*************************************
「御苦労さまでした・・・東関親方『いよいよ最後が来た』」(5月9日、スポーツニッポン)
現役時代、外国出身力士の先駆者として大きな体と愛嬌の在る人柄で人気を博した大相撲の東関親方(元関脇高見山)が6月に65歳になり、定年を迎える。夏場所は最後の本場所。初日を翌日に控えた9日、東京都墨田区の東関部屋で「いよいよ最後が来たね。」と、少し寂しさを漂わせた。
1964年2月、19歳でハワイのマウイ島から来日。生まれた時の名前、「ジェシー」の愛称で親しまれた。股割りが出来ずに涙を流し「目から汗が出た。」と強がったのは有名。1972年名古屋場所で外国出身者として初の幕内優勝を飾り、テレビCMでも人気者となった。
親方として横綱曙を育てる等功績は大きかった。来日してから45年余り。日本国籍を取得して「渡辺大五郎」になった東関親方は「自分の人生は相撲の人生。相撲に出会って本当に良かった。」としみじみ話す。
現在は本場所の入り口で来場者のチケットを切る“木戸担当”。通常、定年退職直前の親方はこの仕事を免除されるが、東関親方は自らの希望で夏場所も職務を熟す。「最後迄ファンの人達と触れ合いたいからね。しっかり頑張るよ。」。ファンを大事にし乍ら、24日の千秋楽で本場所に別れを告げる。
*************************************
前にも書いたと思うが、自分は相撲に余り興味が無い。若貴ブームが巻き起こっている時も、殆どその取り組みは見ていなかった程。そんな自分だが、ジェシーこと高見山関は大好きだった。相撲取りとしてでは無く、ブラウン管から伝わって来る彼の人間性が好きだったのだ。
元記事でも書いてある様に、彼は外国出身力士の先駆者と言って良い。今でこそ外国出身力士は一般化したが、当時はかなり奇異な目で見られていたと思うし、実際問題その事で理不尽な虐めにしばしば遭っていたという話も見聞した。異国の地に身を置くだけでも大変だというのに、日本人でも多くが「辛い。」と感じるで在ろう相撲という世界で身を立てたというのは凄い事。そんな苦労を見せずに、只管明るさを振り撒いていたジェシー。「トランザム」のCMで、軽やかにタップを踏んでいた彼【動画】。「丸八」のCMで、陽気にマラカスを振る彼【動画】。「日本船舶振興会」のCMで、大きな太鼓を叩く彼【動画】。相撲ファンだけでは無く、多くの人から愛された力士で、あの独特の喋り口は良く物真似されたもの。
そんなジェシーが相撲界から去る日が来たとは・・・時の流れを痛切に感じる。本当に御疲れ様でした。相撲界からは離れても、様々な形で姿を見せて下さい。
「御苦労さまでした・・・東関親方『いよいよ最後が来た』」(5月9日、スポーツニッポン)
現役時代、外国出身力士の先駆者として大きな体と愛嬌の在る人柄で人気を博した大相撲の東関親方(元関脇高見山)が6月に65歳になり、定年を迎える。夏場所は最後の本場所。初日を翌日に控えた9日、東京都墨田区の東関部屋で「いよいよ最後が来たね。」と、少し寂しさを漂わせた。
1964年2月、19歳でハワイのマウイ島から来日。生まれた時の名前、「ジェシー」の愛称で親しまれた。股割りが出来ずに涙を流し「目から汗が出た。」と強がったのは有名。1972年名古屋場所で外国出身者として初の幕内優勝を飾り、テレビCMでも人気者となった。
親方として横綱曙を育てる等功績は大きかった。来日してから45年余り。日本国籍を取得して「渡辺大五郎」になった東関親方は「自分の人生は相撲の人生。相撲に出会って本当に良かった。」としみじみ話す。
現在は本場所の入り口で来場者のチケットを切る“木戸担当”。通常、定年退職直前の親方はこの仕事を免除されるが、東関親方は自らの希望で夏場所も職務を熟す。「最後迄ファンの人達と触れ合いたいからね。しっかり頑張るよ。」。ファンを大事にし乍ら、24日の千秋楽で本場所に別れを告げる。
*************************************
前にも書いたと思うが、自分は相撲に余り興味が無い。若貴ブームが巻き起こっている時も、殆どその取り組みは見ていなかった程。そんな自分だが、ジェシーこと高見山関は大好きだった。相撲取りとしてでは無く、ブラウン管から伝わって来る彼の人間性が好きだったのだ。
元記事でも書いてある様に、彼は外国出身力士の先駆者と言って良い。今でこそ外国出身力士は一般化したが、当時はかなり奇異な目で見られていたと思うし、実際問題その事で理不尽な虐めにしばしば遭っていたという話も見聞した。異国の地に身を置くだけでも大変だというのに、日本人でも多くが「辛い。」と感じるで在ろう相撲という世界で身を立てたというのは凄い事。そんな苦労を見せずに、只管明るさを振り撒いていたジェシー。「トランザム」のCMで、軽やかにタップを踏んでいた彼【動画】。「丸八」のCMで、陽気にマラカスを振る彼【動画】。「日本船舶振興会」のCMで、大きな太鼓を叩く彼【動画】。相撲ファンだけでは無く、多くの人から愛された力士で、あの独特の喋り口は良く物真似されたもの。
そんなジェシーが相撲界から去る日が来たとは・・・時の流れを痛切に感じる。本当に御疲れ様でした。相撲界からは離れても、様々な形で姿を見せて下さい。
光陰矢のごとしですね。
まだ「鬼畜米英」「毛唐」なんて言葉を平気で使う戦中派が現役の時代でしたからね、大変だったと思いますよ。
かなり前ですが、高見山関と同時代を過ごした力士(名前は失念してしまいましたが。)が当時の様子を週刊誌で語っていました。人間性を否定する様な酷い嫌がらせも在ったそうで、「同じ日本人として、ああいった卑劣な嫌がらせは恥ずかしかった。」とも。当人は表立ってどうこう話してはいないと思いますが、良く頑張ったと思います。彼が居なかったら、今の朝青龍関も存在し得たかどうか。
ものすごく大きく見えました。
しかし今彼が現役でも
それほどの大きさではないでしょう。
げに重量の増大化が進んでいるというのは
やむをえないんでしょうね。
しかし外国籍力士が山ほどいる今と違い
ポツンと一人だけの時代。
どの時代も
パイオニアは偉大です。
今でこそ日本球界からメジャーに移籍する選手は一般化しましたが、そうで無かった時代の野茂英雄投手は色んな意味で勇気が在ったと思います。「メジャーで成功出来なかったら、もう帰る場所は無い。」という強い思いも在ったでしょう。あの当時は「日本球界を捨てやがって!」的な反発が、日本球界の上層部には結構在った様に思いますし。もっと遡れば、日本人初のメジャー選手で在るマッシー村上(村上雅則)氏なぞは、もっと心細かった事でしょう。本当にどの分野&時代に於いても、先駆者は偉大ですね。
高見山関、当時は山の様に巨大なイメージが在りましたけれど、曙関と並んだらそれ程大きさを感じなかった。当時としては巨大だったけれど、敏捷さを兼ね備えた力士でも在りましたね。
それにしてもg-55さまが相撲にあまりご関心がないというのが少し意外でした。なんとなくお好きなような雰囲気がしていたので。。。でも一度実際に見ると大変面白いなと感じられるとおもいます!私も実際に観戦してから相撲の印象が凄く変わりました。もし未体験でしたら機会があれば是非一度ご観戦くださいませ^^
全く同感です。やはり自分も「東関親方」という呼称はピンと来ず、「高見山関」という方がスンナリ来ます。辛い事も多かったろうに、それを感じさせない明るいキャラクターは、老若男女を問わずに愛される方でしたね。
相撲はこれ迄全く見て来なかった訳では無く、北の潮関や千代の富士関が全盛の頃はその大一番をスポーツニュース等でチェックしたりはしていたんです。唯、生での観戦は皆無。今はそうでも無い様ですが、金銭的な部分も含めて敷居が高い感じがして。升席のほんの一部なのでしょうが、「色々付けられる御土産代も料金に含まれているのだろうな。」と思うと、その点でも行く気がしなかったりしていました。上記した様に、料金体系等を見ると今は大分変っているみたいですね。
格闘技が好きなのでボクシングをしばしばTV観戦しているのですが、肝心な試合内容よりも「このタオルを振り回しているおっちゃん(客)、何時もリングサイドの同じ席に座っているなあ。」といった余計な部分に目が行ってしまう事が在ります。スポーツ紙面でも時々、升席に座っている有名人の姿が載っていたりして、「実際に生で観戦しに行っても、有名人の姿を目で追っちゃったりするかもなあ。」と思ったり。
自分よりは遥かに年上なのだけれど、「可愛い。」と思ってしまうキャラクターでしたね、高見山関は。
外国人力士、本当に増えました。出身国も幅広くなり、四股名も昔では考えられない様な物も。古くからの相撲ファンの中には「ふざけた四股名が多い。」と眉を顰められる方も少なくないと聞きますが、個人的には公序良俗に反するので無い限り、色んな四股名が在っても良い様に思っています。守るべき部分は守り、変わっても良い部分は変えて行く。そうじゃないと、どんな文化も歴史に取り残されて行くだけだと思うし。
高見山関、見るからに陽気さ&人の良さを感じさせる風貌で、65歳になろうとする近影を拝見しても変わりが無い事にホッとしております。
相撲部屋の運営って、本当に大変だと思います。古い仕来たりを守る一方で、時代に合わなくなった、そして変えても良い部分は変えて行く。弟子とのジェネレーション・ギャップも在りましょうし、親方のみならず奥様もかなり御苦労されている事でしょう。