仙台市の2月3日中2男子自殺からアンケート調査と面談等の教師対応に見る学校のイジメ解決能力の信用性

2016-02-06 10:36:46 | 教育

 中学生がまた自殺した。中学2年生、14歳。方法は首吊り自殺。日時は2月3日(2016年)。場所は仙台市の自宅。家族が発見したのだろう、そのときの驚きは俄には信じられない衝撃を与えたに違いない。

 病院に搬送したが、まもなく死亡が確認されたという。

 仙台市教育委員会が男子生徒が通っていた中学校から聞き取りを行い、その経緯を伝えている「NHK NEWS WEB」記事から、その内容を見てみる。 

 記事が、〈去年6月、男子生徒の自転車が下級生に壊されたことや、〉と書いているが、市教委の聞き取りによる他の生徒の証言なのか、自殺した生徒の訴えを受けて教師側が把握していた事実なのか、記事からでは分からない。

 学校は定期的に行っているものなのだろう、去年2015年11月にアンケート調査を行った。生徒は他の生徒から無視されていることを書いた。

 イジメを伺わせる記述ということで担任が男子生徒と面談した。

 男子生徒「以前のことで今のことではない」

 つまりイジメは現在は収まっていることを意味する言葉となっている。

 と言うことで、学校では特に対応を取らなかったと記事は書いている。

 記事は最後に市教委が、〈生徒の周囲の状況を把握する必要があるとして、中学校で全校生徒を対象にした緊急アンケートを行うことにし、死亡するまでのいきさつを解明することにして〉いると書いていて、大体以上のような内容となってる。
 
 担任は「以前のことで今のことではないのになぜアンケートに書いたのか」と尋ねなかったのだろうか。アンケートが求めている記述は過去からの継続も含めた現在進行形の出来事であるはずだ。

 もう一つ、「産経ニュース」から見てみる。 

 記事の内容を時系列に直してみる。

 2015年6月、〈部活の後輩3人が男子生徒の自転車にいたずらをし、一部を壊した。保護者から「当人同士で解決させたい」と申し出があり、学校は指導を見送った。〉

 2015年7月実施のアンケート。

 男子生徒「(友人関係は)最悪

 きもいと言われる」

 2015年11月実施のアンケート。

 男子生徒「無視された」

 「NHK NEWS WEB」記事では分からなかった男子生徒の自転車の損壊は自殺した生徒が訴えたのか、他の生徒が訴えたのか、何らかの報告によって学校側が損壊後、そう遅くない時期に把握していたことになる。

 但し学校側は指導を見送ったとしても、後で当人同士で解決したのか尋ねたのだろうか。

 解決したとの答えを受けたとしても、それが事実か、あるいは再発しないか、注意深い事後観察を行っていたのだろうか。

 自転車損壊から1カ月前後のアンケートからイジメを窺わせる記述を見て、担任は1カ月前の自転車損壊と関連付けなかったのだろうか。 

 「産経ニュース」記事は11月のアンケート後の面談には触れていない。

 現在のところ、状況証拠としては疑わしいが、自殺とイジメの関連性については明確にははっきりしていない。

 例え関連性は不明であっても、イジメに関しては昨年7月のアンケートも、同じく昨年11月のアンケートも現在進行形の記述となっている。

 だが、11月のアンケート後の面談で、男子生徒は「以前のことで今のことではない」と、過去形に変えている。

 どのような心理が働いたのだろう。

 担任等の教師に「イジメられているのか」と問われてイジメられているにも関わらず児童・生徒が否定する理由はイジメを受けることが弱い人間と見られる、自分自身の自尊心に関わる屈辱的な、情けない出来事であり、そうであるがゆえに素直に認めることができないこと、教師にチクった(告げ口した)と却って報復のイジメを受ける恐れがあること、親を悲しませたり、心配をかけたり、あるいは情けない思いをさせたくないという思いに囚われることなどが挙げられているが、イジメを告げることについてのこういった様々な抵抗感は誰もが抱えているだろうから、アンケートにイジメを受けていることを書くということはイジメを受けていることを知って貰いたいという強い思いと告げることの抵抗感の拮抗した精神状態を一度は味わって、そこから一歩前者に傾いた精神状態に至ることができたからであろう。

 いわば抵抗感を曲りなりにも抑えるにはかなりの覚悟がいるはずである。当然、担任に訴えたいという思いは相当に強い感情として働いたと見なければならない。

 ところが面談の段になると、実際に過去のことならアンケートに書くはずもないし、アンケートの性格上、過去からの継続も含めて現在進行形の出来事の記述でなければならないイジメを「以前のことで今のことではない」と答えたということは、現在進行形を隠して抵抗感に支配された元の精神状態に戻ってしまったことを示していることになる。

 その答はタダ一つ、自殺した生徒にとってアンケートやアンケートの記述を受けた面談等の担任の対応がイジメ解決に役立つと、そこにしっかりとした信用を置くことができていたなら、抵抗感を元通りの状態で蘇らせてしまうことはないだろうと言うことである。

 例えイジメる側の生徒に「アンケートに俺たちのことを書きはしなかったろうな。書いたことが分かったら、タダじゃ置かないからな」と威されたとしても、威すことができること自体がアンケートや担任の対応にイジメ解決の信用性を置くことができない証明以外の何ものでもないのだが、自殺した生徒が学校のイジメ解決能力を信用していなかったと見る他はない。

 生徒自身が気づいていたかどうか分からないが、「以前のことで今のことではない」との生徒の発言に担任が「以前のことで今のことではないのになぜアンケートに書いたのか」と尋ねなかったこと自体が、世間一般の目から見ると、学校や担任がイジメ解決に役に立たないものとして生徒に信用されていないことの証明としか映らない。

 尋ねたが、生徒が口を濁した、あるいは何も答えなかったということなら、その態度に不審な印象を感じ取って何らかの対応を迫られたはずだが、記事に書いてあるように学校が特に対応を取らなかったということは、尋ねることはしなかったということであろう。

 イジメが原因で児童・生徒が自殺した学校の多くがアンケートも、アンケートを受けた担任等の教師の対応もイジメ解決に役に立っていないことが通り相場となっている。今回のことは未だ分からないとしても、イジメが原因で自殺する児童・生徒が後を断たない以上、学校のイジメ解決能力の信用性は相当に低いはずだ。

 自殺を断つには先ずはどう信用性を高めるかに重点を置かなければならないようだ。

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