2012年4月3日付の「WEBRONZA」――《菅首相は本当に東京を救ったのか【第3弾】》に次のような記述がある。
〈原発事故対応が混乱したのは菅首相の過剰介入のせいだ、という論調がマスコミに溢れたとき、WEBRONZAは「東京を救ったのは菅首相の判断ではないのか」(竹内敬二)という論考を載せ、多くのアクセスを集めた。
議論のきっかけは、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)が発表した報告書である。これには官邸(菅首相)の現場介入について「(3月)15日の撤退拒否と対策統合本部設置及び…略…については、一定の効果があったものと評価される」という一文がある。だが、その民間事故調の判断に対しても異論はありうる。果たして菅首相の言動は、混乱を止めたのか、加速したのか。〉――
それに対して何人かの識者が意見を述べているが、冒頭部分の記載に続いて「続きを読む」をクリックすると、走りの箇所は読めるが、再度「続きを読む」となって、それをクリックすると、有料の会員登録。貧乏人の私はそこまで。
同じく「続きを読む」の先は読むことはできないが、朝日新聞編集委員だとかの小此木潔が、《福島原発「悪魔のシナリオ」回避で菅直人氏の役割を検証・再評価すべきだ》(WEBRONZA/2012年04月03日)で、題名からして肯定的に把えている。
いわば数少ないはずの管の味方だというわけである。
冒頭、次のように主張している。
〈福島第一原発事故に際して菅直人・前首相の過剰なまでの「現場介入」や官邸におけるリーダーシップのありようが問題にされてきた。私も正直なところ、菅氏の思考や行動にはどこか「受け狙い」や細部へのこだわりで全体を見失う傾向があるとの印象を抱き続けてきた。
しかしながら、もし菅氏が原発事故の処理にあたって、東京電力・清水正孝社長(当時)の「撤退」あるいは「退避」の申し入れに激怒して東電本社に乗り込むなど大きな圧力をかけたことが刺激や力となって東電が現場でのギリギリの努力を継続・強化させた結果、首都圏の人びとを含む「三千万人」が避難するような事態を回避するのに役立ったとしたら、菅氏の役割はもっときちんと検証・再評価されるべきではないだろうか。〉
そして東電側から、東電側は否定しているが、撤退の申し入れがあり、対して菅仮免許が清水東電社長を首相官邸に呼びつけて、菅自身から撤退はあり得ないことを伝えたこと、さらに東電本店に乗り込んで撤退を思いとどまらせたこと等の経緯に触れた上で、東電側の全面撤退否定のリリースを掲載し、〈どちらかがウソを言っているのか。それとも、〉となっていて、「…‥続きを読む」となっている。
但し、菅仮免許の役割を検証・再評価すべきの立場からの「どちらがウソ」なのだから、どちらに肩入れしているか考えずとも分かる。
無料文章中に記述の、朝日新聞連載「プロメテウスの罠」の中の「官邸の5日間」を基に引用した各発言と東電のリリースを参考のため掲載しておく。
3月14日深夜の海江田氏が記憶する清水社長の電話。
清水東電社長「(福島)第1原発の作業員を第2原発に退避させたい。なんとかなりませんか」
小此木編集委員は、〈2号機の燃料棒が全部露出して圧力容器が「空だき」状態になったあとのことだ。〉と解説している。
枝野官房長官(吉田第1原発所長に)「まだやれますね」
吉田所長「やります。頑張ります」
枝野は電話を切っていから、呟く。
枝野「本店のほうは何を撤退だなんて言ってんだ。現場と意思疎通ができていないじゃないか」
私自身は詭弁家枝野を頭から信用していない。大体が、「まだやれますね」と言うこと自体が間違っている。防護服を何重にも纏ってでも、終息に向けてやり通さなければなりませんと言うべきだったろう。放射能漏出を制御が全く効かない状態に悪化させ、そのまま放置するわけにはいかないことは誰の目にも明らかだからだ。
東京どころか、日本中の国民が海外へ逃避しなければならなくなる。
枝野ら、関係閣僚(菅仮免許に報告)「東京電力が原発事故現場から撤退したいと言っています」
菅仮免許「撤退したらどうなるか分かってんのか。そんなのあり得ないだろ」
常にこんな乱暴な口使いをしていたのだろうか。品位あるリーダーなら、「撤退したら、どうなるか分かっているのだろうか。そんなのあり得ないはずだ」等の言葉遣いをしたはずだ。
清水社長を15日午前4時17分、官邸に呼ぶ。
菅仮免許「撤退などありえませんから」
菅仮免の発言に対して、清水社長がどう答えたのか、肝心の反応が抜けている。
そして東電に乗り込んだシーン。
菅仮免許「皆さんは当事者です。命をかけてください。撤退はありえない。撤退したら、東電は必ずつぶれる」
撤退があるとしたなら、原子炉自体が爆発等の最悪の状況に至った場面である。それを放置して撤退する。東電が潰れるとか潰れないとかいった問題ではない。高濃度の放射能拡散が日本全国覆う最悪ケースが現実のものとなり得る恐れさえ生じる。東電の倒産を超えて日本全国の企業の倒産のみならず、全国民の生命・財産に直接的に関わってくる。
それを視野狭く、東電だけを問題としている。
東電リリース「東京電力が福島第一原子力発電所から全員を退避させようとしていたのではないかと、メディアで広く報道されていますが、そのような事実はありません。
昨年3月15日6時30分頃、社長が『最低限の人員を除き、退避すること』と指示を出し、発電所長が『必要な人員は班長が指名すること』を指示し、作業に直接関わりのない協力企業作業員及び当社社員(約650名)が一時的に安全な場所へ移動を開始し、復旧作業は残った人員(約70名)で継続することとしたものです。
東京電力が官邸に申し上げた主旨は『プラントが厳しい状況であるため、作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい』というものです。3月15日4時30分頃に社長の清水が官邸に呼ばれ、菅総理から撤退するつもりかと問われましたが、清水は撤退を考えていない旨回答しており、菅総理もその主旨で4月18日、4月25日、5月2日の参議院予算委員会で答弁されています。
清水も4月13日の記者会見において『全面撤退を考えていたということは事実ではない』と申し上げています」――
東電の全面撤退申し入れが事実だとしたら、原子炉自体が爆発等の事態に至らない限り全面撤退があり得ないことを自明の理としなければならないのだから、なぜ菅仮免は清水社長を首相官邸に呼びつけたとき、一国のリーダーとして、原子力災害対策本部長として、撤退問題に決着をつけるリーダーとしての能力を発揮することができなかったのだろうか。
決着をつけることができずに、1時間後、東電本店に乗り込んでいる。
この矛盾は閣僚に対して告げた「撤退したらどうなるか分かってんのか。そんなのあり得ないだろ」云々の発言とも矛盾していて、双方の矛盾は相互対象をなしているはずだ。
また、原子力災害が発生した場合に原子力災害現地対策本部が設置される各原発近くの緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)を中継地点として首相官邸、原子力事業者施設(福島原発事故の場合は東電本店)と原発現場がテレビ会議システムでつながっていて、情報共有できる体制となっていた上に、菅仮免は2010年10月20日と21日の2日間、首相を政府原子力災害対策本部会議本部長とした、静岡県の中部電力浜岡原発緊急事態想定の原子力災害対策特別措置法に基づいた「平成22年度原子力総合防災訓練」を実施し、テレビ会議システムを訓練で使用している。
福島原発のオフサイトセンターの活動は地震と放射能の影響で3月12日3時20分から3月15日の3日間に限られた。
東電が全面撤退を申し出たとする動きを時系列で見てみる。
2011年3月15日午前3時頃――菅、海江田経産相から、東電が全面撤退の意向を示していることを伝えられる。
2011年3月15日午前4時過ぎ――菅、清水東電社長を官邸に呼ぶ。
2011年3月15日午前5時半過ぎ――東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴ったとされる。
少なくとも3月15日午前5時半過ぎに東京・内幸町の東電本店に乗り込まずとも、テレビ会議システムを通じて東電本店と情報共有を図ることができたはずだ。
例えテレビ会議システムの立ち上げに時間を要したためにオフサイトセンターとの間でテレビ会議システムが機能しなかったとしても、3月11日午後4時36分、首相官邸に東電福島第1原発事故対策本部を設置した段階で、数時間で済むテレビ会議システムの東電本店と首相官邸間を直接結ぶ設置を思いついて情報共有を図っていたなら、東電の全面撤退の申し入れが具体的にどのようなものか確認できたはずだし、それに対しての説得もより有効に処理できたはずだ。
最悪、3月11日午後7時03分の第1回原子力災害対策本部を首相官邸に設置した段階でテレビ会議システムを東電本店との間に機能できるように準備を完了していたなら、わざわざ清水社長を首相官邸に呼びつける必要もなかったし、東電本店に乗り込む必要も生じなかったはずだ。
やるべきことをやらずに、やっていたなら必要としない行動をわざわざ必要にしてつくり出している。
何れにしても誰が首相であっても、あるいは首相でなくても全面撤退があり得ないことは自明の理であって、にも関わらず、小此木氏の菅仮免許に対する検証・再評価の根拠は東電の撤退を思いとどまらせた結果、〈首都圏の人びとを含む「三千万人」が避難するような事態を回避するのに役立った〉とする点に置いて、結果的に誰もが自明の理としていなければならないことを当事者たる東電が自明の理としていなかったこととしている。
もし東電の現場の人間が何が何でも全面撤退すると言い出したなら、原発に知識を持つ有志を集めて自衛隊の支援のもと、原子炉の抑制に立ち向かうチームを立ち上げ、実行に移す役目を担わなければならないし、その備えは頭の中に入れていて、自明の理を埋め合わせ、維持しなければならなかったはずだ。
もし有志が集まらなければ、吉田福島第一原発所長を始めとした東電の現場作業員を軍隊に於ける敵前逃亡、あるいは戦闘放棄と同様に看做して逮捕、自衛隊員が銃を突きつけて強制的に作業に当たらせるしか方法はなかったろう。
全面撤退とはそれ程にも緊急事態であり、それ故にこそ、あり得ないことを自明の理としなければならない。
いわば無人とする選択肢はゼロだということである。誰かが代わらなければならないし、誰かに代えなければならなかった。
菅仮免許はこの認識を当たり前のこととしていなければならなかったのだから、やはり清水社長を首相官邸に呼びつけとき、全面撤退申し出が事実なら、その時点で思いとどまることを納得させ、全面撤退はあり得ないことを自明の理と認識させなければならなかった。
小此木氏の上記記事は菅仮免許の「撤退などありえませんから」の発言に対する清水社長の返答が記載されていなかったが、《菅前首相インタビュー要旨》(時事ドットコム/2011/09/17-19:58)は触れている。
記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」
菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに「東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。
社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」
全面撤退があり得ないことは自明の理でありながら、撤退撤回要請に対して、「社長は否定も肯定もしなかった」反応しか得ることができなかった。
あるいは「否定も肯定もしなかった」ままの状態で許した。
この指導力のなさは一国の首相であることとまさに逆説をなしている。
果たして東電は全面撤退があり得ないことを自明の理としていなかったのだろうか。
一つ不思議なことがある。3月21日(2011年)午後、東日本大震災緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議での菅仮免発言である。《首相“危機脱する光明が見える”》(NHK/2011年3月21日 17時42分)
菅仮免許「関係者の命がけの努力で、少しずつ状況は前進している。まだ危機的状況を脱したというところまではいっていないが、脱する光明が見えてきた。
なんとしても、これ以上の被害を出さないよう、最後の最後まで歯を食いしばってでも、対応を緩めないで頑張っていきたい。関係者の皆さんには大きな力を貸していただきたい
未曽有の地震災害を越えたときに、より元気で安心できる日本になっていたという夢を持てる復興計画をしっかりと考えていきたい」
危機的状況を「脱する光明が見えてきた」と言い、そのことの証明として、「なんとしても、これ以上の被害を出さないよう」にと、「これ以上の被害」が出ない予測を立てることができる段階にまできたことを伝えている。
だからこそ、「より元気で安心できる日本になっていたという夢を持てる復興計画をしっかりと考えていきたい」と、復興への思いを馳せる発言へとつながったのだろう。
3月21日の時点で危機的状況を「脱する光明が見えてきた」と発言していたにも関わらず、この発言の翌日の3月22日、菅仮免は近藤原子力委員会委員長に最悪事態想定のシナリオ作成を要請し、3日後の3月25日に報告を受けた。
この矛盾はどう説明したらいいのだろうか。万が一の最悪の事態を想定する危機管理、いわば頭の体操として要請したのだろうか。
だとしても、3月21日の時点での原子炉自体の現実は着実に危機からの脱出に向かって進んでいた。
実力のない人間が自身の評価を高めるためによくやることだが、事態を実際よりも最悪方向に大きく見せかけることでその解決に払った自身の大したことのない働きもを実際より大きく見せかけようとする作為を意図していたとするなら、東電側が全面撤退があり得ないことを自明の理としていなかったとしていることも納得がいくし、首相官邸での撤退撤回要請に清水社長が、そういった態度を取ることはあり得ないにも関わらず、「否定も肯定もしなかった」態度を取ったとしていることも納得がいく。
また、3月21日の時点で危機的状況を「脱する光明が見えてきた」と発言していたにも関わらず、翌3月22日に「最悪シナリオ」の作成を要請したことも納得がいく。
あり得るはずもないし、許すこともできないことが自明の理である東電の全面撤退をあり得たことと仮定して、これだけの最悪の事態となると被害を拡大想定し、その拡大想定に比例させてその解決に挑戦した自身の働きをも大きく見せかけ、評価を高める。
このことは次のインタビュウー発言に見ることができる。《菅前首相インタビュー要旨》(時事ドットコム/2011/09/17-19:58)
記者「3月16日に『東日本がつぶれる』と発言したと伝えられた。」
菅仮免「そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う」
全てはあり得ないを自明の理としなければならない東電全面撤退をあり得た自明の理として、それを阻止したことを自己評価としている。
そしてこの一点の評価を以って、「当時の判断として適切だと思う」と、大勢を占めている他の不評価の数々を無視して、すべての不評価に替えようとしている。
このような胡散臭い作為からしても、東電の全面撤退はあり得たを自明の理とすることは肯定し難いが、小此木氏のように肯定する識者が存在するということであろう。