安倍晋三は国会や記者会見では、「仮定の質問には答えられない」とか、「仮定の話には答えられない」と答弁している。このことを決まりとしていることになる。このように答弁した例をいくつか挙げてみる。文飾は当方。
2013年3月15日、首相官邸でのTPP交渉参加決定記者会見。
古田東京新聞・中日新聞記者「こちらが聞いている限りでは、カナダ、メキシコが交渉参加を決める際には、今の合意したことを引っくり返せないというほかにも、例えば交渉を打ち切る権利は、最初の参加を決めた9カ国にしか認められないといった不利な条件も受け入れさせられたというふうに聞いています。
総理は、こういう不利な条件に関しては、参加をすることを重視して今後受け入れざるを得ないというふうにお考えになっているということなのでしょうか。今後そういう条件が提示された場合に、政府としてどのような対応をなされるのか、そのお考えをお聞かせください」
安倍晋三「報道にて、メキシコとカナダに送付されたとされているような念書については、我が国は受け取っていません。ですから、それがどうなのかという仮定の質問にはお答えすることはできませんが、可能な限り、早期に正規に交渉に参加をして、強い交渉力をもって、我々は国益を守っていきたいと考えていますし、何と言っても、世界第3位の経済力を持つ日本です。その存在感は大きなものがあるはずでありますから、我々はこの力をフルに活用していきたいと考えています」
もしそれが事実としたらという方面からの“仮定の話”はしない。例えば、「我が国は受け取っていないが、仮にそういう条件はつけられたとしたら、断固反対する」とか、「それが事実と仮定したなら、とても受け入れることはできないし、受け入れることはしない」といった事実と仮定した場合の方面からの答弁はしない。「仮定の質問にはお答えすることはできない」と、答えないことを優先させている。
これは誠実な答弁ということができるだろうか。
最高裁が2013年11月20日、2013年7月の参院選の「1票の格差」は違憲状態と判決を下した。違憲状態の判決は1992年参院選挙と2010年参院選挙に引き続いて3度目であった。
この判決を約8カ月遡る2013年4月1日の衆院予算委員会。当時みんなの党衆議院議員だった三谷英弘(2014年12月 第47回衆院選で無所属で立候補、落選している)が次のように質問している。
三谷英弘「(一票の格差問題について)一連の高裁判決というものが下される前に、私は政権に対して質問主意書を提出いたしました。どういう中身かといいますと、仮にこの衆議院の選挙無効判決が出た場合に、どのように対応するのかという内容でございました。それに対して、この回答というのは、一文、仮定の質問には答えられない、これだけでした」
この委員会には安倍晋三は出席していない。だが、三谷英弘議員の質問主意書に対する政府答弁書で安倍内閣は「仮定の質問には答えられない」と答弁し、その答弁を閣議決定したのである。
既に2回、「違憲状態」だと最高裁の判決が下っている。当然「選挙無効」の判決がなされる場合を予測して、そのことに備えるのが政府の危機管理である。どういった危機管理を想定しているか丁寧に答えるのが質問者と同時に国民に対する誠実な態度であるはずだが、「仮定の質問には答えられない」を正当性ある答弁だとした。
つまり誠実な態度を取らなかった。
2013年10月21日の衆院予算委員会。
古河元久民主義議員「総理にちょっとお伺いしたいんですが、もし去年、ああいう、社会保障・税一体改革が合意に至らなくて、消費税の引き上げも決めないような状況であったとして、それでも総理は、今回のような異次元の金融緩和、これを日銀に対して要請いたしましたか」
安倍晋三「今そういう仮定の話をしても余り意味がない話なんですが、デフレから脱却する上においては、どちらにしろ私は三本の矢の政策をやっておりました」
古川元久はつまらない質問をしている。歴史は日銀の異次元の金融緩和へと回転したのであり、既に消費税増税の歴史の扉を開いているのである。但し安倍晋三は、「例えそういう状況であっても、デフレ脱却を目指すために異次元の金融緩和を日銀に対して要請していたでしょう」と内訳話をしてもいいはずだし、そう答えてこそ、質問に対する誠実な態度でもあるはずである。
だが、安倍晋三は「仮定の話をしても余り意味がない話」だと不誠実にも一蹴してしまった。
2014年3月20日参院予算委員会
福山哲郎民主党議員「(新安保法制の)10数本例えば仮に法律が出てくるとなって、これからいつ出てくるか分からない報告書((2014年5月15日提出の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書のこと)に、与党の議論があって、国会で議論をして、12月の(日米)ガイドライン(の見直し)まで、これは時系列的に総理は間に合うとお考えですか、反映させるとしたら」
安倍晋三「これは仮定の質問ですから今お答えはできませんが、いずれにいたしましても、先ずは安保法制懇の結論が出ることを待ちたいと思っておりますし、そして、ここでの議論はまさにこれはオープンにされるわけでございますし……(発言する者あり)いや、結論が出れば当然オープンになるわけでありますし、出た結論は、お約束しますが、オープンにするということを、今別のことをおっしゃっているんだと思いますが、出た結論についてはオープンにするわけでありますし、そして、それを法制局を中心に議論をしながら与党と更に協議を重ねた結果に於いて政府として意思を決定し閣議決定をしていくと、こういうことになっていくわけであります」
2014年12月下旬に入って、2014年12月末までと期限を区切って予定していた日米ガイドライン見直しは2015年6月までと半年間延期している。野党は2014年3月の時点で既に見直しのスケジュールが2014年12月末までとしていることに窮屈だと見ていた。
対して安倍晋三はいずれ報告書がオープンになって、報告書を受けた国会の議論もオープンになるとの答弁のすり替えで窮屈であることを質問者に対しても国民に対しても正直に説明せず、「仮定の質問」に貶めて、不誠実にも逆に隠している。
この「仮定の質問」とした答弁に正当性を与えることはできないが、安倍晋三自身はそう答弁したことの正当性を些かも疑っていないだろうし、自信が不誠実な答弁をしたことも疑っていないに違いない。
2016年2月3日衆院予算委員会。
岡田克也「腑に落ちないことが色々とあるんですが、一番違和感を感じたのは甘利大臣が大臣室で50万円を受け取った。直接受け取ったわけではありませんが、後で紙袋を確認したら、中にのし袋に入っていたということですが、この話、ちょっと分からないなあというふうに聞いておりました。
甘利大臣の話を一般論として聞くのですが、もし総理がご存知のない、全く面識のない人と秘書の紹介でお会いして、もし総理がご存じない、全く面識のない人を秘書の紹介でお会いして、3、40分お話をして、その方が菓子折りを置いていったと。のし袋に入れた50万円が入っていたと。
そういう場合に総理、これ、政治献金というふうに思われますか」
安倍晋三「私はそういう経験がございませんし、仮定のお話にお答えすることは差し控えさせて頂きたいと思いますが、大切なことはですね、政治資金規正法に則ってですね、正しく対処していくことではないかと私は思います」
岡田克也は秘書の紹介で面識のない人物が3、40分話をして、菓子折りを置いていき、その中に50万円入りのし袋が入っていたと甘利明が1月28日の記者会見で述べた事実を例に挙げて安倍晋三自身は一般論として政治献金だと解釈できるか否かを尋ねた。
だが、安倍晋三は甘利明が述べた事実を無視して自分にはそういう経験がないからと、一般論での問いに一般論では答えずに自身の個人問題として答え、自身にとっては「仮定の話」だから、答えることはできないと逃げた。
甘利明が述べた事実を一般論として政治献金と解釈し得るかどうか判断することすらしなかった。一般的に政治献金と解釈することは難しいとでも言ったなら、甘利明の立場を悪くするから、言えなかったのだろうが、しかしそのためのレトリックに述べた事実を「仮定の話」だとゴマカシをしたのである。
不誠実極まりないが、安倍晋三自身にとっては「仮定の話」とすることに正当性を疑う余地なく与えているのだろう。だから、そのように言うことができる。
安倍晋三が2月20日(2016年)、辛坊治郎司会のニッポン放送ラジオ番組に出演、以下のような発言をしたと、「産経ニュース」が伝えている。
司会者辛坊治郎の発言は解説文となっているから、分かりやすいように会話体に直した。
辛坊治郎「もし民主党の政治家であればどのような政策を掲げて支持率を上げるのか」
安倍晋三「民主党の政治家なら、政治家を辞めるという選択肢もある」
辛坊治郎「民主党の国会審議についてどう思うか」
安倍晋三「民主党全体の質問を見ていると、段々共産党と似てきた」
辛坊治郎「岡田克也代表が元自民党議員だったが」
安倍晋三「今は随分変わったのかな」(以上)
辛坊治郎の「もし民主党の政治家であれば」の問いかけはどう転んでも「仮定の話」である。当然、今までの例から言うと、「仮定の話にはお答えできません」と答えなければならないはずだが、そうは答えずに仮定の質問・仮定の話にしっかりと答えている。
しかもとても民主党の議員なんてやっていられないといった貶(おとし)める趣旨の不誠実な発言となっている。
与党に対して議席数で劣勢に立たされているとは言え、野党第一党の公党に対してバカにするような不誠実なニュアンスの言葉遣いまで使って「仮定の話」に答えている以上、今後国会や記者会見で「仮定の話」として明確な発言を避けることの正当性や誠実性を厳しく問われなければならないし、もし少しでも正当性や誠実性が認めることができなければ、厳しく糾弾されなければならないし、安倍晋三自身も、正当性と誠実性あるとすることができるかどうか厳格に判断してから、この言葉を使わなければならないはずだ。
余りにも「仮定の質問、あるいは仮定の話には答えることはできません」という正当性も誠実性も感じられないままの発言が罷り通っている。