聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★一体だれが造ったのですか?

2005-06-11 | 「神の存在について」

     

  万有引力の法則を説明したニュートンはある時太陽系の立派な模型を造ってもらいました。太陽を中心にして六つの惑星の速度の割合は実物と同じような比率で加減され、お互いの惑星間の距離も実物と同じ比率で造られていました。ただHandleを廻すことだけで、ちょうど実際の太陽系のように動きました。ある日、無神論者である友人A氏が部屋に入って来ました。彼は、驚きの目をもって模型の方へ行ってハンドルを廻しました。非常に感嘆した彼は言いました。「おぉ~、これはすばらしい!!一体だれがこれを造ったんですか?」とA氏は質問しました。それに対して、ニュートンはある意図があって「だれが造ったのでもありませんよ。その材料は自然に集まって来て、この模型が出来たのですよ。」と答えました。

 「君、私をからかわないでくれないか。私は馬鹿ではありませんよ。もちろん、だれかがそれを造ったはずです。造った人は天才です。是非、造った人を教えてください。」と、友人のA氏は言いました。それから、ニュートンは彼の肩に手を置いて、「これはあなたのよく知っている広大な『太陽系』のつまらない模型に過ぎません。このおもちゃのような物には、設計者も造り主もいないとは信じられないでしょう。しかし、この模型よりはるかにすばらしい太陽系が自然に出来たとあなたはいつも言っています。どうしてそんな非常識なことを考えるのですか。」と天地万物の創造主を信じていたニュートンは尋ねました。その話を聞いて、その時まで無神論者であった彼は、すぐ今までの考えを捨てて聖書に書かれている「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)ということばを堅く信じるようになったというエピソードが残っています。

 みなさんも、今までの先入観を捨てて宇宙の神秘的な事実を真正面から正直な心で考えましょう。地球のことを研究すると不思議な事ばかりです。まず、太陽からの距離はちょうど適当な距離になっています。今の二倍なら、水はすべて凍ってしまうし、その半分の距離なら、あまりにも暑くて動物も人間も生存不可能です。また、地球の自転の速度を10分の1に減らした場合、昼と夜の長さは10倍になり、やはり生きることができません。地球の表面積の陸と海の割合を逆にしたなら、雨はほとんど降らず、地は砂漠になってしまうのです。地球に23度の角度の傾きがなければ、春、夏、秋、冬の四季もなくなってしまい、赤道に近い所だけに野菜や果物が出来るのです。地球と月との間の距離を4分の1にすると、非常に激しい海の潮によって陸はなくなってしまいます。

 このように書くならきりがありませんが、私たち人間は広大な宇宙、地球のすばらしい景色、美しい花、五感を持っている不思議な人体などを見て、これらのものがすべて進化論者が言うように「偶然の産物」であると考えることができるでしょうか。これは、まことに非理性的、非科学的な考えです。適当な例えではないかもしれませんが、印刷所が何かの原因で爆発して、それによって、偶然にすばらしい百科事典が百冊もできるなどということがあるでしょうか。また、ピアノの鍵盤の上を猫が行ったり来たり往復しているうちに、すばらしい名曲が生まれるというようなことがあるでしょうか。しかし、この広大な宇宙や霊魂があり思考力を持った人間が偶然に出来るということを信じることはそれよりもはるかに困難なことです。創造者の存在の事実を認めるということは、人生のすべての問題に優先して真剣に考えるべきことです。

 人々は人間に命を与え、人間を生かしておられる神に背を向け神に反逆しているために現在の世の中は何もかも狂ってしまったと言えるのではないでしょうか。国家間の争い、人命を軽視する風潮、凶悪犯罪の急増、地球環境の悪化、目を覆うばかりの不道徳、人間は神中心に生きるべきであったのに、人間の自分勝手な自己中心の罪の結果、今のような堕落退廃した汚れた世の中になってしまったのです。みなさんも今までの人生を振り返ってみて下さい。なすべき正しいことを知りながら、何度もそれをしなかったことがありませんか。また、してはいけないとよく知りながら、それをしてしまったことはないでしょうか。聖書によると、そのことは罪なのです。人間には良心がありますから、当然それを知ることができるはずです。

 しかし、神様はこのような罪深い人間に救いの道を開いてくださいました。自分の努力によって自分を救うことはできませんが、約2,000年前、神はご自分のひとり子であるイエス・キリストを救い主としてこの世に遣わしてくださいました。キリストが十字架の上で死なれたのは、私たちが受けるべき刑罰の身代わりだったのです。それによって神はご自分の大いなる愛を人間に示してくださったのです。キリストは十字架で死なれましたが、預言通り、死後三日目の墓よりよみがえられました。神の前に、自分の罪を認め悔い改めて、キリストを個人的な救い主として信じ受け入れるならば、だれでも例外なく救いを受けることができるのです。

●「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)。

●「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。」(ローマ人への手紙1:20)。


●「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」(ガラテヤ人への手紙1:4)。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。