玄文講

日記

川勝義雄「中国の歴史3 魏晋南北朝」

2006-11-24 11:36:04 | 
戦争が終わらない世界。
それは生まれる前からあり、死んだ後にも続き、
祖父の祖父の代から孫の孫の代まで繰り返される。
そんな時代に生まれてしまった者たちはどうやって生きていけばいいのだろうか。

魏晋南北朝時代とはそんな時代であった。
それは西暦200年頃より中国において400年も続いた戦乱の時代である。

漢が腐敗し、世が乱れ、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が起った三国時代はマンガ、小説、ゲームでおなじみのものだ。
しかし、そこから先の魏晋南北朝時代が話題になることはあまりない。

だが歴史から教訓を学びたい者にとっては、これから先の時代の方がはるかに面白いものであると私は断言しよう。
曹操の死後、魏が天下を取り、司馬のクーデターにより晋が起こり、やがて内乱「八王の乱」が起き、内乱に乗じた北方民族に都を奪われ晋は滅び、貴族は南に逃れて中国は南北に分裂した。
それから300年。南でも北でも、王朝が腐敗し、新たな王朝に倒され一族郎党皆殺しにされ、やがてその王朝も腐敗し、次の王朝に皆殺しにされるということを飽きることなく延々と繰り返した。
それは北の隋が南の陳を滅ぼし、はやくも二代目で腐敗した隋が滅ぼされ唐が成立する時まで続く。

この戦乱により人々の生活は困窮し、いつまでも終わらない戦乱に嫌世的な風潮が蔓延した。
しかし同時にこの戦乱は北においては文明化した蛮族による仏教などの新文化の創造をもたらし、南においては未開地の開発や無常感を唱う陶淵明などの詩人、文人をもたらした。
それは南北の文化が融合した上で更なる発展を遂げた時代でもあった。現在の中国の原型ができたのもこの時代である。
戦争や破壊が新しい文明を作るなんてことを主張する気はないが、戦乱が原因で文明の統一がもたらされたことは興味深い事実である。
同じように蛮族の進出により滅んだローマ帝国以降の世界が、キリスト教圏とギリシア正教圏と回教圏とに完全に分裂し、文明の痕跡の非常に少ない暗黒時代をもたらしたのとは正反対である。

この本ではその最大の原因を、知識人の存在に求める。
戦乱の世においても、中国では多くの知識人が存在し、政治や社会に貢献をし続けた。
上の首が頻繁にすげ変わる中において、その下の貴族(腐敗貴族も山ほどいたが)や在野の賢者たちはしっかりと中国を支え続けた。
それが戦乱の時代を単なる暗黒時代に終わらせなかった最大の原因である。

これをもって昔の東洋人は西洋人より勤勉で優れていたと言う者は、まずいないであろう。
東西で人間性に本質的な違いがないとすれば、このような違いを生んだ原因は人間を越えたもっと大きなものに求めた方がよさそうだ。
それは「地理的要因」であったり、宗教の違いであったり、経済構造だったりするのであろう。
(歴史好きの知人によると、ブローデルの「地中海」はそういう視点でヨーロッパ史を見直した名作らしい。いつか読んでみたいものである。)

このテーマは一冊の本で理解し、講釈をたれるには、あまりにも大きすぎる課題なので、ここでは印象に残った部分を備忘録として引用するだけにしておこうと思う。

通貨問題は5世紀の前半から宗王朝では深刻な議論になりつつあった。
政府においても民間においても貨幣が足りない。
物流の交流が盛んになって、貨幣の必要度が増してきたからであり、社会に流れている貨幣の量よりも、より以上の貨幣が必要になってきたからである。

宗王朝はもっともてっとり早い方法をとった。
貨幣の質をだんだん悪くして、法定価値をそのままにしておきながら、数量だけを増していったのである。
「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が進行した。
貨幣の内側がけずりとられてガチョウの目玉のような大きな穴のあいた「鵞眼銭(ががんせん)」が出まわり、物価は高騰し、465年には商取引もできないほどになってしまった。

宗王朝はこれに対して、以前の良貨幣だけが有効であるとの法令を出した。税金納入にさいしては、良質貨幣しか受け入れないことにした。
これにより良貨がふたたび出まわるようになり混乱は収まった。
しかし政府は貨幣を新しく発行して、不足を緩和しようとはしなかった。

南斉の政府はむしろ苛酷に貨幣を吸い上げた。国家財政の40%は貨幣でまかなわれるほどになった。
465年までの放漫な財政政策とは正反対の、この緊縮政策が、生産者たる農民に与えた打撃は大きかった。

簫子良(しょうしりょう)はこの弊害を政府に警告して、こういっている。
「近ごろ銭は貴重で物価は低下し、以前に比べてほとんど半値に値下がりしている。農民は苦労して生産に励んでも、現金収入は少ない。そのうえ、得た銭はけずりとられたあとの悪質の貨幣である。
ところが政府は定期的に税を取るとき、良質の貨幣で納入せよと命ずる。だが、民間には良い貨幣がひじょうに少なくなっている。
農民はかけずりまわって、自分たちの悪い貨幣2枚を良い貨幣1枚にやっとかえてもらって、税を納めねばならぬ。
貧しい農民のもつ悪い貨幣は、額面は同じなのに半値にも下がって、その苦しみはいよいよはなはだしい。
逆に良質の貨幣をのつ金持ちはますます儲けているのだ」

財政支出の使われる政府に近いところにいるものは良質の貨幣の所有者になり、ますます儲けてゆくのである。
これに反して、政府から遠くはなれるほど悪質貨幣で損をする。
ちょうど金融引き締めのときに、中小企業は銀行からなかなか金を貸してもらえないのに、大企業には多額の融資が出されるようなものであって、現代における信用の二重構造にも似た現象が、5世紀の江南では貨幣の二重構造としてあらわれたのである。


南の梁王朝はこの貨幣問題を解決できず、大量の失業者と彼らの転じた野盗の一団に苦しめられ、貴族は放蕩で財力を食いつぶし、皇帝は仏教に逃避して政を顧みなくなり、とうとう滅びてしまうのである。
デフレにより滅びた一王朝の姿とその民の苦難には、同じデフレの国に生きる者として身につまされるものがある。

会社廃業

2006-11-23 03:26:28 | 個人的記録
私はつまらない日常を好んでいる。
同じようでまるで異なることを繰り返す毎日。違うようで同じことを積み重ねる日常。
そして、それが死ぬまで続くことを、期待している。
私は自分の人生をなるべく「つまらないもの」にするように努めてきた。
自分がなるべく卑小な存在であることを忘れないように心掛けた。
分をわきまえることは、自分と世界を正しく認識するためには必要不可欠なことだからだ。

そして分をわきまえた私は、自分がいかに生きるべきか、以下のような結論を出した。
毎日、朝から晩まで働いて、生きるに必要な金をかせいで、
たまの休みには好きな物理学の本を読みふける。
そして死ぬ。それが私の理想だ。
理想だった。

そして理想は”また”かなわずに消えた。
会社を倒産させることが決まった。再就職してから八ヵ月。売り上げを着実に伸ばしている矢先の決定だ。
私が入社する前に存在した借金が事態を予想以上に深刻にさせていた。
先月の600万も、今月の1800万も、全て飲み込まれてしまう。
そして景気はこれからも悪いままであろう。今の金融政策では、良くなる理由がない。
もう経営を続けることはハイリスク・ロウリターンでしかない。
平凡で真面目なサラリーマンとしての私は終了してしまった。

だが、問題は何もない。
たかが失業、たかが私の人生である。
ただせっかく決めた理想的人生が破綻しただけのことだ。

そして私は血のつながらない祖父から別の選択肢を与えられた。
昔、大陸から帰還し、既に成人し困窮していた私の父を養子にしたように、私にも過分な機会を与えると言うのだ。
それは、私には何の意味も見いだせない。しかし、一般的にはそこそこの意味のあるものだ。
それは一千万円の現金である。

私は、この機会を利用する手段を持たない。
私は無能だ。

ところで私は一つの信仰を持っている。
それは私はお金に不自由することはないという信仰である。
大学院時代、私の月収は6万弱だったが、生きるにはそれで十分だった。
私には6万円しか必要なかったので、私は6万円しか手に入れなかった。

もし私が1億を必要とすれば、天から1億円が降ってくるであろう。
100億必要なら100億、1兆円が必要ならば1兆円が手に入る。
ただし、それは本当に必要なとき、必要な額しか手に入らない仕組みだ。
今の私には100億も1兆も必要ないから、それを手に入れることはない。
あの6万円が私の100億円であり、1兆円であったのだ。

しかし何故か私は必要のない千万円を手にしてしまった。
信仰が揺らぐのを感じる。信仰が試されているのを感じる。
そして信仰が誰も救わなかった歴史を私は知っている。

セーゲルストローレ「社会生物学論争史」

2006-11-22 14:48:15 | 
「社会生物学論争史」は、その名の通り「社会生物学」にまつわる論争を追いかけた本である。
しかし本書はそれだけについての本ではない。

「科学とは何か?」
「自分の知る科学が別の人間にとっての科学とはまるで異なるとき、一体どんな論争が起きるのか?」
「実験科学者とナチュラリストの違いとは何か?」
そういうことを考えさせてくれる、より普遍的なテーマを扱った科学社会学の本である。

そもそも社会生物学論争とは何だったのだろうか?
それはウィルソンが「社会生物学」という大著において、人間社会もまた進化による適応の産物であることを示唆したことに始まる。
その適応の産物の中には、道徳的に好ましくないものもあった。
強姦や殺人、戦争もまた人類が進化の過程で遺伝子に刻み込んだ、生き残り繁殖するための戦略かもしれないとされていたのだから。

それは「人間は環境次第でどうにでも変わることができる。人間は可能性に満ちた白紙の石板である。
強姦や殺人は歪んだ社会と教育がもたらすものである。」という当時の環境主義と相容れない考えであった。
そして生まれながらの本性の強調は、社会の不平等や犯罪を正当化し、遺伝的に優れた者だけが権力をにぎるべきというナチズムにつながると彼らは危惧した。
人種差別主義者、ナチズム、女性蔑視主義者、極端な保守主義者。様々な罵倒をウィルソンや他の生物学者は受ける羽目になった。
その「差別主義者」が現実には社会主義者であったり、フェミニストであったり、黒人を大学に採用するように働きかけたり、黒人と結婚して慈善事業に尽力したりしていることは無視された。

熱心な批判者の多くは左翼系の理想主義的思想の持ち主であった。
彼らの行動は時として非常に攻撃的なものとなる。
日本でも言葉狩りの例にみるように、一部左翼の被害妄想的な糾弾活動は出会う者すべてに噛み付くがごとしである。
この社会生物学論争も、そんな原理主義者たちの過剰反応を引き起こした。
だが、それだけではこの論争の執拗さを理解することはできない。
批判者は偏屈なマルクス主義者だけではなかった。
理性的で、道理の分かった科学者や知識人も、断固とした批判を繰り返し、社会生物学者を道徳の敵として断罪したからである。

ウィルソンは困惑した。
彼は反論を歓迎していたし、論争もするつもりだった。
しかし、それは科学的な反論や議論を期待していたのであり、「道徳の敵」としての批判は予想外のことであった。
ルウォンティン、グールドといった有名な科学者でさえ、彼の非道徳性を非難した。

何故、社会生物学論争においては、科学的議論ではなく政治闘争が繰り広げられたのだろうか?
彼らはウィルソンの学説を科学として認めず、故に科学的議論をしなかったのだ。
そして批判者はこれを科学の問題ではなく、政治的な問題だと信じた。
どうして、彼らはウィルソンのやり方を科学と認めなかったのだろうか?

その理由は、実験科学者とナチュラリストの使う科学は別であることに求められる。
以前に「科学という方法」で書いたように真実へ至る道は一つではないということだ。

実験科学者は以下の二つのことをとても重視する。
いかなる理論もそれらの洗礼を受けなければ、真実として認めるわけにはいかない。

一、定量的に計測したデータを提示すること。
一、再現性を持つこと。

ここで私は、

優れた実験科学者の素養を持っている理知的な秀才が、ナチュラリスト的なやり方をどのように批判するか。

の好例として、別の書評サイトの文章を引用したいと思う。
サイト管理人のwad氏は興味深い意見を提示してくれる尊敬すべき論者ではあるが、その純実験科学者的発言に私は困惑させられるのである。

例えば、氏が

なお、本書の内容から外れるが、統計学の使い方一般について一言。「トンデモ」という言葉を使いたがる啓蒙家は、「統計学を正しく使え」という趣旨で、「こういう説があるけれども、ちゃんと統計的に処理すれば有意な結果は出てこないのだから、信用するべきではない」という論理を使うことが多い。これは、本書で著者が批判している統計の不適切な使い方であることがしばしばある。科学的なアプローチを装う啓蒙家には注意しなくてはならない。「有意水準に達しなかったために、効果がないという仮説を棄却できなかった」ということは、「その効果がない」ということではない。そんなことは当たり前であるのにもかかわらず、このタイプの啓蒙家は、自分の信念に反しているケースでは、有意水準に達する結果が得られなかったことが、そのまま効果の不在の証明であるかのような言い方をしたがる。一方、普通の科学の実践においては、直観的にその効果がありそうだと思ったら、有意な結果が出なかったとしても「さらなる実験とデータ収集が必要である」という風にまとめるのが常道なのだから、ここにはダブル・スタンダードがある。

 たとえば、「ユリ・ゲラーがテレビ番組で念を送ると、それを見ていた視聴者が手に持っていた、それまで長い間止まっていた時計が動き出した」とか、「大きな飛行機事故の前に、予知夢を見た人が何人もいた」というような逸話について、啓蒙家はよくこんな議論をする。「その番組の視聴者は全国で数百万人、数千万人の単位でいる。その中には、ちょっと揺らしたり温めたりしただけで不意に動き出すような時計を持っていた人が一定の割合でいるはずだ。だから、視聴者のうちの何人かがそういう体験をしたとしてもまったく不思議ではない」。しかし、これはちょっと考えてみればわかるように、「超常的な現象が起きた」とする仮説に対する反論にはなっていない。最初に、「そんなことはありえない」という信念があって、そのような現象が偶然に起きる確率を(ほとんどの場合は実際に実験や調査も行わずに)逆に推定しているだけなのである。また、本書の言葉を使わせてもらえば、これは統計的有意性と科学上の意義を混同した議論である。動き出した時計の1000個のうちの999個までが、そのようなノーマルな因果関係で動き出したのだとしても、残りの1個がノーマルでないメカニズムで動き出したのだとしたら、それは科学的には大きな意味を持つ現象である。

 この話を突き詰めるといろいろと厄介な問題が出てくるのだけれども、この項ではここまでにしておく。まあしかし、世の中に上記のような理屈にならない政治的議論をする人が少なくないことから、論争が多い経済学の分野にもそういう人が多いのだろうなと思ったというわけだった。
[http://www.ywad.com/books/1266.html



と書くのを見ると、私はその説得の困難さに頭を抱えてしまう。

この論法では、私たちはユリゲラーの自称・超能力を嘘だと考えてはいけないことになる。
証明ずみの知識以外に意味がないとすれば、
私たちは一体どうやって推論したり、仮定をたてればいいのだろうか?
氏の主張する科学を守ると、私たちは山師のイカサマでさえインチキ呼ばわりできなくなる。

ここで私は実験科学者のルウォンティンとナチュラリストのウィルソンの科学的態度の違いについて書いた記述を思い出す。

ウィルソンにとって重要なのは、モデルが現実の「真の記述」であることではなく、モデルの予見的な力(あるいは「適応性」)だった。
けれども、ルウォンティンにとっては、モデルは現実を「正しく」記述していなければならなかった。(P457)


先のユリゲラーの話で言うと、
999個の統計的有意なデータから「多分インチキだ」という真実を予見するナチュラリストと
1個の正しく記述された現実にしか科学的意義を認めない実験科学者との深い溝が見える。

統計データのほとんどがその現象を否とみなし、有意な水準に達していれば、それを近似的な事実として認めるのに十分である。
完璧な正解が望めない、つまり定量性や再現性のない現象を扱う科学は、歴史を振り返って定性的な議論を行い、統計データをもとに近似的な正解を求めていくのも有効な方法である。
「残りの1個がノーマルでないメカニズムで動き出した」ことを証明できないから、それは「理屈にならない政治的議論」だなんてアンマリである。

つまり、この話は「善い科学」から導かれた結論ではないので、科学的な結論ではありえない。
だから、この話は個人的な信念を表明しただけの政治的な発言に過ぎないと言っているのだ。

そこには過去の社会生物学への批判者たちと同じ論理が見える。
彼らも、
「ウィルソンは「善い科学」を行っていないので、彼の主張は科学の話ではなく、自分の偏見に科学的根拠があるようにみせかけている政治的なものに過ぎない。
だから彼の著作に対して科学的な反論をする必要はなく、その非道徳性を政治的な問題として糾弾すればいい」と考えたのだ。

彼らがウィルソンに抱いた感情も

世の中に上記のような理屈にならない政治的議論をする人が少なくない

というものであったのだろう。
これがウィルソンの期待したような科学的反論が得られなかった理由である。
そもそも批判者たちはそれを科学だとは思っていなかったのであるから。
そしてウィルソンがこんな非科学的な方法を採用したのは、個人的な差別的信条を正当化したいという邪悪な動機があったからにちがいないと思い込んだのだ。

社会生物学者たちが示唆する「適応話」は当然ながら、批判者たちの「確実なデータ」という観点からすれば、真面目な科学を意図するものではありえず、したがってただちに、科学外の、政治的な懸念に動機づけられたものではないかという疑惑がもたれた。(P463)

そして、科学を装った政治的に邪悪な人間には政治的な断罪を下すのみであった。

*****************************

工学出身者が経済学につらく当たる理由も、これで説明ができるであろう。
彼らから見れば、経済学者の定性的な議論は、再現性も定量性もない証明不可能な政治的議論に見えるのだ。

ちなみにwad氏は社会生物学には理解を示している。
それは最近の社会生物学の発展がゲーム理論に基づいた十分に定量的データも提出できるようになってきたからであろう。
そして氏は常に実験科学者としての厳しい態度を崩さないでいる。氏はマクロ経済学者の定性的な議論に対しては

マクロ経済学の一般向けの本では、この実証の部分が非常に貧弱なことが多く、この本もその例外ではない。
http://www.ywad.com/books/557.html


この本だけを読むと、国際経済学はいまの世界が直面しているもろもろの問題を正面から捉える(というかおそらく定量化する)能力を持っていないのだという印象を受ける。まさかそんなことはないと思うので(もしかしたらそうなのかもしれないが)、この本ではわざと省略しているのだろう。うーむきわめて「と学会的」である。
http://www.ywad.com/books/51.html


これは政治的発言か?
http://www.ywad.com/books/271.html


と非難する一方で、定量的にデータを扱う計量経済学の本には星を5つ付けて賞賛するのである。
http://www.ywad.com/books/584.html


世の中には実験科学者とナチュラリストの確執がいたるところに存在しているのである。

(参考:社会生物学論争史の書評ではhttp://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/sociobiology.htmlがよくまとまっていて、分かりやすい)

貿易その2「歴史に見る国際競争力主義者の行動」

2006-11-17 13:26:40 | 経済
戦略的貿易論。
それは「貿易黒字は善で貿易赤字は悪である」と考える人々が作り出した政策のことである。

90年代の日本は巨額の貿易黒字を抱えていた。
それは不況のせいで国内の消費が停滞し、余った資産が投資として海外に流れた結果にすぎなかった。
日本では使い道のない資産が海外でお金を必要としている人々の手に渡っていただけのことなのだ。
つまりこの貿易黒字は不況の産物であり、決して日本人にとって嬉しい出来事ではなかったのだ。
一方で自国の資金需要を満たせないで困っている国は、日本から流れる資金のおかげで経済成長をスムーズに達成できるという恩恵を受けていた。

だが「貿易黒字は無条件で良いことであり、それが多いほど国際競争力が強い証拠だ」と信じる人は、「日本ばかりが得をしている」と思い込んだ。
そして日本は不正な手段、貿易障壁による閉鎖的な市場により得をしている卑劣な国だと憎んだのである。

そのような世論を反映して、修正主義者(リビジョニスト)のエコノミストを迎えたクリントン政権により戦略的貿易論が生まれた。
それは日本に対抗してアメリカも市場を閉ざし、「輸入数値目標」を定めた通商協定を押しつける管理貿易政策を行おうというものであった。

この動きに対して、アメリカ内外の経済学者は猛反対した。
たとえばエコノミスト93年11月2日号では、日米40名の経済学者連名の記事「細川首相・クリントン大統領への公開書簡」が日本語で読める。
そこで彼らは
市場開放はそれを行った全ての国に利益をもたらすのであり、日本だけが得をしているわけではない。日本に対抗してアメリカが市場を閉鎖すれば、アメリカ自身にも損失を与えること。
貿易黒字や赤字は国内の貯蓄と投資のバランスの問題であり、市場の閉鎖性とは関係ないこと。
などを強調した。そしてGATTを通さずに貿易問題を強攻的に解決しようとする姿勢は、国際貿易秩序を破壊する危険行為であるとして批判した。
目的のためなら国際ルールを通さずに、スタンドプレーに走るアメリカの傾向を批判したわけである。
しかもその目的が妄想にもとづくものであれば、なおさらだ。

このようにアメリカではトンデモ理論に扇動された反日感情が高まっていたわけだが、そのような危険な事態に日本はどのような対応をしたのであろうか。
毅然とした態度で無謀な要求を退け、礼節をわきまえながら冷静に相手の過ちを諭したのだろうか?
残念なことに、トンデモが幅を利かせる事態は日本でも同様であった。
その代表的で無惨な実例が「前川リポート」と石原慎太郎氏の著書「NOと言える日本」であった。

「前川リポート」は86年当時の中曽根首相の私的諮問機関により制作されたレポートで、2つの点で間違っていた。

1つは、膨大な貿易黒字は自国が過剰に他国から利益を奪っている国際関係上よろしくない行為だという前提に立っていることである。
そのレポートは貿易黒字の削減を唱っていた。

しかし前回も言ったように、貿易黒字は善でも悪でもない。国内で余った資本が、資本の不足している国に流れているだけの話である。
「我が国の貿易黒字が他国に迷惑をかけている」というのは加害妄想である。

そしてもう一つは、その貿易黒字削減の手段として「海外直接投資を増加させるべきだ」と言い出したことである。
おそらくは「海外への投資を増やせば、生産拠点が海外に移って日本は輸入を増やすだろう。そうすれば、貿易黒字も削減されるにちがいない」なんて考えたのだろう。

しかし、貿易による収支は(貯蓄―投資)だ。これが正、つまり貿易黒字であるとは、もはや投資先のない余った自国の貯蓄資産そのものが、外国へ輸出されることを意味する。これは現実には海外の債券の購入を通して行われる。

そして海外直接投資は外国企業の株を購入することなので、これは資本を外国に貸し付けているわけである。
つまり海外直接投資を増やせば貿易黒字も増えてしまうのだ。
「前川リポート」は因果関係を根本から取り違えていたのである。
日本はアメリカの間違いを毅然と正すどころか、お追従をうちながらドブ川に足を突っ込んだのだ。

「おべっかつかい」が役立たずならば、勇ましきサムライたちはどうだろうか?

彼らは果敢にアメリカへと抗議した。しかし、それは貿易黒字が減らされることへの抗議でしかなかった。
彼らも貿易黒字は善であると信じている点で海外のトンデモさんと同じ穴のムジナだった。
サムライの正体は、貿易を国際間の闘争と見なす、カビの生えた重商主義の残党、落ち武者であった。
彼らは無礼な偏屈なナショナリズムを唱えるアメリカ人と同じように、無礼で偏屈なナショナリズムを鼓舞した。

アメリカが
「卑怯な日本人が陰謀により貿易を妨害し、不当な利益をあげている。団結せよ、アメリカ!今こそ日本を打ち倒せ!!」
と怒鳴ったように、日本のサムライは
「姑息なアメリカ人が陰謀により貿易を妨害し、不当な損失をもたらしている。団結せよ、東アジア共和圏!今こそアメリカを打ち倒せ!!」
と叫んだ。

礼節?
そんなものはみじんのカケラもありはしなかった。

その代表的な一例が石原慎太郎氏らの著書「NOと言える日本」であった。
(この本にはアジア共通通貨を目指せというどうしようもないアジテーションも書かれている。)
この行為は「日本人はナショナリズムにこりかたまった連中で、卑怯なマネをすることも辞さない連中だ」というアメリカの偏見に証拠を与えただけであった。

(参考文献:野口旭「経済対立は誰が起こすのか」)

この6ヵ月

2006-11-16 18:13:00 | 個人的記録
えー、どうも、どうも
お久しぶりです。玄文講員です。

最近、玄文講を再会し始めました。
何の更新もされていないブログを訪問して無駄足を運ぶことになってしまった方々にはお詫び申し上げます。
特に昔の常連の方にはご心配をおかけしました。

で、今回は今まで私が何をどうしていたのか簡単に報告することで、挨拶の代わりとさせていただきたく思います。


5月
某氏の代理で中国は大連に行く。

そしてトチ狂った接待攻撃に沈没する。
毎回宿泊する部屋が私の部屋の5倍くらいの大きさがあって、落ち着かない。
部屋というのは狭くて汚いものでないといけないのに。

料理は一日三回、机一面に並べられる。そして彼らは言うのだ。

「先生、中国の料理は食べるのではありません。味見するのです。
だから一口食べたら、あとは食べなくていいです」

私はどこぞの国の皇帝じゃないんですから。私は米粒に7人の神を見る国から来た人間でスゾ。
去年まで一杯のそばで命をつないできた身分なんですから、残せません。
おかげで毎日吐く寸前まで食事をする羽目になったのである。

あとは頼みもしないのに民間人立ち入り禁止区域に観光のため連行されたり、
貧しい少数民族のかついだ神輿(みこし)の上に乗せられて町を練り歩いて、北斗の拳に出てくるような悪人気分を満喫したり、
党幹部が使う施設に入れられたり、
サウナに行けば召使いを一人つけられたり
耐えられないような待遇を受け続けました。

接待は受けるのに才能がいります。私には無理です。
それと、私は代理人です。
言うなれば王様の召使いが、使いに出されただけです。それなのにその召使いを王様扱いしてドウシマスカ?

最後に私が現地の化石屋に行った時、始祖鳥の化石を見つけて
「いいなー」
と漏らしたところ、接待役の人が私に言ったのである。

「持ち帰りますか?国外持ち出し禁止品ですけど、大丈夫です。
空港に知り合い います。彼に頼めば問題なしです」

けっこうです。いや、マジで、心の底から遠慮します。
誰が代理旅行で、捕まれば懲役100年クラスの密貿易をするものですか。
くわばら、くわばら。


6月
代理を依頼された方に報告。
事後処理を何点か。
比較的ヒマだったが、先月の反動で何もする気がなくなる。

7月
姉がスイスから帰国。
甥っ子二人の面倒をみる日々。

8月~10月
兄が某大手金融会社に引き抜かれて会社を辞める。
それで私が出世する羽目になる。
そして、この月より三ヵ月間一日の休日もない日々が始まる。
毎日家に帰るのが10時以降、徹夜も週に1、2回。

給料は倍になったが、仕事の方は4倍になった。
ブログはチラリと見ることさえない。好きな本も読めない日が続く。

11月
たまに休みが取れるようになる。

えー、というわけで以上が、私の6ヵ月間でした。
今月から少し余裕が出てきましたので、ブログを再会することにした次第であります。
更新は週一程度になると思いますので、たまにお越しくだされば幸いであります。