横浜山下公園に係留展示されている日本郵船の貨客船「氷川丸」を見学した。
幾度となく山下公園は訪れたものの同伴者(妻)に遠慮して船内を見学できなかったが、念願を果たすことができた。海の貴婦人とも称された美しいフォルムはもとより、セレブが優雅に利用したであろう1等船室、貯えの全てをはたいて海外に雄飛を目指す若者が乗船したかの3等船室、海国日本の存在感を示す熱情に溢れた往時を感じ取ることができた。さらには船内に溢れるペンキの臭い、天井のトラフに剥き出しで敷設された電纜、船内各所の消火設備、等々、自分の半生で深く関わった「船」を身近に感じることができた。望外であったことは機関室まで見学順路に入っていたことである。頭がつかえそうなラッタル(階段)を降りると、まだ油の匂いがして機関部の雰囲気を十分に堪能することができた。20年以上も前になるが、戦後初の客船として建造が進んでいた「飛鳥」船内を見学したが、飛鳥には船というよりも設備の整った豪華なホテルで、氷川丸が持っている船・船旅のロマンは感じられなかったように思う。ゆったりと流れる有り余る時間、アッパーデッキで海風に吹かれながら眺める水平線に沈む夕日、自分の海上生活では経験できなかったものであるが、古き・良き船旅を氷川丸は提供したのであろうと思う。氷川丸は戦前・戦時・戦後の激動期と数奇な運命をを生き抜いた「運の良い船」であるが船名は継承されていないように思う。帝国海軍では数度の海戦に参加しつつも致命的な損傷を受けることが無かった駆逐艦「雪風」が有名であり、その「運の良い艦名」は戦後初の国産護衛艦に継承された事例があるように、「運の良い船」の船名は何らかの形で継承されて欲しいと願うものである。
現在は大型の貨客船も無くなり、客船は多人数の乗客による短期クルージング(旅行)が主で旅客輸送の主力は航空機に譲っているが、氷川丸は横須賀に眠る「三笠」とともに、海国日本の象徴・歴史の証人として長く保存して欲しいと願うものである。