差別問題や政治思想なんかには興味がないはずなのに、気がつくといろいろ書いていたのでまとめてみました。
移民拒否の功罪
私は移民受け入れ賛成派である。
しかし移民受け入れが善で、それを拒む者は後進的で邪悪で差別的思想の持ち主だという考え方はしない。
移民を受け入れないという政策にもそれなりの理由と長所があり、理解できない考え方ではない。
日本というマクロレベルでは外国人との共生は難しいとも考えている。
しかし私たちのレベル、つまり「講」でならば共生は容易に可能であり、既に共生している。
役に立つ者ならば悪魔でも勧誘し、来る者ならば人間でなくとも受け入れるのが私たちの方針である。
ましてや同じ生物種である人間を受け入れるのに何の不都合があるだろうか。
在日朝鮮人が受け取るべきサービスについての考察
人権擁護法についての考察
法による差別規制の限界についての考察
私は差別主義者である。
私は差別もある明るい社会を望んでいる。
しかし人々に機会が均等に与えられ、義務を果たす人にはそれに見合うだけの権利が与えられ、弱い立場の人間が保護され、働きたい人が働き、学べる人間が学べる公正な社会も同時に願っている。
上の記事ではそういうことをダラダラとしゃべっている。
罪について
在日公務員問題、および北方領土、靖国神社参拝についての考察
反日記者会見についての考察
陰謀論花盛り
要点は4つ。
1.国家の経済、外交問題と人間同士の感情的なやり取りを同列で論じるべきではない。
2.自分は正義だと思っていても、他人から見ればワガママにしかみえないことがある。
正義の人になるよりは不愉快感を与えない人間になるようにした方がいい。
3.他人の精神に口を出すな。
4.石原慎太郎都知事は、智恵と決断力はあるが知識と教養はない人物だ。
そしていくら砂糖が入っていても塩を混ぜたケーキは食べれたものではない。
進歩と進化
統治と人権についての考察
歴史において絶対的に正しい思想はない。
だから政治思想に正義を求めることは、存在しない黄金卿を目指して野たれ死ぬようなもので、破綻が約束されている。
経済は流儀ならば多種多様だが、絶対的に正しい目的ならば存在している。
それは生産性の向上である。
だから経済に正義を求めないことは、目の前の食事に手を出さないで飢え死にするようなもので、破綻が約束されている。