聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★感動的な犠牲の死

2005-08-27 | 「神の愛について」
 
             

  大分昔の話ですが、外国のあるところに一つの開き橋がありました。船が通る時には橋が開き、汽車が通過する時は元のとおりに橋が閉じるようになっているのです。ある時のこと、船舶の往来がはげしく、時間が過ぎても橋を降ろすことができませんでした。汽車の警笛が遥か彼方に聞こえています。けれども、船はまだ半分ほど通過したに過ぎませんでした。躍起になった番人は大急ぎで橋を閉じようと大童(おおわらわ)になっている時も時、何ということでしょうか、この番人の一人の男の子が川に落ちてしまいました。親としてそのまま飛び込んで助けてやりたいのですが、しかし汽車に乗った幾百人もの人々の命には代えられません。
 
 彼は列車が通過するのを待って夢中になって橋を閉め、それから大急ぎで川に飛び込んで、わが子を抱き上げた時にはすでに遅く、もはや息は絶えてしまっていたのです。親としてわが子が溺れて死にかけているのを目の前にみながら、その子を助けることができませんでした。「せがれや、赦してくれ~!」と彼は死骸に取りついて絶叫し、ただ男泣きに泣きじゃくるばかりでした。しかるに、列車の乗客たちはこのような悲劇があったことは露知らず、雑談にふけったり、煙草をくゆらしながら、何事もなかったかのようにその開き橋のある場所を通過して行ったのです。

 もう一つの感動的な実話があります。かつて、ある裁判官が一人の重罪人を裁いたことがありました。犯罪人が審判台に立って裁判官を見ると、それは自分の双子の兄であったのです。裁判官も、自分の弟が犯人であることを知りました。犯人は心から赦されることを兄に懇願しました。ところが、裁判官は厳しく罪を裁き、すぐに彼を投獄するように命令したのであります。そして翌朝には、彼は死刑にされることになったのです。一方、その犯人は獄中で、翌日の死のことを考えて悶々とした眠れぬ一夜を明かしたのであります。ところが、夜中に急に裁判官が官服のままで、獄にやって来て、その犯人である弟に驚くべきことを言ったのです。

 「私は裁判官である以上、法律に違反することはできないので、お前を罪に定めた。今、私がここに来たのは、兄としてお前を救いに来たのだ。急いで、お前の服と私の官服とを取り替えて、ここから出て行きなさい。門にいる看守はお前を出してくれるだろう。お前は、遠方に行って、今後、心を入れ替えて新しい生活をしなさい。二度とこのような罪を犯してはいけないよ。さあ、早く行きなさい!」そして、その裁判官は翌朝、弟の身代わりになって死刑を執行されたのであります。二日の後、このことが全市に知れ渡り、人々の大きな感動を呼んだということです。

 私がこのような譬え話を書いた理由は、神様の愛とその御子イエス・キリストの愛がどんなに大きな犠牲の伴なったものであるかを、みなさんに少しでも知っていただきたかったからであります。最初の話は、たった一人の息子を犠牲にしてまで、多くの乗客を救った話ですが、それは、愛なる神様がそのひとり子をお与えになったほどの犠牲的な愛をもって、罪を犯して永遠の滅びに向かっていた全人類を救おうとされた事実を知ることができます。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。

●「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネの第一の手紙4:9)。


 後者の二つ目の例話は裁判官である兄が重罪を犯して死刑に定められた弟の身代わりに処刑された話ですが、これは愛なる神に遣わされた御子イエス・キリストの十字架の愛について僅かにではありますが知ることができると思います。
どのような譬え話を用いても、その事実の一面は伝えることができても、そのすべてを説明することはできません。どうか、そのことをご了解いただいてお考えになってくださいますようにお願いいたします。

●「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」(ローマ人への手紙5:6~8)。

●「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。 どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ガラテヤ人への手紙1:4、5)。

●「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(ヨハネの第一の手紙3:16)。

●「人知を越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ人への手紙3:19)。




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