もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

喫煙考(東京都の禁煙条例)

2018年06月28日 | 与党

 東京都の禁煙条例が、国の基準を超える厳しさで制定される見通しである。

 止められない喫煙者として、東京都の条例が全国に波及することに戦々恐々の日々を送ることになると思うが、余命を考えれば、全ての喫煙者が拘束され世間から隔離(刑務所行き)される事態は見なくて済むだろうと考えている。そこで、喫煙習慣についてネットの情報を斜め読みした。アメリカインディアンが儀式に使用(?)していたタバコを西欧社会に紹介したのは、アメリカ大陸を発見(1492年)したコロンブスとされ、日本に伝来したのは1543年のポルトガル船漂着による鉄砲伝来の頃とされている。汽車も自動車も無かった時代にあって、喫煙習慣と葉タバコが西廻りで地球を半周するのに50年しか要しなかった勘定になる。国内の伝播(非喫煙者にとっては汚染・感染か)も驚くほどで、葉タバコ生産によって当時の経済基盤である米の生産が落ちることを憂慮した大名・幕府は幾たびも禁煙令を出したにもかかわらず、赤穂浪士が討ち入った元禄時代(1700年)頃には禁令も出されなくなり、国民生活に密着した嗜好になったとされている。ちなみに、「300年・伝統行事」で検索したところ、いろいろな行事がヒットしたが、その多くは300年もの伝統行事とのフレーズに飾られていた。ん!。300年続くことは誇るべき伝統なのか!、さすれば喫煙習慣は500年にも及ぶ輝かしい伝統として世界文化遺産にも登録されるべきではないのか。ともあれ禁煙の範囲が拡大するのは仕方のないところとあきらめて、隠者の如くひっそりと社会の片隅に逼塞しなければならないご時世なのだろう。時々ではあるが東京での食事会に参加したり、孫の香々見物に随行を命じられる自分としては、人目から隠れる場所が少ない東京行は億劫な時代となるのかもしれない。

 前にも筒井康隆先生の「最後の喫煙者」に描かれているペーソスを書いたが、悲喜劇は現実のものになるのか。”タバコを止めれば”でも”ヤメラレナイ”