福島原発事故政府対応のお粗末さを伝える二つの記事が政府自身が如何に「原発安全神話」に侵されていたか、それ故の危機管理能力麻痺を教えている。
最初の記事。《福島原発事故:SPEEDI訓練に甘いデータ使用》
(毎日jp/2012年4月4日 2時30分)
記事には書いていないが、先ず2010年10月20日と21日の2日間、菅政府は菅首相(当時)を政府原子力災害対策本部会議本部長とした、静岡県の中部電力浜岡原発緊急事態想定の原子力災害対策特別措置法に基づいた「平成22年度原子力総合防災訓練」を実施している。
このことを押さえておかなければならない。
過去実施の原発事故想定政府原子力総合防災訓練が訓練当日の風速を用いずに年間平均風速に近い弱風を予測値として「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」を作動させていたと記事は書いている。
当然、菅直人を政府原子力災害対策本部会議本部長とした「平成22年度原子力総合防災訓練」時にも同じことが行われていたことになる。
風速が弱ければ、このことに応じて放射性物質の拡散範囲が狭まり、この予測拡散範囲に応じて住民避難範囲が決定してくる。
〈放射性物質の放出量や気象条件が甘い設定の結果、住民避難が必要な範囲は政府が定める「防災対策重点地域」(EPZ)の10キロ圏内にとどまり、広域防災に生かされなかった。〉は当然の結果であろう。
さらに記事は指摘している。〈福島第1原発事故では避難対象範囲が原発から30キロ圏外に及んだ。政府は10キロ圏外の被害を「想定外」としてきたが、避難範囲が10キロ圏内にとどまることを前提に訓練の条件を設定した疑いを指摘する声も出ている。〉
このことは一見、訓練の手抜きに見えるが、政府が10キロ圏外の被害を「想定外」としてきたということは10キロ圏内の被害しか想定内としていなかったということで、このことからも分かるように何よりも過酷な原発事故は起こらないという想定(=危機管理)を前提としていなければできない対応である。
いついかなる時でも重大な事故が起こるかもしれないという危機を想定していたなら、その時々の風速・風向を予測値として、放射性物質の放出量をより多い段階へと幾通りかに変えて計算、どの方向にどの程度、どのような状況で拡散していくかシュミレーションしていたはずだ。
いわば過酷な原発事故を想定外とした「原発安全神話」に立った原子力総合防災訓練を毎年行なってきた。
どのような気象予測値を用いたかというと、〈文部科学省が昨年11月に公開した訓練用のSPEEDI予測図形などによると、過去10回の訓練は事故発生時に吹く風を毎秒0.7~4.6メートルに設定。いずれも最寄りの気象観測点の年間平均風速(1.5~4.9メートル)に近い値で、気象用語で「軽風」や「軟風」などに当たる弱い風だった。〉
さらに放射性物質予測放出量に関しては、〈放射性物質の想定放出量(放射性ヨウ素で換算)も、福島第1原発事故直後が推定量毎時3万2000兆ベクレルだったのに対し、訓練では同454億~2300兆ベクレルと桁外れに少なかった。〉
記事の次の指摘も、「原発安全神話」に立っていることを証明している。
〈08年10月に同(福島第1)原発3号機であった訓練では、同年の年間平均風速1.5メートルを下回る北風0.7メートルで計算。「避難区域」は原発2キロ圏▽「屋内退避区域」は南5キロ圏にとどまった。〉
一般的な危機管理の概念から言ったなら、より最悪な事故想定、あるいはより大きな事故想定を少なくても念頭に置いて訓練を実施するだろうし、実施しなければならないだろうから、上記訓練の「北風0.7メートル」と避難区域「原発2キロ圏」、屋内退避区域「南5キロ圏」も一般的な危機管理の概念に立って想定した危機発出状況に該当させていなければならないはずだ。
いわばせいぜいこの程度を最悪と想定した。
だとすると、風速・風向と放射性物質放出量に基づいた避難及び屋内退避範囲の低い設定値に対応した、一般的な危機管理概念からの過酷事故想定と比較した場合軽微となる危機発出状況は、やはり「原発安全神話」の意識に侵されていなければ不可能な想定ということになる。
例え原発事故が起きたとしても、この程度の危機管理で収まる、この程度以上の危機発出状況は想定外としていたということである。
「原発安全神話」意識なくしてできない危機管理対応であろう。
もし「北風0.7メートル」、避難区域「原発2キロ圏」、屋内退避区域「南5キロ圏」の訓練が一般的な危機管理の概念に該当させない設定だとしても、該当させないこと自体が「原発安全神話」に立っていたことを証明することになる。
対して、〈政府主催ではなく、佐賀、長崎両県が原発事故後の昨年11月、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)で実施した訓練では、当日の風速12.5メートルで拡散を予測。避難の可能性がある区域は30キロ圏外まで広がった。〉
要するに福島原発過酷事故を受けて「原発安全神話」から解き放たれた状況での訓練だったから、より現実に即した訓練を実施した、一般的な危機管理の概念に立って想定したということなのだろう。
記事は政府主催の原子力総合防災訓練について解説している。
2000年以降、原子力災害対策特別措置法に基づき、新潟県中越地震が起きた04年を除いて毎年1回、各原子力施設の持ち回りで実施。SPEEDIは全訓練で事故影響の予測に利用された。
要するに菅首相(当時)を政府原子力災害対策本部会議本部長とした2010年度原子力総合防災訓練でもSPEEDIは事故影響の予測に利用された。
当然、菅仮免は説明を受けたはずだ。説明を受けた上で避難範囲・避難方向を決定する必要不可欠且つ重要なツールだと認識していなければならなかった。
だが、実際はSPEEDIの公表が遅れたばかりか、その情報が官邸に伝わっていなかった。情報共有するに至らなかった。
昨年の8月27日(2011年)、東京都千代田区の日本プレスセンターで行われた民主党代表選共同記者会見。
質問者「今のホットスポットにも絡むんですけど、文部科学省が持ったスピーディっていう放射線の飛散の状況についての発表が遅れましたですよねぇ、対応の遅れ、あるいは、被災地の方の対応の不信感ということの一つに情報開示の遅れというのがあると思うんですが、この点については担当大臣として海江田さん、どうですか」
海江田経産相「私は今回、この福島の事故の対応で、自分自身に色々と反省することもございます。その中の、やはり一番大きな問題が先ずスピーディの存在を私自身、知らなかったんです。
これは正直申し上げまして、で、まあ、そのとき官邸にいた他の方にもお尋ねをいたしましたが、実はスピーディの存在そのものをみんな知らなかったということでありまして、これはやっぱり大変大きな問題であります」
菅仮免を政府原子力災害対策本部会議本部長とした2010年度原子力総合防災訓練時の経産相は大畠章宏で、大畠が訓練に参加している。
だとしても、原子力発電防災に関しての情報の引継ぎが効果的に行われていなかった危機管理の不手際を問題としなければならない。
6月3日(2011年)の参院予算委員会。
森雅子自民党議員「(SPEEDIの予測を)なぜ住民に知らせなかったのか。知らせていれば避難できた。子供を含めて内部被曝しているのではないか」
菅仮免「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。責任者として大変申し訳ない。予測図は私や官房長官には伝達されなかった」(MSN産経)
海江田経産相(当時)が「実はスピーディの存在そのものをみんな知らなかった」と言っているように、その存在自体を知らなかったから、少なくとも菅仮免は福島原発事故発災当時、その存在を知らない状態にあったから、その情報が伝達されなかったことに何とも思わずに見過ごしていたということであろう。
この危機管理意識の希薄性は何と表現したらいいのだろうか。
防災訓練が何の役にも立たなかった。学習して応用するだけの危機管理能力を保持していなかった。
防災訓練自体が一般的な危機管理の概念に則っていない、「原発安全神話」に立った訓練であったばかりか、このことに等価値で影響することとなった実際の原発事故に際しての学習効果であり、「原発安全神話」に支配された危機対応が精一杯の状況だったということであろう。
防災訓練で用いるSPEEDIの予測値いついて。
文科省原子力安全課「国と自治体との調整会議で気象条件を決め、風速は代表的な数値を使っている」
SPEEDIの計算に1時間必要とするということだから、少なくとも訓練時の風速・風向とより厳しくした放射性物資放出量を用いたシュミレーションでなければ、例え訓練であっても、危機管理の用をなさないはずだ。
記事批判。〈年間平均風速を用いているわけでもなく、条件設定の根拠は明確でない。〉
元原子力安全委員会専門委員で、原発防災訓練にもかかわった吉井博明・東京経済大教授(災害情報学)の談話。
吉井博明・東京経済大教授「『より厳しい条件で訓練すべきだ』と委員が指摘しても変わらなかった。避難区域が10キロ圏を超えることはないという前提で全部が動いていた。
各自治体が最悪の事態を想定してSPEEDIを用いた図上演習をし、防災計画や避難訓練に反映させるべきだ」
「避難区域が10キロ圏を超えることはないという前提」を一般的な危機管理の既定概念としていたなら、いわばそのような考えを凝り固まらせていたとしたなら、それが最悪の想定ということになって、如何ともし難く「原発安全神話」にどっぷりと浸っていたことになる。
防災訓練が何の役にも立たなかった危機管理能力欠如のもう一つの例。この危機管理欠如はやはり「原発安全神話」に侵されていたからこその欠如であろう。
《官邸のテレビ会議未接続 保安院などと、福島原発事故時》(河北新報/2012年04月04日水曜日)
原子力災害時に首相官邸や経済産業省原子力安全・保安院、現地のオフサイトセンター、自治体などを国の専用回線で結ぶ首相官邸のテレビ会議システムが昨年3月の東電福島第1原発事故発生当時、接続されていなかったという。
〈官邸でシステムの機材が置いてあるのは、事故対応に当たる地下の危機管理センターではなく、4階の会議室。普段は接続せず、訓練の時だけ一時的につないでいた。システムは1999年に起きた東海村臨界事故を受けて整備し、回線の維持費は年間計5億~6億円。福島事故で防災システムを活用しなかった事例がまた一つ表面化した。〉――
菅仮免を政府原子力災害対策本部会議本部長として浜岡原発3号機放射性物質外部放出事故を想定した2010年度原子力総合防災訓練でも首相官邸(政府対策本部)は静岡県浜岡原子力防災センター(オフサイトセンター)、静岡県庁、他関係自治体とテレビ会議システムを通じて情報共有を行い、オフサイトセンターは現地浜岡原発とテレビ会議システムを介して同じく情報共有を行なっている。
首相官邸HPにはテレビ会議システム使用の写真が載っている。
同じ内容を扱った、《官邸テレビ会議未接続 原発事故時「思いつかず」》(MSN産経/2012.4.4 08:01)には次のような記載がある。
〈システム機材は、事故対応に当たる官邸地下の危機管理センターではなく4階の会議室に置いてあり、接続作業は原子力安全基盤機構と内閣官房が担当。〉
原子力安全基盤機構担当者「オフサイトセンターの支援などに追われ、思いつかなかった。官邸や保安院から要請もなかった」
内閣官房「保安院の職員が官邸に詰めて電話やファクスで連絡を取っていた。必要なかったか余裕がなかったか、使わなかった理由は分からない」
防災訓練を生かさず、何も学習せずの状態に危機管理がとどまっていた。何と程度の低い危機管理意識だったのか。それが管政府全体に及んでいた。
この危機管理欠如、危機管理意識の希薄性も、「原発安全神話」に端を発した、そのことに対応して機能させたお粗末さであり、不手際ということであろう。
福島第一原発のオフサイトセンターは発電所から約5kmの場所に設置されているという。
東電のHPによると、東電から行われた3月11日16時45分の原災法第15条報告によって、約2時間後の同日19時03分に内閣総理大臣から原子力緊急事態宣言が発令、官邸に原子力災害対策本部が、現地の緊急対策拠点であるオフサイトセンターに原子力災害現地対策本部(原子力災害合同対策協議会)がそれぞれ設置された。
同HPに、〈オフサイトセンターは当初開設されなかったため、全面的な人員派遣は見合わせていたが、12日3時20分に活動が開始されたとの情報を受け、当日中には合計28名(14日は最大で38名)が同所での活動を実施した。〉との記述があるから、地震の影響で直ちに開設というところまでいかなかったことが分かる。
だが、〈その後、原子力災害の進展に伴い、オフサイトセンター周辺の放射線量の上昇や食料不足などに伴い、継続的な活動が困難との判断がなされ、15日に現地対策本部は福島県庁に移動した。〉との記述によって、オフサイトセンターの活動は3月12日3時20分から3月15日の3日間だったことが分かる。
その3日間の間、〈 オフサイトセンターの当社派遣要員は、当社の使用ブースに設置され、地震等による被害を受けず機能が維持されていた当社所有の保安回線を介するテレビ会議システムや保安電話等を活用して、発電所及び本店の対策本部との間でリアルタイムの情報共有を図ることが出来た。〉・・・・・
いわば東電所有のオフサイトセンター設置テレビ会議システムを活用して、現地福島第1原発と本店の対策本部との間にリアルタイムの情報共有を行なっていた。
オフサイトセンターでの活動が困難となって撤退することになった以降も、東電は本店と現地福島第1原発との間でテレビ会議システムを用いて現地の情報を共有することができていた。
菅仮免は3月15日早朝、東電本社に乗り込み、本店に政府・東電統合対策本部を設置、そこに海江田と細野を政府代表として詰めさせ、現地発電所からテレビ会議システムを通して伝達される情報を二人を介して首相官邸に伝えさせた。
内閣府に設置の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)は次のように中間報告を行なっている。
〈東京電力本店においては事故発生直後から社内のテレビ会議システムを用いて福島第一原発の最新情報を得ており、このシステムは、12日未明までには、保安院職員が派遣されていた現地対策本部(オフサイトセンター)でも使用できるようになり、プラント情報等が共有されていた。
しかしながら、経済産業省緊急時対応センター(ERC)にいたメンバーには、東京電力本店やオフサイトセンターが、社内のテレビ会議システムを通じて福島第一原発の情報をリアルタイムで得ていることを把握していた者はほとんどおらず、情報収集のために、同社のテレビ会議システムをERC に持ち込むといった発想を持つ者もいなかった。また、迅速な情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣することもしなかった。〉
政府事故調は経済産業省の発想の貧弱さ、危機管理の程度の低さを批判しているが、元々首相官邸とオフサイトセンターはテレビ会議システムでつながっていたのであり、オフサイトセンターが使用不可能となった段階で、東電のテレビ会議システムを首相官邸に持ち込むといった発想を持つべきであり、それが的確な危機管理対応というものであろう。
だが、そういった発想を菅仮免以下、誰も持たなかった。
テレビ会議システムの設置にどのくらいの日数を必要とするのかインターネットを調べてみたら、「goo」の検索サイト記載のNTTコムの電話会議サービスには次のような謳い文句が載っている。
「導入まで2時間で利用可能! 業界最安値水準のお得な料金」
オフサイトセンターが機能していた3月12日3時20分から3月15日までオフサイトセンターを中継地点として首相官邸と東電本店、福島第1原子力発電所とテレビ会議システムを通じて情報共有をし、3月15日オフサイトセンター閉鎖後は直ちに首相官邸と東電本店を結ぶテレビ会議システムを設置、情報共有を果たしていたなら、何も菅仮免は3月15日早朝に東電本店に怒鳴り込んでいって、東電本店に政府・東電統合対策本部をわざわざ設置しなくてもよかったのではないだろうか。
清水東電社長が申し出たという全面撤退を思いとどまらせるために怒鳴り込み、乗り込んだとされているが、乗り込む前の同じ3月15日未明に清水社長を首相官邸に呼びつけて撤退問題を話し合っているのである。
一国のリーダーであり、原子力災害対策本部長でありながら、その場で説得できずにあとから乗り込んだというのは自身を目立たさせるためのパフォーマンスではなかったのではないかと思えて仕方が無い。
大体がその場で説得できなかったということは危機管理無能力の証明としかならない。
何れにしても二つの記事が伝える原発事故発生時の政府対応は「原発安全神話」を触媒として危機管理が化学劣化をきたしていたことを情け容赦もなく暴露して余りある。
参考までに――
2012年3月4日記事――《菅仮免と東電とのテレビ会議システムの活用の如何ともし難い差から福島原発菅視察の必要性を考える - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》