もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

小池都知事と幼児虐待死について

2018年06月10日 | 社会・政治問題

 東京都の小池知事が、目黒区での幼時虐待死を受けて同様事象への予防強化策を発表した。

 今回の事案では、どう考えても都の児童相談所の対応のまずさが原因と思うが、知事が強化策としたのは警視庁と児童相談所間の情報共有範囲の拡大としている。情報共有範囲の拡大などは到底具体策と呼べるものでなく、共有した情報への対応方法を見直すことこそ具体策と呼ぶべきであると考える。例えば、児童相談所の訪問には警察官が同行する、或いは児童相談員への面会拒絶の時点で警察が職権で調査する等の迅速性を改善することが、真の具体策ではないだろうか。児童相談所の法的権限の強化を云々する論調もあるが、現状においても最悪・緊急の場合は児童相談員が個人の資格で警察に告発することは可能ではないだろうか。児童相談員が複数回の訪問で得た結果を所内で検討し現状に疎い上司の決裁を経て警察に協力を求めるという縦割りの弊害、組織防衛のためのセクショナリズム、羹に懲りて膾を吹く姿勢、この事案の原因はお役所のスピード感覚のマヒによるものと思う。児童相談所と警視庁の連携は、東京都の機構間の問題であり現行法においても裁量運用できる余地は幾らでもあり、厳格な法整備を俟つのは”百年河清を俟つ”と同義で、その間にも幼児虐待は続くことを忘れてはならないと思うものである。

 この種の事件ではお馴染みとなっている「加害者が幼時に虐待を受けた体験が投影されている」式の論調が幼時教育評論家を自称する方々から出ることと思うが、そのような論調は加害者又は加害予備軍に”ある種の免罪符”を与えるものであり、幼時虐待の根絶には何ら寄与しない。幼児における負の体験は多かれ少なかれ殆どの成人が持っているが、時計の針を戻さない限り解決できないことを自覚して大多数の成人は負の体験を理性で覆っていると思う。事件は社会が起こすものでなく、個人が起こすものである(by湾岸署:青島刑事)。