聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★敵でさえも赦す愛

2007-06-05 | 「神の愛について」



 人間は、だれでも自分が誰かに何かよくないことをした場合、心から赦されたいと願うと思います。しかし、いざ自分が他人の罪や失敗を赦すとなると、これは簡単ではないということに気づきます。人間にとって、一番難しいことの一つではないでしょうか。以前のことですが、とても心温まる美しい話を聞きました。それは、もうかなり昔の話ですが、トルコ人によるアルメニヤのクリスチャンの迫害があった時のことです。一人のアルメニヤの少女とその兄とが、血に飢え渇いたトルコ兵にに追跡され、遂に兵士は二人を田舎の小道に追いつめ、その少女の目の前で彼女の兄を殺してしまったのです。彼女は、やっとのことで、逃げのび、のちに看護師となって働くようになりました。

 さて、ある日のこと、彼女の働いていた病院に、一人の負傷した兵士が血だらけになって担ぎこまれて来ました。彼女は、しばらくしてからその兵士こそ、かつて自分の兄を殺した人であることに気がつきました。しかし、その兵士の状態は、注意深い看護がなければ生命が危険にさらされるほどの重傷であったのです。彼女はその兄を殺したトルコ兵を、それこそ骨身を惜しまず、日夜看護にあたったのでした。その丁寧な配慮の行き届いた看護のお陰で、その兵士は日毎に快復に向かって行きました。そしてある時、その負傷兵は、その看護師こそかつて自分が殺した人の妹であることを知ったのです。

 不思議に思ったその兵士はある日、「何故あなたはあなたの兄を殺した私のためにこのように親切にしてくれるのですか。」と彼女に訪ねました。すると、彼女は答えました。「私は、私が敵対していた神様が私の罪を全部赦してくださったので、私に敵対する人をも赦さないでいることのできない信仰を持っているのです。」と。彼女は、神の愛のゆえに、イエス・キリストの十字架によって自らの罪が赦されていることを確信していたので、自分の敵であっても心から赦さないでいることができず、神の愛を実践して、その敵対者に打ち勝つことができたのです。これは、何と心打つ感動的なお話しではないでしょうか。「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ人への手紙12:21)のみことばを実践したのでした。

 「敵をも赦すことのできる信仰」‥‥‥彼女が持っていると言ったこのような崇高な信仰、これは、今日のように乱れた世の中においては、最も必要なものではないでしょうか。この他人を赦す心があれば、私たちの生活はどんなに変ることでしょうか。憎しみや妬みに代わって赦しの心がこの社会に満たされたら、どんなにこの世の中は変ることでしょう。しかし、この世の中は決して良い方向に向かっていないことは確かであり、聖書もそのように語っています。この他人を赦す心は、決して自分だけの力や努力では真似できないものであり、不可能なのです。この敵でさえも赦すことを実践できるのは、神が私たちのために遣わされた救い主イエス・キリストの十字架の福音を心から信じることによって、初めて経験できることなのです。

 イエス・キリストは、この地上の33年半のご生涯は、常に完璧な模範を示され、彼は他人に教えられる前に自らそれを実践なさいました。イエス様は、たった一人の人をも憎みませんでした。人々に謙遜と愛の極みまでもお示しになられました。どんな扱いを受けても、決して呪いのことばを返すようなことはありませんでした。イエス・キリストは、酷い迫害や仕打ちに対しても、最後まで忍耐し続けられました。人々の憎しみと反抗は、キリストを十字架につけることにより頂点に達したのです。その時、キリストはどうされたでしょうか。キリストは、血を吐くような苦しみの絶頂においても、十字架の上で、天の御父なる神に向かって、静かに次のようなとりなしの祈りをなさったのです。

●「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書23:34)。 

 キリストは、人間の側からはとうてい理解できないくらい、人間を愛し通されたのです。キリストは、人間の心の中にある罪を憎んでも、その人を憎むことはありませんでした。心から愛されたのです。罪に支配されている哀れな人間に、ますます赦しの心をもって接してくださいました。イエス・キリストは、人に赦し合うことを教える前に、まず、ご自身が人の罪を赦す道を開いてくださいました。ご自分を殺そうとたくらむ人たちのためにすら祈り、そして、ご自身のいのちまでも奉げられたのです。ここに、すばらしい真の神様の愛(アガペーの愛ア)があります。

 この神が遣わされたすばらしい救い主であられるイエス・キリストを信じて、罪が赦された者は、他人の罪や失敗をも心から赦すことができる人になるのです。憎悪と悪意、憎しみと殺意に満ちた今の世界で、「人を真心から赦す心」こそ、今日もっとも必要とされているものの一つではないでしょうか。憎しみは、破壊につながります。家庭を破壊し、人と人の繋がりを破壊し、人としての親しい交わりを破壊し、国を破壊します。しかし、「他人(人)を赦す」ことは、常に建設的です。家庭の中に、職場の中に、人と人との交わりの中に平和を建設します。すなわち、世の中に平和を作り出す人になるのです。キリストを信じて、神にすべての罪が赦された確信を持った人だけが、他人を赦すことができるのです。

●「‥‥しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。 」(ローマ人への手紙4:8~10)。

●「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 」(エペソ人への手紙4:32)。 

●「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイの福音書5:44)。

●「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ人への手紙3:13)。
 

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