気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

晩夏の京都御苑5 鷹司邸跡と富小路休憩所

2023年01月19日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 堺町休憩所での小休憩ののち、残る一ヶ所の休憩所施設、富小路休憩所へと向かいました。旧九條邸跡の北を通り、上図の堺町御門を右手に見つつ通り過ぎました。

 

 同行者が「あれですよ」と嬉しそうに指さした先に、富小路休憩所の建物が半分ほど見えていました。同行者はこの富小路休憩所がお気に入りで、大学時代にはよく入って試験や課題のレポートを書いたり、友人たちとお喋りして遊んでいたのだそうです。

 

 途中で左手に案内板を見つけました。ここも何かの遺跡なのか、と訊くと同行者は「鷹司(たかつかさ)卿の屋敷跡ですよ」と答えました。

 

 鷹司邸跡の案内板は字がかすれて読みにくかったです。宮内庁管轄エリアの案内板が綺麗にメンテナンスされて読みやすいのとは対照的です。環境省はもう少し頑張らないといけませんね。

 鷹司家は、藤原北家嫡流近衛家の庶流で公家の五摂家の一にして明治期以降は華族の公爵家となった家です。鎌倉期の建長四年(1252)に近衛家実の四男の藤原兼平が摂政・藤氏長者宣下を賜って以後、子孫が他の摂関家と交互に摂政・関白に任ぜられています。
 鷹司の家名は、藤原兼平の邸宅が鷹司室町に所在したこと由来します。現当主で伊勢神宮宮司などを務めた鷹司尚武氏は26代目にあたります。

 

 富小路休憩所に着きました。京都御苑内にある五ヶ所の休憩所施設のうち、最も地元住民に親しまれて利用頻度も高いそうです。その主な理由として、周囲に野球場、テニスコート、ゲートボール場があり、地域住民のためのスポーツ公園のようなエリアになっていることが挙げられます。それで、スポーツで汗を流した後は富小路休憩所で、となるわけです。また、東側の外郭外に市営駐車場があって気軽にアクセス出来るのも大きいでしょう。

 

 しかも上図のようにオープンな無料休憩所で、誰でも自由に利用出来ます。近衛邸跡休憩所のようにテナントが入って有料になるとか、清和院休憩所のように京都迎賓館の受付施設同然になってしまっているとか、そういう風にはなっていませんから、入りやすいです。
 この日も、学生さん二人が奥のテーブルで楽しそうにお喋りしていました。同行者がお気に入りであるのも理解出来ました。

 

 それから周囲を回ってみました。富小路休憩所の東隣にテニスコート、北側一帯が富小路広場となっていて、ゲートボール場が二面、野球場が二面あります。片方の野球場で地元の女性ソフトボール部らしいのが練習試合をやっていて、同行者がそれをしばらく観戦していましたので、それに合わせました。

 

 野球場の西側には、上図の案内板がありました。明治期に毎年開かれた日本最初の博覧会の常設会場がここにあったそうです。
 博覧会は、京都博覧会社(のち京都博覧協会と改称)が主催して昭和三年(1928)までほぼ毎年開催されました。初回は西本願寺、第二回から九回までの会場は大宮御所・仙洞御所、明治十四年(1881)の第十回からここの常設博覧会場で開催されました。明治三十年(1897)に岡崎公園に博覧会館が建設されたため、大正三年(1914)以降は岡崎の京都市勧業館が博覧会会場となりました。

 

 同行者が「富小路広場の北西には桜町という場所があって、源氏物語ファンの聖地の一つになってるんですよ」と説明しつつ、その場所へ案内してくれました。

 

 現地の案内板です。ほう、紀貫之の邸宅跡がこの辺りですか・・・。源氏物語の中川家屋敷のモデル地ですか・・・。なるほど。  (続く)

 

コメント
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