再生可能エネルギー促進法案問題は「菅の顔を見たくない」ことよりも指導力の問題だと気づかないお目出度さ

2011-06-20 11:26:00 | Weblog



 《「カンの顔を見たくないなら通せ」菅首相が挑発》MSN産経/2011.6.15 20:42)

 菅仮免が再生可能エネルギー促進法の早期制定を求める集会に飛び入りで参加して、「国会には『カンの顔だけは見たくない』という人が結構いる。そういう人たちには『本当に見たくないのなら、早くこの法案を通した方がいい』と言おうと思う」と発言、早期退陣を求める与野党議員らにこう訴え、挑発してみせたと言ったことを記事は書いている。

 集会には、民主、社民両党の国会議員を中心にソフトバンクの孫正義社長ら民間人も参加していたという。

 具体的にどういった場面でどう発言したのか検索してみたが、「本当に見たくないのか、本当に見たくないのか、本当に見たくないのか」と3回言ったとする記事はあるが、この発言箇所を主として取上げる記事が殆んどであった。

 Twitterでプレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局がこの動画を配信していることを知り、菅仮免の再生可能エネルギー促進法に関する発言箇所と「顔を見たくないのか」の発言箇所を主として取り上げてみることにした。

 途中途中で役にも立たない感想を挟んでみる。年齢のせいで最近集中力をなくしているため、面倒だから、菅仮免に付き物の例の如くの「あー」、「いー」、「うー」、「えー」、「おー」を省くことにした。

 菅仮免「30年前から風力も太陽(光発電)もやっていた。(日本は)30年遅れている。日本の政治は行政は、結局のところ私の責任を含めて、本格的なエネルギー源という形で(自然エネルギーに)政治としても経済としても取り組もうとしなかった。そこに意図があったということを私は反省を含めてはっきりと申し上げたい。

 今回の(福島原発)事故が起きた後、エネルギー庁(経産省)が出しているエネルギー基本計画、3年おきに出しているが、昨年の計画について白紙からの見直しを言った。これは今政府の方針となっている。

 先日G8に行ったとき、これまでのエネルギー基本計画では2030年に総電力の中で原子力53%、自然エネルギーを20%となっていた。それに対して私は当然白紙から見直そう、自然エネルギーについては2030年、20%ではなくて、10年前倒しして、2020年代初頭、チョッピリ幅があるんですが(嬉しそうに笑いながら)、初頭に20%にしたい、このことを国際的にも表明をしてきたところであります(強い拍手が起こる)。

 多少の議論はありますけれども、基本的にはそこまで政府の一つの方針として決めることはできた。そこで今日のまさに本題です。

 この再生可能エネルギー促進法案、全量買取り制の法案は、この法案が通らないと、補助金がついていたものも、この法案が通ることを前提に補助金がカットしているから、単に前進がゼロではなくて、後ろに下がってしまう。経済界も賛成してくれると思ったが、経団連、この全量買取り制度を導入すると、電力の価格が上昇する可能性があるから、導入には基本的に反対だというのが、経団連の現在の姿勢。

 そのときのコスト計画は確か原子力7円とか言われているが、本当に7円ですかねえ。ゼロが一つくらいつくんじゃないですか(拍手)。

 つまり原子力は安いんだ、何とか安いんだ。風力は高いんだ。何とか高いんだ、技術的にも揺らぎがあってダメなんだ。ダメな理由をつける気になったら、私に任せてください。いくらでもつけられますが、そうではなくて、どうやってそれを育てるかじゃないですか」

 「原子力7円とか言われているが、本当に7円ですかねえ。ゼロが一つくらいつくんじゃないですか」と、1KW当りの原子力の発電コストがさも実際はゼロが一つつくくらいの70円前後と思わせてかなり盛大な拍手を受けているが、計算方法によって違いはあるらしいとしても、一国の首相が実際の値段を知らないわけはないし、知りませんでしたでは通らない。

 要するに菅仮免は政府代表者として、原発立地自治体に対する億単位の交付金や補助金等がコスト高の原因となっているのかもしれないが、原子力発電の発電コストは実際は70円前後だと把握していることになる。

 政府代表者が把握もせずに、「ゼロが一つついて70円ぐらいではないか」と憶測だけで言ったとしたら、今度は無責任の謗りを受けることになる。

 実際は70円前後でありながら、表向きは7円としていたなら、政府は情報を隠していることになる。その情報隠蔽に菅仮免も一枚加わっていたことになる。単純に拍手することができる発言ではないはずだが、自然エネルギーへの追い風となる金額だけのことと把えて拍手したに違いない。

 菅仮免「最後に政治家みたいなことを最後にもう一つだけつけますが、私はこの自然エネルギーともう一つの省エネルギーがある意味では民主主義とマッチしている。今の民主主義、投票というのが一つの行動だが、単にエネルギー政策をAにするかBにするか投票するだけでは残念ながら、省エネとか自然エネルギーは広がらない。

 屋根にはソーラーパネルがあって、ヒートポンプがあって、部屋の造り方はなるべくクーラーが少なくてもいいような家を造っていた。つまりはみんなが参加をして、エネルギーを作ったり、あるいは省エネ、省エネというのは最近はネガイネと呼ぶんだそうですが、つまりはネガティブエネルギー、エネルギーを少なくするということですから、省エネと自然エネルギーは国民自ら参加をしてつくったり、マイナスのエネルギーを生み出すということは逆にプラスが増えるわけだが、そういうことができるエネルギーというものは社会のあり方そのものを決める。

 昔お爺さんが山に芝刈りに行き、お婆さんが川に洗濯に行ったような、2、300年前には世界中にあったような生活を選ぶのか、 (原子力事故という)怖いことがあるような生活を選ぶのか、冒頭申し上げように私たちはこの地球を貸して貰っている。未来の子どもたちが、孫たちの気持も含めて、最終的には国民が選択をする、国民が決めることだと思う」

 「昔お爺さんが山に芝刈りに行き、お婆さんが川に洗濯に行った」世界と現在の世界を比較するのは極端に過ぎる。昨年の参院選で消費税増税容認の空気を作り出すためにギリシャの財政危機を持ち出して、今すぐにも日本の財政にギリシャと同様の危機が生じるような煽り方をしたのと似た極端な比較となっている。

 要するにギリシャの財政危機を威しに用いて消費税を上げないことには日本は飛んでもないことになると、成功はしなかったが、危機感を煽ったのに対して現在の原子力事故が非現実の世界のこととは言えない「怖いことがあるような生活」になっていることを威しに用いて危機感を持たせ、自然エネルギー転換の必要性の訴えに正当性を持たせようとしたということなのだろう。

 威しの効果を持たせるためにはどうしても極端な対比が必要となる。何とはなしに菅仮免の意図に胡散臭さを感じる。

 菅仮免「そのときに専門家や政治家が、もう化石しかないんだ、もう原子力しかないんだという選択ではなくて、化石も段々CO2が増えるよ、原子力もちょっとヤバイかもしれないよ。しかし使わないではいられないじゃないか。だが、ここにも選択肢があるんだ、省エネと自然エネルギーというものがあるんだと、そういう選択肢を育てていって、それから5年先か10年先、こっちでも十分やれる、これでもやれるという段階のときに、じゃあ、どっちを選びますかということを選択肢をつけることが専門家や政治家の仕事ではないか。

 その選択肢を、つまり自然エネルギーを育てる。選択肢を育てる。その第一歩がまさに再生エネルギー促進法(激しい拍手)、何と言ってもこの法律は3月11日に閣議決定をして、既に国会に提出をされ、何ヶ月か経っています」

 菅仮免は5年か10年先に自然エネルギーでも十分にやっていけるという段階になったときに、「どっちを選びますかということを選択肢をつけることが専門家や政治家の仕事」だと言っているが、逆で、将来的にやっていけるかどうかの予測を立てるのが専門家の仕事であって、専門家がやっていけると見通しを立てた場合、その見通しにやっていけるような内容を持たせた政策を立てて、その内容通りの実現に道筋をつけ、完成させるのが政治家の仕事であろう。5年先10年先の実現に向けて道筋をつける方法の一つが再生エネルギー促進法であって、決して5年か10年先に自然エネルギーでも十分にやっていけるという段階に向けて「どっちを選びますか」という「選択肢」を育てる第一歩が再生エネルギー促進法ではないはずだ。

 胡散臭いばかりに言っていることに矛盾がある。

 菅仮免は再生エネルギー促進法を「3月11日に閣議決定をして、既に国会に提出をされ、何ヶ月か経っています」と言った。3カ月以上経過している。

 菅仮免「私も毎日のように経産大臣や党の国対関係者に何とかしてくれと要請しているが、まあ、(手をぐるぐるとまわして)色んな力学があるのか、なかなか、またスイスイとは行っておりません。どうか今お集まりのみなさん。そして多くの党から自発的に参加されたみなさんと一緒になって、まあ、ほかの法律が重要でないなんて言うと、すぐに私のクビが飛びますから、ほかの法律との比較は言いませんが、少なくとも未来を選択するための、この自然エネルギーを育てるという、まさに今回の事故を逆に(教訓として)、これ(原発)を止めるとか止めないとか言う前に先ず選択肢を育てるその一歩になるですね、この法案だけはですね、私も何としても通したい(かなり多くの拍手)。

 これを通さないと、これ以上言うとヤバイですから(ニコニコ笑いながら)、これを通さない限りは、やっぱりですね、政治家としての責任は果たしたことにはなりませんので、頑張りぬきますので、みなさんと一緒になって、お願いをして、私の挨拶とさせていただきます。今日はどうもありがとうございました」

 集会出席者から歓迎の声が上がり、盛大な拍手。菅、長テーブルの席に着く。

 孫正義「この土俵際のねばりで、ねばり倒して、この法律だけは絶対通して欲しい。頑張ってください」

 菅、席から立ち上がって、孫と頭を下げ合いながら熱い熱い握手。その間中拍手が鳴り止まない。菅仮免、席に戻りながら、ピースサインなのかVサインサインなのかニコニコしながら見せる。

 3月11日に閣議決定をして、既に国会に提出してあり、「毎日のように経産大臣や党の国対関係者に何とかしてくれと要請している」。だが、3カ月以上経過していながら、採決にまで至らない。

 問題はどこにあるかと言うと、経産大臣や党の国体関係者に丸投げして、「毎日のように」「何とかしてくれと要請している」だけのことで、自身の努力不足も問題だが、経産大臣や党の国対関係者の努力も実らない、菅自らの要請も実らない指示が機能しない点に問題があるということであろう。

 簡単に言うと、経産大臣や党の国対関係者の力不足であり、菅仮免の指導力不足が問題だということになる。

 と言うことは、菅仮免の指示が鶴の一声とならない迫力不足にそもそもの原因があることになる。

 最終的には菅仮免の指導力不足が問題であるなら、「これを通さない限りは、やっぱりですね、政治家としての責任は果たしたことにはなりません」ではなく、政治家としてのと言うよりも、内閣のトップである首相としての責任は既に果たしていないことになる。3カ月経っても採決の場に持ち込むことはできない指導力不足を演じているということである。

 自身の指導力不足、自身の責任不履行に問題があることに気づかずにニコニコしてピースサインだかVサインだかを掲げていられる。何とお目出度く出来上がっているのだろうか。
 
 孫正義が話した後、最後に再び菅仮免がマイクを握る。

 菅仮免「今の遜さんの話を聞きながら、私も戦略を考えていた。どうやったらこの法案を通せるかということを、聞きながら考えた。応援してくれるみなさん、勿論ありがうございます。そして一緒になって賛成してくれる国会議員の仲間、勿論ありがたいです。

 それだけでは足らないときはどうするか。今考えたんですね。どうも菅だけの顔は見たくないという人がいるんですよね、国会の中には。そういう人たちにですね、言おうかと思うんですよ。
(マイクを両手で握り締めて、嬉しそうな笑みを満面に見せながら声を一段と強め、同じ言葉を繰返すごとに頭を下向きに突き出して調子をつけながら)ホントに見たくないのか、ホントに見たくないのか、ホントに見たくないのか、と。

 それなら
(口から笑いを吐き出して)、早いことこの法案を通した方がいいよと(大きく笑う)、この作戦でいきたいと思いますので、(右手を二度突き上げて)どうかよろしくお願いします」

 満面をニコニコさせてマイクを置く。激しい拍手。

 情けない話ではないか。3月11日に閣議決定をして国会に提出。3カ月以上も採決の場に持ち込む有効な戦略を打ち出せなかった男が、「菅の顔を見たくないなら、早いとここの法案を通したらいい」が唯一考えついた戦略だとは。

 勿論、これはジョークだと済ますことはできる。だが、閣議決定から3カ月も経過しながら採決の場に持ち込むことができない指導力不足・力不足、あるいは戦略不足はジョークでは済ますことはできない。

 にも関わらず、得意げにVサインだかピースサインを示すことができる。

 もしねじれ国会が採決の場に至らない原因だとしたら、「菅の顔を見たくないなら」は言っても始まらない戦略、あるいは言っても始まらない無益なジョークということになる。
 
 必要なことはねじれ国会にまともに向き合うことになるからだ。

 亡くなった松田優作の妻の松田美由紀がマイクを握って会場の参加者にも聞かせる形で次のように菅に話しかけた。

 松田美由紀「本当に今日はありがとうございました。今日は涙、涙。本当に、こんな、菅総理がロックスターのような方だったとは、初めて、本当に驚きました。

 本当にこの姿を国民のみなさんに、本当にお伝えしたいと、本当に嬉しかったです」

 菅仮免の指導力不足・責任遂行能力不足から3カ月も法案が店晒し遭っていることに気づかずに「ロックスター」と言える感激は単細胞という点で素晴らしい。

 菅仮免は、「菅の顔を見たくないなら、早いとここの法案を通したらいい」を戦略としたい、この作戦で行くといっているが、菅仮免も単細胞だから、「菅の顔を見たくないから、通さない」という逆の選択肢もあることに気づいていない。

 顔も見たくもない厭な奴だから、その人間の手柄にしたくないという感情の働きに支配されて、世の中のためになることでも反対するということが世の中には往々にして起こる。

 菅自身、自らも行っている選択肢でもあるはずである。小沢氏の顔を見たくもないから、その指導力が党のため、内閣のため、引いては日本のために役立つとする予測可能性を無視して、そのグループまで含めて党や内閣の要職から最大限斥けたはずだ。

 問題がどこにあるのか気づかずに菅の演説に盛大な拍手を送り、菅仮免を「ロックスターのような方」だと言うお目出度さにお目にかかって日本の政治の将来に素晴らしさを感じた菅発言と会場の一コマであった。



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