過去にも書いた事だが、広岡達朗氏は大好きな"野球人"の1人だ。「古臭い話許りして、老害以外の何物でも無い。」とか、「結局、いちゃもんを付けたいだけ。」とかと、何かと其の言動が批判される事が少なく無い御仁で、"毀誉褒貶"の多い人物で在る事は間違い無い。確かにアナクロとしか思えない主張も在るし、彼の言動を100%肯定はしない。でも、自分が彼を好きな理由は、「良い悪いは別にして、其の言動に筋が通っており、又、余人に代え難い程の実績を残して来た。」事が大きい。
今年で92歳になるが、今以て球界に厳しい批判を続けている広岡氏。「言っている事は正論だけど、もっとオブラートに包んだ言い方をすれば、敵を作らないのになあ。」と余計な心配をしてしまうが、「オブラートに包まない言い方をしているからこその広岡達朗氏で在り、オブラートに包んだ言い方をする様に成ったら、もう広岡達朗氏では無い。」とも思うのだ。
そんな広岡氏の92年間を取り上げたのが、今回読んだ「92歳、広岡達朗の正体」(著者:松永多佳倫氏)で、「出生~早稲田大学篇」、「読売巨人軍篇」、「広島東洋カープ篇」、「ヤクルトスワローズ篇」、「西武ライオンズ篇」、「千葉ロッテマリーンズ篇」の6篇で構成されている。「出生~早稲田大学篇」がアマチュア時代、「読売巨人軍篇」が現役選手時代、「広島東洋カープ篇」~「西武ライオンズ篇」が指導者時代、そして「千葉ロッテマリーンズ篇」はGM時代に付いて。
*****************************************************************
こうして昨今はどうしても辛口御意見番としてのイメージが先立つが、広岡が日本プロ野球史に残した偉大な功績が3つある。
まず、両リーグで監督を務め、チームを日本一に導いたのは三原脩、水原茂、広岡達朗の3人しかいない。なかでも、セパでBクラス常連の弱小球団の監督を引き受け、ともに2年半以内に優勝させたのは、後にも先にも広岡ただひとりだ。
そして、1954年に巨人へ入団し、1年目に残した打率3割1分4厘は、2020年にDeNAの牧秀悟に抜かれるまで66年間大卒ルーキーの最高打率を誇っていた。13年間巨人一筋、V9初期の球界を代表するショートとして、華麗なプレーでファンを魅了した。
特筆すべきは3つ目だ。広岡は監督時代に指導した選手のなかから、後の監督経験者を16人も輩出している(田淵幸一、東尾修、森繁和、石毛宏典、渡辺久信、工藤公康、辻発彦、秋山幸二、伊東勤、田辺徳雄、大久保博元、若松勉、大矢明彦、尾花高夫、田尾安志、マニエル)。これは、史上空前のV9を成し遂げた川上哲治、知将・野村克也、闘将・星野仙一でもなし得なかった数字だ。
監督にとってもっとも重要な責務は、チームを勝利に導くために選手を育てていくことだろう。これはチームを、ひいては野球界を次世代に繋いでいくのと同義でもある。その観点から言うと、広岡は指導者の責務を誰よりも果たしたことになる。兎にも角にも、広岡は球界に多くの人を残した。
*****************************************************************
「とにかく広岡さんは筋が通った人で、今でもご意見番として厳しいことを言われます。監督にも選手にも耳に痛いことを言われますが、皆それが正論で本当のことだとわかってますから、広岡さんが言ったことは、みんな心に留めてますよ。」と、ジャイアンツ時代の後輩でも在る王貞治氏が語っている。数多くの野球人が此の本の中で証言しているが、広岡氏に対して"複雑な思い"を持っている人ですらも、王氏と同じ様な事を語っているのが興味深い。
結局、選手としても指導者としても彼が疎まれて来たのは、「彼が曲がった事が大嫌いで、誰に対してもオブラートに包む事無く、正論を吐き続けて来た。」からの様に感じる。又、指導者として「嫌な奴!」と反感を買ったのも偏に、側近として付き従って来た森祇晶氏(其の性格の陰湿さは、多くの人が指摘している事だが。)が「"虎の威を借りる狐"として、広岡氏が命じてもいない事を"陰湿な遣り方"で、広岡氏が命じた事として行い捲っていたからで在り、又、広岡氏が其の事実を逐一抗弁しなかったから。」だと思う。スワローズ時代、捕手の大矢明彦氏を高く評価していた広岡氏だが、面と向かって誉める事は無かった様で、「そういう風に思われて(ヤクルトナインで唯一理知的にものを考えられる人物だと、広岡氏は大矢氏を評価している。)も、時々は選手に直で言ってもらいたいもんですよ。彼女との間でも、たまには"愛してるよ"って言わないと愛が冷めてしまうのと一緒です。」という大矢氏の話には「確かになあ。」と思ったし、広岡氏の"生き方の下手さ加減"を改めて感じた。
*****************************************************************
広岡さんと野村(克也)さんの指導者としての違いで言えば、野村さんは常にチームが勝つためにするべきことを具現化していった。哲学から人生論まで、最初のミーティングでは野球に関係ない訓話的な事象から入りますから。人生における成功論や失敗論とか。野村さんは私生活に対してあんまりうるさく言わない代わりに『とにかく頭を使え。』をモットーにしていました。"野球は頭を使うスポーツ"の第一人者ですから。何も考えずにプレーすることを極端に嫌う人でした。
広岡さんは、普段の生活すべてが野球に直結するという考え方。野球に対する取り組み方はいたってシンプルかつ真摯であり、まず己を律することから始めなければならない。物事にはすべてに原理原則があり、自然との調和のなかで人間は死ぬまで勉強する必要があるといった思想を持つ。(中略)とにかく広岡さんは周りを見ない自己中心的なプレーは絶対許さない。妥協を許さず、こうと決めたら必ず最後までやり遂げる。選手のためなら平気で鬼になれる人ですから。 (永尾泰憲氏の証言)
****************************************************************
どんな選手で在れ、「上手く成りたい。」という"向上心"を強く持った選手は見捨てず、徹底して"基本に忠実で地味なプレー"を執拗に反復練習させる。「能力が無いと見切ったら、ドライに突き離す。」というイメージが広岡氏には在ったので、意外な事実だった。
****************************************************************
あくまで個人的な考えですが、プロ野球界って、実は動作が不細工でも結果を出している選手が意外と多いんです。まず松井秀喜が出てきますね。金本(知憲)、松中(信彦)、小久保(裕紀)、新井貴浩、みんな不細工です。なんかギクシャクしてるし、流れるようなスムーズさがない。高橋由伸や立浪(和義)、ダルビッシュ(有)、大谷(翔平)のような華麗さがない。動作が不細工でも結果を残している人間は、練習するのが苦ではなく、僕ら以上に練習をしてきたタイプです。それで32、3歳くらいまではいけるんですけど、そこを過ぎるとゴムが切れたように身体が言うことをきかなくなるんです。だから晩年は、故障と付き合いながらのプレーになります。早いうちから広岡さんの言うような基礎、流れるようなスムーズな動作、身体の使い方を身につけておけば、彼らはもっと成績を残せたんじゃないかな。 (石毛宏典氏の証言)
****************************************************************
ジャイアンツ時代、先輩の川上哲治氏から徹底的に嫌われ、結局、ジャイアンツから追い出された広岡氏。V9等、残した実績は物凄いが、「軍隊時代、上官だった川上氏からリンチを受けていた。」事を俳優・丹波哲郎氏が明らかにしている様に、"人として"色々問題が在ったとされる川上氏の"狡さ"に、広岡氏はどうしても許せない部分が在ったのだろう。でも、ジャイアンツを追い出され、カープでコーチとして選手を育てた広岡氏が、川上氏の自宅を訪れて「(古巣のジャイアンツで)一軍のコーチでなくとも選手を育てる自信があるので、今までのことを水に流して俺を使ってくれませんか。」と自分を売り込んだ際、川上氏は直ぐ様断ったという逸話が紹介されている。狭量さ、そして何よりも「広岡を招き入れて実力を発揮されたら、自分の存在価値が無くなってしまう。」という"小心さから来る恐れ"が、川上氏に在ったのではないかと想像する。歴史に"if"は無いが、「若しも広岡氏がジャイアンツに戻り、若い芽を育てていたなら・・・もっと言えば、監督としてチームを率いていたなら、V9以降のジャイアンツは"良い意味で"大きく変わっていたんじゃないかなあ?」と、ジャイアンツ・ファンの自分は思ったりする。
「タイガースや近鉄バファローズ等の監督に就任する可能性が在った。」等、知らなかった事実が多く、非常に読み応えの在る本。92歳に成っても意気軒高な広岡氏には、末永く球界の為に吠え続けて貰いたい。