聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★少年時代のイエス様

2006-07-31 | 「キリストの偉大なる生涯」

      

●「イエスが一行の中にいるいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」(ルカの福音書2:44~46)。 
  
 イエス様の少年時代はどのような生活をされていたのでしょうか。そのようことを想像したことはありませんか?ルカの福音書2章には、当時12歳になっておられた少年時代のイエス様を知ることができる数少ない記事の一部分であります(ユダヤ人の男子は12歳になると「律法の子」になるのです)。ここに記されている出来事の背景にはユダヤの過越祭のことがあります。ユダヤの三大祭りの一つであるこの祭りでは、ユダヤ人がほとんどみなイスラエルの都エルサレムに上って来て、神殿にお参りをするという慣習があったのです。ユダヤの人にとって、大事な出来事を記念するお祭りですから、一家そろって、いや親戚縁者みな一団となってエルサレムに上ってそこで数日を過ごすのです。 

 祭りが終わっての帰り道も当然、団体で旅をしたわけであります。ところが、祭りが終わってみな帰路についたのに、少年イエス様だけは何故かエルサレムにとどまっておられました。でも、イエス様の両親はそのことに気づいていなかったのです。一日分の道のりを行ったところまで来て、両親はようやくイエス様が一行の中にいないことに気づいたのです。一日経ってから気づくなんて暢気すぎないだろうか、遅そすぎないだろうかというような疑問を持たれる方も多いと思います。でも、よほど大人数の、顔見知りばかりの団体ですから、「どこか親戚の人たちの中か、同年代の子供たちに混じってお話をしながら歩いているのでしょう・・・」と考えて確認しなかったとしても責められるようなことではありません。

 さて、わが子がいないと気づいたとき、両親は多分気が動転して心を取り乱していたに違いありません。親戚や知人の中を探し回ったけれども、見つかりませんでした。それで、当然のことですが、必死になって探しながら三日もかかってエルサレムまで引き返したのであります。そして、エルサレムに着いて、ようやくイエス様を見つけることができました。ところが、なんとそこには、置き去りにされて困り果てている少年の姿ではなく、神殿の中で教師や学者たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしている賢く知恵に溢れた12歳の少年イエス様の姿があったのであります。大人の学者たちを相手に堂々と問答しているイエス様の姿を見て、とても両親は驚いたに違いありません。
 
 イエス様のご両親は、ほっとすると同時に「どうしてこんなことに!」との思いが湧き起こったとしてもそれは自然の感情ではなかったかと思います。思わず母マリヤは、「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」(ルカ2:48)と言いました。それに対してイエス様は何とお答えになられたでしょうか。イエス様は、両親に対して、「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」と、毅然として言われました。それはイエス様を捜すという行為が的外れなことなんですよと言わんばかりであったのです。両親はこのイエス様のおことばにとても驚いただけではなく、そのおことばの意味がよく理解できませんでした。
 
 このとき母マリアが言った「父上も」というのはこの世の父、すなわちヨセフを指していますが、少年イエスが「自分の父」と呼んだのは「御父なる神」の御父のことであります。このことは、母マリヤにとってもすごくショックだったと想像します。いやがうえにもマリアは天使の言葉や、神殿で出会ったシメオン老人の預言を思い出さずにはいられなかったことでしょう。わが子とはいえ、イエス様は普通の子供とは違う使命を背負っていることを考えざるを得なかったことでしょう。この時のイエス様のお答えは、ご自分が神の御子であり、どのような使命を持っておられたかをはっきりご存じであったことを示しています。日本語の新改訳では、「わたしの父の家(神殿)」となっているが、英語の新欽定訳によれば、「わたしの父の仕事(my Father's business?)」となっています。

 イエス様は、12歳の時にすでに、ご自身がどのような生涯を歩み、御父から授けられた尊いご使命がいかなるものであるかをご存じだったことを知ることが出来るのであります。この時にイエス様の心中を察することが出来ず、また彼が語られたお言葉の意味がはっきりと理解できなかったのです。いずれにしても、両親とイエス様はエルサレムで再会し、無事ナザレに帰ることが出来たのです。そして、母マリアはイエス様が言われたお言葉をみな、心に留めておいたのであります。読者のみなさんも、少年イエスが背負った運命が何のためのもので、その意味は何なのか、はっきりわかる時が来るまで、このお言葉を心に留めながら、引き続き聖書に親しみ、是非読み続けていただきたいのです。

●「しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。 」(ルカの福音書2:50~52)。

 さて、「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」 というこのみ言葉は、イエス様が真に人であられ、両親のヨセフとマリヤに仕えられ、普通の人間として成長して行かれたことを示しております(当然、罪を犯すこと以外においてですが・・・)。①知的面における発達→「ますます知恵が進み」。②身体的な面における発達→「背丈も大きくなり」。③霊的面での発達→「神に愛された」。④社会面における発達→「人に愛された」。このように、主イエス様はすべての面において完璧に成長して行かれたことを知ることができるのであります。ここに、少年時代のイエス様の成長の記録と偉大さを見ることができます。
 
 そして、天地万物の創造主なる御方であるにもかかわらず、主は身分の卑しいユダヤ人の家庭に生まれ、大工の息子としてナザレで過ごされたのです。そして、その貧しい家庭において御父にも両親にも従順な子どもとして成長されたのであります。この時から30歳(公生涯の初め)に至るまでの18年間の歳月のことについては、聖書は何故か沈黙し、何も語っていません。これらの年月は、主イエス・キリストの公生涯のための準備期間として必要なものであったのでしょう。イエス・キリストの公生涯における試練と迫害、そして十字架の死に至るまでのことを熟考しますと、やはりこの期間は訓練のために必要なものであったのだと考えることができます。
 
 また、イエス様の両親はわが子が道に迷ったと思って、あちこち捜しながら、エルサレムに引き返したのでありますが、神の御子が「道」(人生の道においても)に迷うことは決してありません。かえって、イエス様の両親も含めて、私たち人間が神から離れて道に迷っているのです。そのような迷っている者たちを捜し出して神の御許に導いてくださるためにキリストはこの世に救い主として来てくださり、十字架にかかって身代わりに死んでくださったのです。イエス様ご自身こそ、「私が道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と言われた御方であります。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たからです。」(ルカ19:10)と書かれてある通りなのです。
 
●「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 」(ピリピ人への手紙2:6~11)。 

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