「鬼手仏心」という言葉をご存じですか?
明治生まれの父が
幼い私に教えてくれた言葉です。
「外科医が大切にしている言葉だよ。」
医師の家庭に生まれ、
兄弟も医師、
夫も子供も医師、
父は外科医という
環境に生まれたことから、
「単語」だけは知っています。
民間で
この言葉を
正確に知っているという方は
少ないと思います。
たぶん医師になって、
外科医師になった方が、
はじめて理解できる言葉だと
思います。
作家で政治家で
都知事で
裕次郎の兄でもあり
「太陽族」を世に出した
スーパー頭脳の石原真太郎さんでも、
仮に、、、、、、!
100点の説明と
民間に奥の深さの橋渡し説明を
されたとしても、
「医師本人」になってみないと
単語に込められた、、、、、、、
「心」は
理解できないのではないでしょうか?
数を増やして
医師の駒が増えたから
政治家の思うように配置できると
お考えなら、
それは、違うような気がします。
医師になっている身近な人たちから
「一国一城の生き方の主」のようなものを感じます。
医師を理解できずとも、
優劣、損得、権力で動かすのは難しい人たちだと思います。
世間で一万間違っていると思えるのは
「医師はお金では動かない!」ということでした。
世間では「医師」と言えば「御金」と条件反射になっています。
10円、20円を考えて使います。
しかし、ぺらぺらの薄い医学の写真集や洋書には
毎月10万円からの本屋の請求が来ました。
彼らの価値観はお金ではないようです。
医師になるのも一生分のサラリーマンの月給の
前払いが必要ですが、
医師を続けるには日進月歩の医学の進歩のスピードに
追いつき追い越せの学費が一生かかります。
学生時代よりも
もっと努力も、お金も、人間関係も必要です。
世間から高額と嫉妬される月給も、
学界参加、学会発表、普通の人が自分で出来る事も
時間がないというために、
専門業者に頼むことが
避けられないという
時間貧乏を月給で補ってゆく。
医療だけに専念してもらうことで
医師を張りきらせ、
やる気になってもらい
無駄な訴訟の時間や
素人の弁護士の
医学用語から説明レポートを要求してくる
診療の時間を奪う行動を
極力省いてあげれば、
医師は疲れないから、
貴方の為に良い治療行動ができるでしょう。
、
医師を増やして一人前になるのは20年後であるから、
当面の医師を100パーセント医療に向けることで
かなり良い結果が出るのではないでしょうか?
日本の医師はアメリカの医師たちのように
ヨットも、プールも、
無い生活をしている事に気がつけば、
リスクばかり押し付けられる
昨今の医師に
成りたいという人が減少するのは判るように思います。
中学一年の時
裕次郎さんのプロマイドを
国語の時間眺めていて
先生に
取り上げられてしまったことがありました。
後で、職員室に行って
返してもらいましたが
国語の先生は
「足が長いのが、何でそんなに騒がれるのか教えてくれ?」と
言いました。
その先生は
御へそが中心になるような
純日本人の良くあるスタイルでした。
しかも自分に絶大な自信ももっておいででした。
時代が魅力のタイプも変えたのです。
旗本退屈男のタイプは母が大好きでした。
心は個人差があって説明できません。
外科医の妻となって、
夫から説明されても、
心は良くわからない私です。
医師も坊様も、
本人の努力は天竺に旅した三蔵法師のように
「命」の意味が
本当にわかるまで旅を続けているのだと思いました。
医者になった知人や同級生の事を思い出してください。
奥の深い「医学」への旅を続けています。
終わりのない「奥の深い、命の学問への旅」へ
出てゆきました。
家庭も、普通の夫婦のように、
夫唱婦随という「人生の旅友達」とは異なっておます。
若いころ、土日に帰宅できれば上々!
夫と車でお買い物という時間をもらえません。
世の夫人たちが想像する
医師の妻は
高級なセレブのイメージでしょう?
マスコミではスペシャルな医師夫人を放映して
民間の誤解をあおりたてます。
私の場合、座って化粧する鏡台を持っていません。
一人前の外科医になるまでの
技術を学ぶための移動が多く
家具は買いませんでした。
行く先々で段ボールに壁紙を張って使い
移動のときは小物入れに使いました。
40歳のころ、やっと落ち着きました。
ダイニングテーブルを買いました。
身だしなみの化粧は一切しませんでした。
化粧が必要な場所には行かないからです。
パーティや
一般が想像しているような
華やかな出番は
一切出席をしませんでした。
仮に出席したとしても、
「刺身のツマ」にも匹敵しないでしょう。
病院を統括する事務サイドも
夫人の参加を極力必要としないように
システムも出来上がっています。
医師という専門家集団の中に
夫人として参加することが
必然に感じられなかったことも
大きな原因ですが
夫にとって必要なのは
仲間にアピールできるような
セクシーな美人の奥さんではなくて、
家を任せっきりで
振り返らなくてもよい
医師を続けるための
「サポーターであればよい事」が勤務状態から
すぐにわかったからです。
「執刀医当番」のため
どうしても出席できない葬式に
主人の「哀悼の意」を「代理で参列」することぐらいです。
あらゆる事に一人で向かってゆける
孤独に強い女性です。
医療にかける夫の時間を妨げないという
「医師を続けるための人生登山」の
シェルパである夫人を必要とした時期が
長く続いたのでした。
それほどまでの医療に時間を捧げつくしても
患者様の「丸投げしてくるような依存心」
「おい!医者!何で待たせる!、早く診んかい!」
治って当たり前
合併症や高齢や、アレルギーのハードルを
プロの集中力でクリヤーしても、副作用や
予想外の誤算が起きるのが生身の人体ですから、
何か起きると「すぐ訴訟を推進する弁護士たち。」
今回も、哀しい事に
「妊婦タライ回し」という哀しい事件が起きました。
「医師」の中でも
「産科」と「小児科」は
非常に少ない人数で頑張っているのは
周知のとうりですよね。
救急車のサイレンで
寝る暇のない激務をこなしてきてのです。
そして、少ないスタッフで
激務の中、
疲労困憊の状態で頑張っても、
逮捕!という事件がありました。
命という「流動性の状態」の
バランスをとり続ける医師に
「法律」や「権力」という
「固定判断が介入」する制度の矛盾の中で、
薬の処方でさえ、
「点数」にならない組み合わせがあるのです。
Aという薬が治療に必要であっても
点数にならない決まりがあるため
患者さんから代金がいただけないような決まり事もあります。
薬剤師は何度か医局に問い合わせました。
「患者さんの疾患」ではその薬は
お金にはならないのだが、
理論と臨床のくいちがいが
臨床医の「体験の医学」ということで、
その薬で治癒した例が数多く報告されているということで、
薬局は「お金にならない薬の調剤」をする事もしばしばあります。
ひたすら治癒に向かうために。
「患者様」という主役が、、、
主役の意味を勘違いしています。
「病気の主役」はあなたです。
医師はあなたの病気が治るために
一緒に病気と闘うパートナーのように、
完治のカギは
「病気の主役」である病人のあなたが握っているのです。」
!!!!!!!
、
治って当然!、、、
素人から見るとミスに見える
合併症や
アレルギーや
ショック
老人子供ば免疫が不完全だったりする。
結果が思わしくなかったら
「すぐ訴訟」の時代です。
「救急指定病院を辞めたい」と産婦人科病院が
思うのもよくわかります。
一人の医師を育てるのに
多くのサポートと
本人の努力と、
頭脳明晰な判断力と、
費用がかかります。
有名私立医科大学の場合など
一生かかっても月給では取り返せないだけの
教育費をかけて、
学校も、国も、親もサポートします。
医師を指導できるのは、
一人前の指導医の
「医師」しかできません。
医師は「若手研修医の指導」にも
時間が必要です。
ただでさえ
「少ない」と言われている「医師」に
「医師を指導するというノルマと
時間が背負わされます。」
家庭は留守番で人生が飛んでゆきます。
長男出産にも立ち会えず勤務。
妻の母親の死に目にも葬式にもこれず、、、
患者さんのそばにいた主人と
一時は険悪な夫婦喧嘩にもなりました。
100年に満たない人生を
夜昼患者さんに時間を差し上げても、
すぐに訴訟です。
医師の心も家庭もボロボロです。
割烹は「一元様お断り」出来るのです。
高級ホテルは「会員権」が必要だったりもします。
お客さんをセレクトできます。
傍若無人のお客は断ったりもできます。
訴訟して来て敗訴に去ったはずの患者さんが
弁護士料を支払わないままに
病院が支払うことになった後、
当然の権利という態度で
再び受診にいらっしゃいます。
訴訟は訴訟!
敗訴は「勝訴するからと訴訟を進めた弁護士の責任」
「病院は正しいとわかったから、又来ました。」
病院側は断れないのですよ!!!
悲鳴を上げてしまいます。
患者様は「お客」ではないのですから。
「いやな客」なら他に行ってもらえるのですが、、、
経過を把握している今までの医師が必要なのですよね。
訴訟は、何が目的だったのでしょうか?
こんな心ない患者さんの
訴訟ラッシュも影響していると思いませんか?
産科小児科がどんどん閉鎖したりしています。
医師が少なくなりました。
とばっちりを、何の罪もない妊婦さんに行ってしまいました。
哀しいことです、
医師も患者様も信頼関係をとりもどし
いつも
「100パーセントの保証」は出来ない
医療の現状を
信頼関係で補って、
「訴訟で解決する」のは
未来につながらないと思います。
今回の妊婦タライ回しという状況には
絶対数少ない婦人科、小児科が
権力の介入で逮捕という
あってはならない「罪人扱い」によって
産科小児科の医師がどんどん辞めている事も
原因の一つでしょう。
家族一丸となって
「命を守る神の手に導かれて」
損得抜きに、持てる時間のすべてを
医療にささげても
一人前のなるのは40歳前後です。
しかも「専門の科」だけ
診療できるのです。
今から医師を増やしても、
20年後にやっと一人前の医師の誕生です。
今、急ぐのは、
患者さんの「意識の改革」と、
権力や、営業実績お目付け役が、
現場の医師を委縮させるような
「逮捕」「訴訟」等はもちろん!
医者の部門ではないが、、、
「俺様はT大学一番で、医師より優秀なんだぞー」
医師の適性を欠いた勝ち負けの次元のエリートが
「産む機械の発想で、医療に法律で介入しては
現場との食い違いが結果として、
日本の医療をめちゃくちゃにかき混ぜる時代である。
貴方の命が大切なら、
貴方が死にそうになったとき、
貴方の「命」を救おうと
神が手を差し伸べた時、
手になってあなたの命を救うべく
日夜寝る暇も惜しんで
貴方の家族や、貴方の命の回復のために戦うのが医師でしょう!
「医者より上役で偉いんだーぞー」みたいな
金銭管理で
「コンスタントに圧力をかけてくるようなシステム」は
医者を委縮させ、
廃業や、やめてゆく医師を増やすばかりです。
自分のアピールのために
半可通な批評をテレビやラジオという
マスコミで現象だけを批判することで
視聴者に間違った意識を植え付けてしまい
「信頼」という
治療の原点をガタピシにすることで、
自己満足している
「医療の素人」と言える発言者達に
言いたいのです。
こんな事を繰り返していると
「あなたの家族」が重病になったり
緊急医療が必要なとき、
神様の手には
「外科医も産科医も小児科医も」おりません。
神から見放されないように
あなたの命のために、
医師をこれ以上追い詰めないようにしてください。
弁護士さんは病院は赤字であることを認識し
不必要な訴訟をくいとめてください。
医師を訴訟に追い込むことはやめましょう。
医師は医師でなければ出来ない仕事をすればよいという
周りのサポートがなければ
医師はどんなに増やしても足りなくなります。
樹木のなくなった地球のように、
医師の心は乾いてしまい、
「命のための医療の木陰」を作り
患者さんの治癒力に「最適の状況をつくるパワー」を失います。
あなたの命の為にも
神の右手に握られている医師の使命が果たせるように
医師の「捨て身の一生懸命」を引き出すのは
患者様の医療への「信頼」と
良い医師を育てるのは
正当な感謝の心です。
命の次元も心の次元も多次元です。
「訴訟」という「医療の素人といえる」弁護士の
短絡した介入は考えものです。
弁護士さんの家族の命を守るためにも
貴方の為にも、
医師と坊様は大切にしてください。
医師は妬む対象ではありません。
攻撃する対象でもありません。
3日当直して、
夜中に何回も起こされる
医師の寝不足を知っただけでも、
自分中心の医師への依存性から脱出しましょう。
彼らを配慮のなさで疲れさすのは、
あなたの命を守るためにも
やめましょう。
明治生まれの父が
幼い私に教えてくれた言葉です。
「外科医が大切にしている言葉だよ。」
医師の家庭に生まれ、
兄弟も医師、
夫も子供も医師、
父は外科医という
環境に生まれたことから、
「単語」だけは知っています。
民間で
この言葉を
正確に知っているという方は
少ないと思います。
たぶん医師になって、
外科医師になった方が、
はじめて理解できる言葉だと
思います。
作家で政治家で
都知事で
裕次郎の兄でもあり
「太陽族」を世に出した
スーパー頭脳の石原真太郎さんでも、
仮に、、、、、、!
100点の説明と
民間に奥の深さの橋渡し説明を
されたとしても、
「医師本人」になってみないと
単語に込められた、、、、、、、
「心」は
理解できないのではないでしょうか?
数を増やして
医師の駒が増えたから
政治家の思うように配置できると
お考えなら、
それは、違うような気がします。
医師になっている身近な人たちから
「一国一城の生き方の主」のようなものを感じます。
医師を理解できずとも、
優劣、損得、権力で動かすのは難しい人たちだと思います。
世間で一万間違っていると思えるのは
「医師はお金では動かない!」ということでした。
世間では「医師」と言えば「御金」と条件反射になっています。
10円、20円を考えて使います。
しかし、ぺらぺらの薄い医学の写真集や洋書には
毎月10万円からの本屋の請求が来ました。
彼らの価値観はお金ではないようです。
医師になるのも一生分のサラリーマンの月給の
前払いが必要ですが、
医師を続けるには日進月歩の医学の進歩のスピードに
追いつき追い越せの学費が一生かかります。
学生時代よりも
もっと努力も、お金も、人間関係も必要です。
世間から高額と嫉妬される月給も、
学界参加、学会発表、普通の人が自分で出来る事も
時間がないというために、
専門業者に頼むことが
避けられないという
時間貧乏を月給で補ってゆく。
医療だけに専念してもらうことで
医師を張りきらせ、
やる気になってもらい
無駄な訴訟の時間や
素人の弁護士の
医学用語から説明レポートを要求してくる
診療の時間を奪う行動を
極力省いてあげれば、
医師は疲れないから、
貴方の為に良い治療行動ができるでしょう。
、
医師を増やして一人前になるのは20年後であるから、
当面の医師を100パーセント医療に向けることで
かなり良い結果が出るのではないでしょうか?
日本の医師はアメリカの医師たちのように
ヨットも、プールも、
無い生活をしている事に気がつけば、
リスクばかり押し付けられる
昨今の医師に
成りたいという人が減少するのは判るように思います。
中学一年の時
裕次郎さんのプロマイドを
国語の時間眺めていて
先生に
取り上げられてしまったことがありました。
後で、職員室に行って
返してもらいましたが
国語の先生は
「足が長いのが、何でそんなに騒がれるのか教えてくれ?」と
言いました。
その先生は
御へそが中心になるような
純日本人の良くあるスタイルでした。
しかも自分に絶大な自信ももっておいででした。
時代が魅力のタイプも変えたのです。
旗本退屈男のタイプは母が大好きでした。
心は個人差があって説明できません。
外科医の妻となって、
夫から説明されても、
心は良くわからない私です。
医師も坊様も、
本人の努力は天竺に旅した三蔵法師のように
「命」の意味が
本当にわかるまで旅を続けているのだと思いました。
医者になった知人や同級生の事を思い出してください。
奥の深い「医学」への旅を続けています。
終わりのない「奥の深い、命の学問への旅」へ
出てゆきました。
家庭も、普通の夫婦のように、
夫唱婦随という「人生の旅友達」とは異なっておます。
若いころ、土日に帰宅できれば上々!
夫と車でお買い物という時間をもらえません。
世の夫人たちが想像する
医師の妻は
高級なセレブのイメージでしょう?
マスコミではスペシャルな医師夫人を放映して
民間の誤解をあおりたてます。
私の場合、座って化粧する鏡台を持っていません。
一人前の外科医になるまでの
技術を学ぶための移動が多く
家具は買いませんでした。
行く先々で段ボールに壁紙を張って使い
移動のときは小物入れに使いました。
40歳のころ、やっと落ち着きました。
ダイニングテーブルを買いました。
身だしなみの化粧は一切しませんでした。
化粧が必要な場所には行かないからです。
パーティや
一般が想像しているような
華やかな出番は
一切出席をしませんでした。
仮に出席したとしても、
「刺身のツマ」にも匹敵しないでしょう。
病院を統括する事務サイドも
夫人の参加を極力必要としないように
システムも出来上がっています。
医師という専門家集団の中に
夫人として参加することが
必然に感じられなかったことも
大きな原因ですが
夫にとって必要なのは
仲間にアピールできるような
セクシーな美人の奥さんではなくて、
家を任せっきりで
振り返らなくてもよい
医師を続けるための
「サポーターであればよい事」が勤務状態から
すぐにわかったからです。
「執刀医当番」のため
どうしても出席できない葬式に
主人の「哀悼の意」を「代理で参列」することぐらいです。
あらゆる事に一人で向かってゆける
孤独に強い女性です。
医療にかける夫の時間を妨げないという
「医師を続けるための人生登山」の
シェルパである夫人を必要とした時期が
長く続いたのでした。
それほどまでの医療に時間を捧げつくしても
患者様の「丸投げしてくるような依存心」
「おい!医者!何で待たせる!、早く診んかい!」
治って当たり前
合併症や高齢や、アレルギーのハードルを
プロの集中力でクリヤーしても、副作用や
予想外の誤算が起きるのが生身の人体ですから、
何か起きると「すぐ訴訟を推進する弁護士たち。」
今回も、哀しい事に
「妊婦タライ回し」という哀しい事件が起きました。
「医師」の中でも
「産科」と「小児科」は
非常に少ない人数で頑張っているのは
周知のとうりですよね。
救急車のサイレンで
寝る暇のない激務をこなしてきてのです。
そして、少ないスタッフで
激務の中、
疲労困憊の状態で頑張っても、
逮捕!という事件がありました。
命という「流動性の状態」の
バランスをとり続ける医師に
「法律」や「権力」という
「固定判断が介入」する制度の矛盾の中で、
薬の処方でさえ、
「点数」にならない組み合わせがあるのです。
Aという薬が治療に必要であっても
点数にならない決まりがあるため
患者さんから代金がいただけないような決まり事もあります。
薬剤師は何度か医局に問い合わせました。
「患者さんの疾患」ではその薬は
お金にはならないのだが、
理論と臨床のくいちがいが
臨床医の「体験の医学」ということで、
その薬で治癒した例が数多く報告されているということで、
薬局は「お金にならない薬の調剤」をする事もしばしばあります。
ひたすら治癒に向かうために。
「患者様」という主役が、、、
主役の意味を勘違いしています。
「病気の主役」はあなたです。
医師はあなたの病気が治るために
一緒に病気と闘うパートナーのように、
完治のカギは
「病気の主役」である病人のあなたが握っているのです。」
!!!!!!!
、
治って当然!、、、
素人から見るとミスに見える
合併症や
アレルギーや
ショック
老人子供ば免疫が不完全だったりする。
結果が思わしくなかったら
「すぐ訴訟」の時代です。
「救急指定病院を辞めたい」と産婦人科病院が
思うのもよくわかります。
一人の医師を育てるのに
多くのサポートと
本人の努力と、
頭脳明晰な判断力と、
費用がかかります。
有名私立医科大学の場合など
一生かかっても月給では取り返せないだけの
教育費をかけて、
学校も、国も、親もサポートします。
医師を指導できるのは、
一人前の指導医の
「医師」しかできません。
医師は「若手研修医の指導」にも
時間が必要です。
ただでさえ
「少ない」と言われている「医師」に
「医師を指導するというノルマと
時間が背負わされます。」
家庭は留守番で人生が飛んでゆきます。
長男出産にも立ち会えず勤務。
妻の母親の死に目にも葬式にもこれず、、、
患者さんのそばにいた主人と
一時は険悪な夫婦喧嘩にもなりました。
100年に満たない人生を
夜昼患者さんに時間を差し上げても、
すぐに訴訟です。
医師の心も家庭もボロボロです。
割烹は「一元様お断り」出来るのです。
高級ホテルは「会員権」が必要だったりもします。
お客さんをセレクトできます。
傍若無人のお客は断ったりもできます。
訴訟して来て敗訴に去ったはずの患者さんが
弁護士料を支払わないままに
病院が支払うことになった後、
当然の権利という態度で
再び受診にいらっしゃいます。
訴訟は訴訟!
敗訴は「勝訴するからと訴訟を進めた弁護士の責任」
「病院は正しいとわかったから、又来ました。」
病院側は断れないのですよ!!!
悲鳴を上げてしまいます。
患者様は「お客」ではないのですから。
「いやな客」なら他に行ってもらえるのですが、、、
経過を把握している今までの医師が必要なのですよね。
訴訟は、何が目的だったのでしょうか?
こんな心ない患者さんの
訴訟ラッシュも影響していると思いませんか?
産科小児科がどんどん閉鎖したりしています。
医師が少なくなりました。
とばっちりを、何の罪もない妊婦さんに行ってしまいました。
哀しいことです、
医師も患者様も信頼関係をとりもどし
いつも
「100パーセントの保証」は出来ない
医療の現状を
信頼関係で補って、
「訴訟で解決する」のは
未来につながらないと思います。
今回の妊婦タライ回しという状況には
絶対数少ない婦人科、小児科が
権力の介入で逮捕という
あってはならない「罪人扱い」によって
産科小児科の医師がどんどん辞めている事も
原因の一つでしょう。
家族一丸となって
「命を守る神の手に導かれて」
損得抜きに、持てる時間のすべてを
医療にささげても
一人前のなるのは40歳前後です。
しかも「専門の科」だけ
診療できるのです。
今から医師を増やしても、
20年後にやっと一人前の医師の誕生です。
今、急ぐのは、
患者さんの「意識の改革」と、
権力や、営業実績お目付け役が、
現場の医師を委縮させるような
「逮捕」「訴訟」等はもちろん!
医者の部門ではないが、、、
「俺様はT大学一番で、医師より優秀なんだぞー」
医師の適性を欠いた勝ち負けの次元のエリートが
「産む機械の発想で、医療に法律で介入しては
現場との食い違いが結果として、
日本の医療をめちゃくちゃにかき混ぜる時代である。
貴方の命が大切なら、
貴方が死にそうになったとき、
貴方の「命」を救おうと
神が手を差し伸べた時、
手になってあなたの命を救うべく
日夜寝る暇も惜しんで
貴方の家族や、貴方の命の回復のために戦うのが医師でしょう!
「医者より上役で偉いんだーぞー」みたいな
金銭管理で
「コンスタントに圧力をかけてくるようなシステム」は
医者を委縮させ、
廃業や、やめてゆく医師を増やすばかりです。
自分のアピールのために
半可通な批評をテレビやラジオという
マスコミで現象だけを批判することで
視聴者に間違った意識を植え付けてしまい
「信頼」という
治療の原点をガタピシにすることで、
自己満足している
「医療の素人」と言える発言者達に
言いたいのです。
こんな事を繰り返していると
「あなたの家族」が重病になったり
緊急医療が必要なとき、
神様の手には
「外科医も産科医も小児科医も」おりません。
神から見放されないように
あなたの命のために、
医師をこれ以上追い詰めないようにしてください。
弁護士さんは病院は赤字であることを認識し
不必要な訴訟をくいとめてください。
医師を訴訟に追い込むことはやめましょう。
医師は医師でなければ出来ない仕事をすればよいという
周りのサポートがなければ
医師はどんなに増やしても足りなくなります。
樹木のなくなった地球のように、
医師の心は乾いてしまい、
「命のための医療の木陰」を作り
患者さんの治癒力に「最適の状況をつくるパワー」を失います。
あなたの命の為にも
神の右手に握られている医師の使命が果たせるように
医師の「捨て身の一生懸命」を引き出すのは
患者様の医療への「信頼」と
良い医師を育てるのは
正当な感謝の心です。
命の次元も心の次元も多次元です。
「訴訟」という「医療の素人といえる」弁護士の
短絡した介入は考えものです。
弁護士さんの家族の命を守るためにも
貴方の為にも、
医師と坊様は大切にしてください。
医師は妬む対象ではありません。
攻撃する対象でもありません。
3日当直して、
夜中に何回も起こされる
医師の寝不足を知っただけでも、
自分中心の医師への依存性から脱出しましょう。
彼らを配慮のなさで疲れさすのは、
あなたの命を守るためにも
やめましょう。