日本映画「世界のどこにでもある、場所」を見てきた。あまり邦画は見ない。同じ素材で映画を作ったら、例えがイマイチかもしれないが、仮に鯛を素材にして、京料理と郷土料理を比べるみたいなもので、料理のバリエーションも違いがあるし、何よりもお店の作りやら庭やお皿などの小物まで郷土料理が勝てるわけがない。
唯一、勝てる方策は「新鮮さ」とか「鯛茶漬け」とか訴求点を絞ることしかないと思うが、まさにこの映画は「鯛茶漬け」のような映画だ。
とある動物園・遊園地に20人以上のそれぞれが現代社会の病巣を背負っているキャラクターが登場する。心の病を抱えた患者と医師との開放治療を動物園でおこなうという設定だ。
例えば、患者家族に懇願され生命維持装置を切った途端に家族から訴えられノイローゼになった医師、先生以上にしたたかな生徒の圧力にノイローゼになって学校を去って行った先生、母を刺傷したが精神障害があるということで開放された息子、息子がおこした連続殺傷事件で息子の心神喪失を訴える母親、テロリストが攻めてくると常に脅迫観念を持っている中年男・・・・
社会生活を他人と営む上で共通の合意というものがある。それに反した言動をすると彼らは異端児になり極端になると迫害されたり、隔離される。
例えば、学校では常に正しく優しい子ヒツジは生徒であり、凶悪なオオカミは先生になる。もう20年ほど前に崩壊している構図だが・・・・
例えば、司法の判断は全てが公平で正しいとされる。犯罪を起こした時に「心神喪失状態かどうか」について相反する医師の意見を参考に司法が本当に判断できるのか。そもそも、殺人をおこす時は誰でも心神喪失状態ではないのか・・・
映画の最後で、政治家と企業の癒着をスクープした記者が、誰かに雇われたヒットマンに撃たれる。
全て、社会のどこかで発生している事件であり、何処かに存在する人達だ。そんな彼らが心を病んでいるということで、治療の対象となっている。
ぼくたちも何時、心を病んでいる状態になるか、わかったものではない。いや、「病んでいると指摘される」か、わかったものじゃない・・・・
勝手評価 ☆☆☆☆ ひさしぶりの邦画はうまい「鯛茶漬け」でした。