小沢元代表をポスト菅としてその指導性・カリスマ性を活かさないことの国家的損失

2011-06-06 12:11:41 | Weblog



 小沢氏の指導力に適う政治家がいるというのか

 先ず最初に菅内閣の支持率が上がっていることに関して。

 毎日新聞が6月4、5両日に行った世論調査の内閣支持率は前回27%に対して24%と3ポイント下げ、不支持率前回54%に対して57%と同じく3ポイント上げているが、他の新聞社の内閣支持率はほぼ数ポイント上げている。菅政府の震災対応や原発事故対応、特に原発事故対応に関わる政府発表を信頼できないとする声が圧倒的に多いにも関わらず、全体的には内閣支持率を3~4%上げている矛盾した世論状況を示している。

 前回か前々回の調査辺りから、数ポイントずつ支持率を上げている。但し上げているといっても、内閣維持の危険水域を少し上回るか、毎日世論調査のように下回る30%前後の低空飛行であることに変わりはなく、すべてに於いて不支持率が圧倒的に上回る情けない支持状況にあることに変わりはない。

 政権運営に不満を示していながら、微増だが、なぜ支持率を上げているのかの答を求めるとしたら、小沢グループを中心とした反菅勢力による菅降しの動きに対する忌避感が押し上げている支持率の僅かずつの上昇と言うことではないだろうか。

 6月2、3日実施の共同通信社の世論調査、小沢元民主党代表支持派議員の野党提出内閣不信任決議案に賛成する意向を表明などしている菅降しの動きを尋ねた回答が「評価しない」が89・4%で圧倒的な多数を占めている。

 いわば6月2日に野党によって提出された菅内閣不信任決議案に対する評価が「評価する」は少数派で、「評価しない」が圧倒的に上回っていることにも現れている政局忌避に対応した、大震災を受けたこの国難のときに党内対立でもあるまいとする小沢氏とその支持派に対する相当強い忌避感が逆に押し上げることとなっている内閣支持率の僅かながらの上昇と言うことであろう。

 小沢氏、あるいはその支持派に対する忌避感が逆に菅内閣の支持率を上げる傾向は菅仮免が内閣と党の主要な人事からの小沢派排除以来発生しているもので、菅仮免は自身の支持率を上げるためにしばしばそれを意図的に利用してきた。それが今回は菅仮免が意図せずして小沢氏とその支持派の直接的な動きに対する国民の忌避感として現れた。

 このことを逆説すると、ここ暫くの間の僅かばかりの菅内閣支持率上昇は政権運営や統治能力、政策遂行のあるべき状況を導き出す自身のリーダーシップそのものが評価された支持率の上昇ではないということである。

 こういった構図が震災対応・原発事故対応に関してはとてものこと評価できないが、内閣支持率は僅かながら上昇するという矛盾した現象となって現れているということであろう。

 確かに小沢氏が持つダーティな雰囲気に対する評価は厳しい。このことに対する反動から指導力がないと分かっていながら、菅直人なる政治家を民主党代表に再度選び、再び首相の地位に就けた。

 だが、結果的にその選択に誤りがあったことに気づいた。指導力がない、リーダーシップがないと言うことは首相の資質として決定的な欠陥である。菅直人を首相の座に就けることによって、就任の2010年6月4日以来、今日まで国の経営に膨大なエネルギーがムダに費やされてきた。それが現状としてあるこの体たらくであり、政治的な混乱である。

 政治に対する不信が結果として無党派層を50%近くか、あるいは50%以上にも拡大させている。この無党派層の拡大も、小沢氏の「政治とカネ」の問題も含むだろうが、基本的には菅直人という首相のリーダーシップ欠如が招くこととなった対政治評価と見ていいはずだ。

 退陣が確実となって、関心は誰がポスト菅を担うのか、ポスト菅の体制は大連立か、民主党単独かに移っている。

 正確な退陣時期については来年の1月までを望みながら、野党のみならず与党内からも反発が出ると、「文書の思いは分かっている」と述べて鳩山前首相と交わした確認文書が退陣を取り決めた文章だと認めたが、6月4日の夜、首相公邸で石井一民主党副代表と会談、2次補正予算案と特例公債法案の成立に向けて「最大の努力をし、やりきる。職に恋々としない」(毎日jp)と語って、地位にとどまるのは両法案の成立までだとしたという。

 だが、確認書が菅仮免の退陣の取り決めだと認めた以上、確認書の退陣条件を受入れたことで不信任案を凌いで首の皮一枚つなげることができたのだから、「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」と書いてある確認書の約束に従って、そのメドがつく6月以内を以って退陣とすべきだが、2ヶ月も超える「職に恋々」の政権執着に依然として囚われている。

 いつものことだが、言葉が実態を伴っていない。

 問題は大連立か否かの政治体制よりも誰が次ぎの指導者になるかがより重要な課題であろう。指導力、リーダーシップを欠いていたなら、菅仮免同様に指導力を裏打ちする合理的判断能力も欠くこととなり、どのような指示も満足に内閣、その他に行き渡らせることはできないだろうし、体制自体を纏めることができなくて、菅仮免の二の舞を演じかねない。

 有力だと目されているポスト菅を、《ポスト菅は前原氏首位、追う枝野氏ら…読売調査》YOMIURI ONLINE/2011年6月5日06時39分)が挙げている。

 読売新聞社の6月3~4日実施の全国世論調査で尋ねた質問の一つだそうだ。

 「次の首相に誰が最もふさわしいと思うか」

 前原誠司・前外相――14%
 枝野官房長官  ――9%
 岡田幹事長   ――9%

 だが、記事は、〈3人とも一長一短ある状況だ。〉と書いている。

 前原は代表経験者で国交相や外務相を経験、安全保障にも詳しい長所に対して3月に在日韓国人からの献金問題で外相を辞任したばかりであることを短所として挙げ、〈前原氏自身は代表選出馬に慎重とされる。〉と解説している。

 さらに短所を挙げるとしたら、尖閣沖中国漁船衝突事件で国交相として船長逮捕を演出、「国内法に則って粛々と手続きを進める」と言いながら腰砕けに終わった一貫性を欠いた指導性であろう。

 同じ国交相時の2009年10月に根室を訪問して、「ロシア側に不法占拠と言い続け、四島返還を求めていかなければならない」と発言、ロシアの激しい反発に遭うと、「不法占拠」の言葉を封印し、外相となってロシアと領土問題で話し合ったときも一言も口にしなかった腰砕けなのか、先を考えずに勢いだけで言っただけのことだったのか、一貫性を欠いたこのような姿勢も指導性や判断能力に疑問符を投げかける政治家像となる。

 民主党代表時代の2005年12月にワシントンで講演、中国の軍事力増強を「現実的な脅威」とさも中国の軍事的脅威が現実に切迫しているかのように発言したが、「現実的な脅威」とはある外国に対して軍事的攻撃の選択肢を考慮したときを以って初めて言える状況であるはずだ。

 あるいはある国が中国から軍事的攻撃を誘導する要素を潜在的、あるいは顕在的に抱えた場合にも生じると言える。

 確かに2005年前後の中国では当時の小泉首相の靖国参拝に反発して対日デモが激化していたが、だからと言って中国が日本に対して軍事的攻撃の選択肢を考慮したわけではないし、靖国参拝が中国の軍事的攻撃を日本に向けて誘導しかねない要因となっていたわけではない。

 中国は年々軍事力を増強しているが、そのことに対して世界は懸念を示すが、「現実的な脅威」と非難する向きはないはずだ。過去にはあったが、現在のところ中国が軍事的攻撃を選択肢として考慮している外国は存在しないし、中国の軍事的攻撃を誘導しかねない要因を抱えている外国も存在しないはずだ。

 中国の軍事力が潜在的脅威であることは認めるが、その潜在性を和らげる手段が創造的な外交努力であろう。外交という手段を前提としないで軍事力だけを取上げて、差し迫っている脅威でもなにも関わらず「現実的脅威」と言う短絡思考も、一貫性を欠いた姿勢と併せて、果して次ぎの指導者としてふさわしいと言えるのか甚だ疑問である。
 
 記事は枝野に関しては連日の記者会見で知名度を高めたが、〈「菅首相と一蓮托生」などの指摘もある。〉として、そのことを欠点としている。

 このことに加えるとしたら、今日のねじれ現象の原因となった参院選民主党大敗北時の幹事長であった。責任を取って辞任したが、周囲からの辞任要求に抗し切れなかった辞任であって、潔い率先した辞任では決してなかった。

 口達者ではあるが、誤魔化しや詭弁を随所に散りばめた口達者である。詭弁家に指導力、リーダーシップは育たない。詭弁や誤魔化しを用いるのは責任意識を欠き、責任を回避する心理の働きとして生じる言葉遣いだからである。

 責任意識を欠いた、あるいは責任感を欠いた指導力、リーダーシップとはまさに二律背反そのものである。尖閣諸島中国漁船衝突事件で中国の関係が悪化したとき、枝野は「中国は悪しき隣人」と言い、その発言が問題となると、「当時の私の発言そのものを見れば、特定の国を名指ししたという認識はない」と平気でウソをついて責任逃れを謀った。

 口達者というだけの男で、到底一国のリーダーとしての確固とした指導性を発揮する器とは思えない。 

 岡田幹事長の場合は4月の統一地方選敗北の責任などを問う声が党内にあるとしている。だが、何よりも菅仮免の走狗となって小沢排除の実行部隊を努め、今日の民主党の対立・混乱をつくり出した戦犯としての責任は菅仮免と同罪としてあるもので、このこと自体が既に菅の跡を引き継ぐ資格を失っている。

 また、今回の内閣不信任決議案採決に於いて賛成票を投じた横粂議員は前以て離党届を出して、不信任案が提出された場合は賛成票を投じると明らかにしていたのである。岡田幹事長はその離党届を預かりとして、賛成票を投じたからといって横粂議員を除籍処分の懲罰を行ったのは合理的公平感を欠いた人事と言わざるを得ない。

 果して人事に合理的公平性を欠く政治家がリーダーとしての資格を有していると言えるだろうか。

 岡田幹事長は昨6月5日のNHK「日曜討論」で、「誰が首相になっても、震災や原発事故の対応は難しい」といった趣旨のことを言っていたが、難しいからこそ、枝野だ岡田だ、前原だといった指導者として資質に欠陥だらけの小粒ではなく、確たる指導性が期待できる人物を持ってこなければならないはずだ。

 再度言うが、このことこそ大連立如何に関わらず考慮しなければ重要な要件であろう。

 現在のところ与野党を見渡して小沢元民主党代表の指導力に敵う政治家が存在するだろうか。官僚に睨みを利かせて、その能力を分野ごとに活かし、駆使できる政治家は存在するだろうか。
 
 官僚のみならず、国会議員にまで畏怖を感じさせるカリスマ性を備えた政治家は小沢氏を措いてほかに存在するだろうか。

 残る要件は首相の地位に就けることである。地位を得たなら、そのカリスマ性を蘇生させ、誰よりも指導力を発揮し得るはずである。元々の素地がそのことを保証する。

 確かに「政治とカネ」の問題で現在はダーティな存在だと受け止められている。

 だが、一刻も早い国難の解決――震災や原発事故の解決だけではなく、日本経済の衰退を含めた解決のためにも、「政治とカネ」の問題を優先させて国難の解決を遅らせたなら、必要肝心の国家的課題を損なうことになるはずだ。

 小沢氏を措いて見るべき指導性を期待できないなら、小沢氏を次の首相に起用する度量、決心が政治家及び国民に今こそ求められているはずだ。


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