GOの解説部屋~素人の視点から政治を語ります~

政治とは国民の暮らしに密着したものであり、公の場で政治を語るのがタブー視されている現状を変えたい、その一心で投稿致します

今回は政治から離れて家族の話。

2016-03-18 22:55:40 | 日記
先日、祖母が他界しまして3日間ほど両親の故郷である対馬に行っておりました。

対馬とはどこにあるのか?とご存知ない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に説明しますと...
九州と朝鮮半島の間の離島で、博多から150km釜山から50kmくらいの位置らしいです。

飛行機を使わなかったので移動はほぼ半日かかりました。

祖母は89歳の大往生でした。
一年ほど前より父から「ばあちゃんはもうそろそろやで」と何度となく聞かされていたからか、訃報を聞いても悲しいという感情はなく、「来る時が来たか」と冷静に受け止め、すぐさま仕事を片付けて翌日には出発出来るような段取りを考えている自分がおりました。
自分でも嫌になる事がありますが、冷たい男なんです、僕は。

通夜の晩は父といとこたちと線香の番をするはずが、飲みすぎて潰れてすぐに寝る始末。最悪な奴です。

翌日の葬儀も当初は淡々と過ぎていったのですが、中盤より異変が起こります。

葬儀に来られなかった妹の弔電がとても自分には表現出来ないような心のこもったものだった事やシンプルだが感謝の気持ちに溢れた喪主である父の締めの挨拶に(事前に相談を受けたので内容は知っておりましたが)感動させられました。
何より、祖母の介護で一番大変な思いをしたはずの伯母が目の前で泣いている。

家族の温かさに涙が出ました。
自分にも人として当たり前の感情があったのだとホッとした瞬間でもありました。

今回の葬儀にまつわる出来事では、おじ・おば・いとこたち(自分の家族も含め)のたくさんの優しさに触れられ、自分の中で祖母の死に対して明確な感情整理が出来ました。

それはこの家族を作り上げてくれた事に対する「感謝」です。

祖母は早くに夫である僕の祖父を亡くし、たくさんの親せきの方たちに支えられて、この家族を作ってきたのだと思います。

そんな家族だったからか、それとも田舎の家だったからか親せき付き合いも広く、かつ濃いもので、皆さんとても優しい人たちです。

9人兄弟の長女だった祖母は、子や孫をはじめ妹や弟とその子供たちに感謝と労いの言葉をかけられて旅立っていきました。

自分もあちらの世界に旅立つ時には家族や親せき、関わってくれた人たちに感謝されて送り出されるよう、努力しようと決意を新たにした出来事でした。




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