、いくら原子力にシロウトであっても、「原発事故収束」宣言はいくら何でも現実認識を欠いた言葉知らずの宣言ではないだろうか。

 譬え話で説明すると、高速道路で自動車が速度制限を大きく超えるスピードを出して運転を誤り、中央分離帯に激突、車体が跳ね返って後続車に側面から衝突、後続車は避けようとして左に急ハンドルを切ったことと衝突で押し出された形になったことで側壁に激突、大破。

 事故を起こした車の運転者も同乗者も即死、事故を起こされた車の運転者と同乗者は瀕死の重傷を負った。

 高速警察隊の警察官と救急車が来て、救急車は死者と負傷者を運び去り、警察官は事故調査をし、調査終了後、高速道路会社の安全パトロール車が大破した車2台と散乱した破損物を回収、道路を清掃して、高速道路自体の原状回復を行なってすべてが引き上げる。

 これを以て事故は収束したと言えるだろうか。

 中央分離帯と側壁のそれぞれの車の激突箇所の破損は事故の影響であって、その修理が終わらないことには原状回復と言えず、また事故に巻き込まれた後続車の運転者と同乗者が負った重症も事故の影響であって、その怪我が治らない限り、原状回復とは言えず、事故は収束したと看做すことはできないはずだ。

 また、後続車の運転者か同乗者が不治の障害を負った場合、彼らにとって事故は収束したとは言えず、事故から受けた重い傷を心身共に永遠に負う可能性も否定できない。 

 野田首相の言っている「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる」は車を片付けた程度のことで、放射能放出も住民避難も風評被害も原発事故の内、原発がもたらした被害である。除染を完全に果たし、住民がそれぞれの帰宅を実現させ、風狂被害も収まって初めて事故収束と言えるはずである。

 記者会見で「原発の外の被災地域では、いまだに事故の影響が強く残されており、本格的な除染、瓦礫の処理、避難されている方々のご帰宅など、まだまだ多くの課題が残っていることは事実であります」とは言っているが、事故収束に於ける「課題が残っている」以上、各原子炉に限った「事故収束」であっも、未だ道半ばとすべきで、そうしなかったのは被災者に対する配慮が「正心誠意」とまでいっていなかった証拠であろう。

 「東電HP」によると、東電敷地内の観測点の最も高い放射線放出量は12月16日時点の現在でも1時間当たり300μSv(マイクロシーベルト)となっている。

 レントゲン1枚の瞬間的被曝量が約500μSvだと言うから、最も高い観測点に2時間も立っていたら、レントゲン分の被曝量を超えてしまう。

 要するに防護服なしでは生活はできない。

 放射能が依然として漏出しているばかりか政府は8月27日に年間被曝線量が200ミリシーベルトの推定場所では線量の自然減で試算した場合、避難住民が帰宅可能となるには20年以上かかる可能性があるとの結果を公表している。

 除染することによって帰宅可能期間はより短くなるが、依然として放出が続いている放射線量が除染を相殺して、除染通りにいかない危険性を横たえさせている。

 20年が半分になったとしても、10年。完全な帰宅保証のない10年である。10年は待たされると覚悟を見定めた多くの被災者、あるいは帰ることはできないと諦めて、他処の土地を第二のスタート地点と決め、既に実行に移したか、移す予定の、帰宅不可能を永遠と見定めた多くの被災者の存在を予測可能としたとき、野田首相の「今後とも住み慣れた故郷を離れざるを得ない皆さまが、一日も早くご自宅にお戻りになり生活を再建できるよう、政府一丸となって取り組みます」の「一日も早く」は、10年に対して「一日も早く」となり、あるいは帰宅への諦めに対して「一日も早く」となって、無力感、脱力感の類に誘われることはあっても、希望に胸を膨らますことは決してない、あまりにも見え透いた事務的、機械的言葉となる。

 しかも、一方で「原発事故収束」宣言を発しながらの「一日も早く」の当てのなさであって、この当てのなさは逆に多くの被災者をして「原発事故収束」宣言を虚しく感じさせるに違いない。

 だからこそ、佐藤雄平福島知事は野田首相の「原発事故収束」宣言に対して「事故は収束していない」(asahi.com)と批判した。

 避難も放射能被曝も除染も、農作物の風評被害も、その他すべてを原発事故の被害としているからだ。被災自治体の長としても「原発事故収束」という気持にはなれないだろう。

 だが、野田首相は高らかに「原発事故収束」宣言を発した。発することができた。

 野田首相は「原発事故収束」宣言が政府と被災自治体との間に認識の乖離を生じせしめると前以て気づくことができなかった。

 現実認識を欠いているからこそであり、言葉を知らないからだろう。言葉を知らないとは、現実認識を欠いていることが災いして、頭に描いた情報自体を間違え、間違えたままの情報を発信する言葉の無知を言う。

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小沢公判に関わる田代検事の取調べに必須能力の合理的判断性の欠如という職業的逆説性

2011-12-16 10:34:54 | Weblog

 昨日(2011年12月15日)小沢第9回公判が東京地裁で開催。東京地検特捜部検事として元秘書の衆院議員、石川知裕被告(38)=1審有罪、控訴中=を取り調べた田代政弘検事(44)が証人出廷。

 証人出廷は田代検事の石川議員に対する政治資金規正法違反(虚偽記載)の取調べとその供述調書の信用性と任意性を問うためであった。

 石川議員を含む小沢氏秘書3人の公判で証拠の一部がその信用性と任意性を疑われて証拠不採用となったことと、田代検事が小沢公判前に石川議員を任意再聴取した際、石川議員が隠し録音した内容が取調べとそ供述調書の信用性と任意性を一層疑わせる根拠となったといった経緯下の証人出廷である。

 以下、《【小沢被告第9回公判(3)】「特捜部は恐ろしい組織」発言 石川議員に「うんうん相づち打っただけ」》MSN産経/2011.12.15 12:48)を参考に考えを進めていく。
 
 他の社は田代検事と実名を挙げているが、この記事は、〈○○検事(法廷では実名)〉と匿名を用いている。

 ここでは実名を用い、その合理的判断性の欠如のみを取り上げてみる。公判の詳しい内容を知りたい方はリンクを付けておいたから、記事を参照されたい。

 指定弁護士「このような(威迫的な)発言をする状況でしたか」

 田代検事「いいえ。そもそも石川議員の供述は内容自体が不合理で、有効性が期待できませんでした。それに、政権与党の幹事長に関する捜査で、取り調べは慎重に慎重を期していました。任意の取り調べでは録音される危険もあるし、『足下をすくわれることを言うな』と、上司から口酸っぱく言われていました。

 石川議員には当然弁護士もついているので、不合理な言辞は使えません。弁護士を通じて抗議を受ければ、取り調べしづらくなります」

 指定弁護士「聴取後に本人や弁護士から、威迫があったと抗議を受けましたか」

 証人「私自身受けていませんし、(上司の)主任検事からも抗議があったとは聞いていません」

 《ここで、指定弁護士は石川議員が昨年5月の任意の再聴取で、証人の検事とのやり取りをひそかに録音した「隠し録音」を再生する。》

 録音場面――

 石川議員「(田代検事が)『早く認めないと、ここは恐ろしい組織なんだから、何するか分かんないぞ』と諭してくれたことがあったじゃないですか」

 田代検事「うんうん」(以上録音場面)

 指定弁護士「石川議員の発言を理解して『うんうん』と答えたんですか」

 田代検事「録音を聞くまで、この(石川議員の「恐ろしい組織~」云々という)発言自体を記憶していなかったほどです。理解、承認して『うん』ではなかったと思います」

 指定弁護士「発言に応答したのではないと?」

 田代検事「再生を聞いてもわかる通り、この前後でも私は『うーうー』と相づちを打っている。流れの1つである、というのがお分かりになると思います」

 指定弁護士「威迫を受けて調書に署名した、と石川議員はそういう主張をしています」

 田代検事「全くありませんでした。(石川議員が)承諾した範囲で調書を取っていますが、実際の取り調べでは(石川議員は)もっといろいろなことを言っています。水谷建設の問題については、完全に否認を続けていました。そういう石川さんの態度からしても、威迫はありませんでした」(以上引用)

 要するに田代検事は「任意の取り調べでは録音される危険もあるし、『足下をすくわれることを言うな』と、上司から口酸っぱく言われ」た事実を根拠として、「うんうん」が理解・承認の頷きではないと否定している。 

 取調べ検事が取調べの場で容疑者や参考人の発言を理解・承認しないで「うん、うん」と相槌を打つことが果たして許されるのだろうか。常に理解・承認して、理解・承認できなければ、理解・承認できるまで尋ね直して、理解・承認した上でその発言に対応した証拠確定のための取調べの尋問を瞬時に構築していくことが取調べの役目であるはずである。

 また、取調べを受けている側も取調べ側が「うんうん」と頷けば、相手は理解・承認したサインと受け止めて、話したことを事実と認定することになり、その理解・承認を受けた事実認定を前提として以後の取調べに対応することになる。

 いわば取調べる側は取調べを受ける側が話したことを「うんうん」と頷くことによって、後になってどう否定しようと、その場では事実と認定したのである。

 取調べを受けている側が取調べ側が理解・承認し、事実と認定したと受け止め、取調べが側が実際には理解・承認せず、事実と認定しないまま「うんうん」頷いたとしたら、一方は事実とし、もう一方は事実としない奇妙な食い違いが両者間に生じることになって、以後の取調べ自体が勘違いでは済まされない収束しない内実を迎えるに至って、その矛盾は今回と同様に裁判で噴き出すことになるはずだ。

 石川議員がICレコーダーを密かに持ち込んで隠し録音したということは田代検事の取調べとその取調べを纏めた供述調書の信用性・任意性を最初から崩す意図があったからだろう。
 
 崩すために田代検事が取り調べで用いた「早く認めないと、ここは恐ろしい組織なんだから、何するか分かんないぞ」という威迫的発言を改めて事実認定させるべく謀った。

 もし取調べで用いていなかったなら、石川議員の意図がどこにあろうと、否定しなければならない発言であった。「そんな脅迫めいた発言はしていませんよ。取調べはあくまでも任意でなければならないですから」と。

 しかも田代検事は指定弁護士の尋問に対して、「任意の取り調べでは録音される危険もあるし、『足下をすくわれることを言うな』と、上司から口酸っぱく言われていました」と発言しているのである。録音の危険性も考慮に入れる合理的判断のもと、取調べの際、実際に口にしていたとしても、「うんうん」ではなく、任意性を事実とするためにきっぱりと否定しなければならなかった。

 だが、録音の危険性を注意されていたにも関わらず、きっぱりと否定はせず、「うんうん」と頷いた。

 「流れの1つ」の「うんうん」ではなく、発言の事実に基づき理解・承認した「うんうん」以外の何ものでもないはずだ。

 当然、取調べと供述調書の任意性・信用性は崩れるはずだし、そのことで終わらず、田代検事が取調べ検事として必要とする合理的判断能力を欠いている職業的逆説性は検事としての欠格性をも証明していると言える。


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沖縄目線ではなく、国家目線の「正心誠意」に則ったウルトラCな特措法回避辺野古沖公有水面埋め立て承認

2011-12-15 10:19:00 | Weblog

 沖縄県知事に許認可権限がある、政府が普天間移設先基地としている名護市辺野古沖公有水面埋め立てに辺野古移設反対の仲井真沖縄県知事が承認しなかった場合、許認可権限を知事から国に移す特別措置法を政府が制定し、国が埋め立てを許可、基地移設を沖縄の意思に反して強引に進めるかどうかが常に問題とされてきた。

 菅前首相の場合はどう扱うか、2010年10月12日の予算委で発言している。

 下地国民新党議員「(沖縄県民が反対し、県知事が反対している)厳しい状況になってくると、何をやるかといったら、特措法をつくる以外に道がないんです。これは、2000年にもつくりましたけれども、県の権限を国がとって、米軍の工事をやるという特措法をつくる以外にないんですけれども、今は、地方分権というような状況の中で、そこまで踏み込んで国が特措法をつくるというふうなことができるかどうかとなると、それも厳しい。非常にこの辺野古の問題は厳しい環境にあるなという認識を持たざるを得ないと思います」

 菅首相「先ほど申し上げたように、私が6月に政権を担当してまだ4カ月でありますけれども、5月の28日にできた日米合意、そこからスタートするという、この考え方は先ほど下地議員にも理解をいただいたと思います。その中で、まず、何が現時点でできるのか、そのことを徹底的に模索をし、あるいは沖縄の皆さんにも説明をし、しかし、決して沖縄の皆さんの声を無視した形で、特措法という言葉も出ましたけれども、そういった形で強引なやり方をするということは念頭に全くありません」(以上衆議院会議録から)

 特措法制定は全く念頭にないと言っている。丁寧な説明で沖縄の理解を得る方法を選択すると。これが菅首相の公式見解であり、菅内閣の公式見解であった。
 
 野田首相の場合は11月17日(2011年)の衆院本会議で答弁している。

 服部良一社民党議員「普天間問題が進展しないことへの米政府や議会のいら立ちは、総理も十分に感じておられるでしょう。米国の求める具体的進展とは、公有水面埋立許可であることは明らかです。

 辺野古移設を強行するため、県知事が持つ権限を奪う特措法を制定することは、将来にわたって絶対にありませんね。総理自身の口から明確に御答弁ください」

 野田首相「普天間飛行場の移設に関し、沖縄県議会の意見書、特措法の制定及び今後の展望などについて、一連の御質問をいただきました。

 普天間飛行場の移設問題については、日米合意を踏まえつつ、同飛行場の危険性を一刻も早く除去するとともに、沖縄の負担軽減を図ることがこの内閣の基本姿勢であります。

    ・・・・・・・・・

 なお、特措法を制定することは、念頭に置いておりません」(以上衆議院会議録から)

 再び同じことを言うが、これが野田首相の公式見解であり、野田内閣の公式見解としていた。

 当然、特措法制定という事実は出てこないことになる。

 だが、少々怪しくなったのは野田首相が「特措法を制定することは、念頭に置いておりません」と、あの金正日ばりに太った腹を一度や二度ではなく、任せておけとばかりに何度でも叩きはしなかったが、ガッチリ太鼓判を押した11月17日の衆院本会議から8日しか経たない11月25日に沖縄県選出の糸数慶子参議院議員の質問主意書に野田内閣が提出した答弁書による。

 NHKニュースで知り得たことだが、「参議院質問主意書」から、その箇所のみを引用してみる。

 糸数数子質問主意書「政府は都道府県知事が許認可権を持つ公有水面の埋立てに関し、許認可権のはく奪を目的とした特別措置法の制定を考慮に入れているのか、明らかにされたい」

 閣議決定した政府答弁書「政府としては、普天間飛行場の移設について、沖縄の皆様の御理解を得るべく、全力で取り組んでいるところであり、現時点において、お尋ねのような特別措置法を制定することは念頭に置いていない

 「現時点において」である。8日前の野田首相の国会答弁は「現時点において」なる言葉を用いていなかった。

 この「現時点において」が将来的な制定の可能性を含ませていると思いきや、言葉の意味を昨日付の「琉球新報」が教えてくれた。《埋め立て 代執行可能 政府、答弁書決定 知事不承認なら》琉球新報/2011年12月14日)

 記事は照屋寛徳社民党議員が提出した質問主意書に対する政府答弁書の情報として伝えているが、残念ながら、「質問答弁経過情報」に「質問主意書提出年月日 平成23年12月 2日」、質問件名「普天間飛行場の辺野古移設に伴う公有水面埋め立てに関する質問主意書」、提出者名「照屋寛徳君」等の情報が記されているのみで、既に政府答弁書が提出されているにも関わらず、肝心の質問主意書の内容も政府答弁書の内容も現在のところ記載されていない。

 記事が伝えている政府答弁書の内容は、防衛省が来年6月頃に仲井真弘多県知事に申請するとみられる名護市辺野古沖の公有水面埋め立て承認に関して、法定受託事務の公有水面埋立法で知事が埋め立てを「不承認」とした場合、県知事の埋め立て許認可権を国に移す特措法の制定という手段を用いずに、〈一般論として地方自治法に基づいて是正指示や代執行などが可能になる場合があるとした政府答弁書を閣議決定した。〉というものである。

 あくまで「一般論」だと、一歩下がった姿勢を見せているが、「念頭に置いていない」「現時点において」へと軽々と意味変換できる「正心誠意」な神経を持ち合わせているのである。「一般論」がいつ「全般論」に豹変しないか、その保証はない。

 地方自治法245条の7項「法定受託事務の処理が法令の規定に違反していると認めるとき、または著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認めるときは、当該都道府県に対して是正または必要な指示をすることができる」 

 仲井真県知事の承認拒否に対して法令の規定違反とすることは難しいから、「著しく適正を欠く」か、「明らかに公益を害している」という理由で是正を求めるか、必要な指示を行うということなのだろう。
 
 「公益」とは、安全保障上の必要性を持ち出して、それを以て「公益」とするのは目に見えている。 安全保障上の必要性は場所を沖縄に特定しなくても、九州であっても地理的優位性は確保できるはずだが、自民党時代に一旦辺野古と決めた過去の例に準ずることしかできない。

 記事、〈県が指示に従わなかった場合、各大臣が高等裁判所に当該事項を行うべきと命じる旨の裁判を請求することができるとしている。〉・・・・

 何というウルトラCなのだろうか。このウルトラCを懐深く隠して、「特措法を制定することは、念頭に置いておりません」と沖縄を安心させてきたに違いない。

 記事は沖縄県に対する過去の「地方自治法245条の7項」の適用例を挙げている。
 
 〈地方自治法をめぐっては、1995年に県が政府との駐留軍用地の賃貸借契約を拒否した地主の代理署名を拒んだが、国は同法に基づいて県に代理署名を行うよう指示。県が従わなかったため、国は署名代行拒否が公益に反するとして職務執行命令訴訟を福岡高裁那覇支部に提起し、96年に最高裁で県の敗訴が確定した経緯もある。〉・・・・・

 照屋社民党議員「特措法を作らないと国が言っても安心してはいけないことが分かった。誠心誠意理解を求める、と言いながら法令に従っていることを強調し、知事の承認事務を代執行しようという思惑があるのではないか」

 「知事の承認事務を代執行しようという思惑があるのではないか」どころか、質問主意書に政府がそう答弁した以上、実行する、ドジョウどころではない、タヌキの腹でいるに違いない。

 例え野田政権が「地方自治法245条の7項」を利用して、沖縄県民の激しい反対運動をかわして辺野古沖公有水面埋め立てに成功し、基地移設を果たしたとしても、沖縄県民の野田政権に対する不信感は辺野古に基地がある間消えることなく記憶され、その経緯は沖縄の歴史という形で記録もされるに違いない。

 その不信感は本土の日本人全体に向けられない保証はない。

 沖縄目線ではなく、国家目線の「正心誠意」に立った野田首相のウルトラCが招く沖縄の地平を超えた政治不信となって広がっていく。

 野田首相の沖縄基地問題に関する「正心誠意」な記者会見発言を振り返ってみる。

 第178回国会野田内首相所信表明演説(2011年9月13日)

 野田首相「普天間飛行場の移設問題については、日米合意を踏まえつつ、普天間飛行場の固定化を回避し沖縄の負担軽減を図るべく、沖縄の皆様に誠実に説明し理解を求めながら、全力で取り組みます。また、沖縄の振興についても、積極的に取り組みます。

 野田首相記者会見(2010年9月30日)

 高塚毎日新聞記者「毎日新聞の高塚と申します。米軍の普天間飛行場の移設問題が、地元では非常にですね、県外移設を求める声がですね、依然として多いと。そういう中で日米合意の履行、つまり辺野古への移設をどう進めていこうというふうに総理、考えていらっしゃいますでしょうか」

 野田首相「これはですね、沖縄において県外移転を望む声、求める声が多いということは私もよく承知をしております。さはさりながら、日米合意にのっとって沖縄の負担軽減をしていくということを基本線に対応していこうというのが私どもの基本的な姿勢であって、それは先般のオバマ大統領との会談の際にも、申し上げました。沖縄の負担を大きく軽減させるという意味においても、私は今の基本的なスタンスというのが第一だと思っておりますので、そのことをきちっと、普天間の危険を除去していくということについてもご理解を頂けるというふうに思いますので、そこはしっかりとご説明をしながら、丁寧にご理解していただくという努力をやっていくということにしていきたいと思っております」

 第179回国会野田首相所信表明演説(2011年10月28日)

 野田首相「普天間飛行場の移設問題については、日米合意を踏まえつつ、沖縄の負担軽減を図ることが、この内閣の基本的な姿勢です。沖縄の皆様の声に真摯に耳を傾け、誠実に説明し理解を求めながら、普天間飛行場の移設実現に向けて全力で取り組みます」

 野田首相記者会見(2011年12月1日)

 野田首相「まず冒頭、国民の皆さま、そしてなによりも沖縄県民の皆さまに、前沖縄防衛局長の発言について、一言申し上げたいと思います。
 報道された発言の内容は極めて不適切なものであり、本人も報道されたように受け取られても仕方がないやりとりがあったと認めております。更迭は当然の処置であると考えます。沖縄県民の皆さまの気持ちを深く傷つけたことについて、改めて私からも心からお詫びを申し上げたいと思います。

 普天間飛行場については、日米合意を踏まえつつその危険性を一刻も早く除去し、沖縄の負担を軽減したい、というのがこの内閣の基本的な姿勢であります。そのため、現在の国の方針に、沖縄の皆さまのご理解をいただけるよう、政府一体となって誠心誠意務めてきたつもりでありました。その誠心誠意が徹底していなかったことは、極めて遺憾であります。改めて、政府全体で襟を正し、沖縄の皆さまのご理解をいただけるよう、全力を尽くしていきたいと考えております

 政府は「真摯に耳を傾け、誠実に説明」、「丁寧にご理解していただく」を基本方針とし、政府の公式見解としてきた。

 その基本方針、政府公式見解を打ち捨てたとき、果して沖縄県民は許すだろうか。

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前原政調会長の短絡的・単細胞な小沢“日米中正三角形”相互関係論批判

2011-12-14 11:18:55 | Weblog

 前原民主党政調会長が小沢氏が持論としている“日米中正三角形”相互関係論を批判した。12月12日(2011年)の都内での講演の場で批判したそうだ。《前原氏「日米中、正三角形でない」 小沢氏の持論批判》asahi.com/2011年12月12日20時53分)

 前原政調会長「党内に『日米中は正三角形だ』と言った方もいたが、同盟関係を結んだ国とそうでない国との関係が正三角形であるはずがない。地域の安全保障のため、米国との関係をさらに強固にすべきだ」

 今なぜ小沢氏持論、“日米中正三角形”相互関係論を持ち出して批判したのか、勘繰るしかないが、最近、小沢氏が野田首相消費増税路線を批判し出したことに対する、他に材料がないことから選択した牽制だと疑えないことはない。

 記事は来年の展望に関わる発言も伝えている。

 前原政調会長「野党が真摯(しんし)な議論に応じないなら、日本政治も大きく変わる可能性がある。野田佳彦首相は3~4年、リーダーとして頑張ってほしい。支えていく」

 この発言の前半部分を記事は、〈衆院解散・総選挙の可能性〉への指摘だとしているが、日本政治が「大きく変わる可能性」とは勿論のこと自民党への政権交代の可能性ではなく、政界再編を念頭に入れた、「大きく変わる可能性」であろう。

 だが、「野田佳彦首相は3~4年、リーダーとして頑張ってほしい。支えていく」という覚悟を実際に持っているのだとしたら、この発言にしろ、12月4日の大津市講演での「(首相が)ころころ代わるのは、どの政権でも海外では腰を据えて話をできない国と思われ、国益を損なうことになる」という発言にしろ、口にする必要はなかったはずである。

 二つの発言は支持率を急激に下げていることから、党内から野田退陣論が噴き出すことへの前以ての牽制であり、予防線なのだろうが、この場合の「支えていく」とは野田首相自身の求心力を力学とした、野田首相自身が主役の内閣維持を言っているのではなく、極く身近な第三者の、それなくして立たない支えを力学とした、第三者が主役となる内閣維持の言いであって、裏を返すと、退陣論噴出の状況になりつつあることを自ら証明して、野田首相の実行力やリーダーシップ(=指導力)、あるいは政権運営能力などの程度を対立関係にある勢力が言うならまだしも、味方勢力である自分の方から曝け出す発言にもなるからだ。

 「就任してから、まだ3カ月余。スピードアップしていけば、国民の理解を深めていくことができるだろう」と、あくまでも野田首相を主役・中心に据えて言うべきを、自らしゃしゃり出ないでは済まない目立ちたりがり屋だけあって、自分を主役・中心に置かないと済まないらしい。

 首相が支持率を下げていく状況下で閣僚や党幹部が首相を主役や中心の座から降ろして自分たちをそこに置き替え、「支えていく」と言い出したなら、首相自身の存在理由の支持率の否定に重ねるなおさらの否定となる。

 前原政調会長が言っている「同盟関係を結んだ国とそうでない国との関係が正三角形であるはずがない」はまさに正論である。

 但し現状に於いてはという条件をつけなけれがならない。

 確かに「地域の安全保障のため、米国との関係をさらに強固にすべきだ」ろう。

 だが、現時点ではアメリカと同盟を結び、軍事的に中国と対立関係にあるとしても、将来に亘って現状維持の関係でいいわけはないはずである。

 安全保障面に関して将来的にも米国一辺倒の関係進化で日本の安全がすべて片付いていくのだろうか。安全保障面に於ける日米の緊密化、もしくは密着化は一方で日中の安全保障関係を現在以上に疎外化、もしくは対立化する方向に進める危険性を常に孕むはずだ。
 
 2010年9月の尖閣諸島沖中国漁船船長逮捕をキッカケに日中双方が尖閣諸島の領有権を主張して相譲らず、対立することとなり、緊張が生じた。日本政府は「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という立場を取り、「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土だ」と主張して止まないが、中国の「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国固有の領土である」の主張をクリアできないでいる。

 いわば依然として中国は釣魚島を自国領土としている。

 中国が軍事行動を以てして尖閣諸島を直接的に侵犯した場合、アメリカは、「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象範囲内である」と表明、日米共同して尖閣の防衛に当たることを確約した。

 だが、「原発安全神話」からしたらまさに想定外の福島原発事故が勃発したように日中間の安全保障関係がちょっとしたキッカケでバランスを失い、想定外の軍事的衝突に発展しない保証はなく、発展した場合、日中双方共に経済的にも信頼関係上も大きな傷を負うことになる。

 現在以上の疑心暗鬼が渦巻き、経済の回復はもとより、信頼回復に時間がかかることになるだろう。

 確かに現在の中国は軍事費の不透明性や他国の主権を侵害するような海洋権益の拡大、漁船の強引・無法な違法操業等に見る無法国家状態の体をなしている。

 この無法性こそが想定外の危険な突発事態を誘発しかねない潜在的な導火線と言える。意図的に導火線の点火スイッチを入れる場合もあるだろうし、意図しない複合的要因から点火スイッチが勝手に入ってしまう事態も想定可能である。

 日中が軍事的に衝突することになってから、あるいは一方的に軍事攻撃を仕掛けられてから、そこにアメリカが日米安全保障条約締結国としての役目上、軍事介入してきた場合、双方の攻撃が拡大して、日本を巻き込んだ戦争状態に突入する場面も想定しないわけにはいかない。

 となると、日本の安全を考えた場合、日米安保条約及び日本に於ける米軍の存在はあくまでも中国や北朝鮮の軍事介入、軍事行動を前以て牽制・抑制する役目に限定すべきであり、その役目を超えた場合、有傷の対処療法とはなり得ても、無傷の原因療法とはならないと見なければならない。

 発火の予想もつかない導火線を解除し、中国の無法性を取り除く、日本やアメリカ、あるいはその他のアジアの国々にとって無傷の原因療法となり得る有効な手立ては中国の一党独裁体制から民主体制への移行を外から僅かずつでも働きかけること以外に方法はあるだろうか。

 アメリカはその努力が実を結んだとは言い難いが様々に手を打ってきた。中国人人権家でノーベル平和賞受賞の劉暁波氏が中国当局に逮捕・拘禁されたとき、欧州の首脳と共に劉暁波氏の釈放を中国政府に求めたのも、民主化への働きの一つであったろう。

 だが、当時の我が日本の首相だった菅直人は尖閣沖中国漁船船長逮捕事件以後のことであったために中国の圧力・報復を恐れて、釈放要求はできず、「劉暁波氏が釈放されることが望ましいということを総理大臣として申し上げている」(10月14日参議院予算委員会)と、中国には直接的には届かない形式の間接的希望で完結させ、中国の民主化体制への移行を働きかける外交姿勢を何ら見せず仕舞いであった。

 小泉元首相は2011年9月5日、東京・大手町のサンケイプラザで開催の日本取締役協会主催シンポジウムで講演し、日米中「正三角形」論に関して次のように発言している。

 小泉元首相「中国は経済的にもっとも重要な国だが(相互の)安全が確保されていない限り、いかなる政策も進められない。あれだけの戦争をして領土を全部返した米国と、沖縄・尖閣諸島を自分の領土だと主張している中国と同じ関係でいいという議論は私はとらない」(MSN産経/2011.9.5 19:48))

 記事は日米同盟関係の堅持・進化の重要性の主張だと解説しているが、一方の日本と中国との関係は前原政調会長と同様の軍事的対立のより危険な現状維持論となっている。

 アメリカが軍事的に中国をいくら牽制しようとも、尖閣諸島を挟んだ領有権問題に端を発した、あるいは中国漁船の違法操業に端を発した日中の軍事衝突が突発しない保証はどこにもない。

 中国に対する民主体制移行への働きかけを省いたまま沖縄近海の島嶼地域に自衛隊を配置し、中国がこのことに対抗して日本に対する軍事的圧力を強めた場合、突発の危険性が高まることが予想される。

 あるいは直接的には軍事行動を取らなくても、経済的に様々な手を使って日本に圧力を掛けることも考えられる。

 中国の様々な無法性を無効化する唯一有効な原因療法は一党独裁体制から民主体制への移行であることは誰も異論はないはずだ。
  
 外から民主体制への移行に努めて中国と日本を含めた民主国家との間に横たわる中国の無法性から発した様々な障害を解決して、日米中が「正三角形」関係となってもいいわけである。

 少なく当時民主党代表だった小沢氏は2008年5月7日、胡錦涛主席と会談、当時の前原副代表が同席、本人が「小沢氏が山猫の話をしたのを覚えている」(MSN産経/2010.12.28 18:09)と証言している以上、事実中の事実なのだろう、映画『山猫』を話題に持ち出して、そのセリフの一節を引用、〈「変わらずに残るためには変わらなければならない」と中国共産党独裁体制の転換を求めた〉(同MSN産経)ということだから、日中の軍事的対立の現状維持論ではなく、外からの民主体制への移行を働きかける立場に立っていると言えるし、このことを念頭に置いた小沢“日米中正三角形”相互関係志向という可能性も否定できない。

 また中国共産党独裁体制の転換を推し進める人脈を中国との間に築いている可能性も捨て切れない。

 当然、日米・中の軍事的な対立を超えた将来的な日米中関係と考えた場合、小沢“日米中正三角形”相互関係論は決して間違っていると断言できないはずだ。

 批判する前原政調会長の視野の狭い、短絡的・単細胞の思考の方をこそ、憂える。

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野田首相の実行力欠如理由と菅前首相同様の“コロコロ交代”が現実味を帯びつつある内閣支持率

2011-12-13 10:48:04 | Weblog

 昨日今日発表の各マスコミ世論調査の野田内閣支持率が軒並み下がり、ついには支持と不支持が逆転のターニングポイントを目出度く(?)迎えた。

 12月6日(2011年)当ブログ記事――《野田首相就任3ヶ月目にして早くも飛び出した首相擁護の前原“コロコロ交代忌避発言” - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》でも野田首相の“コロコロ交代”の可能性について触れたが、内閣支持率を見る限り、菅前首相が「首相がコロコロ交代するのは良くない」という消極的支持で首をつなげてきたにも関わらず、コロコロ交代の餌食となったのと同様に世論調査評価が野田首相本人の政治姿勢が反映していることを加味すると、“コロコロ交代”がなお一層現実味を帯びてきたのではないかと思えてならない。 

 いわば菅前首相のときのように多くの閣僚や多くのマスコミ、多くの世論が“コロコロ交代”に反対しようとも、その反対をドブに捨ててしまって生かし切れなかったように野田首相にしても同じ運命を辿るのではないかという予感である。

 先ず今回のNHK世論調査を内閣支持率・不支持率に限って見てみる。《内閣支持率37% 不支持が逆転》NHK NEWS WEB/2011年12月12日 19時22分)

 12月9日から3日間、全国の20歳以上男女1645人対象、61%1005人回答だそうだ。

 野田内閣

 「支持する」 ――37%(前回調査-8ポイント)
 「支持しない」――42%(前回調査+12ポイント)

 支持する理由

 「他の内閣より良さそうだから」――45%
 「人柄が信頼できるから」   ――31%

 支持しない理由では、

 「政策に期待が持てないから」――39%
 「実行力がないから」    ――34%

 次に9月2日(2011年)首相就任以来の内閣支持率・不支持率を見てみる。

 9月9日から3日間の調査。

 野田内閣

 「支持する」 ――60%
 「支持しない」――18%

 支持する理由

 「他の内閣より良さそうだから」――36%
 「人柄が信頼できるから」   ――33%

 支持しない理由では、

 「政策に期待が持てないから」   ――36%
 「支持する政党の内閣ではないから」――24%

 10月8日から3日間行った世論調査。

 野田内閣

 「支持する」 ――53%(前回調査-7ポイント)
 「支持しない」――27%(前回調査+9ポイント)

 支持する理由

 「他の内閣より良さそうだから」――38%
 「人柄が信頼できるから」   ――30%
 「支持政党の内閣」      ――11%
 
 支持しない理由

 「政策に期待が持てないから」  ――36%
 「実行力がないから」      ――20%
 「支持する政党の内閣でないから」――24%

 11月11日から3日間行った世論調査。

野田内閣

 「支持する」 ――45%(前回調査-8ポイント)
 「支持しない」――307%(前回調査+3ポイント)

 支持する理由

 「他の内閣より良さそうだから」――39%
 「人柄が信頼できるから」   ――34%
  
 支持しない理由

 「政策に期待が持てないから」――40%
 「実行力がないから」    ――24%

 そして今回12月の世論調査。支持と不支持が逆転を見た。

 問題は菅前首相の世論調査との共通点である。退陣前の8月5~7日NHK世論調査を見てみる。

 菅内閣

 「支持する」 ――18%(前回調査-2ポイント)
 「支持しない」――65%(前回調査+3ポイント)

 支持する理由

 「他の内閣より良さそうだから」――44%

 支持しない理由

 「実行力がないから」――40%(以上)

 この世論調査では「支持する理由」と「支持しない理由」が一項目ずつしか記載されていない。退陣が決まっていて、今更人柄を尋ねても仕方がないと考えたのか、尋ねるまでもない人柄だと世間に知れていると考えて調査項目に加えなかったの、どちらなのだろうか。

 支持する理由の上位は野田首相の場合は「他の内閣より良さそうだから」、「人柄が信頼できるから」であり、菅首相の場合は「他の内閣より良さそうだから」が占めていて、肝心要の政治的才能とは無関係の漠然とした雰囲気が評価対象となっている。

 「他の内閣より良さそうだから」、「人柄が信頼できるから」のみでは政治は動かないにも関わらずである。

 支持する理由の中に一国のリーダーとして必須の政治的才能もしくは政治的能力を示す「実行力」、「政策への期待」が上位を占めずに支持しない理由の中で上位を占める逆説を両者共共有の成果としている。

 野田内閣の場合、就任直後の世論調査から、60%の内閣支持率を獲得していながら、支持する理由が「他の内閣より良さそうだから」、「人柄が信頼できるから」が上位を占め、「実行力」及び「政策」への期待が記事に顔を出していなかった。

 逆に不支持の上位を占める理由となっていた。

 そして同じ傾向のまま、いわば国民が評価できる「実行力」及び「政策」はないと見做されたまま、ズルズルと内閣支持率を下げていった。

 一国のリーダーに必要とされ、最大限期待される政治的資質は「実行力」であり、政策能力、そして政策遂行能力であるはずだが、期待とは裏腹の経緯を辿った。

 何を以て国民は野田首相を「政策に期待が持てない」とし、「実行力がない」と評価しているのだろうか。

 例え中低所得の国民であっても、確信を持って消費税増税があっても生活していけるんだと将来に安心が持てる消費税増税の設計図を描いて見せないうちに国内でならまだしも、11月のカンヌG20サミットで、「法案を通して、税率の引き上げの実施前に国民に信を問いたい」と国際公約したばかりか、消費税増税の話ばかりが先行して、一向に消費税増税の設計図が完成しない。

 期限を区切って早急に完成させて、どのような疑問をぶっつけられようとも国民が広く納得し得る説明を行うとする意思さえ示さない。

 このことは消費税増税の設計図を描く実行力を欠いていることの証明以外の何ものでもあるまい。国民はこのような経緯を嗅ぎ取って、「実行力」評価に辛い点をつけているはずだ。

 消費税増税の設計図を描く実行力を欠いたまま、財政再建や年々増え続けていく社会保障給付費を賄うには増税は避けて通れないと必要性だけを言う。

 また、2009年度税制改正法の付則104条は税制抜本改革の前提として「経済状況の好転」を明記していることに関して、野田首相は11月21日の参院予算委員会で消費税増税は「経済の好転は前提ではない。消費税率を10%に段階的に引き上げていく時の経済状況を重点的に書いてある。今の景気判断とは別」(毎日jp)と答弁、いわば消費税増税のときに景気回復していれば付則104条の障害とならないとしたが、だったら、消費税増税までにどのような経済政策を以てどの程度に景気回復を図るのか、経済成長を何%に上げることを目的としているのか、政策の中身と景気回復のプロセスを描き、説明すべきを、そのことに対する実行力を示しもせずに、12月9日の臨時国会閉幕に際しての記者会見では、「実際に国民の皆さまにご負担をお願いする際には、経済の状況を慎重に見極める必要があります」と、自らの政策力、実行力、指導力で以って消費税増税までに景気回復を果たして付則104条の障害を取り除きますと一旦口にしたことを果たすのではなく、そこから一歩も二歩も後退する実行力のなさを逆にさらけ出す始末である。

 誰が「実行力」、「政策」に評価を与えることができるだろうか。

 このことはTPP参加問題でも同じ構図を描いている。

 TPPに参加しても、日本の農業は大丈夫だ、医療制度も大丈夫だ、様々なコストが下がり、国民生活はゆくゆくは豊かになる、日本全体の経済活動ばかりか、国民の社会活動も活発になると各産業分野の発展予想図を具体的に描いて、国民に将来を約束する納得できる説明を先ず先に持って来るべきを、TPP参加のテーブルに着いて、交渉してみなければ分からないといったことを言っている。

 また、野田首相は消費税増税前に政治の側が先ず身を削る、その矛先を公務員給与削減や国会議員の定数削減等と定めていながら、その公約を果たしもしないちに消費税増税を先行させていることも、公務員給与削減や国会議員の定数削減等の公約実現に向けた実行力のなさの証明となっているはずである。

 野田首相がかくも実行力を欠いている原因は自らがモットーとしている「安全運転」志向が阻害している能力に違いない。

 一国の首相が自らの政治信念を貫くためには危険運転も辞さない強い姿勢、強い覚悟を必要とする。安全運転からはそういった姿勢は生まれない。何日か前のブログに、〈安全運転は自己保身意識に重きを置く姿勢である。自己保身にウエイトを置いた政治家は国民という他者を相手に冒険はできまい。自己保身は他者保身と相対立するからである。〉と書いたが、危険運転は自己保身を無縁とし、そこから実行力が生まれていくる。

 当然、危険運転は他者保身をあくまでも目的とすることになる。目的が叶わなかった場合、職を辞する責任を取る以外にあるまい。職を辞する責任も視野に入れていなければ、他者保身の危険運転はできない。

 安全運転一方の野田首相にそれがない。

 9月14日(2011年)の《野田総理官邸ブログ【官邸かわら版】 「初めての所信表明を終えて」》に、〈演説で申し上げたとおり、野田政権が取り組むべき課題は、明らかです。東日本大震災と世界的経済危機という「二つの危機の克服」。そして、「誇りと希望ある日本の再生」。一言で言えば、「国家の信用」の回復です。あとは「実行」により、全力で「結果」につなげます。 

 「正心誠意」という言葉が誤字ではないか、との指摘を多くいただきました。私の今の思いをよく表しているのは、勝海舟が使った「正」という字を使う方です。「意を誠にして、心を正す」という姿勢で、すべての国民が力を合わせ、「国力の結集」を図っていく。それが私の心からの願いであり、覚悟です。〉と書いているが、唯一絶対必要とする実行力を欠いて、どのような美しい言葉を掲げたとしても、自身を尤もらしげにに飾る言葉で終わる。

 「お断りと謝罪」

 野田首相のいう「正心誠意」を「誠心誠意」と間違えて表記していました。謝罪します。この謝罪をするために、上の一文を書き込みました。

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菅前首相のTBS番組出演での東電撤退問題証言の食い違いと相も変わらぬ指導力・責任意識に対する無自覚

2011-12-12 12:45:05 | Weblog

 菅前首相が12月7日にTBSテレビ番組に出演して、再度東電の原発事故発生時の撤退問題を証言していることを「時事ドットコム」記事が伝えている。《東電撤退「伝達あった」=原発事故で菅前首相》(2011/12/07-11:00)

 東電側が撤退の意思を伝えたことを否定していることに対する再度の否定である。

 最初の否定については、2011年9月15日当ブログ記事――《菅直人はその原発事故初期対応から見て、実際に一国のリーダーだったのだろうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之
と、2011年9月20日当ブログ記事――《菅仮免のウソを言い、誤魔化しているとしか思えない時事通信インタビューのベント遅れと避難指示の妥当性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 上記「時事ドットコム」記事は菅前首相の証言を次のように伝えている。

 菅前首相「直接の話は清水正孝社長から海江田万里経済産業相、枝野幸男官房長官(いずれも当時)にあった」

 「直接の話は」は菅首相にはなかったとしている。

 12月2日纏めの東電社内調査委員会中間報告で撤退伝達を否定していることについて――

 菅前首相「東電はその後、全面撤退ではなく一時避難だと言っているが、受け止めた2人(海江田、枝野両氏)は『撤退したいという話で重大な問題だから』と私に話があった」

 二人から「私に話があった」のであって、清水東電社長から「私に話があった」のではないという意味の発言であり、前の発言の 「直接の話は」自身になかったとしていることと符合する。

 いわば清水東電社長の撤退意思は社長本人からではなく、海江田、枝野の両氏から伝えられたことになる。

 ということは、清水社長は撤退意志を江田、枝野の両氏に伝えたのみで、その時菅首相には会っていなかったことになる。

 菅前首相は2011年9月2日に野田首相と交代している。その後、各マスコミのインタビューを受けた。その一つで、記事発信の9月17日にインタビューを受けたのだと思うが、上記当ブログ記事で用いた《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)では会ったことになっている。

 撤退に関する箇所のみ再度引用する。
 
 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに「東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」

 他の記事も参考にして、当時の官邸と東電の動きを時系列で書き留めてみる。

 2011年
 3月15日午前3時頃  ――菅、海江田経産相から、東電が撤退の意向を示していることを伝えられる。
 3月15日午前4時過ぎ ――菅、清水東電社長を官邸に呼ぶ。
 3月15日午前5時半過ぎ――東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴った
              とされる。

 菅前首相は9月17日の時点では清水東電社長に会ったと言っているのだから、その事実にウソはないはずだ。ウソだったとしたら、奇妙なことになる。

 「『とんでもない話だ』と思った」以上、海江田経産相(当時)から報告があってから、早急に清水社長を官邸に呼びつけたはずだ。それが海江田経産相から報告があった3月15日午前3時頃から約1時間後の4時過ぎというのは、次の菅首相の東電が撤退した場合に予想される切迫状況からしたら、遅すぎる約1時間後に見えないことはない。

 菅前首相「(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、(避難区域を半径3キロ、10キロ、20キロと拡大させた対応は)当時の判断として適切だと思う」――

 東電の撤退を阻止したから、当初の避難対応の判断は適切だと言っているが、3月11日21時23分の第1回目の第1原発3キロ圏内避難指示と3~5キロ圏内屋内退避指示、そして3月12日5時44分第2回目の第1原発半径10キロ圏内避難指示は海江田経産相を通して東電清水社長から撤退を伝えられた3月15日午前3時頃以前のことで、撤退は想定していなかった時点の避難指示である。時間のズレ・状況のズレを無視して、当初の避難対応を正当化する強引さを無視している。

 上記2つの当ブログの内、最初のブログに取り上げたインタビューでの菅首相の証言は次のようになっている。

 《菅前首相 原発事故を語る》NHK NEWS WEB/2011年9月12日 5時24分)

 菅仮免(清水東電社長を官邸に呼び出して)「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」

 やはりこのインタビューでも清水東電社長と会ったことになっている。

 以上会ったとする証言とTBS番組の証言は食い違いを見せている。証言の後退と見ることもできる。

 この食い違い、後退は何を意味するのだろうか。首相退陣当時の証言をウソとすることになる。

 このことの無責任も然ることながら、何よりも問題としなければならないことはNHKインタビューのこの発言から窺うことができる一国の首相としての、また原子力災害対策本部長としてのリーダーシップ(=指導力)、責任意識に関わる認識を、清水東電社長と首相官邸で会った3月15日からTBS番に出演した12月7日の今日に至るまで欠いたまであるということである

 東電が撤退した場合、「六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない」と、撤退という選択肢は絶対的にあり得ない緊急事態にあったと言っているのである。

 この認識をいつ把握したのか、後付け臭くていかがわしい限りだが、少なくともNHKやその他のマスコミからインタビューを続けて受けた当時には把握していた認識である。

 例え後付けであっても、TBS番組に出演した12月7日から遡ると、3ヶ月前以前には菅前首相が認識していた、東電撤退の場合の想定可能な緊急事態であった。

 当然、撤退という選択肢は絶対的にあり得ない緊急事態にあったと認識した時点で、それが東電社長と実際に面会したあとであったとしても、一国の首相として、また原子力災害対策本部長として清水東電社長と面会したとき必要とした責任は何であったか、後からでも即座に気づかなければならなかったはずだ。

 撤退という選択肢は絶対的にあり得ない緊急事態にあった以上、一国の首相として、また原子力災害対策本部長として撤退という選択肢は絶対的にあり得ない緊急事態だということをその場で説得し、納得させる指導力を発揮しなければならなかったろうということであり、そうすることが一国の首相に、または原子力災害対策本部長に課せられた責任としなければならなかったろうということである。

 海江田経産相からなのか、枝野官房長官も加えてのことなのか、彼、もしくは二人から東電撤退を伝えられた時点で撤退という選択肢は絶対的にあり得ない緊急事態だということを認識したとしたなら、なおさらに説得するだけの指導力を発揮する責任を有していなければならなかった。

 それを説得に向けて何ら指導力も発揮せず、自身に課せられた責任が何であるかも認識せずに、「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」と指導力も責任も発揮しなままに済ませている。

 東電本社にわざわざ乗り込まずに、その場で説得する指導力を発揮する責任を負っていたはずであるし、その責任を示さなければならなかったはずだ。

 そして3ヶ月経ってTBS番組に出演して、以前証言していた清水東電社長との面会は消去して、相変わらず清水社長から撤退の話があったなかったと、その点にのみ堂々巡りしている。

 いわば撤退話があった、なかったよりも、あった場合に撤退を即座に思いとどまらせる自身の指導力が問題であり、その責任を負っていたことに今以て気づいていない。

 最初から最後まで、一国の首相としての、あるいは原子力災害対策本部長としての責任意識と指導力を欠いていたからこそ、「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」といった、説得し納得させる指導力を発揮できない自らの無能をさらけ出す発言を可能としたのであり、時事ドットコムのインタビューで、「社長は否定も肯定もしなかった」と言っているように社長をしてそのような態度を取らせるに至ったのだろう。

 このように指導力も責任意識も欠いていたことを自ら気づかない政治家が気づかないままに1年3ヶ月あまりとは言え、首相を務めていた。

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