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大学を卒業して新卒で入社した会社を、上司からの凄まじいモラル・ハラスメントが原因で退社し、その後1年間を働く事に対する恐怖で棒に振った経験を有する長瀬由紀子。29歳の今、彼女は契約社員として工場で働き乍ら、大学時代の同級生が営むカフェを手伝ったり、パソコン教室の講師を務める等して生計を立てている。工場での月給は手取りで13万8千円。去年も一昨年もボーナスが出なかったので、工場勤務による年収は165万6千円という事になる。
自分自身の時間を売って得た御金で、食べ物や電気やガス等のエネルギーを細々と買い、何とか生き長らえているという自身の生の頼りなさを感じていた彼女は或る日、工場内に貼られていた1枚のポスターに目を留める。然るNGOが主催する「世界一周のクルージング」への参加者を呼び掛ける内容で、その参加費は163万円。工場での年収とほぼ同額の参加費だ。「生きる為に薄給を稼いで、小銭で声明を維持している。そうで在り乍ら、工場での全ての時間を、世界一周という行為に換金する事も出来る。自分の生活に一石を投じる物が、世界一周で在るのではないか?」と感じた彼女は、カフェやパソコン教室でのバイト代だけで暮らして行ける様に生活費を切り詰め、工場での年収で世界一周のクルージングに参加する事を考え始めるが・・・。
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第140回(2008年下半期)芥川賞を受賞した「ポトスライムの舟」。この短編小説を読み終えて、「“現代の蟹工船”と言えるのではないか。」と感じた。この記事を書く上で検索した所、選考委員の一人・山田詠美さんがその選評で「行間を読ませよう等という洒落臭さは微塵も無く、書かれる事が切れ良く正確に書かれている。目新しい風俗等何も描写されていないのに、今の時代を感じさせる。と、同時に普遍性も又獲得し得た上等な仕事。『蟹工船』より、こっちでしょう。」と書かれているのを知り、「彼女も『蟹工船』を思い浮かべたのか。」とニヤッとしてしまった。
今年で31歳になられた著者・津村記久子さんは、土木関係のコンサルティング会社に勤務されているそうだ。母親と2人暮らしの由紀子。自己本位な夫に愛想を尽かして、離婚覚悟で娘を連れて家を飛び出し、由紀子の家で居候生活を始めた、大学時代の同級生りつ子。カフェを営むヨシカ、そして裕福な家に嫁いだそよ乃も大学時代の同級生と、この小説に登場する主要な人物は皆女性。この事に付いて津村さんは「同年代の女性が30代を迎えた時、結婚したり、母子家庭になったりと、色んな立場の違いが明確に見えて来る。それを書いてみたかった。」と語っている。
「失われた世代」という表現が在る。「ロスジェネ」とも略されるが、我が国では1970年代生まれの人、即ち現在30代の人を意味するのが一般的。就職氷河期に社会に放り出された彼等の中には、契約社員として働く者も少なくない。「突然の契約の打ち切り」や「低賃金」等、自身の未来に不安を抱え、鬱々とした日々を送る者も又、少なくないだろう。そんな世代に属する著者が、同世代の人間模様を描き上げた作品。
「現代の蟹工船」と自分は評したが、「蟹工船」の様なウエット感は無い。由紀子達も蟹工船に登場する人物達の様に心に悶々とした思いを抱えているのだろうが、著者の作風と言うか表現力によるものなのだろうか、この作品で感じるのはウエットと寧ろ対極のドライ感。焦燥と諦念の思いが無機質さをも感じさせる文体で淡々と描かれ、それが逆に「ロスジェネ世代が一般的に抱えているとされる将来への不安」をより浮き彫りにさせているとも言える。
併録されている「十二月の窓辺」という短編の主人公・ツガワも、ロスジェネ世代に属する女性と思われる。女上司からの執拗なパワー・ハラスメントに懊悩するツガワの姿を描いたこの作品、終始支配しているのは暗鬱さ。「ポトスライムの舟」も「十二月の窓辺」も、読み終えてスッキリするといった類の作品で無いのは確かだが、ついつい感情移入して読み進む人も結構多そう。特に女性の読者から共感を得られる内容ではなかろうか。
総合評価は星3.5個。
大学を卒業して新卒で入社した会社を、上司からの凄まじいモラル・ハラスメントが原因で退社し、その後1年間を働く事に対する恐怖で棒に振った経験を有する長瀬由紀子。29歳の今、彼女は契約社員として工場で働き乍ら、大学時代の同級生が営むカフェを手伝ったり、パソコン教室の講師を務める等して生計を立てている。工場での月給は手取りで13万8千円。去年も一昨年もボーナスが出なかったので、工場勤務による年収は165万6千円という事になる。
自分自身の時間を売って得た御金で、食べ物や電気やガス等のエネルギーを細々と買い、何とか生き長らえているという自身の生の頼りなさを感じていた彼女は或る日、工場内に貼られていた1枚のポスターに目を留める。然るNGOが主催する「世界一周のクルージング」への参加者を呼び掛ける内容で、その参加費は163万円。工場での年収とほぼ同額の参加費だ。「生きる為に薄給を稼いで、小銭で声明を維持している。そうで在り乍ら、工場での全ての時間を、世界一周という行為に換金する事も出来る。自分の生活に一石を投じる物が、世界一周で在るのではないか?」と感じた彼女は、カフェやパソコン教室でのバイト代だけで暮らして行ける様に生活費を切り詰め、工場での年収で世界一周のクルージングに参加する事を考え始めるが・・・。
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第140回(2008年下半期)芥川賞を受賞した「ポトスライムの舟」。この短編小説を読み終えて、「“現代の蟹工船”と言えるのではないか。」と感じた。この記事を書く上で検索した所、選考委員の一人・山田詠美さんがその選評で「行間を読ませよう等という洒落臭さは微塵も無く、書かれる事が切れ良く正確に書かれている。目新しい風俗等何も描写されていないのに、今の時代を感じさせる。と、同時に普遍性も又獲得し得た上等な仕事。『蟹工船』より、こっちでしょう。」と書かれているのを知り、「彼女も『蟹工船』を思い浮かべたのか。」とニヤッとしてしまった。
今年で31歳になられた著者・津村記久子さんは、土木関係のコンサルティング会社に勤務されているそうだ。母親と2人暮らしの由紀子。自己本位な夫に愛想を尽かして、離婚覚悟で娘を連れて家を飛び出し、由紀子の家で居候生活を始めた、大学時代の同級生りつ子。カフェを営むヨシカ、そして裕福な家に嫁いだそよ乃も大学時代の同級生と、この小説に登場する主要な人物は皆女性。この事に付いて津村さんは「同年代の女性が30代を迎えた時、結婚したり、母子家庭になったりと、色んな立場の違いが明確に見えて来る。それを書いてみたかった。」と語っている。
「失われた世代」という表現が在る。「ロスジェネ」とも略されるが、我が国では1970年代生まれの人、即ち現在30代の人を意味するのが一般的。就職氷河期に社会に放り出された彼等の中には、契約社員として働く者も少なくない。「突然の契約の打ち切り」や「低賃金」等、自身の未来に不安を抱え、鬱々とした日々を送る者も又、少なくないだろう。そんな世代に属する著者が、同世代の人間模様を描き上げた作品。
「現代の蟹工船」と自分は評したが、「蟹工船」の様なウエット感は無い。由紀子達も蟹工船に登場する人物達の様に心に悶々とした思いを抱えているのだろうが、著者の作風と言うか表現力によるものなのだろうか、この作品で感じるのはウエットと寧ろ対極のドライ感。焦燥と諦念の思いが無機質さをも感じさせる文体で淡々と描かれ、それが逆に「ロスジェネ世代が一般的に抱えているとされる将来への不安」をより浮き彫りにさせているとも言える。
併録されている「十二月の窓辺」という短編の主人公・ツガワも、ロスジェネ世代に属する女性と思われる。女上司からの執拗なパワー・ハラスメントに懊悩するツガワの姿を描いたこの作品、終始支配しているのは暗鬱さ。「ポトスライムの舟」も「十二月の窓辺」も、読み終えてスッキリするといった類の作品で無いのは確かだが、ついつい感情移入して読み進む人も結構多そう。特に女性の読者から共感を得られる内容ではなかろうか。
総合評価は星3.5個。

書き出しの「タトゥ」という部分で「もしや・・・。」と思ったのですが、やはりこの小説を読まれていましたか。守備範囲の広さに敬服です。
貯金は結構好きな性質ですが、御指摘の様に「あそこ迄爪に火を灯す様な生活というのは、さぞやしんどいだろうなあ。」という思いが自分にも在りました。でも好むと好まざるとに拘わらず、其処迄遣らざるを得ない人も世の中には要るのでしょうね。
どんな職業で在れ、労働に見合った対価が得られないというのは不幸な事。悲惨さを強調していないからこそ、余計に感じる物が在りました。
この作家の作品のタイトルは不思議なものが多くて、オフィス機器を擬人化したような作品もわらえます。 ポトスはあまりに安っぽい観葉植物で手間がかからず、お金もかからない。 それでいてよく育つのが、あまりにも些細な喜びしかない、仕事以外にこんなにも些細な喜びしかない、こんなことで仕事とそれ以外の切り替えが、気持ちの切り替えができるのもある意味気の毒ですね。 住宅ローンがあって子供も進学すると普通のサラリーマンでもせいぜい月に一枚CDを買うくらいが喜びというのをあるとき耳にしてそんなのいやだなあと思ったことがあるのですが、だいたいそんなものなのだろうとわかってきました。 信じられないくらい高価な腕時計をしている人を見て、どんな悪いことをしたらあんなものが買えるのだろうと口にした人もいましたが、だいたいそんなものかもしれません。
タトゥー(刺青)がマイナス・イメージでは無い文化&風習として存在している国も在りますが、我が国の場合では一般的にそうでは無いですよね。個人の趣味ですからしようがしまいがそれは自由なのですが、自分の場合はしたいと全く思わない。古い考えなのは判っているけれど、やはり親から貰った体に対して意図的に傷を付けたくないという思いが在りますので。街中を歩いていると、耳だけに留まらず鼻や唇に迄ピアスをしている人を見掛けたりもしますが、痛さに対して非常に弱い自分からすると「凄いなあ・・・。」と驚き一杯。
小説に限りませんが、一般的に売られている物の名称って重要ですね。どれだけ消費者にアピールして、尚且つ購買意欲を惹起させるかが勝負。刊行時、雑誌連載時や文学賞受賞時とはタイトルを変えている小説が結構在ります。「元のタイトルだったら、恐らくは売れなかったろうなあ。」と思う物も在る一方で、「元のタイトルの方が良かったのに。」と思う物も。この小説に関して言えば、「一体どういう内容なのだろうか?」という捉え所の無さが功を奏している様に感じました。