もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

野田聖子総務相の総裁選出馬意欲に思う

2018年06月16日 | 与党

 野田聖子総務相の日本記者クラブでの会見が報じられた。

 会見は、秋の自民党総裁選に向けて安倍総裁との対立軸を明確にする狙いとされているが、選択制夫婦別姓の導入以外には具体的な政策の表明は無く、8月までに政策集を発表するとしたに留まっている。野田総務相は今年の2月に選挙区の岐阜県で女性政治塾を立ち上げて、女性の政治参画拡大を目指すとしたが、思ったほどの成果を得られていないもののようである。重度の障害児を抱えて奮闘する強い母を感じる半面、時に暴走する発言、美しからぬ男性遍歴、私企業との癒着疑惑、閣僚では突出した資産、等々政治家としての評価よりも女性としての特質・存在が際立っているように思えてならない。選択制夫婦別姓を始めとする議員の主張は、主として自身の来し方・経験を投影しただけのもので、主張を普遍化することによって起こるであろう日本文化の変質や、国民全体の福利の向上に寄与するか否かの考察に欠けているのではないだろうか。政治家、特に平時の総理・総裁にあっては一つの問題にのみ特化し拘泥するスペシャリスト的な人物は不適当で、バランスの取れたゼネラリストであるべきではないだろうか。Mr.年金との称号を奉られていたものの厚労相としては何等の実績を上げることができなかった長妻昭議員、戦時の宰相として英国を守ったものの戦後復興時には国民からノーを突き付けられたチャーチル、戦時には疎まれながら日本の戦後復興を成し遂げた吉田茂、スペシャリストが必要とされる時期と立ち位置は極めて限られていると思う。

 現在の日本を俯瞰したとき、果たして尖鋭的なスペシャリストが求められる状況にあるのだろうか。北朝鮮と戦争する事態になればスペシャリスト的指導者が求められるであろうが、その場合にあっても、国防・軍事のスペシャリスト高市早苗議員がいる。野田総務相の総裁選に対する奮闘を祈るとともに、バランスの取れた政策集であって欲しいと願うところである。