現役の競技ゴルファーだった
ピークの6年間を支えてくれたウェッジです。
ミズノの中島モデルの記念モデルで、
1985年に日本人として初めて
フェニックストーナメントに優勝したときに
使っていたものが、
翌年の春に数量限定で
売りに出された内の1本です
52度のウェッジで、
バンカー以外は、ほぼ全域を
この1本がカバーしていました
あの頃の半分ぐらいで良いので
ウェッジが思い通りに打てたら……
と最近では思ってしまうぐらいに
ウェッジでの不安はありませんでした
ソール側の2本の溝が
完全に角が取れてしまっています
使用していて広がってしまったのです。
バンカーで使うものは、
時々同じようになるウェッジがありますが、
普通の使用でここまでいくのは
珍しいと思います
それだけ打っていたということで、
結果は全て練習の賜物なのです
使い切るというのは、
こういうウェッジのことをいうのだと
個人的には思っています
今のウェッジも……
使い切りたいと思っています。
急に思いだしたことがあって、
昔撮った画像を
引っ張り出してきました。
この画像を見ると、心がうずきます。
『相棒。俺はまだいけるぜ……』
声が聞こえる気がするからです
そういう用具があることは、
僕の財産なのです
ゴルフプラネット: 第一巻 | |
篠原嗣典 | |
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