ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

全く掛からなかった

2024年05月22日 | 其の他

恥多き半生を送って来た自分だが、今日書く内容も、そんな恥の1つだ。

小学校に入っても夜尿症、簡単に言ってしまうと寝小便、が続いていた。と言っても、毎晩寝小便を垂らす訳では無く、月に数回という感じだったが、小学生になっても・・・となると、矢張り問題。(後になって判った事だが、実は父も小学校低学年寝小便を垂らしていたとか。そうなると、遺伝という事か?)心配した両親は色々調べ、催眠術に頼る事となった。当時は催眠術が結構ブームで、其の頂点にたのが初代・引田天功氏。水中や爆発等の極限状態からの脱出マジック動画】を十八番にした天才マジシャンだったが、同時に「サ~ン、ニ~イ、イチ(3・2・1)!ハイ!体が倒れる!!!」といった感じで、妙なイントネーションで催眠術を掛けるスタイル【動画】を、当時は多くの子供達が真似した物。

初代・引田天功氏程の知名度は無かったが、催眠術関係の本を多く上梓し、其の世界では知られていたA氏。両親は彼に頼る事にし、内に在った彼の教室(オフィス?)に、自分は連れて行かれた。受付の横には待合室が在り、其の横のドアを開けると、催眠術を施す部屋だったと記憶している。両親は待合室に残り、A氏に連れられて隣の部屋に入ると、中は薄暗くて狭く、1つの机と2の椅子が(机を挟んで)置かれているだけ。(刑事ドラマで良く見掛ける「取調室」といった感じ。)

A氏から「椅子に座って目を瞑り、体を楽にして。」と言われ、其の通りにすると、「カチカチカチ♪」とメトロノームの音が聞こえ出した。自分の両肩にA氏が手を置き、「はい、此の音に合わせて、ブラーンブラーンとゆっくり肩を動かして。」と言い乍ら、両手で肩を揺さぶる。「肩を揺さぶっているのだから、当然、ブラーンブラーンと肩は揺れるよな。」と、可愛げの無い事を心の中で呟いていた自分。

そんな感じで暫くの間、肩を揺らされていたのだが、「はい、両手を御化けの様に、胸の前に上げて。」と言われ、「どうしよう?」と戸惑ってしまった。だって、催眠術には全く掛かっておらず、意識はハッキリしているので、そう指示された所で「無意識の内に両手が上がる。」なんて事にならないのは、自分自身が一番判っていたから。

何度か穏やかに「両手を上げて。」と指示していたA氏だが、ピクリとも両手が上がらない状態が続いていたので、段々と声に“”が混ざって来たが、幼い自分でも流石に気付いた。「無意識の“様に”、両手を上げないと不味いのかなあ。」と、子供乍らに“大人の事情”を感じ取り、仕方無くゆっくりと両手を上げた。

「はい、良いでしょう。」と嬉しそうに言ったA氏は、以降、「数える数字が減って行くと、両手がドンドン重くなって行きます。」等と指示を出し、催眠術に全く掛かっていない自分は、其れ等に合わした“演技”を続けた劇団ひまわりに所属する子役並みの演技力で。

其処迄は良かった。“観客”はA氏だけだったから。でも、「じゃあ、椅子から立ち上がって、御父さん&御母さんの待っている部屋に歩いて行きましょう。」と言われた瞬間、「どうしよう・・・・。」と。目を瞑った状態で隣の部屋迄歩いて行く事もだが、「観客数が増え、其れも両親の前で、催眠術に掛かった振りをしないといけない。」というのは、役者でも無い自分にとって、余りにもハードルが高過ぎたからだ。

結局、仕方無いので“演技”を続けた、A氏に手を引かれて、目を瞑った状態で隣の部屋に歩いて行った自分。其処で催眠術を施す部屋と同じ様な指示をされ、同じ様に演技を続けた挙句、再び隣の部屋に“同じ様な形”で戻った。そして、“全く掛かっていない催眠術”を解かれ、両親が居る待合室に。

帰宅する迄、「どうだった?」等、色々両親から聞かれたが、決して安くは無い費用を支払ったのは理解していたし、「全く掛からなかった。」とも言えないので、「全く意識が無く、何をしたのかも覚えていない。」という“無難な嘘”を通した。結局、其の教室には1度しか行かなかった。理由は判らないが、「余り効果が無さそう。」と両親は思ったのかも知れない。寝小便は暫く続いたものの、1年もしない内に“自然治癒”。「実は彼の時、催眠術に全く掛かっていなかったんだよね。」と親に白状したのは、高校生になってからだったろうか。「そうだったんだ。」と、親は苦笑いしていたっけ。


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