以前にも同じようなテーマでブログを書いたが、再度取り上げてみる。
(10年)8月5日の参議院予算委員会で、「どっこいしょ たちあがれ日本」の片山虎之助が質問に立ち、冒頭に「ねじれ国会」の追及を行った。
片山虎之助「えー、たちあがれ日本・改革の片山虎之助でございます。3年前まではこの参議院予算委員会、大変、私の古巣のようなところでございましてね、よく質問させていただきましたけれども、今回は3年ぶりです。大変風景も変わっておりますね。いささかの感慨がありますが、もう時間がありませんので、早速入らせていただきます。
私は、あの、質問・答弁共にですね、あのー、いつも、特に閣僚のみなさんにお願いしているのは、率直で、簡潔で、分かりやすい答弁を是非よろしくお願いいたします。そっちに座っておりますとね、答弁するのもくたびれますけれどねぇ、じっと座っているのもくたびれますねぇ。みなさん、もうちょっとですから、ご辛抱願います。そういうふうに思います。
先ず、この・・・・、ねじれ国会の話から、させていただきたいとこう思います。先だっての参議院選挙で、わが国会は、衆参完全なねじれ現象となりました。これまではですね、特に、あの、前回は、あー、自民党・公明党の与党がですね、衆議院で3分の2持っておりましたからね、本格的なねじれではなかったんですね。再決できるが、今回はそれがありませんので、完全なねじれ現象。午前中の質問にもありましたが、私はねじれというのは完全なマイナスの意味だけではないと思います。
あるべき二院制から言うと、ねじれていた方がいいんですよ。衆参が同じようなことを言って、同じように決めるんならねぇ、二院制の意味がない。いいねじれはね、私は国政のためにも必要だと、まあ、あのー、こういうふうに思っております。
特に私は平成元年に参議員にして貰いましてね。あと、政権与党が参議院で単独過半数持ったことないんですよ。2回続けて勝つということも、なかなか難しい。今大変ね、国民のみなさんの考え方も流動化していますからねぇ、そう同じとこばっかしいつまでも支持するというわけにはいきませんよ。何かヘマをやったら、おかしくなったら、代わるんです。
だから、これからはねじれが常態化するんです。そういうことの中でね、どうやって二院制をしっかりしたものにし、二院制民主主義を成熟化させていくかはね、与野党の姿勢なんですよ。私はそう思いますが、首相、どうですか?」
菅首相「まあ、片岡先生は、あー、あー、失礼。片山、あー、先生。えー、すみません。えー、申し訳ありませんでした、あの(前原国交相が後ろで膝を一つ叩き、笑う。腹の中で、しっかりしろよ、このド阿呆がと思っていたかどうかは分からない)。
あのー、岡山、私も本籍地でありまして、えー、昔から、片山虎之助先生について、色々、おー、特に参議院では、片山先生の、えー、多くの経験、えー、場合によっては、色々と教えていただかなければ、というふうにも思っております。
いま、あのー、ねじれ、国会について、エ、必ずしもねじれというのが、あー、悪いことではないんだということを、言っていただきまして、私も、マイナスばかりに考える必要がなくて、えー、この形から、あー、よりよいものが生れる、可能性は、あると思っています。
えー、1998年の、当時は自民党政権の元で野党が参議院で過半数を超えました。あの金融国会の中で、私共も、ある意味で政局というもの以上に、ま、国民の生活を考えて、えー、金融再生法を提案し、当時の小渕総理が丸呑みをされて、えー、金融危機を乗り越えていくことができたと。まあ、その後、私が政局にしないと言ったことについて、色々一部から批判がありましたけれども、私は、あの金融危機を越えることに、役に立てたのであれば、それでよかったと思いますし、そういう意味で与党(野党の間違いだろう)のみなさんにも、この日本のまさに長期に亘る危機を乗り越えていく道筋を是非、共に、えー、考えていく、そういうねじれ国会にしていただければと、えー、私たちもそうなるように誠心誠意努力したいと、このように考えております」
片山虎之助「ねじれ国会になりますとね、与野党の力量っつうか、器量が問われるんですよ。私はそう思います。総理はね、小渕内閣のときの金融国会の話ばかりされますけどね、一番最近、この間までねじれですよ、平成19年からね。あの参議院選挙で、あのー、私も不覚を取りましたが、安倍内閣がちょっとでありましたけれども、あとの麻生、福田内閣は完全なねじれだったんです。
そのときのですね、野党ですよ、みなさんは。どういう態度だったでしょうか。人事案件は全部否決。日切れ法案は否決でしょ?そうでしょ?特措法も、新しい法律も全部否決。3分の2で全部返したわけですよね。税なんか日切れが切れて、また返す。国民のみなさん、どれだけ迷惑したか。国民経済がどういう影響があったか。国際的な信用はどうだったか。インド洋の給油問題。これについての反省がないと、いくら野党に協力を求めたって、己を省みずに人に求めるっつうことは、それはいけませんよ。どうですか、総理?」
菅首相「まあ、あのー、このー、3年間、あるいは、あー、もう少し長い期間かしれませんけれども、えー。我が党が、あー、野党として、えー、参議院で、過半数を、野党が得ていましたときの、行動について、えー、ご指摘をいただきました。
えー、確かに今振り返ってみますと、ま、色んな場面がありましたけれども、おー、かなり、ま、政権を追い込むという、まあ、そういうことを、お、まあ、あのー、かなり念頭に置いた、あー、行動が、ま、なかったかと言われれば、えー、そういう観点も、あー、いくつかあったと思っております。ま、一つ一つの問題では、ア、それなりに私たちも、え、政策的な、観点から、反対をし、てきたつもりでありますけれども、ま、その行動の全体がですね、今ご指摘をいただいたようなことも、オー、あったということで、反省すべきところは、きちっと反省をさせていただくと、そう思っております」
片山虎之助「野党ですからね、フェア・アウト、仕方がない、少しは。しかしあのときはすべて党利党略ですよ。小沢さんの指揮の元に一致結束して妨害したんですよ、国政を。私はその反省がないと、これからのねじれ国会の収束は、この運営は大変難しくなると思います。もう一度お願いします」
菅首相「あの、先程3分の2ということも言われましたけれども、ま、当時3分の2を与党が持っておられて、ま、そういう意味では、多くの課題では我が党が反対をしても、3分の2の規定で、えー、成立をさせられました。
まあ、人事案件間では、3分の2の規定がないものについては、えー、いくつか、止まる。あるいは期限切れになる。色々ありました。エ、色々なご指摘、まあ、十分に受け止めてですね、えー、反省すべきことは、あー、反省していきたいと、このように思っております」
片山虎之助「ま、反省をしっかり言いましたんで、まあ、この問題は、時間もありませんし、次に参りますが・・・」
菅首相は衆参ねじれ国会当時の1998年に民主党を加えた野党が金融再生法案を自民党政権小渕内閣に丸呑みさせ、成立させた例をねじれ国会乗り切りの最良の参考書として挙げているが、7月30日の総理記者会見でも取り上げ、9月1日の民主党代表選共同記者会見、そして翌9月2日の民主党代表選公開討論会でも取り上げてバカの一つ覚えにしているが、バカの一つ覚えにすること自体が一種の勲章としているからだろう。
このことは上の質疑応答でも見ることができるが、自身が「政局にしない」と発言したことと、その発言が党内から批判されたことを常にセットにして1998年の金融再生法案の与党丸呑みが語られることにも現れている。
このような勲章意識は同時に与野党攻守の立場を変えていることに対する意識の希薄さが可能としている、その裏返しの意識としてあるものであろう。
1998年当時は野党の立場で与党に仕掛けて丸呑みさせたが、今度は丸呑みということでは、与党の立場で野党から仕掛けられる構図を取る丸呑みとなる。だが、その攻守所を変えた意識が希薄だから、攻守所を変える前の野党時代の与党に呑ませた丸呑みをバカの一つ覚えとすることができる。
ねじれ状況下で野党に与えられた利点を最大限に利用することで可能となった丸呑みであり、一時的ではあっても、野党自身の存在意義の最大限の発揮へとつながった。
野党は常にそのようなチャンスを窺い、そのチャンスが訪れたとき、自身の存在、政策を売り込む。どの政党が野党となったとしても、変わらないだろう。
与党となった民主党は逆にそういった野党からの攻勢を受ける立場に立たされたということだが、そのことへの意識を欠いている。
各政党は与党であろうと野党であろうと、自分たちの政治理念、あるいは政策を掲げている。そこに存在意義を置く。政権党は自分たちの政治理念、あるいは政策を法律等の形にして世に実現を図ることができる立場にあるが、野党は“ねじれ”という状況を手に入れていたとしても、政権を取ってこそ、満足な形で自分たちの政治理念、政策を実現できる立場を獲得し得る。
当然、野党は与党を追い込み、窮地に立たせて政権を奪い、与党の立場に立つことで自身の政治理念、政策の実現を図ることを役目とすることになる。菅首相が片山虎之助との質疑応答で使った言葉で表現するなら、「政権を追い込む」、追い込んだ上、政権を奪い、自分たちの政治理念、政策の実現を図る。このことを常に役目とするということである。
民主党もそのような経緯を辿って自公政権を追い込み、最終的に政権を掌握し、自らの政治理念、政策の実現を図る立場に立つことができた。
野党となった自民、公明にしても、またその他の野党にしても、自らの政治理念、政策のために与党の政治理念、政策を阻止することを基本的立場とすることになる。
例え与党に協力するとしても、得点にならない協力はしないだろう。つまり与党民主党は何らかの失点を代償としなければ、野党の協力を得ることはできない。得点もなく与党に協力したら、野党としての存在意義を失うからだ。何のために自分たちの政治理念を掲げ、政策を掲げているか意味を失うからだ。
そしてチャンスと見たら、「政権を追い込む」野党としての役目を果たすべく攻勢に出る。食うか食われるかの戦い、存在意義と存在意義の戦いを強いられ、展開しているのである。
片山虎之助が言っている。野党時代の民主党が参議院与野党逆転状況を最大限に利用して与党法案否決の政局に走った結果、「国民のみなさん、どれだけ迷惑したか。国民経済がどういう影響があったか。国際的な信用はどうだったか」
だが、自民党は公明との連立で衆議院で3分の2を確保していながら、立ち往生し、国民は昨年の衆議院選挙で政権党として民主党を選択した。言ってみれば、片山虎之助が「あのときはすべて党利党略ですよ」と言う、「小沢さんの指揮の元に一致結束して妨害した」「政権を追い込む」政局戦術が政権交代につながった。
それ程までにも自公政権は国民に追いつめられていたということだろう。
だが、民主党が戦術とした「政局」を今度は立場を変えて自民党や公明党、その他の野党が自らの戦術としない保証はない。野党が紳士に構えていたなら、政権を取ることは愚か、「政権を追い込む」ことさえできないだろう。「政権を追い込」み、政権を奪取するという野党としての役目自体を自ら捨てることになる。
菅首相のねじれ国会対策の諸々の発言を見ると、そういったことへの意識を全く欠いている。厳しさが足りないとも言える。
「今、日本が置かれている長期の経済の低迷、そして、膨大な財政赤字、そして、不安な社会保障の現状、いずれもそうした金融危機に勝るとも劣らない、大変な国難とも言える状況であります。どうか、野党の皆さんにも国民のために役立つ政策であれば、私たちも真摯に耳を傾け、謙虚にお話を聞いて、そして、合意ができたものはしっかりと取り組んでいきたいと、このように考えているところであります」(7月30日総理大臣記者会見)
各政党は自分たちの政治理念、あるいは政策を掲げていると書いた。当然、「国民のために役立つ政策」にしても、各政党が自分たちの政策こそが「国民のために役立つ政策」だとそれぞれに掲げている。
その「国民のために役立つ政策」を法律の形に変え得るかどうかは議席の力関係に従う。ねじれ状況下では力関係によっては野党案の丸呑みもあり得るし、そこまでいかなくても、野党が何らかの得点とすることができ、その代償として与党が失点となる野党案の一部受入れといった形を取ることもある。
当然、民主党が自らが信じ、掲げている「国民のために役立つ政策」は一部変更を余儀なくされる。丸呑みの場合、自らの「国民のために役立つ政策」を放棄して、野党が掲げる「国民のために役立つ政策」の実現に手を貸すことになる。
だが、菅首相はこういった経緯を取るかもしれないことを考えることすらできず、「国民のために役立つ政策」を云々している。その鈍感さは、鈍感を“鈍菅”と書いたら、うまく言い当ててることができるかもしれない。
野党はこういった硬軟合わせた攻勢で「政権を追い込む」チャンスを窺い、最初は与党の議席を少しでも減らし、野党の議席を増やす経過を辿りつつ、政権奪取を窺う。
かつての野党の立場で成功させた金融再生法案与党丸呑みをねじれ国会乗り切りの参考書とすること自体が意識がズレている上に、「野党の皆さんにも国民のために役立つ政策であれば、私たちも真摯に耳を傾け、謙虚にお話を聞いて、そして、合意ができたものはしっかりと取り組んでいきたいと、このように考えているところであります」と甘いことを言っているようでは、そこには食うか食われるかの戦い、存在意義と存在意義の戦いだとする厳しい意識を窺うことができず、とてもねじれ国会を乗り切ることはできず、早晩行き詰まるように思えて仕方がない。
麻生、福田の二の舞を演じかねない。あるいは麻生、福田の二の舞が待ち構えている。