リホームと言っても、、、
モルタルの亀裂と落下が
かなり危険な大きさで崩れてくるので
壁の全部のモルタルを、
たたいて落として、
分類して運ぶ作業から始まり、プロの仕事の邪魔になるから
3日間は現場に行きませんでした。
この建物は
新築時より屋根が漏れたため
北側の壁を補強し張替下地をして、
何度か小屋根を部分補修したため
長尺の一枚トタンが3枚つなぎになり
中がストーブで温まるとスガ漏れがひどいので
長い間、使わなくなった家具や、本塁や、キッチンの小物
学術雑誌で、倉庫として、それなりに愛すべき離れ屋でした。
水道のトラブルが続き、水道は契約していないので、
ガーデン用のゴミタンクに「雨水をためて、」使っています。
しかし、今回の北海道の地震は、びっくりしました。
目下危険な状態の亀裂だらけのモルタルを
お洒落なサイデングにする事にしたのですから、、、。
見るからに技術のたしかそうな、説得力のある
建物の根本を愛情で観ているような
仕事にプライドのあるオーラーを感じる職人さんに出逢った。
この人なら、とにかくほかの誰が手掛けるよりも
ベストを尽くして、仕事に取り組んでいそうだという、、、カンが働いた。
結果として今回は
免許保持者の監督するサイデイングに張り替えた。

サイデングにしようと決心する前は、、、このままだと危険だという思いに
落ち着かない日々を送っていた。
ストレスで、頭皮がトサカのように赤くなり
赤ちゃんの脂漏のように
ポタポタと黄土色の浸出液が
顔まで垂れてきた。
不安と、臨時修理を急がねばと
冬に間に合うかどうか、、、
業者を探して、パソコンで検索した。
はじめは、ミサワのアフターに電話しましたが、
実はミサワホームは自動車会社の指導に入り、、、
今は
かってのミサワのアフターさんは一人もいなくなっていた。
実力のありそうな新入りの
ファイナンシャルの出来る方がやってきた。
最近のミサワホームは「お金持が対象のデラックスな
我が家の時代とはうって変わって豪邸になっているようだ。
旧い、40年近く前の「北海道の初期のミサワの建物だけに、見捨てられていた。」
「もう。。。壊しましょう!」
「壊すのを前提で、モルタルの部分治しをして、、、鉄板を張りましょう、、、」
かって、ミサワの仕事をしていたという、、、
依頼された建具屋さんの、おじいさんの弁」
新築時代、、昭和50年ごろである。
めいめいがディーラー毎の実力で
ミサワのパネルを組み立てていた時代だったらしい、、、?。
すでに一冬で
モルタルがヒビだらけになり
何十年か前に修理を頼んだ時に居た下請けさんだそうですが、、、
70歳を過ぎた老人になっていました。
あの時も、組み立て業者が
壁のコンパネにすき間を作らずに
モルタルを直塗りしたことで、ヒビだらけになった。
その時の修理は
「ヒビのモルタルに何かを加えて上からもう一度モルタルを塗った。」(++!
モルタルは重くって、
今回の北海道の地震で畳2畳分が落下した。
はがれた後のコンパネは腐っているのが見えた。
高校生の孫が見に来て、しょんぼりしていた。
近所には国の宝の奨学生の男の子が4人いて、
その友人がわんさときて
サッカーボールで遊ぶから、
ほのぼのと、子育ての頃を思い出して、
元気をいただいていた。
しばしば庭にボールが飛び込んでくる。
「いいよ~~~勝手に入って、持って行ってね^~~~(^^Y
常々、気さくなやり取りで、
子供たちはボールを蹴っては元気をくれていた。

余震の続いちたこともあり、危険防止の一大決心で
モルタルをはがして、運び去り、
北側の漏れ続けていた壁だけは
大工さんが3人入って腐った木材を取り換えて
下地を強化した。
思い出すのも、あきれるが、、、
ありえない素人工法だった時代である!!!
新築の頃、
三角屋根で雪止めをしてあったが、
何とその雪止めは三角部品をトタンの襟をつけた小屋根で
襟部分を
「ねじねじの、、、五寸釘より長い釘で十数本しっかりと打ち付け
上から簡易防水したものだった。」
漏れて漏れて、壁紙をはがすと、、、カビでカビで埋まっていた。
夏場に乾燥したカビを、油絵の具のヘラで取っていて
肺炎になってしまった。
小屋根の下の洗濯場は、ミサワの業者が来て
上から、ベニヤ板を重ねて打ってから、
壁紙を張りなおした。
それからは、腐ったところから、臭い虫の集団が発生して、
台所の流しいっぱいに住み着いて、しまった。
防虫剤を定期的に撒いても、発生するので
いつの間にか、住居の地位から物置に格下げになっていた。
固定資産税は毎年来ますし、、、
にっちもさっちもいかない住宅だった。
リホームばかりに手間暇お金がかかりすぎて、
一戸建てには、当たり外れがあるものですね。
小屋根を外して屋根を吹き替え、
雪止めに変えて、十数年以上たった。
水道も契約していないし、ストーブも焚いていないし
暖房の設備は撤去した。
最小限の屋根の水漏れで防ぐと、物置には使えました。
しかし今回は、モルタル落下が大きな塊のままあった以上
危険防止の工事として、
壊すか、、、サイディングかの二つから選ぶことになった。

ミサワホームの関連業者は「壊しましょう!」
「壊すの前提で部分治しをして、、壊すまでの時間を確保する方向の意見だった。」
その間、
二階のヒビだらけのモルタルが落ちて来たら、
事故が起きる。
当たり所が悪いと命にもかかわる。

私は、ネットで「サイディング業者」を検索した。
ミサワの部分治しも、壊すのも、商業ペースなので、
「家は物でしかない見方」を余儀なくする。
一軒だけ、
我が家と同じ年数の家を
見事によみがえらせた写真付きの
HPを見つけた!!!
ラッキー!!!

見積もりをだして戴いた。
何とか頑張れば老人にも払えそうな値段を出してくれた。

息子たちにも相談して、
サイディングの色を選んでもらい
壁を張り替えた。
長男は、足が出たら応援するからと、言う!
良い子に育てたね、、、トラブルだらけのミサワは―むだけれど。
「ミサワのパネルは強靭」ですから、
屋根漏れの腐ったところを補強しなおせば
壁の木材を腐ったところを
あたらしい木材に変更すれば
サイデングは
重さも半分になり、
家は復活しますよ。」

たしかに、、、
モルタルは落下したが、
今回の地震をクリヤーしているという事は
治す価値がある。
冬も迫った11月からの工事であるから、
屋根の防水塗料は間に合わないかもしれないと
祈るような気持ちで、
工事の進み具合を巡回した。
良心的な、
腕のたしかなサイディングのパテントを持った
中年の監督さんのような人が
はじめから、
終わりまで、工事にかかわってくれて、
屋根のバンキンの甘さからくる水漏れは、
塗装すると、
かなり防水効果があるようで
雪の降り始めた11月の20日過ぎに、
天候の晴れた日を見計らって、塗ってくれた。
冬が今年はどういうわけか、、、天気の方で待ってくれた。
おかげで、今日、全ての工事が無事に完成しました。

旧い家なので、
おしゃれをして、
危険な個所は修理して、
ミサワホームの唯一の。不動だった残された良い点を引き出した。
「パネルが強い」という長所を引き出して、
長い間のもやもやした、、、気持ちがすっきりとしました。
壊すのはたやすい、、、
しかし、家は家族でもある。
今回は、びっくりするほど大量の
臭い虫の巣が、水漏れで腐った木材に有ったそうです。
業者さんの、復活させたいという仕事気質が
ありえない、、、臭い虫の大量撤去という奉仕の時間を下さいました。
物置にだって出来る立派な家を、壊すのは、
夫婦どちらかが欠けてからでも遅くはない。
サイデイングのおかげで、危険撤去できました。
昭和50年
可愛らしい若夫婦がゲットした
「初めての一戸建の家」は
すったもんだのリホームではミサワが解決できないまま
空き家ではあるが、物入れの役割を果たしていたのだった。
そして、、
ついに、、、別の用途で、甦った。
「ミサワのパネルは、、、強かった」という事だけは
間違いなかったが、
そのパネルを組み立て施工して、配管するという工程の専門家が
40年前の北海道ミサワにはいなかったということだろううか?
今回の業者さんのように資格を持っている監督さんが
必ず来ていたら、、、この家は何十年も物置にならずに
社会の役にたっていたダロウ、、、二。。。後悔先に立たず。
今の時代、
素晴らしい技術を持ったリホーム業者が
道内にも育っていたという幸運に有難う、、、。

地震の臨時出費の我が家のピンチも
心の喪失感を防げたことが
「ピンチはチャンス」でもあった。

住んで宿泊するには、内部のリホームが必要なので、
住めるかどうかは、、、これからの問題ではあるが。
可愛らしい、危険でない小さな家が、
物置となっていても
あり続けることはうれしい。
壊さなくてよかった!
子供達を育てた頃の、
思い出が愛しい、、、安物のステンドグラスの模様のガラスシール!
今回は、冬が来るのを待ってくれた
「空の神様に、有難う!」
壊さなくって、、、本当に良かった。
元気をもらえる、かわいい相棒が、裏に居てくれる!
9月から、、、忙しかった毎日ですが、
間に合った!!!
サア!!!来い!北海道の冬よ!!
地震なんかに負けてはいられない冬将軍の来襲です。
正月も、、、あと何日?????

花瓶は40年以上前の三越の画廊で
原田壱拾六さんといったかしら、、、
明大を出られて、備前に出逢ったと、、、
駆け出しのころの作品なのに
私は個性豊かな力強い作品に魅せられて、
数回払いで買いました。
展示会も初々しい力のあふれた備前焼が、
30歳代の私に、
買わずに通り過ぎることが出来なかった思い出の花器です。
北海道に嫁いで、思い出の中に
独身の頃の自分が若いまま、友人のように現れます。
高価なものは結婚以来買ったのはこの花器だけですが
断捨離の心で、
家なし、車なし、風呂なしの木賃アパートの大学院生との
未来が見えない結婚に飛び込んだのに
馬鹿お嬢さんの私立大学生だったころの甘やかされた心が
我慢できない作品に、生々しく反応した若き日思い出がよみがえります。
人は、、、人生の出発と、ゴールまじかで
お洒落な贅沢をしてみると、
実は、多くの人に目の保養を感じてもらっているものですよね(^^
形見にこの花瓶は誰に貰ってもらおうかな?
私の友達なんですよ、、、この花生け。
