聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★人生の目的と意味は何か

2006-05-19 | 「聖書と人生」

       
  ●「だれが知ろうか。影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるかを。だれが人に告げることができようか。・・・・・・ 」(伝道者の書6:12)。

 旧約聖書の伝道者の書の中で、筆者は「影のように過ごすむなしいつかのまの人」と言っています。確かに私たちの人生は儚く短いものであります。二度と繰り返すことのできない一度の人生で、私たちがいかに生きるかということは、私たちが真面目に考えなければならないテーマであります。この伝道者の書は、人生の目的は何か、生きる意味は果たしてどこにあるのかを探求した書物であります。

 「影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるのか」、すなわち「一体、人間にとって何が幸福なのか!」------この問いのもとに哲学が生まれ、芸術が生まれ、宗教が生まれたのであります。この問いこそ古今東西のすべての人間が切に知りたいと願って探求し続けて来た人生最大のテーマであります。ですから、人生の若い時に、この伝道者の書を読み、その教訓を学ぶことは大変有意義なことであります。

●「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」(伝道者の書1:2:3)。

 この伝道者の書は、イスラエルの王ソロモンによって書かれたものであります。ソロモンは、歴史上もっとも有名で有力な王であり、当時(今から約3.000年前)の全世界に知恵と富と文才で知られていた王であり、東西を通じての大賢者と言われている人であります。ソロモンは富と栄誉を持ち、想像を絶する権力を持って、贅沢の限りを尽くして、世界一の幸福者と呼ばれるにふさわしい人物であったのです。しかし、彼が常に繰り返したのは、「空の空」ということばであったのであります。

 ソロモンの晩年の作であるこの書は、ソロモンは決して幸福な人ではなかったという事実を私たちに示しております。この伝道者の書の中には、37回も「空しい」という語が用いられています。旧約聖書に「空しい」を意味する語が、72回出て来るのですが、そのうちの約半分は、この「伝道者の書」に出て来るのです。ですから、栄華を極めたソロモン、そしてこの伝道者の著者であるソロモンがいかに空しい人生を送った人であるかが分かると思います。

 この伝道者の書が私たちに伝えようとしているメッセージの中心が何かと言えば、それは神から離れては人生は空しいものであって、退屈と失望と孤独に満ちているものであるということであります。また、この書は著者ソロモンが幸福と満足を得るために、試みた人生の長い「実験の記録」であるということが出来ます。神(創造者)を持たない生活がいかに空しいものか、その実験(体験)を詳細に記録したものであります。神様は、ソロモンに権力も富も能力も与えました。そして、人生を探求する知恵と多くの機会を与えられたのであります。

 そして、数多くの探求と経験の後に、ソロモンは、「神から離れては、この地上の人生には確実な幸福を見出すのは困難であり、空しいものである。」と結論を下したのであります。この「空」とか「空しい」という言葉は、元来は”息”という意味があって、すぐに消えてしまう空しいもの、移ろいやすいものを指しているのです。「日の下」という言葉は、29回も出て来ますが、これはこの地上の人生を表す言葉です。ですから、この地上の人生にのみ限定して観察するならば、どんなに労苦しても「何一つ益になるものはない。」と言い切っているのであります。

 ソロモンは普通の人が決して経験できないようなことを経験したのです。例えば、彼は700人の妻と300人の妾を持ちました。そして、多くの金銀財宝の冨を得ました。巨大な権力と名声を得ることができました。ありとあらゆる快楽を味わいました。彼は多くの知識を得、哲学を学び、事業を拡張し、建築を研究し、13年も費やして自分のための宮殿も建てました。そして、その実験の結果、何の満足も得ることが出来ず、「神なしの人生は何をやっても空しい。だから、若い時に神に立ち返りなさい。」と人々に勧めているのであります。

 このように、ソロモンは「自分の目の欲するものは何でも拒まず、心の赴くままにあらゆる楽しみを試み」、いろいろな事業もやったけれども、その結果は「すべてが空しく、風を追うようなものである。」ことが分かったのです。このようにソロモンの実験の結果は、すべてが空しく、この地上の人生で何一つ、益になるものはないということであったのであります。ソロモンの実験の結果は次のようなものです。

●「その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」(伝道者の書2:22~23)。

●「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。・・・・・・・結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:1~14)。

 この書の12章には、この書の結論が書かれています。ソロモンが人生の探求の結果得たものは、神を恐れ敬うこと、これこそが人間の本分であり、すべてであるということであります。私たちの人生に真の満足と意味を与えるのは、神のみであるということであります。ソロモンは自分で経験してみて、神を信じる人生が一番幸いであると語っているのであります。そして、この書は若者への呼びかけで終わっています。「あなたの若い日に」とありますように、人生の土台は早いうちに敷く方が良いのです。

 この伝道者の書が与えられたのは、私たちが、人生において多くの無駄な努力をしなくてもよいように、ソロモンが自ら経験した結果を通して若い人に一つの警告として与えられているのであります。人生の大部分を費やして、無駄な実験を繰り返す必要はないということであります。そして、この書は、一個人の人生の経験を通して知り得た教訓の記録ですが、全人類に当てはまる普遍的な真理なのです。この書は、人間が罪のゆえに、神から離れ、空しくなってしまったことが書かれており、神の帰るように勧めていますが、その神に帰る道については記されてありません。それは、新約聖書に記されています。

 ある書物にこんなことが書いてありました。「空しい」という字をもし数字で表すならば「0」ですが、1×0=0。100.000×0=0。1000億×0=0。100兆×0=0。どんなに大きな数字でも0を掛ければみんな0になってしまうのです。この「0」という数字は巨大な数字をも飲み込んでしまう恐ろしい数字であります。莫大な資産やお金を蓄え、大きな地位や名誉を得、また社会的に多くの貢献をしても、もし、神を信じない人生であればすべては「空」であり、「0」になってしまうのであります。

●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)。

 伝道者の書には、神に帰る道が示されていませんが、新約にはその道が明確に示されているのです。イエス・キリストこそ、その唯一の道であります。キリスト以外には決して道はありません。イエス・キリスは、私たちを神のない空しい人生から救い出すために、この世界に救い主となって来てくださいました。そして、十字架で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったのです。この御方を信じる者は、罪が赦され、神との交わりを回復して、本当の喜びに満ち溢れたた人生を歩むことが出来ます。