安倍晋三が言うが如くに「政治家一人一人の自覚」が“政治とカネ”の問題解決となるなら、殺人すら起きない

2016-02-11 09:08:41 | 政治

 2月10日(2016年)、衆院予算委員会で“政治とカネ”の問題について集中審議が行われた。閣僚の“政治とカネ”の問題が極くごく珍しいことではなく、跡を絶たないから、税金を使って集中審議しなければならなくなる。

 公明党の国重徹が甘利明の口利き疑惑・金銭受領疑惑に絡んで質問に臨んだ。

 公明党は“政治とカネ”の問題については一貫して厳しい姿勢で取り組み、「斡旋利得処罰法」や「官製談合防止法」、「政治資金規正法」の3つの法律を作ったと公明党の宣伝を前置きに最後に次のように問い質した。

 国重徹「総理には“政治とカネ”の問題にはケジメをつける。そのためには是非総理のリーダーシップを発揮して頂きたい。安倍総理の決意をお伺いします」

 「ケジメ」と言う言葉の意味は「物と物との相違。区別。道徳や規範によって行動・態度に示す区別。節度ある態度」等の意味があるが、国重徹はここでは最近良く使われる「決着」という意味で使っているはずだ。 

 安倍晋三の答弁は例の如く質問の主意に的確に答えずに、ときには答えずじまいで、関係のないことを長々と持ってくる前置きが兎に角長い。自分が初当選したのは金丸事件が発生して“政治とカネ”の問題や選挙制度の問題、政治改革が大きなテーマとなった平成5年の総選挙で、自民党は野党となった、その後政治資金に関する法改正等、様々な改善がなされ、その中でおん党が改革の中心的役割を担ってきたことに敬意を表する等々、さも尤もらしく喋ってから、国重が求めた「ケジメ」とはならない結論を総仕上げとした。

 安倍晋三「政治資金を適正に扱うための法規制や罰則は強化され、また政治活動に要するコストは誰がどのように負担するか、そういう観点から国民の理解を頂き、政党助成金制度が創設されたところでございます。

 しかしながら規制や罰則が如何に整備されたとしても、つまるところ、この問題は政治家一人一人の自覚を持って行動するか否かにかかっている、このように思います。

 自らの政治資金について国民の信頼を損なうことのないよう、法に則って、適正に取り扱い、自ら襟を正し、必要に応じ説明責任を果たしていく。そうすることによって国民の負託に応えていかなければなりません。

 今回閣僚が交代することを招いたことについては国民の皆様に大変申し訳なく思っております。政治家の一人として姿勢を正して国民の負託に応えて、このことを政(まつりごと)に関わらず、携わる者の中でしっかりと共有するようにしてまいりたいと思います。

 この問題につきましては政府・与党・野党の区別なく、政治家一人一人が自覚を持って、その責任を果たしていくことが大切ではないかと、このように思っています」――

 甘利明個人の“政治とカネ”の問題を「政府・与党・野党の区別なく、政治家一人一人の自覚」に拡散させてしまう手際、そのゴマカシは流石である。

 いくら言葉巧みに誤魔化そうと、言っていることの矛盾まで誤魔化すことはできない。

 国重徹は“政治とカネ”の問題にケジメ(決着)をつけるよう求めた。そのためのリーダーシップを求めた。対して安倍晋三は「政治家一人一人の自覚」をケジメの方法とした。

 大したリーダーシップである。

 「政治家一人一人の自覚」が如何なるカネに対しても絶対的に発揮され得る誰一人欠けることなく全ての人間に備わった万能な精神作用とすることができるなら、“政治とカネ”の問題についてそのような精神作用に任せれば、何も“政治とカネ”の問題は起こらなかったはずである。“政治とカネ”の問題を取り締まる「斡旋利得処罰法」や「官製談合防止法」、「政治資金規正法」といった法律の制定や改正にしても必要なかった。

 だが、政治家や閣僚の“政治とカネ”の問題は後を絶たず、延々と続いている。「政治家一人一人の自覚」が“政治とカネ”の問題防止に万能でも何でもな精神作用であること、当然、当てにはならない期待要素であることの証明としかならない。

 大体が第1次安倍内閣から第3次安倍内閣の今日まで、7人の閣僚が“政治とカネ”の問題で辞任していることも、「政治家一人一人の自覚」が万能でも何でもない、当てにはならない精神作用でしかないことを如実に物語ることになる。

 安倍晋三は自身の内閣から「政治家一人一人の自覚」を持つことができなかった閣僚を7人も出していながら、頼りもにならない不確かな「政治家一人一人の自覚」を持ち出して、“政治とカネ”の問題にケジメ(決着)をつける唯一の方法としたのである。

 いくら誤魔化すのが得意な安倍晋三であっても、これ程の欺瞞はあるだろうか。

 もしも「政治家一人一人の自覚」が政治家や閣僚の“政治とカネ”の問題の防止・根絶に万能な絶対的な精神作用であるとするなら、政治家だけの特権とするのは不自然な設定であって、職業に関係なしの全ての人間にとっての特権としなければならないから、「例え誰かを激しく憎むことがあっても、一人一人が人間の命は尊く、大切にしなければならないという自覚を持って行動すれば、決して殺人を起こすことはない」と言うことができることになる。

 果たしてそのような自覚を期待しさえすれば、殺人はなくなるのだろうか。

 このことと同様に安倍晋三はなくなりはしないことをさもなくなるかのように「政治家一人一人の自覚」に期待すべきだと言ったのである。

 「一人一人が子どもの幼い生命(いのち)を大切にしよう、思い遣ろうという自覚を持って行動すれば、子どもに暴力を振るったり殺してしまう幼児虐待は起きない」と言うのと同じことを安倍晋三は言った。

 「例えうざかったり、生意気だと思える児童・生徒がいたとしても、同じ喜怒哀楽の感情を備えて十全に生きる権利を持った同じ仲間だという自覚を持って行動すれば、イジメたり、イジメをエスカレートさせてしまい、相手がそのことから逃れるために自殺に走るようなことはない」

 このように保証が何もないことを安倍晋三は内閣の責任者として保証があるかのように見せかけた。


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