聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★聖書の預言と天気予報

2005-02-27 | 「聖書について」



  2005年2月22日夕刻、鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げられた国産ロケットH2A7号機が、曇天を突いて宇宙に飛び出し、打ち上げに成功しました。悪夢のロケット爆破から1年3ヶ月の苦労がやっと実った瞬間でした。 気象庁でも、失 敗すれば気象観測に重大な支障をもたらすだけに、担当官たちの喜びも非常に大きかったことが推測できます。
 
 さて、日本人はよく日常の挨拶で、「今日はいい天気ですね!」とか、「暑い日が続きますね!」とか、「今朝はシバレますね~!」(北海道弁)などと言います。ちなみに、中国人は挨拶で「飯は食いましたか。」と尋ねることが多いと聞きました。また、日本人の手紙の書き出しは、まず「時候」の挨拶から始まるのが普通ではないでしょうか。初対面の人と、何から話を始めたらよいか分からないような時にも、天気の話から始めることが多いのが日本人です。

 また、日本では、マイクの感度のテストをする場合にも、たとえ雨天であっても、「本日は晴天なり。本日は晴天なり・・・・」を繰り返すのが一般的です。このように、日本人ほど、天気を気にする民族、天気を話題にする民族も珍しいのではないかと思います。テレビやラジオでは、一日中繰り返し、「天気予報」を流します。これは、日本人の民族性や気候風土と何か関連があるのかもしれません。

 かなり古い新聞に面白い記事が載っていたので、私のスクラップブックに挟んでおいたのですが、それによると、天気予報が日本で初めて登場したのが明治17年(1884年)6月1日であったそうです。その歴史的な第一回天気予報は、「全国一般、風ノ向キハ定マリナシ、天気ハ変ワリ易シ、但シ、雨天ガチ。」というものであったそうです。「風ノ向キハ定マリナシ」と言っているので、どの風向きでも心配はありません。また、「天気ハ変ワリ易シ」と断っているので、どんな天気になっても誰も苦情を言うこともできません。全天候型の天気予報なのです。

 このような天気予報であれば、あってもなくてもいいようなものですね!しかし、現在のように科学が格段に進歩して、気象衛星を使い、コンピューターを駆使して、行われている現在の天気予報でも、時々、その予報が外れる事があります。最近は、地球環境が温暖化し、急激に変化しているので、これは私の推測ですが、特に長期予報の場合は、益々、高い確率で天気予報を出すのが困難になって来ているのではないでしょうか。

●「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたら されたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(ペテロの第二の手紙1:20~21)

 さて、神のことばである聖書は、人間の意志によって書かれた書物ではなく、神の霊感によって記された書物であります。ですから、聖書はこの世界と人類の未来について多くのことを語っていますが、その預言(神のことば)が外れるということは絶対にないのです。聖書の預言は100%の確率で成就するのです。キリストの生涯について、旧約聖書には108位の事柄について預言されています。そして、現在までに成就すべきことは、確実に成就しているのです。

 また、イスラエルの民が離散する事や再び故国に帰って来ることなど、イスラエルの長い歴史についても、数々の多くの預言があります。例えば、旧約のダニエル書には、世界の四大帝国(バビロン・メディアとペルシャ・ギリシャ・ローマ)の興亡についての預言が記されていますが、すべてその通りに成就したのであります。その他、聖書に書かれた時点ではまだ起こっていない未来についての多くの記事(預言)がありますが、それらは確実に成就し、聖書は真実であることを証明しています。また、世界の終末についても、人間の死後のことについても、聖書は明確に断定的に語っています。また、「預言」とは神のことばのことであり、「未来の予言」の意味だけでなく、過去のことも現在のことも含んでいます。

 人間は時間に拘束され、それに従属しています。時間に対して、人間はどんなに抵抗しても無力です。ですから、人間は、未来のことを知ることはできません。人間は、時間の流れの中に生かされているので、常に「現在」というものを起点として、「未来」と「過去」というものを考えるわけです。しかし、神は時間の外におられる方であり、時間を超越して存在されるお方です。ですから、神にとってはすべてが現在であるが故に、人間の側から見て未来に属することも正確に予知できるわけであります。未来について正確に予知するのは、全知全能の神以外には決してできないことであり、また、「聖書」によってそれを人類に知らしめることができるお方なのです。

●「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。 」(旧約聖書:申命記18:21~22)。

 神様は、人の口を通して未来に起こることをあらかじめ、人々に知らせることができる方です。そして、その預言者が真の預言者であって、神からのことばを語っているかどうかのテストは、その語ったことばがその通り実現するかどうかによって、判別することができるのであります。しかし、悪魔は預言を実現させたり、不思議なことをしたりして人々を偶像の神々に導こうとします。終末の時代には、サタンは何か不思議なことを行って、人々を惑わそうとすることが聖書に予告されてあるので、十分に注意しなければなりません。今も、多くの異端者や偽教師が現れているのは事実です。今の時代は、聖書が完結され、聖書の中に神のみこころがすべて啓示されているので、聖書と矛盾するようなことを語る「預言者」(?)が表れたら要注意です。イエス・キリストは次のように言われました。

●「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 」(マタイ24:4)。 

 聖書は神のみことばであり、その中心は、イエス・キリストです。キリストはあなたの罪のために十字架上で身代わりに死んでくださり、三日目(日曜日の早朝)によみがえられました。どうか、あなたも、偽りの教えに騙されることのないように、神のみ前に自らの罪をお認めになられ、悔い改めて、神が遣わされた救い主イエス・キリストを信じて救われるようにお勧めいたします。

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