花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

雪囲いの季節

2019-10-29 04:21:59 | Weblog

小鳥たちが持ってきた小さな種が、庭のあちこちでアピールする今

「ドウダンつつじ」「楓のいろいろ」

何に向かって謳歌してこれほどに色が変わるのか?

早朝から黄昏まで深紅のパフォーマンス!

気温と湿度と、光線と、土壌の冷えと、

次世代を守る植物の本能が

ストレスの「絶叫をしているのか*???」

科学では考えたくない、、、郷愁がこみ上げる深紅の葉は

遠いルーツの呼び合う波長に合わせて震えているような錯覚が起きてくる。

風邪が気ままに戯れているだけなのに。。。。。

北海道に来てから50年になる。

小学校から、大学卒業まで東京で暮らした私にとって、

本物の冬と大自然の生き残ってゆく冬の闘いを体験してからは

「人生は登山」と教えられた。

季節ごとにかわる植物や川の表情、山の全体の表情、香り、匂い、光の屈折

写真や絵には表現できない木々や草花の地面の下からのメッセージは

、、、すごい、、、

学者の先生の中には、、、「植物ホルモン」とか、、、」遺伝子」とか

科学で植物を知ろうとする、、、手っ取り早い理解。

植物の闘争も、戦いも、

聖書の物語のように

神と心の板挟みになっていると感じるときがある。

植物ホルモンは面白い、、、確かに、、、

物質的にとらえるのなら

厚生要素や

細胞の並びや、

その中のミクロ以下の構成要素が

イオンや、

分子間の引力や、

外から加わる地球の軌道の位地からの影響まで

科学するのは限界がある。

盆栽のように、枝切り、根切り、水やり、肥料やり、

鉢の大きさのヒマワリが根に化けたような

見事な松の盆栽を支える根を経験的に根切で変身させていった技を

どうやって科学するのか?

やっぱり、、、太い根を毎回切っていると

木の方で、

細い根は生きられるが

太い根は切られてしまうことを繰り返すと、

樹は学習するように、一定の細い根を次々と出し始めて

人間に飼いならされてしまったが如く見えるが

生き残りをかけて、根のホルモンがネットワークしてゆくようだ。

日光浴に、夜中の活動まで

計算しつくして、、、5千万円の盆栽が出来たとしても、、、

主役は植物であって、人は植物を支配することは無理であろうと推測している。

 

、、、疲れた、、、、、、

「寄生木」や「サルオカゼ」のような特殊な状態で生きる植物はどうなのであろうか?

植物ホルモン過剰で、ずるがしこくなってしまったなんて、、、考えないことだ。

湿度とのレセプターを考えてしまう。

北海道に、高校時代の同窓生が何人か来ていたが

雪の季節には順応できなかったようである。

植物の雪への順応はすごいものがある。

タンポポは、地面に葉を敷き詰めて、

冬場の根っこを保護しているつもりかもしれない。

緑の葉が紅葉すると葉に水分が行かなくなるのだろうか?

二三日で、羽根の水分が抜け始めて、乾いて枯れて、落ち葉となり、

根っこの周りの布団綿に成り代わってゆく。

植物の知恵とはおもえない。

学生時代に「ザクロ」の葉を薄く剥がして、プレパラートをつくり

顕微鏡で観察したことが有った。

羽根には、行儀よく並んで、黒い石細胞が有った。

あれは、、、

ザクロが生きてゆくのに、どのような、

役割を背負っているのだろうか?

科学で考えると、

人間が主体になってしまう。

ザクロを育てて、未生の世代を何代も育ててみると

何かわかってくるだろう。

例えば

椿の木が北海道の我が家の居間で

たった一度だけ、、、、一重の原種独特の可憐な山茶花に似た花を咲かせた。

あれから30年。鉢植えは土も変えず、根切もせず、

枯れては困るので、剪定だけはこまめにして

大きくなれない盆栽用に仕立てて

冬は居間で同居してきた。

この間、、、歳をとりすぎたのか、、、、?

故郷の対馬を忘れられなくて、北海道にはなじめないのか?

私が愛しても、南国の太陽の光線の中の紙の愛には遠く及ばないのか?

花は一度も咲かない。

当時、子供の大学進学が私立で東京という家賃が高い地区の出費の事もあり

私は、薬剤師として、40歳の再出発に際して、

国家免許は免許書に対して精いっぱいの責任を持ちたいと思って

北海道大学の聴講生として北大図書館や学会や講義に参加した時代が有った。

ブランクになっていた間に極端に進んだ薬学社会の必須知識が足りなく思えたから

「免疫学」「天然物化学」などの講義を受けに行った。

天然物化学では、17イン環のマクロライド環などを教科書で見つめているうち、

抗生剤が植物や、、、、もちろんカビ類や、人間の観察と実験で見つけられたという

初心に帰った。北大聴講生と、薬剤師会員という社会的な所属が

かろうじて、各種薬学学会のパスとなってくれて、

私は、懐かしい母校の日大の生薬学会の会長をなさっていた

滝戸先生や

日大植物園の山内先生や、

植物に造詣の深い恩師や、

同級生と再会できた。

偶然

薬学雑誌で募集していた

韓国との国際学会に参加して

韓国の先生や薬学生と

済州島の日の出峯の植物探索登山に参加した。

延喜式という古書に

何粒かの朝鮮ニンジンの種が、長野県で発芽して以来

良質の朝鮮ニンジンが日本で育ち、

韓国に逆輸入されて

紅参として、山浦先生の時代には

高価薬品として漢方を志す学士には著書が普及していたことが思い出された。

その後、帰国して、

かって学生時代に影響を受けた

富山薬科大の難波先生とも再会できた。

先生の植物の本は、

薬用植物に興味のある人ならまず、、、読破しているでしょうね!

「世界を変えた薬用植物!」

薬膳に関する、、、ワクワクする台所で使える本!。

学問というよりは、

植物の好きな学生なら、

座右の銘にしていたと思います。

薬剤師として、病院薬剤部に所属しながら、

金沢大学の御影先生のフィールドワークに

薬剤師会の月刊雑誌の募集を通して参加した。

山信仰でも有名な「白山の植物探索会である。」

白山という「名山の登山」は私一人ではもったいないと思い

医学部の2年生だった息子も参加させていただくことの許可をとった。

そして、

登山口に着いたとき、

滝戸先生や、山内先生の日大の恩師に逢えたのでした。

母に、仲間に近い知人が居ることを見極めると、

息子は

「母さん、、、僕は明日の昼に、兼六園の巨大松のベンチに居るから、ここで失敬する。」

息子はさっさと、、、一人で山を下りてしまった。

山内先生は教え子を伴って、どんどん登頂目指して姿が雲上に行ってしまった。

すっかり、お年を召された滝戸先生の後ろからついてゆくと、、、

滝戸先生は、途中から、

「体調が思わしくないから、、、下山するよ、、、」

私は「心配だから登山口まで、ご一緒します。」と 

大丈夫だよ、、、とおっしゃるのですが

登山口のバスの待機しているところまで、

先生をお送りさせていただきました。

「いや~~すまなかったな~、」とニコニコされれながら

安心されたのか、汗を拭きながらバスに乗られるのを見届けてから

私は、再び白山の残雪白い頂上を見上げて、今度はマイペースで登山を始めました。

はるか上の方から蟻の行列のような姿が見え隠れしながら

「急がせる心に釘を刺して、、、

マイペースを守らねば、、、遭難する。」と自分に言い聞かせて 

登山家の「セミプロ」「登山家」「Everest数回経験者」のリーダーや

大学院生の足跡を追って、、、とにかく、、、マイペースを守って歩き始めました。

途中、、、山頂に灯りがともり、

夕食のコンパには間に合わないと判断したから

山の背の岩にまたがって

透き通る夜空の星の瞬く断崖の上で、

はらをくくって、、、一人、、、爽快な気分で

山頂の灯りに完敗しながら、、、アクエリヤスを飲みながら

おにぎりに至上の至福を感じながら

白山の素晴らしい真夏の夜空を満喫しました。

たっぷり休んでから、懐中電灯をつけて、山頂に着くと、

大学生と、大学院生と、先生方と、

韓国からの登山者のコンパは終わっておりまして、

たき火から山小屋に戻る山内先生とバッタリ会いました。

「森山!滝戸先生と下山したのじゃなかったのか!?」

「滝戸先生は、君と下山するとメーセージをくれていたぞ!」

びっくりしたのか、、、山内先生は、、、

「まさか、まだ遅れて、のこのこ登っている奴が居ないだろうな!」

慌てた様子で、点呼をして、念のためと言いながら、大学院生らと、少し下山して

懐中電灯を振り回しながら、

お^^^^い~~~!   誰かいるか~~~!と

しばらく叫んでいました。

「脅かさないでくれよ、、、!無事でよかったよ!」

「信じられない大胆さだな、、、下山したのかと思っていたと、、、」

大きな呼吸をしながら言いながら、

山小屋の上段の寝床に案内してくれました。

翌朝は早朝から、ご来光を拝むべしと、、、

一行に加わって山頂に向かいました。

ここから先は限られた植物しかないので、

懐中電灯は足元だけを照らしながら、

蟻の行列のペースで歩き続け

白山の夜明けに「遭遇」できたのでした。

たった一日でしたが、白山の植物たちの一日を体験できました。

裾野で満開だった花が山頂付近ではつぼみも堅く

雪渓の残るあたりは岩だけが、ごろりごろりと、、、

山の主のように、

季節に関係なく存在していました。

山頂付近のの神社に参拝して、植物探索登山のおかげで、

山の植物の穏やかな真夏の一日の環境を

植物たちの魂のようなインスピレーションと交流しながら

下界にはない山の香りが、対話であり

植物の世界にお邪魔した厳しい安らぎが在った事が忘れられません。

植物は山頂の蕾たちは山裾の満開の花たちの家族であり

離れているように見えるが

天与の「スマホ」で交流していると

見えない波長のような囁きを感じるのは

山の生態系から受ける不思議の一つでもあるのでした。

植物は、、、人間の頭脳をはるかに超えた環境への順応性があるというのは

単なる、、、植物ホルモンだけでは解決しない不思議があります。

光、温度、炭酸ガス、窒素、水分、

湿度と温度と光のトライアングルに風が加わり

光の中でもセレクトされた光線が植物を変えてゆく。

レセプターの違いが葉の形や毛や色や艶に千差万別の種類や進化や風化や奇形が見える。

我が家の椿は、

北大の植物園の先生が企画した農学部との合流の

対馬の植物探索の時

研究用の許可のもとに、対馬の案内をしてくださった先生からいただいたものである。

人差し指ほどの木が、蜂に植わったまま30年で80センチほどの高さを保ち続けている。

75歳の私は、、、対馬の椿を育ててくれる環境に戻そうと模索している。

植物は、、、人間より、、、ずーと、、、長い時間、、、見事な戦いをしていると思った。