護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

京都訴訟の判決の判決文PDFファイル

2007年03月25日 15時11分36秒 | 反戦
 先日のやめてイラク派兵京都訴訟の判決の判決文全文のPDFファイルができ護憲+の視聴覚コーナーの中に入れました。ご入用でしたらどうぞ。

政治マガジン(目で見るニュース)を呼び出し
http://yufuu.com/User/Goken/seijimagaginenew.html
の中の下
       
第四期No.33 京都地裁イラク訴訟判決 判決文全文(PDF)
の判決文全文(PDF)をクリックして下さい。

 頂いて持ち帰った資料は、縮小コピーしていましたのでスキャナーで拡大して調整しましたが、私の腕が未熟なので不鮮明で見にくいと思いますことお許し下さい。

先日入れました。戦時中の体験と終戦直後に聞いた話から・其の三・完結編に(元陸軍二等兵の娘)さんからコメントをいただきました。


 お父様からお聞きになった生の言葉です。コメントの欄の中では見逃されると思いますので全文引用させていただきます。


現地調達という名の略奪 (元陸軍二等兵の娘)さんからの引用

初めてお便りします。私の父の話を聞いてください。
イラク戦争が始まってしばらくしてからのことです。テレビのニュースで、イラク駐留の米兵が戦車の脇で携帯用のランチを食べている姿を見ていた父がポツリと言いました。「アメリカは、昔から、食糧をどこまでも持って行くから大変なんだ。だから中々遠くまで行けないんだ。その点、日本は、何でも現地調達だから、どこまでも行けたんだよ。」

この自嘲と自慢が入り混じった父の話が、大日本帝国陸軍の本質を的確に物語っています。
つまり、父の自嘲とは、食糧の補給もないまま、中国人の農家から豚や野菜を盗みながら、どこにいるかも分からぬ敵に怯えて大陸を行軍したことです。 自慢とは、そんな状態でも、どこまでも侵攻して行ったことです。

しかし、戦後になって米軍の用意周到な兵站の実体を知るに付け、いかに自分達の命が粗末にされたかに気が付き、父は改めて愕然としたそうです。

父の言うには、戦地では最初の内は物品は買っていたが、段々戦利品という感覚になり、「盗みという現地調達」が文字通り日常茶飯事となっていったとのことです。
ある日、盗んだ菜っ葉で食事を作っていると、村の老人がやって来て、「その菜っ葉はどこで手に入れたのか?」と父に尋ねました。「向うの市場で買った。」と父が出鱈目を答えると、その老人は「おかしいな」と首をひねってから、続けて言ったそうです、
「この辺では、その菜っ葉は食べないんだけど」と。



 戦争に行くのは庶民です。
 昔と違い近代戦になると、指導者は安全なところで好きなことをいっています。
 現地調達で、兵隊は食べ物がないときでも国家の指導者は安全なところでおいしいものを食べ命令を出す。同じ人間でも明暗不思議な光景です。

 アメリカの不幸は、自国が他民族に侵され陵辱された経験がないこと


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