枝野の経産省幹部子息の東電就職“親子別人格論”の正当性を問う

2011-10-05 12:15:56 | Weblog

 山崎雅男東電副社長が9月26日の衆院予算委員会で、東電には51人の天下りがいると発言。その内訳は〈「天下り」公務員OBは、8月末で51人。顧問3人中、国土交通省出身が2人、警察庁1人。嘱託48人の内訳は、都道府県警出身31人、海上保安庁7人、地方自治体5人、林野庁2人、気象庁2人、消防庁1人。電力業界所管の経産省からはゼロ〉(ZAKZAK)とのこと。

 この件について枝野経産相が答弁している。

 枝野「事実関係を調べた上で国会にも報告し、適切に対処したい」(毎日jp

 そして昨日(2011年10月4日)の閣議後の記者会見。

 枝野「少なくとも自分の経産大臣の在職中に再就職することがないよう強く求めたい」

 この発言は東電がOB在籍官公庁の官僚とつながりを持つことによって両者間に癒着発生の危険性が考えられることからの、その回避を図る狙いを込めていたはずだ。

 だが、努力義務の提示であって、禁止するとは言っていない。

 民主党政府は省庁斡旋ではない場合は天下りには当たらないとする見解を示している。例えば経産省の次官などが直接東電に出向き、「色々と面倒を見てやったはずだ。今度退官することになるから、東電でそれ相応の地位で雇ってくれないか」と自分から売り込んで採用された場合、省庁斡旋ではないから天下りではないということになる。

 省庁斡旋ではなくても、在職中の権限が圧力として働いた再就職であるなら、仲介採用と自力採用の違いがあるのみで、権限行使という点で天下り採用と本質的には何ら変わりはない。

 こういった方法が抜け道として利用されることは決してないと誰も信じていないだろうから、民主党の省庁斡旋ではない場合は天下りには当たらないとする政府見解で示している再就職ルールは天下りの抜け道をつくるためのルールとしか言いようがない。

 省庁斡旋ではないから天下りに当らないとしていた象徴的なケースとして、退職後2年間は所管業界に再就職してはならないとする自民党政権時代に作られたルールに反して経産省資源エネルギー庁元長官石田徹が2011年1月、東電顧問に就任している。副社長昇任込みの就職だと言われている。

 だが、経産省関連の省庁からの東電への天下りであり、チェック体制への悪影響批判を受けて、省庁斡旋ではないから天下りではないとしていた自分たちの政府見解に反して枝野官房長官(当時)が自主的辞任を要請、4月に辞任している。

 東電のつながりは官僚との間だけではない。東電は1974年企業献金の自粛を決めているにも関わらず、2009年までの数年間にわたり、自民党を中心とした50人以上の国会議員のパーティー券などを少なくとも年間計5千万円以上購入していたという。《東電、年5千万円パーティー券 献金自粛の一方で購入》asahi.com/2011年10月2日3時10分)

 記事の主なところを拾ってみる。

 ●パーティー券の購入予算枠を確保しており、毎年50人以上の議員に配分。
 ●原子力政策に於ける各議員の重要度や、電力施策への協力度を査定してランク付けを行い、購入額を決
  定。
 ●1回当りの購入額を政治資金収支報告書に記載義務がない20万円以下に抑え、表面化しないようにしてい
  た。
 ●査定が高い議員は上限の20万円を複数回購入。東電との関係が浅い議員は券2枚を計4万円で購入した
  り、依頼を断ったりしていた。
 ●東電の原発が立地・建設中の青森、福島、新潟の3県から選出された議員や、電力会社を所管する経済産
  業省の大臣、副大臣、政務官の経験者などは、購入額が高い議員にランク付けされていた。
 ●09年の政権交代までは自民党議員と民主党議員の購入金額の割合は約10対1で、自民党側が中心だった
  が、交代後の10年も券購入を続け、民主党議員の購入額を増やした。

 東電元役員「東電の施設がある県の選出議員かどうかや、電力施策や電力業界にどのくらい理解があるかを考慮した。関連企業に割り当て分を購入してもらうこともあった。

 (収支報告書記載非義務の20万円以下にに抑えたことについて)政治家と公的な企業につながりがあるというだけで、良からぬ見方をされる。表にならないに越したことはない」

 どのような理由があろうと、国民に隠す形で行っていた事実は消えない。

 東電広報部「社会通念上のお付き合い程度で行っているが、具体的な購入内容は公表を控える。飲食への支払いで、対価を伴っているので、政治献金ではない。(企業献金の自粛とは)矛盾していない」

 薄汚い狡猾なばかりの詭弁だ。「飲食への支払いで、対価を伴っている」と言っているが、パーティー券と飲食代は決して「対価」とはなっていない。常にそこに差額を設けて、その利益を政治家は政治資金とする。パーティー券を購入してパーティーに出席する側もそのことを承知して購入・出席(購入のみで出席しないケースもあるが)しているはずだ。

 いわばパーティー券購入の段階で、購入代金の相当額が政治資金に回ることを納得していたはずだ。

 「対価」とは「他人に財産や労力等を提供した報酬として受け取る財産上の利益」を言うのであって、それが釣り合わない場合は対価とは言えない。非正規社員が正規社員と同一の労働を行いながら、給与が正規社員よりも安いことを問題とするのは提供する労働が同一でありながら、報酬に於けるお互いの対価に違いがあるからだろう。

 「対価」の「対」と言う言葉には「つりあう。等しい」という意味がある。

 国会議員のパーティー券購入に年間計5千万円以上も支出していながら、「政治献金ではない」と言い切る。 
 
 このように詭弁を用いて政治献金ではないと誤魔化したり、1回当りの購入額を政治資金収支報告書に記載義務がない20万円以下に抑え、意図して表面化しないよう謀っていた確信犯的行為と言い、政治家に金銭的な便宜を与える見返りとしての何らかの便宜を必要に応じて求める意思を持たせたパーティー券購入ということであり、そういった趣旨でなければならなかったはずだ。

 利潤追求の企業が何らの利潤も見込めない投資をするはずはない。最低限、自企業の宣伝を図る。

 東電のこのパーティー券購入問題でも所管大臣の枝野経産相が批判発言している。

 b>《東電、年5千万円パーティー券 献金自粛の一方で購入》

 昨日(2011年9月4日)の閣議後の記者会見。

 枝野「少なくとも今後、購入しないのが当然だ。政治献金と同様の性質を帯びると受け止められても止むを得ない」

 常識的な発言を展開しているに過ぎない。地域独占という特権を与えられていて、国民からの電気料金で経営を成り立たせている電力会社が国民にこそ値下げという形で奉仕すべき年間計5千万円以上ものカネをパーティー券購入を介した政治献金という形の奉仕を行わなければならないのはなぜなのかという強い怒りを持った視点、国民に損害を与えているという視点を欠いている。

 この強い怒りを欠いた姿勢は次ぎの発言が決定的に証明することになる。 

 枝野(経産省幹部の子息が東電に就職するケースが指摘されていることについて)「親子は別の人格で、一律にルールで対応できない。疑念を持たれることのないような努力は必要だ」

 枝野は「親子は別の人格」だとすることで、経産省幹部子息の東電採用を無条件に認めている。東電側は親子は別人格を口実にいくらでも縁故採用することができることになる。

 また、枝野のこの無条件の認知は縁故採用なる人事が現実に存在することを無視して、その事実の否定ばかりか、その存在そのものの否定となる。

 縁故採用を疑う怒りさえ欠いていることからの“親子別人各論”であり、このことのみを以ってして、枝野の経産省幹部子息の東電就職“別人格論”は正当性を失う。

 確かに親子は別人格と言える。だが、親の名前や職業、地位が子どもの存在やその存在に対する周囲の受け止めように影響を与える権威主義的な力学(強い上の者に弱い下の者が無条件に、あるいは無条件的に従う上下の人間関係力学)の存在は決して否定できない社会となっている。

 この権威主義的な人間関係力学は親子を別人格でありながら、同一同然の人格と扱うことによって成り立つ。例え後になって親とは異なる無能力を子どもに発見したとしても、少なくとも初期的には同一同然の人格と看做して扱う。親の官庁在職中の権限が圧力として働くからであり、この圧力の効力こそが権威主義の人間関係そのものをつくり出す。

 権威主義の力学が働いて一旦縁故採用すると、子どもが無能でも親の存在自体が圧力となって子どもに対して満足に注意もできない状況が生じる。子どもの方は自身の無能を誤魔化すためにやたらと親の力を笠に着て威張り散らすといったことが往々にして起こる。 

 経産省幹部の子息の採用が親の権限が圧力として働いた縁故採用であったとしても、それを第三者の目で識別することは難しい。正式に試験を受けて、合格点に達していたから採用したと言われればそれまでである。

 だが、「親子は別の人格」だとか、「疑念を持たれることのないような努力は必要だ」と事勿れな注意で済ますのではなく、この世に縁故採用という名の不公平な人事が存在しないわけではなく、よくある現象として、「経産省幹部だからという理由で縁故採用することは癒着の原因にもなることだから、縁故採用はあってはならない」と強い調子で警告を発すべきだったろう。

 だが、そういった発言とはなっていなかった。既に触れたように「親子は別の人格」だとすることで、経産省幹部子息の東電採用を無条件に認めた。東電は「親子は別の人格」だとすることでいくらでも縁故採用できることになった。

 これは省庁斡旋ではない場合は天下りには当たらないとする政府見解が抜け道を前以て用意していたも同然の天下りルールとなっているように縁故採用の抜け道を前以て用意する詭弁家ならではの“親子別人各論”とも言える。


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