大方のマスコミが菅仮免に対する6月退陣の圧力が強まってきたと書いている。後は菅仮免の、自身はしないと言っている「職に恋々」とする抵抗がどこまで続くかであろう。
昨日のTBS「ひるおび」で時事通信社の編集長だかが、菅首相は市民派出身で2世議員ではない、2世議員は親から貰った地位という感覚があって地位に執着しないが、菅仮免は4回だか衆院選に落選し、大抵は諦めるのだが、本人は諦めずに自分で苦労して議員の地位を獲得し、自分の力で首相の地位にのぼりつめたから、逆に執着することになっていると言っていたが、例え苦労してやっとのことで手に入れた地位であったとしても、自身の最終的な進退の決定はあくまでも自分が今現在置かれている立場、能力や求心力等の点から見た必要性、必要性の有無が決定づける可能性(最初から必要性に応えることができずに可能性殆んどゼロだったが)等を省察する客観的判断が決めることであって、苦労して手に入れた云々の執着心は進退決定の条件としてはならないはずだ。
にも関わらず、解説どおりに苦労して手に入れた地位だとする執着心からかどうか分からないが、自分がどういった立場に立たされているか客観的に自己省察する手続きを省いて、「職に恋々」一方の判断のみが働いているようだ。
2010年6月8日に首相に就任、1年の短日月の内に今日のようなもはや必要とされない存在と化したのは、何よりも自身の指導力欠如、統治能力欠如に拠るが、それをどうにか補う数の力を不用意な消費税増税発言に端を発してねじれ国会を生じせしめることとなった2010年7月の参院選大敗で失い、そのツケとしてある現在の惨憺たる情けない状況であろう。
愚かしくも参院選大敗を「熟議の国会」を導き出す「天の配剤」だと称した。野党は自らの政策を掲げ、その優越性を訴えて選挙で勝利し、その政策の実現を図るべく与党を倒すことを使命とする。民主党がつい最近辿ってきた道である。それを忘れ、野党の使命に目を向けることができずに参院選大敗を「天の配剤」としたが、「熟議の国会」はオオカミ少年の「オオカミが来た」と同然の虚構に過ぎなかった。
菅仮免の現状を演出したもう一つの要素は内閣と党の主要人事からの小沢氏と小沢グループ排除を挙げることができる。時々の排除で一旦は支持率を稼ぎ、2010年9月の民主党代表選では世論を味方につけて首相の地位を維持できたが、その排除が逆に党内抗争・党内対立を生み出すしっぺ返しを受け、それを満足に統治できない菅自身の指導力の欠如をなお一層浮き立たせることになった。いわば自分で自分の首を絞めることとなった小沢氏と小沢グループ排除であった。
この間、岡田幹事長は党として菅首相を選んだのから、菅首相の元に一致団結すべきだと盛んに言っていたが、組織の統一はリーダーの指導力と統治能力を以ってしてメンバーを一致団結させる上から下への力学を必要事項とするのであって、いくら下から上の力学で組織の統一を得たとしても、リーダーが指導力・統治能力、あるいは組織運営能力を欠いていたなら、初期的に纏まったとしても次第に纏まりを欠くことになる。
要するに岡田幹事長は客観的に判断できないままに肝心のリーダーの資質に一切目を向けない欠陥だらけの組織論を掲げて、却って菅仮免の資質のなさに役にも立たないままに蓋をしてきたに過ぎない。
実際に役に立たない蓋に過ぎなかったから、今日の菅仮免の情けない現状がある。一政党の幹事長でありながら、リーダーを擁護するあまり客観的判断能力を曇らせる、この資質の欠陥は何と称したらいいのだろうか。
ここに来てポススト菅として仙谷由人が注目され出したようだが、仙谷ははぐらかしの名人であり、黒を白と言いくるめる権謀術数家、危険なマキャベリストである。国民が必要としても、政権が不利となる情報の開示は自分の都合だけで隠し、国民に対する説明責任を平気で曖昧にする、決して国民に利益とならない策士である。このことは過去の例が如実に示している。
昨年の2010年9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件で逮捕した中国人船長を菅内閣はこぞって「国内法に従って粛々と対応する」と公言・公約しておきながら、「我が国国民への影響や、今後の日中関係を考慮」するとの理由で船長を処分保留で釈放したのは公約としていた国内法から離れて、あるいは国内法を無視して日中の経済関係、政治関係を考慮した、極めて政治的な対応、政治介入が演出した釈放であったはずだ。
このことは有名になった2010年10月10日の参議院決算委員での自民党丸山和也議員の質問に対する仙谷官房長官の答弁が証明していることであり、仙谷が如何にはぐらかしの名人であるか、陰険な権謀術数家であるかを証明している。
政府が処分保留で釈放したから、丸山議員はどうなっているのだと仙谷官房長官に電話を入れた。
丸山議員「国内法に従って粛々とやる。訴追して、判決を下して、それから送還するなりする、それが法律に従って粛々やると言うことでないか」
仙谷の電話での回答。
仙谷「そんなことをしたら、APECが、吹っ飛んでしまうぞ。そこまでやってええつうんなら、だったら別だけどね、吹っ飛んでしまうぞ」
丸山議員が「APEC開催のために船長を釈放したのか」といった趣旨で問い質すと、健忘症を装ってはぐらかした。今まで良好な関係にあった国家間の関係が悪化したとしても、それは一時的なもので、早晩修復される。良好な関係を必要とする利害を双方が共通項としていたからこその両国関係なのだから、その関係が悪化することによってもたらされる利害の損失は国益の損失にもつながるために修復に迫られることになる。
だが、中国の邦人拘束や禁輸等の手段を使った脅しに屈して船長を釈放した。それが経済的損失・政治的損失が長引くことを回避する手段であったとしても、いずれは修復されることを予測して腹を据えるのではなく、中国の圧力に屈したこと自体の毅然とした態度を示し得ず、ちょっと圧力を加えたら、日本は屈するという前例をつくることとなった日本政府の姿勢、国家のプライドという点で日本の国益を確実に損なった。
仙谷が主導した釈放だと言われているが、例え主導ではなく、菅内閣が共同して行った釈放だったとしても、影の総理、官房長官として菅内閣の柱となっていたのである。国益を失わせた点で同罪か、それ以上と看做さなければならない。
何を慌てふためいたのか、権謀術数が過ぎて、中国の圧力に簡単に屈して船長釈放に走り、その後にも影響する国家のプライドという点での国益を損なわしめるような政治家が果して首相の座に就くことが許されるだろうか。
菅仮免は6月2日の代議士会で、「震災に一定のめどがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんに、いろいろな責任を引き継いでいただきたい」と発言した。
この退陣示唆を受けて、民主党内では菅仮免よりも「若い世代」をポスト菅に就けるべきだとの議論が行われている。
だが、このことは菅仮免が個人的に発言したことで、民主党のルールとなっていることでも、党の総意として決めたこともはない。独裁体制の民主党と言うことなら、トップの発言はそのまま法律とすることができるが、菅仮免自体が独裁体質を資質としていたとしても、残念ながら、党自体は独裁体制を敷いているわけではない。
誰が最も指導力と統率力に優れいるのかの資質・能力で選択すべきであるし、年齢・世代が資質・能力を保証する要件とはなるわけではない。
菅仮免は元々合理的な判断能力に欠けるから、資質・能力まで考えることができずに、単に小沢元代表に渡したくない復讐心から、「若い世代」としたのだろう。
トップの資質・能力こそが何よりも日本の発展を促し、その発展促進が併せて民主党の発展を保証する。
谷垣自民党総裁は昨6月6日、熊本市で記者会見し、菅退陣後の政治の枠組みについて発言している。《谷垣総裁 新執行部見て判断》(NHK/2011年6月6日 19時20分)
谷垣「今の段階ではまだ早い。民主党は、権力闘争の真っ最中で、その権力闘争の結果、何が出てくるのか分からない。責任から逃れるつもりはないが、民主党内で政策の方向性を打ち出していける体制ができるのかどうかを見ないといけない。無原則な話であってはならない」
その上で、民主党の新しい執行部が子ども手当など党の政権公約をどのように扱うのかを見極めたうえで対応を判断する考えを示したという。
この記者会見前の講演では菅仮免の退陣時期について次のように話したという。
谷垣「復興基本法は大事な法律であり、自民党の提案を与党が九分九厘、丸飲みしたので、与野党で案が出来ている。これをやったら、菅総理大臣は一日も早く退陣するべきだ。そうしないと難しいことをやっていく力が日本の政治に生まれない。6月中にも退陣すべきだと思っている」
自民党は民主党の子ども手当に反対している。菅内閣は子ども手当を破棄して、自公の児童手当に擦り寄ろうとしている。
だが、自民党の政策を常に正しいとするなら、今日の日本の混迷・停滞はなかったろう。所詮菅内閣は財源を生み出すだけの能力を発揮できずに参議院の数の論理に押されて方向転換した政策の正否に過ぎない。
子ども手当によって子どもを生みやすく、育てやすくして、そのことによって生じた経済的な余力を少しでも子どもの教育に振り向けさせる社会的土壌を形成した上で出産・育児への投資と併せた教育への投資が将来的に生み出す国の力、国の活力を信じて、必要財源の5兆円何がしかを先ず配分し、財政上許される予算を残りの事業に振り分ける強引な予算編成で以て解決できない問題ではないはずだ。
産みやすい上に育てやすく育った子どもたちと教育が将来的に生み出す国の力、国の活力と差引きしたなら、現状の予算縮小に伴う国の活力の縮小は取り戻せないわけではあるまい。
また、子ども手当財源を多額の財源を必要としている震災復興に向けるべきだとする主張があるが、子どもと教育への投資が将来的な社会の活力となり得る国家のありようは復興後も続く光景であり、そうである以上、復興とは別に扱うべき優先的課題とすべきであろう。
子ども手当の撤回を正しい選択とする前提を持ち出すことによって与野党共に民主党内で子ども手当の履行をマニフェストどおりに求める小沢グループ等を排除する論理としているが、このことも上記説明によって排除の論理とすることの正当性を失う。
岡田幹事長が菅仮免の仮免のままの退陣後の代表選を党員及びサポーターも参加して行う場合、「数か月かかり、秋になる」(NHK)からと、民主党所属議員のみの代表選となる可能性に触れたということだが、2010年9月の小沢元代表と菅仮免が立候補した代表選では国会議員票は6票差で菅仮免が上回ったのみだったが、地方議員・党員・サポーターの票に限っては小沢アレルギーの世論に阿諛追従したの彼らの圧倒的支持を受けて、菅仮免は大差をつけることができた。
だが、その支持・評価は翌年7月の参院選を契機にメッキが剥がれ、今日役に立たない虚構と化すことになった。
常に間違うと断言できないが、2010年の代表選に限って言うと、菅仮免を支持して一票を投じた国会議員を始め、地方議員、党員、サポーターの判断は間違っていたことが証明されることになった。無能な政治家を指導者に選んだ。指導力もない政権担当能力もない菅仮免を首相の地位に就け、小沢元代表を首相の地位から排除する間違った審判を下した。
この歴史は勿論、遣り直しはできない。だが、間違えた判断・審判であったことは事実である。2010年9月の時点に歴史を巻き戻して遣り直しはできないが、当時の菅仮免を支持・評価した判断・審判の歴史を見直して、あれは間違いだったと小沢氏の名誉回復を図ることはできるはずである。
但しこの名誉回復は単に菅仮免を首相に就けたのは間違いだったと認めるだけで終わるものではなく、小沢氏に次ぎの代表選に立候補の機会を与えることによって名誉回復はより完璧な姿を取ることになるはずだ。 |