玄文講

日記

中毒

2005-01-25 10:14:47 | 個人的記録
午前中はいつも清々しい。
気力、集中力ともに満ち満ちており、全ての困難は挑むべき面白い好敵手だ。
生きることは素晴らしく、世界は美しい。

午後は絶望の世界だ。
惰性だけで生き、全ては散漫としている。何もできない。私にできることは何もない。そんな気分になって、蛍光灯に群がる羽虫を潰しながら時間をもてあます。
何もかもが面倒になる。生きていることの何と無駄なことか。呼吸するだけ酸素の無駄使いだ。

このように私の気分の波は躁(そう)からウツを繰り返すのが日常となっている。
こうなる原因は単なる疲労のせいだと今までは考えていた。

しかし、昨日ふと気がついた。
私は毎朝、濃い目の煎茶を3杯ばかり飲んでいる。
ひょっとして、夜に集中力が切れるのはカフェインが切れたせいなのではないだろうか。
そこで試しに昨晩、煎茶を飲んでみた。
すると夜になっても意気軒昂、世界はいつまでも素晴らしいままでいてくれる。

つまり私は単なる中毒者だったのである。
ああ、なんたるちあ。


****************************

「青い山脈」という古い小説を読んだ。
この本は私の母がまだ若かった頃に映画化もされており

♪あーおい さんみゃくー ゆきわりざーくーらー

の歌は有名である。しかしこの歌を頭の中で歌おうとすると、どうしても

♪あーおい さんみゃくー に くちびーる よーせてー

になってしまう。
まぁ、こんなことはどうでもいい話である。

ストーリーは男勝りの女学生が男の子と少し仲良くしただけで「不道徳」呼ばわりされ嫌がらせを受け、それを諭した女性教師が逆に吊るし上げられてしまい、その窮地を同僚の気さくな医師や女学生の友人たちが助けるというもの。

売春でさえよくある話になった今では、知り合いの青年と遊んだだけで転校騒ぎの不祥事になるという設定には信じがたいものがある。隔世の感である。

小説中にスタイルや教養がついていかない頭だけの思想理解を批判した箇所があり、とても共感した。
それと健全な男女交際をすれば、エネルギーをもてあまして下らないケンカや浮ついた政治運動なんてしなくなるというセリフには笑ってしまった。
これは「もてない男は目をかんで死ね」ということですな。

****************************

実家で見たニュースでNHKの番組政治圧力問題の記者会見を見た。

この問題の真偽は分からないし、どうでもいいので特に言うことはなく、この問題と従軍慰安婦問題は別の問題であるので混同すべきではないと思っている。

ちなみに私は基本的には慰安婦には同情する。
「レイプ オブ 南京」という告発本が嘘の多い、進歩的な文明人様が劣等人種を説教するだけの本だということは知っているし、彼女達が売笑婦になった原因は当時の日本政府だけのせいではないことも知っている。
(誤解がないように付け加えておきますと、当時の日本兵が多くの民間人を殺傷したのは事実だと私は知っています。そしてあの戦争で民間人を殺さなかった国など存在しないということも。)
また私は売春婦は不幸なだけの被害者ではなく、あれはあれで一つの職業だとも思っている。
しかし そういうことを差し引いて考えても、彼女たちの「職場」の環境は健全とは言えず、そんな場所で身体を売らないといけなかったことは悲劇である。
これも、どうでもいい話ではある。

私が気になったのは、そこで元NHKの局員が泣いていたことである。
私は他人の前で泣いてみせる男性は信用しないことにしている。

もちろん、こんなのは「名前が気に入らない」と同じ言いがかりに等しい偏見ではある。
しかし他人の前で泣けるという精神構造は不愉快であり、その態度からは「甘え」「媚び」「被害者意識過剰」「同情をひきたいという浅ましさ」「自分劇場」「陶酔と恍惚」「卑怯」といったものしか読み取れないのである。

ところで女性はもともとよく泣くので、泣いているのを見ても不信に思ったりはしないのだが、これは女性差別になるのだろうか。

最新の画像もっと見る