護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

戦争は誰がする・反戦のうた・2

2006年11月08日 14時54分27秒 | 反戦
戦争は 出征兵士を
  送る日々 日の丸持って
    駅に立ち 涙を浮かべ
      元気で帰れと 手を振って
        いつか来た道 もどり道

       戦死者の 公報あるたび
         その遺族 顔何だか寂しそう
           お国のためだと 思っていても
             後ろ姿は ふるえてる
               いつか来た道 もどり道

              母さんも 兄を予科連に
                送りだした そのあとも 
                  誰も居ない ホームの上に
                    一人ぽつんと 立っている
                      いつか来た道 もどり道


父さんは 元気で生きて
 帰って来いと 心の中は
   思っていても 口には出せない
     その辛さ 民の心の空しさよ
       いつか来た道 もどり道

      母校に顔を 出す時
        何時も必ず 出撃まえ 
          武運を祈り 手を振って
            送る姿は もう見れぬ
              いつか来た道 もどり道
 
             右と左の 分かれ道
               どちらに 行くかは国民が
                 決めることだと 思うのに
                   政治家官僚 勝手に決めて
                     もどり道に 迷い込む

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2 コメント

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TBありがとうございました (東西南北)
2006-11-08 20:52:59
 うえの記事を読んでみましたが、恐るべき戦慄が走りました。同時に涙が出そうになるのは何故でしょうか。

 侵略戦争を自衛戦争だと日本人民を洗脳し、自爆の道へ強制した日本政府の戦争責任を追及していく時だと感じております。

 自公連立政権は、日本人民を再び欺きながら戦争への道を強制する誤りを繰り返そうとしています。

 憲法完全実施を実現するには日本人民の人民よる人民のための平和政府を樹立する民主主義革命しかない、と考えます。

 学習・教育運動を基礎とする労働・政治運動が選挙の結果に結合するかどうかです。

 
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コメントありがとうございまする (憂楽嘲(ごまめの翁))
2006-11-09 13:16:31
コメントありがとうございます。
 私の父母は、満州で餓死状態でしました。
 弟と妹は小学6年と3年生でしたが、たった二人で最後の引き揚げ線で帰国しています。幼い二人だけでどうやって帰ってきたかが不思議です。
 それと兄を送り出した後の母の寂しそうな姿は未だに眼に残っています。わたくしの戦争拒否はこのあたりからきていのかもわかりません。
 76歳の高齢でブログは何時まで続けられるか分かりませんがよろしくお願いいたします。
 
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