もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

禁煙促進対策進む

2018年03月27日 | 社会・政治問題

 各企業での禁煙促進対策が紹介されていた。

 喫煙室を廃止して建物内を全面禁煙とする企業、非喫煙者に有給を付与する企業、極め付けは非喫煙を採用の条件とする企業まで存在するらしい。この様な状況からか、昭和40年代には80%を超えていた男性の喫煙率も近年では30%以下まで低下しているようであるが、多くが「もはや止められない」高齢者が喫煙率を押し上げているものと思うので、若年者の喫煙率は更に低いものと思われる。近年のハリウッド映画でも、ドラッグ吸引のシーンはあっても喫煙シーンは極め付けの悪役と悪行の象徴として描かれるだけである。20年も前になるだろうが、筒井康隆氏が「最後の喫煙者(記憶ですが)」という作品を上梓された。筋立ては、近未来に国内最後の喫煙者となり社会からヒステリックに糾弾されるとともに妻からも見放された数名が、安田講堂に立て籠もって玉砕するというものであったが、将来は貴重な予言書とされるかもしれない(笑)。無理筋を承知で言わせて貰えるならば、現在の喫煙者叩きはパワハラ・いじめの極致ではないだろうか。喫煙者に就職の道を閉ざすことに至っては、性別はおろか宗教・信条を合否の基準としてはならないとする労働基本法の精神にも反しているのではないだろうか。まして、飲酒運転や飲酒酩酊が殺人にまで至るアルコールが野放し状態であり続ける現状と、「酒癖が悪い」という言葉はあっても「たばこ癖が悪い」という言葉が過去にも存在しなかったことを考え合わせれば、昨今の喫煙者叩きの異常性が浮き彫りとされるだろう。喫煙者は酒税に比べ極めて割高なたばこ税を納めており、国に対する貢献度はアルコール中毒者に数倍するものと思っている。

 ここまで愚痴を並べて、ますます気が滅入ってきたが、やはりタバコは止められない。自分の脳裏には、煙草を斜交いに咥える裕次郎の雄姿が刷り込まれており、煙草は動くアクセサリーという往年のキャッチコピーが耳元でささやかれ続けているからである。