聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★聖書の預言と成就

2007-04-16 | 「聖書について」



  私は、聖書は誤りのない神のみことばであると堅く信じている者ですが、その聖書に記されている預言と、その成就について、代表的な二つの事柄をみなさんにご紹介したいと思います。一つは、ユダヤ人に関する預言、もう一つはイエス・キリストに関する預言です。もちろん、他に多くの預言があるのですが、取り合えずこの二つを考えてみたいと思います(聖書では、「預言」ということばは、神のことばを意味しており、必ずしも未来のことを予言することだけを意味していませんが、ここでは、未来に関する予言の意味で使わせていただきます)。

【1】ユダヤ人(イスラエル)に関する預言。 
◆ 離散と迫害 ◆
 紀元前15世紀頃に書かれた申命記28章には、ユダヤ人が神に背くならば、彼らはイスラエルの地から世界中に散らされ、行く先々で迫害に会うことが預言されています。そして、この警告通りユダヤ人がエルサレムでイエス・キリストを十字架につけてから約40年後のAD70年に、ローマ帝国によって滅ばされ、それ以来、ユダヤ人は国を失い、世界中に離散して行ったのです。それからの彼らの生活はどこにいても、迫害と虐殺の恐怖の連続でありました。最も酷かったのは、ナチス・ドイツによる大量虐殺です。この時にはユダヤ人600万人が殺され犠牲者となったのです。それだけでなく、ユダヤ人は約1900年以上の間、迫害を受け続け世界中を流浪することとなったのです。まさに、旧約聖書に預言されていたとおりのことが、ユダヤ人の上に成就したのです。

◆ 帰還と祖国の再建 ◆
 さらに、このユダヤ人については、もう一つのことが預言されていました。紀元前7世紀頃に書かれたエレミヤ書30章には、諸国民の中に散らされ、迫害されたユダヤ人は、今度は必ず、世界中から父祖の地に戻って来て国を再建することが預言されていたのです。紀元1世紀にユダヤ人が散らされて以来1900年間、これらの預言が成就する兆しは全くありませんでした。誰も、世界中に散らされてしまったユダヤ人が中東の地に戻って来て、国を再建することなど想像することもできなかったのは、当然なことだと思います。

 ただ、聖書を注意深く調べた人たちは「ユダヤ人は必ずパレスチナの地に帰還するに違いない。」と信じていました。しかし、多くの人々は、そのようなことを言う人たちの言葉を信じようとはしませんでした。ところが、1930年代になって、ユダヤ人がパレスチナの地への帰還を始め、戦後の1948年には、ユダヤ民族は彼らの先祖の地に独立国家イスラエルを建設し、実に1900年ぶりに復興したのです。通常は、国を失った民族は500年も経てば周囲の民族に吸収されてしまうと言われています。ところが、ユダヤ民族だけは1900年の間、他民族の間に埋没してしまうことなく、ユダヤ民族として生き続けたのです。そして、あらかじめ預言されていたようにイスラエルの国が復興し、聖書の預言通りに世界の歴史は動いてはいるのです。

【2】イエス・キリストに関する預言。
◆ 誕生とご生涯 ◆
 キリストの誕生に関しての旧約聖書の預言をいくつか列記してみますと、ダビデの子孫を通して来られること、ダビデの子孫を通して来られること、処女から生まれること、ベツレヘムという村でで生まれること、一時エジプトに移ること、ナザレという町に住むこと、高貴な人たちがキリストを礼拝すること、定められた時にキリストが来られることなどが預言されていました。また、そのご生涯に関しては、たとえ話によって教えられること、盲人の目を開けたり、その他多くの病気の癒しや奇蹟を行われること、そして、柔和で優しい方であること、支配者たちの憎悪を買い、拒絶されること、友(弟子)の一人によって裏切られること、頬を打たれること、つばきをかけられ、鞭で打たれること、などもイザヤ書(BC700年頃)や詩篇(BC1.000年頃)その他の書に預言されていました。

◆ 十字架の死と復活 ◆
 十字架につけられて死なれることに関してもはっきり書かれていました。悪人(罪人)と共に処刑されること、人々から嘲られること、衣服がくじ引きにされること、十字架上では苦いぶどう酒と酢を与えられること、そして、十字架上で「わが神、わが神。どうして、わたしをお見捨てになったのですか。」(詩篇22:1)ということばを口にされることばも預言されていました。キリストの苦しみの激しさと渇き、その苦しみを耐え忍んで口を開かなかったこと、さらに脇腹を刺されること、その骨が砕かれないこと、葬られる時には、金持ちの墓に葬られることなども預言されていました。墓からよみがえられることと、それが葬りから三日目であることも預言されていたのです。イエス・キリストのご生涯のすべてが、重要な出来事だけでなく、それに伴なう詳細に至ることまで、旧約聖書にはっきりと預言されていたのです。

 旧約聖書には、イエス・キリストの生涯について、約109の預言があります。そして、それらは非常に明確な預言なのです。お考えいただきたいのですが、例えば、ある人が25の預言をしたとしますと、それが偶然に成就する確率は、数学的に計算すると、3.350万分の1となります。ところが、実は主イエス・キリストに関する25の預言は、彼の受けた裏切りと十字架の死と葬りの間の24時間に成就されているのです。ですから、数学的には、この歴史的事実である聖書の預言が単に偶然に起こり得る確率は、3.350万分の1以下でしかないということになります。更に、主イエス・キリストの109の預言が成就していることを考えるならば、それらがすべて偶然に成就し得る確率は、分母が殆ど∞(無限大)に近くなり、確率は限りなく0%に近くなり、偶然に成就することはあり得ないという結論になります。

 これらの事実は一体、何を示しているのでしょうか。それは、「聖書」は明らかに神が人類に啓示された真理の書であり、人類の歴史の背後に神のご計画と導きがあることを明確に証言しているのです。そして、この聖書は、神が天地万物の創造主であること、また、神が目的をもって人間を創造されたこと、人類の始祖アダムが神に対して罪を犯した時以来、すべての人間は神の前に罪を犯し続けており、人間はみな生まれながらの罪人であり、死後に神のさばきを受けなければならないという厳粛な事実を記しています。当然のことですが、死は人間にとって最も重要な問題であるはずです。今、健康な人も、若い人も、お金持ちも、地位のある人も、すべての人は必ず死に直面する時が来ます。そのために備えることは人生において最も大切な問題であるのです。

●「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9:27)。

●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙6:23)。


 しかし、神がこの聖書を人類に与えた最大の目的は、神が全人類を愛しておられ、その救い主として、ご自身のひとり子イエス・キリストをお遣わしくださり、御子イエス・キリストは、33年間の罪のない聖よいご生涯を送られたのちに、死後の永遠のさばきから私たちを救うために、身代わりに死んでくださったのち、墓に葬られ、三日後によみがえってくださったことなのです。この御方を自分自身の個人的な救い主として信じ受け入れた人は、罪が完全に赦され、永遠のいのちを受けることができるのです。このような偉大な愛を人類に示すために、神はこのすばらしい聖書という贈り物をくださったのです。
 
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。

●「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネ4:9)。 

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