大川小学校津波避難と震災時消防士水門操作に見る人の命に対する危機管理

2011-10-20 11:39:56 | Weblog

 ――人の命を如何に守るかを常に念頭に置き、そのことを第一義としたとき、危機管理は全般的な有効性を持つはずだ――

 大川小学校は大震災発生直後の避難を津波から逃れる方向の、子どもたちがシイタケ栽培で何度も登り降りしていた近くの裏山ではなく、津波が押し寄せてくる新北上川に架かっている新北上大橋の袂(たもと)の三角地帯と呼ばれている空間に向かって行い、児童108名中70名を死なせ、4名が行方不明。教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明の被害を出した。

 究極的には災害を念頭に置いた危機管理を考えることはできていても、常に人の命を念頭に置いた危機管理を日常普段から疎かにしていたために危機に直面しても危機感(=危機意識)を持って対処できなかったということではないだろうか。

 危機感(=危機意識)を欠いていたから、避難場所の選定を過つ以前の問題として、校庭から歩いて1分程の裏山に逃げるか、3分程の川近くの三角地帯に逃げるかの選択に30分以上も時間がかかり、最終的に津波は高い場所・高台に避難の鉄則を無視して、場所の選定まで間違えた。

 ましてや相手は、その多くは小学生である。鋭い危機感(=危機意識)に立った的確且つ迅速な判断を求められたはずだが、教師を含めた大人たちは責任を果たすことができなかった。

 人の命を念頭に置かない危機管理を伝える記事に出会った。《津波出動で水門操作、死亡・不明消防団員72人》YOMIURI ONLINE/2011年10月17日07時02分)

 〈東日本大震災の津波で死亡・不明となった岩手、宮城、福島3県の消防団員計253人のうち、少なくとも72人が海沿いの水門・門扉の閉鎖に携わっていたことがわかった。〉と伝えている。

 設置主体の自治体の委託で行っているケースが多いとのこと。

 〈総務省消防庁によると、震災で死亡・不明になった消防団員は岩手県119人、宮城県107人、福島県27人。このうち閉門作業にかかわった人数を各市町村、消防機関に取材したところ、岩手県で59人、宮城県で13人に上った。福島県で団員の死者が出た6市町は民間業者や住民組織などに閉門作業を委託しており、同県浪江町では水門を閉めに行った住民1人が死亡した。〉――

 「水門・門扉の閉鎖」と書いてあるから、河口に設ける上下開閉方式の水門のことだけではなく、岸壁の倉庫や事務所の裏に波除けとして設けた一定の高さのコンクリート製の塀の人間やトラック等の出入口用の何箇所かの左右引き戸開閉方式の扉を閉める役割も担っていたのだろう。

 岸壁以外の海岸沿いには土盛りの防潮堤もあり、そこにも出入りの通路があって、普段は開けっ放しの波除けの門扉が設けてある。

 そういった水門と門扉が岩手、宮城、福島3県で計約1450基あるという。

 但し記事は1450基すべてが手動式開閉なのかどうかは書いてない。

 各自治体や総務省消防庁の調査として、〈死亡・不明者は閉門中に津波にのまれたケースもあるが、閉門後に住民の避難誘導にあたるか、自身の移動中などに被災した例が多いという。〉と伝えている。

 閉門作業で全員が死んだ訳ではないといった主旨が伝わってきて、何となく責任逃れのニュアンスを嗅ぎ取ってしまう。閉門という任務を指示されて、大川小学校の生徒たちが津波により近づいていったようにより危険な海岸方向に向かっていた事実は消すことはできない。

 移動中であったとしても、閉門後に住民の避難誘導に当っていたとしても、余分に死なせてしまった命と考えることができないわけではない。

 何よりも無視できない事実は、〈地震直後に海へ向かう危険な作業のため、遠隔操作できる門を増やすよう求める声が以前から出ていた。〉と記事に書いてある点である。

 改善の要求がありながら、要求に応じなかったばかりか、少なくともすべてに応じていなかったために、「危険な作業」であることを承知していながら消防士を派遣していた。

 消防署は津波や地震等の危機管理に於いてもプロ集団である。地震の異常なまでの揺れから津波の襲来、津波の程度といったことを連想しなかったのだろうか。

 ましてや1611年の慶長三陸地震 明治三陸地震 昭和三陸地震津波 1960年のチリ地震等の地震で津波が発生、多くの死者を出す歴史を抱えてもいた。
 
 記事は書いている。〈国は、当時の状況などを検証するほか、水門閉鎖のルールや運用の変更についても検討を始める。〉

 殆んどの危機管理が少なくない人命を失う失敗を経験してから、ときには大勢の人命を失う失敗を経験してから、不足や不備に気づき、その手直しに取り掛かる。

 あるいは地震・津波時の水門・門扉の手動閉門の危険性が指摘されていて、改善を求める声が前々から存在していたにも関わらず手を打ってこなかったように前以て危機管理の不足・不備の指摘を受けていながら、人命を失うという取り返しのつかない失敗体験を経なければ、その不備・不足の手直しに重い腰を上げないといった、何ら学習できないことが繰返される。

 これもあれも人の命を常に念頭に置いた危機管理を心がけていないことからの人の命に対する危機感(=危機意識)不足が招いている後手の対応であろう。

 岩手県、宮城県の消防士が自治体から委託を受けた水門・門扉閉鎖の任務に携わって死者を出した危機管理欠如を早速学習したのだろう、高知県が津波の到達まで余裕がない場合、水門を閉めに行くことを取りやめる方針を固めたという。

 だが、この危機管理も犠牲者を出すという他県の失敗があって初めて学習した、失敗がなければ学習しなかったに違いない後手の対応であることに変わりはない。

 《水門閉鎖 余裕なければ行わず》NHK NEWS WEB/2011年10月19日 17時58分) 

 〈総務省によりますと、県レベルでこうした方針を打ち出すのは全国で初めてではないかということです。〉と記事が書いている高知県の一番乗りは、順次右へ倣えの横並び方式で増えていくだろうが、逆に高知県以外の自治体の対応の遅さを教えている。

 記事はまた次のように書いている。〈高知県は、来年4月に市町村などと交わす水門の閉鎖についての契約書に、この方針を明記することにしています。〉――

 来年4月の契約ということは年度が変わることからの時期設定だろうが、それまでに東南海地震や南海地震、東海地震の何れか、あるいは連動した地震が起きた場合はどうするのだろう。既に口頭なり、通知なりで新規の取扱いを抜かりなく通知しているということなのだろうとは思う。そうでなければあまりにもお役人仕事となる。

 高知県土木部「消防団員など住民に危険な任務を負わせることはできない。命を最優先に考え、時間がないときには閉めに行かないという判断をした」

 当たり前のことを今更のこととして言っている。人の命を常に念頭に置いた危機管理とはなっていなかったということの証明としかならない。

 20年程前、当時の清水市に西に隣接する静岡市の大谷川放水路整備工事(擁壁及び河床工事)に土木作業員として加わっていた。大谷川放水路が完成したのは1999年5月だが、工事は河口から順次上流に遡る形で行われていて、既に河口に設置した大川水路水門は完成していて、地震で震度5以上の揺れを感じると、自動的に門が下降閉鎖されると聞いていた。

 2009年8月11日5時7分に静岡県御前崎沖の駿河湾で発生したマグニチュード6.5、最大震度6弱の静岡沖地震で、この大谷川放水路水門は設置後初めて規定異常の加速度(震度)を感知し、自動閉鎖したという。

 特に騒がれていた東海地震対策ということなのだろが、津波対策用のすべての水門が自動開閉だと思い込んでいた。

 だが、この地震震度感知による自動閉鎖の水門が全国に波及しているわけではなかったことを今回知った。

 どう考えても、津波防止という危機管理の視点は持つことはできても、手動で水門閉鎖に向かう人間の命まで守る危機管理の視点にまで到達していなかったという結論を導き出さざるを得ない。

 冒頭の言葉を再度繰返す。――人の命を如何に守るかを常に念頭に置き、そのことを第一義としたとき、危機管理は全般的な有効性を持つはずだ――

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