石原知事が言う北朝鮮情報遅れに見る「自民政権時代以来培養の日本の防衛力と情報力貧弱性」は暗記教育成果

2012-04-15 04:17:38 | Weblog

 《【北ミサイル失敗】石原知事「防衛力、情報力の貧弱さ露呈」》MSN産経/2012.4.14 09:05)

 4月13日午後(日本時間14日未明)、石原東京都知事が訪問先の米国務省で、北朝鮮の「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイル発射で政府の「発射確認」が手間取り、説明が二転三転したことについての質問を受けて、次のように発言したという。 

 石原都知事「自民党政権時代から培ってきた日本の防衛力の貧弱さ、情報力の貧弱さが明かされたということだ」

 〈石原知事はこの日、カート・キャンベル国務次官補と会談。米軍横田基地の軍民共用化問題や、北朝鮮情勢などについて意見を交わした。〉

 北朝鮮ミサイル発射失敗について。

 石原都知事「あの程度のものという報告でしかなかった」

 しかし、いつまでも「あの程度のもの」でとどまっている保証はない。

 日本政府の対応について。

 石原都知事「隣国の北朝鮮が打ち出したミサイルの情報の確認を、日本が外国に比べて遅れているというのは、今の日本の国家のザマだ」

 日本政府の情報対応能力には失望しているが、自衛隊の実戦能力には期待しているようだ。

 石原都知事「(ミサイルが)もう少し飛んで、日本領空に来たときに撃ち落とせばよかった。それは、日本の防衛力の顕示になった」

 日本政府は情報対応には失態を見せた、ミサイルが日本の上空にまで飛んできたものの、撃ち落としに失敗したでは日本は形無し、踏んだり蹴ったりの赤っ恥を掻くことになる。

 だが、いくら自衛隊の実戦能力が優れていても、防衛力とは兵器の種類や所有量、その近代性、あるいは先端性のみによって決まるわけではなく、部隊を戦闘に対応させながら機動性を持たせて展開させ、有利に戦いを進める能力によって決まる。

 今回のように単にどの方向に発射すると分かっているミサイルを待ち構えていて撃ち落とす、機動性を必要としない実戦能力とは異なる。

 そして部隊の機動性は敵の動き、敵の兵力、敵の戦闘能力等に対する迅速・的確な情報把握と把握した情報から敵の戦術を読み取って、それを撹乱する味方の戦術の臨機応変、且つ創造的な情報処理にかかっている。

 いわば臨機応変性を持たせた情報把握能力と把握した情報を如何に臨機応変・創造的に、且つ迅速・的確に処理するかの、その場・その状況にふさわしい情報処理能力が部隊の機動性を決定することになるはずだ。

 このことは軍の機動性(=防衛能力)のみならず、政治の機動性についても同じことが言えるし、企業経営の機動性についても言えるはずである。

 石原東京都知事は日本政府の北朝鮮ミサイル発射に対する情報把握能力とその情報処理能力を以って、「自民党政権時代から培ってきた日本の防衛力の貧弱さ、情報力の貧弱さが明かされたということだ」と批判した。

 ここで言っている「日本の防衛力」とは自衛隊の防衛力のことではなく、日本政府の対自衛隊指揮・命令能力を言っているはずだ。でなければ、最後の「(ミサイルが)もう少し飛んで、日本領空に来たときに撃ち落とせばよかった。それは、日本の防衛力の顕示になった」という発言と矛盾することになる。

 但し、自衛隊の実戦の際の防衛能力(=軍の機動性)は日本政府の情報把握能力と情報処理能力が諸に影響する対自衛隊指揮・命令能力に対応し、その支配を受けることになる。

 いずれにしても日本政府の情報把握能力と情報処理能力は臨機応変性と創造性を欠いていて、日本の防衛能力に悪影響が生じているということであり、それは自民党政権時代から培ってきた成果だと言うことであろう。

 当然、日本の防衛能力の向上、日本政府の情報把握能力と情報処理能力の向上は臨機応変性と創造性の獲得が鍵となる。

 だが、臨機応変性にしても創造性にしても、創造的に考える力が与え得る能力であって、日本の教育が伝統的に暗記教育であることによって考える力を育まない教育となっている。

 いわば石原都知事のいう「日本の防衛力の貧弱さ、情報力の貧弱さ」は日本の暗記教育の成果でもあるということである。

 また、日本の暗記教育は封建時代以来の伝統としてある教育形態であるから、「日本の防衛力の貧弱さ、情報力の貧弱さ」は「自民党政権時代から培ってきた」能力ではなく、それ以前からの伝統としてある能力でなければならない。

 このことはかつての日本の戦争の敗戦が「神風が吹く」や「生きて虜囚の辱を受けず」等に代表される軍の過剰な精神主義、作戦に於ける机上の空論、敵能力の軽視にあるとされていることが証明している。

 いずれも合理的精神を欠いていることによって成り立たせ可能となる資質である。

 合理的精神は考える力を身につけることによって養い得る。だが、暗記教育は教師や教科書が与える知識・情報をなぞって暗記する情報把握と情報処理に主眼を置き、そこに自身の考えを介在させて自らの知識・情報とする情報把握と情報処理のプロセスを持たない。

 このことゆえの臨機応変性を持たせた情報把握能力と把握した情報を如何に臨機応変・創造的に、且つ迅速・的確に処理するかの、その場・その状況にふさわしい情報処理能力の欠如ということであり、それが石原都知事が言っている「日本の防衛力の貧弱さ、情報力の貧弱さ」となって現れているということであろう。 

 規則をなぞって行動するマニュアル主義、あるいは前例に従うのみの前例主義、周囲の行動に合わせる横並び症候群、すべて他者や周囲の考えに合わせて、自らの考えを持たない、合理的精神とは無縁の行動性にしてもすべて暗記教育が逆説的に育んできた臨機応変性と創造性の欠如が基本となっているはずである。

 と言うことなら、日本が暗記教育から脱しない限り、、「日本の防衛力の貧弱さ、情報力の貧弱さ」は延々として続くことになる。

 小沢一郎元民主党代表が4月12日に国会内で開いたグループ会合で次のように発言していることも、以上見てきた暗記教育の成果としてある一つの能力であろう。

 小沢元代表「国際政治の中では、日本の影響力は西側の同盟国からほとんど評価されていない」(MSN産経

 満足な情報把握能力も情報処理能力も発揮し得ていないということである。

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